第82話「遅れた真実」
「――違う、これは……」
エリスの声は、ほとんど息だった。
通信塔の中は、張り詰めている。
紙の束。
航路ログ。
信号記録。
すべてが“正しい”。
だが現実だけが狂っている。
「第三船団、現在位置!」
ガルドが怒鳴る。
「予定より南へ逸れてる!」
「なぜそんな……!」
誰かが叫ぶ。
エリスは目を閉じた。
呼吸を整える。
――崩れるな。
「……時間軸を確認します」
ゆっくりと目を開く。
指が紙をなぞる。
「出航時刻」
「通信送信時刻」
「受信確認」
順番に並べる。
一つずつ。
確実に。
レオンは何も言わない。
ただ見ている。
エリスの思考を。
「……ここ」
小さな声。
指が止まる。
「通信更新、三分前」
ガルドが眉をひそめる。
「それがどうした?」
エリスは言う。
「本来は“出航直前”に更新される」
「でもこれは……」
紙を見せる。
「出航“後”に更新されている」
沈黙。
レオンが静かに言う。
「届いていない」
エリスは頷く。
「はい」
「古い航路のまま出ている」
それだけなら遅延で済む。
だが。
「……違う」
エリスの声が低くなる。
「その後の修正が」
「別の航路に変わっている」
空気が凍る。
「誰かが書き換えてる……?」
ガルドの声。
エリスは首を振る。
「違う」
「書き換えじゃない」
一拍。
「“上書き”です」
通信の中に混ざった。
本物の後に、偽物が届いた。
どちらも“正しい形式”。
だから気づかない。
「二重信号……」
レオンが呟く。
エリスは頷く。
「はい」
「本物と同じ形式で、偽物を送っている」
「しかも……」
紙をめくる。
「遅延を利用して」
理解が広がる。
「……わざとか」
ガルドが低く言う。
「はい」
エリスの声は震えていない。
もう崩れていない。
「通信の遅れを“作って”」
「その隙に偽情報を差し込んでいる」
レオンが静かに問う。
「できるのか?」
エリスは答える。
「通常は無理です」
「ですが」
目を上げる。
「通信記録を持っているなら」
沈黙。
黒海。
ラグナー。
「……やられた」
ガルドが吐き捨てる。
「完全に情報戦だ」
だがエリスは首を振る。
「完全じゃない」
全員が彼女を見る。
「偽情報は完璧じゃない」
紙を指す。
「微妙にズレてる」
「三分」
「五分」
「七分」
レオンが言う。
「精度が甘い」
「はい」
エリスは頷く。
「だから見抜ける」
その瞬間。
空気が変わる。
さっきまでの混乱が消える。
代わりに――
集中。
「全通信、時刻差でフィルタリング」
エリスが指示を出す。
「許容誤差を一分以内に」
「それ以上は破棄」
伝令が走る。
通信が切り替わる。
「第三船団に再送信!」
「正規航路を再指示!」
光信号が飛ぶ。
時間が流れる。
数分。
長い数分。
そして――
「応答あり!」
エリスの手が止まる。
「第三船団、航路修正!」
息を吐く。
「……戻った」
小さな声。
だが確かな一歩。
レオンが言う。
「一つ取り戻した」
エリスは頷く。
だが顔は晴れない。
「でも……」
窓の外を見る。
海。
見えない航路。
「相手は分かってる」
低い声。
「私たちの仕組みを」
沈黙。
その時。
新しい報告が入る。
「通信塔、外部信号を検知!」
エリスが顔を上げる。
「外部?」
「未登録の中継信号です!」
空気が一変する。
レオンの目が細くなる。
「中継……?」
エリスの顔から血の気が引く。
「……そんな」
小さな声。
「ありえない」
だが報告は続く。
「位置は――」
地図が広げられる。
指が示す。
黒海と基準航路の中間。
「……海上です」
沈黙。
エリスが呟く。
「通信塔が……海にある?」
理解が追いつかない。
だが現実はそこにある。
レオンは静かに言う。
「作ったな」
黒海が。
新しい戦場を。
情報の中継点。
それは――
「通信の支配だ」
エリスの指が震える。
「……負ける」
小さな声。
「このままじゃ」
初めての弱音。
だがレオンは即答しない。
ただ言う。
「見に行く」
エリスが顔を上げる。
「え?」
レオンの目は変わらない。
「中継点を潰す」
その一言で、
次の戦いが決まった。
海ではなく。
情報の中心で。
決戦が始まる。
情報戦が本格的に始まりました。
ここからは「見えない戦い」が中心になります。
そしてエリスも、ここからさらに追い込まれていきます。
続きが気になる方は、ぜひブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。
次話もお楽しみに。




