第39話「安すぎる小麦」
最初に異変に気づいたのは、農民だった。
「……値が合わない」
倉庫番が、帳簿を見つめる。
昨日まで一袋銀貨五枚だった小麦が、
今朝には三枚になっていた。
理由は単純だった。
帝国産小麦が、大量に流れ込んだのだ。
カルディア経由で。
「安い……けど」
市場の主婦は戸惑う。
安いのは嬉しい。
だが隣で売る協議会産の小麦は売れない。
農民の顔色が変わる。
グランデル領・農政局。
エリスが報告する。
「帝国が意図的に価格を下げています」
レオンは、黙って数字を見る。
「赤字覚悟ですね」
「はい。採算度外視」
「狙いは?」
「協議会内農業の疲弊」
単純だ。
安く売る。
相手を潰す。
戦争ではない。
だが国が痩せる。
ノルディクスからの通信。
「我々の穀物倉庫が滞留している」
「商人が帝国産に流れている」
市場は正直だ。
安い方を選ぶ。
「止めますか?」
エリスが問う。
「関税をかける?」
レオンは首を振る。
「今それをすれば、“保護”と叩かれる」
信用の理念が揺らぐ。
「では」
「持久戦になります」
短い答え。
だが不安は広がる。
農民たちが集まり始める。
「領主様、どうにかしてくれ」
声は切実だ。
「我々は信用を守った」
「だが生活が守られていない」
痛い言葉だった。
夜。
市場はいつもより静か。
ミラ・ヴァーリエが、店先で計算している。
若い商人。
協議会共通決済を扱う担当者。
「……回らない」
帝国通貨は流通が速い。
協議会決済は手続きが多い。
「怖いから、帝国通貨を持ちたがる」
客の言葉が刺さる。
“怖くない方を選ぶ”
理屈ではない。
感情だ。
翌朝。
さらに小麦価格が下がる。
農民の一人が、倉庫前で膝をつく。
「続けられない」
グランデル領の空気が重くなる。
レオンは、静かに言う。
「帝国は撃っていない」
「ですが」
エリスの声は低い。
「確実に削っています」
その通りだった。
砲撃より静かに。
確実に。
海は封鎖していない。
だが市場は、締め付けられている。
レオンは、ゆっくりと呟く。
「恐怖は、価格になる」
そして今。
価格が、協議会を揺らしている。
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