第97話「選ばれなかった者」
「……悔しい」
その言葉が、まだ胸の奥で響いていた。
港の喧騒は少しずつ戻っている。
だが、エリスの中だけは静まり返っていた。
第四便。
未帰還。
その事実だけが、重く残っている。
「……捜索は」
エリスが絞り出す。
ガルドが首を振る。
「出してる」
一拍。
「だが……望みは薄い」
現実。
冷たい言葉。
それが否定できない。
エリスは唇を噛む。
(……私が)
頭の中で何度も繰り返す。
優先順位。
切り捨て。
判断。
「……エリス」
レオンの声。
振り向かない。
「今は動け」
短い言葉。
「止まるな」
エリスは答えない。
動けない。
その時。
袖を引かれる。
振り向く。
さっきの男だ。
第四便の生存者。
「……来てくれ」
低い声。
「何ですか」
「見てほしい」
その一言。
エリスはついていく。
港の外れ。
人の少ない場所。
小さな船が停まっている。
傷だらけ。
帆は裂け。
船体は焦げている。
「……これが」
エリスの声が震える。
「第四便の一部だ」
男は言う。
「俺たちが戻ったやつ」
一拍。
「向こうは、もっと奥に行った」
沈黙。
エリスが船に手を触れる。
冷たい。
だが、確かに現実。
「……何があったの」
男は少し考える。
そして。
「……声だ」
その言葉。
まただ。
「“安全じゃない”って」
「“引き返せ”って」
一拍。
「でも」
顔を上げる。
「別の声もあった」
エリスの目が見開かれる。
「……別の?」
男は頷く。
「“進め”って」
沈黙。
「……誰が」
「分からねぇ」
首を振る。
「でも」
一拍。
「そっちを信じたやつらが、向こうに行った」
空気が重くなる。
「……それで」
「分かれた」
単純な話。
だが。
それがすべて。
エリスの胸が締め付けられる。
(……選ばれた)
いや。
(……選んだ)
その違い。
だが。
結果は同じ。
「……俺は戻った」
男の声。
「正しかったのか?」
その問い。
まただ。
答えがない問い。
エリスは俯く。
言葉が出ない。
「……あいつらは」
男が続ける。
「間違ったのか?」
沈黙。
エリスの手が震える。
「……違う」
小さく言う。
男が顔を上げる。
「どっちも……違わない」
自分でも驚く言葉。
だが止まらない。
「どっちも選んだ」
一拍。
「ただ……」
喉が詰まる。
「結果が違っただけ」
男はしばらく黙る。
そして。
「……そうか」
小さく呟く。
納得ではない。
だが、受け入れるしかない。
その時。
遠くで鐘が鳴る。
港の鐘。
「……見つかったか」
ガルドの声が響く。
全員が振り向く。
水平線。
小さな影。
一隻。
ゆっくりと近づいてくる。
「……あれは」
エリスの心臓が強く鳴る。
期待。
恐怖。
両方。
船が近づく。
傷だらけ。
ほとんど沈みかけている。
「第四便だ!」
誰かが叫ぶ。
歓声。
だが。
それはすぐに止まる。
船が接岸する。
乗っているのは――
数人だけ。
「……これだけ?」
沈黙。
生存者が降りてくる。
その中に。
一人。
エリスの目が止まる。
少年。
若い船員。
震えている。
エリスが近づく。
「……大丈夫?」
少年は顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃだ。
「……間違えた」
その一言。
エリスの呼吸が止まる。
「俺が……」
震える声。
「進めって言った」
沈黙。
「みんな……」
言葉が崩れる。
「死んだ」
その瞬間。
港の空気が凍る。
誰も動けない。
エリスの手が、ゆっくりと震える。
(……これが)
現実。
選択の結果。
「……違う」
エリスは言う。
必死に。
「あなたが殺したんじゃない」
少年は首を振る。
「違わない!」
叫ぶ。
「俺が決めた!」
沈黙。
エリスの目に涙が浮かぶ。
「……じゃあ」
震える声。
「誰が決めるの?」
その問い。
誰にも答えられない。
少年も。
エリスも。
レオンも。
沈黙。
ただ風が吹く。
その時。
レオンが言う。
「誰も決めない」
静かな声。
全員が振り向く。
「決まるだけだ」
その言葉。
重い。
エリスの心が揺れる。
だが。
目を閉じる。
(……それでも)
ゆっくりと開く。
「……それでも」
顔を上げる。
「選ぶしかない」
その言葉。
まだ弱い。
だが。
確かに前に進んでいる。
少年が泣く。
エリスはその肩に手を置く。
何も解決していない。
だが。
止まらない。
それだけが、残った。
「選択」と「結果」が、真正面からぶつかった回でした。
ここで感情の芯が入ったので、次は一気に決着へ進めます。
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次話、思想の最終衝突へ。




