同心円状幸福論(前編)
『付き合おう』
僕とチヅルさんの間に、この言葉はいらなかった。
幸い僕の職業柄、せとうちであれば自宅はどこでも良かった。
つまり彼女の家に転がり込んだってことだね。
二人で一つ屋根の下で暮らすことが当然だと思っていたし、
彼女もそれについては積極的だった。
僕は霊感が若干だけどある側で、別れを予知できるんだ。
その方法は窓からの景色を見ることだ。
そうすると誰もいないのに誰かがささやいてくる。
『お疲れ様』ってね。
肩の力がスッと抜けてゆく感覚があるんだ。
その後、その人と会うことはなくなってく。
僕は彼女の自宅からそれをやってみた。
しばらくの間、僕は外を見ていた。
「どうしたの?」
寄り添い、ささやいてくれたのは別室にいたチヅルさんだった。
どうやら彼女とは長い付き合いになりそうだ。
僕は僕の胸にあてられた彼女の手を握った。
人の気持ちに理由はない、僕らは『情念の僕』なんだ。
「カイさんって手が温かい」
背中に押し付けられた彼女の体から、彼女の体温が移って来た。
僕を動かすのはもう僕だけじゃない。
そう思えると、なんだか楽な気分になれた。
ちょっとしたことに盛り上がれるのは付き合って間もないカップルの特権なんだろう。
僕らはしばらく、二人の時間を楽しんだ。
* * * * * *
「ねえ、次の休みっていつになりそう?」
彼女がこのセリフを僕に投げた時点で、僕は既に詰んでいた。
「次の日曜日だよ」
「ふーん」
彼女の『ふーん』は危険だ。
何かを企んでる証拠だ。
「じゃあ、久しぶりに食事しようか」
「うん、良いよ」
数日後、この件で場所や時間を決めたと彼女から連絡があった。
友達も同席らしい。
当日、僕は彼女の友達に包囲され事情聴取を受けた。
作家をやっていたこと、アブダビでのことやチヅルさんとの出会いについてだ。
彼女の友達の一人が少し泣きながら話をしてくれた。
お店の予約は二時間、この劇場にあと小一時間付き合わなければならないなんて。
僕は少しチヅルさんの方を見たが、お構いなしだった。
その友達の話はおおよそこんな感じだった。
以前付き合っていた男性が浮気をしたらしいのだけど、
それに気づいたのが浮気相手の女性が使っていた香水らしい。
その男性は否定したらしいんだけど、
チヅルさんの友達が探偵みたいなことをして現場をおさえた。
それを知った彼女は烈火のごとく怒ったらしい。
結婚を考えていたらしく、修羅場ってやつだ。
チヅルさんは当分、人間不信に陥って持ち直した時に僕と出会ったみたい。
大山祇神社で僕に見せた表情は、そのような背景があったからだと理解できた。
「カイさんって浮気しなさそう」
「水着の女性が目の前、歩いてても声かけなさそう」
「仕事以外ずっと家に居そう」
「運命よねー、人に歴史ありねー」
「ブーケに釣り糸、テグスっていうの? あれつけておいて私が手繰り寄せて」
「誰かが踏んづけたら、それって根掛かりよね」
「地球と結婚してどうするのよー」
「えー、もう私ってコスモな存在ってこと?」
ほら、結局お酒が入ると会話がカオスになってく。
酔っ払いってやっぱり手に負えない、御しがたい。
僕はチヅルさんを見た。
彼女はずっと笑って、楽しそうだった。
彼女の笑顔は見ていて飽きなかった。
ようやく解放された僕はチヅルさんと一緒に自宅へ向かった。
「カイさん、今日はありがとね。慣れない女子会だったでしょ」
「君が楽しそうだったからいいんじゃない。
悪い人じゃなさそうだし」
夕方になるにつれ日が焼けて来た。
焼けた陽は空に溶けて混ざっていった。
「今日はありがとう」




