第38話「砲門の前で」
夜明け前。
海は、不気味なほど静かだった。
協議会共同旗を掲げた小型船が、ゆっくりと北航路へ進む。
砲はない。
護衛もない。
乗っているのは、記録官、航海士、そして――
レオン=アルヴェイン。
「本当に来るとは」
ガルドが低く言う。
「提案したのは私です」
レオンは、海を見据えた。
遠く。
黒い艦隊が浮かぶ。
巨大な船体。
整然と並ぶ砲列。
その中央に、旗艦。
アル=ゼルディア帝国。
距離が縮まる。
帝国側の警告灯が光る。
「これより先は安全確認区域」
拡声器越しの声。
レオンは応答する。
「協議会観測団である」
「安全確認の共同実施を求める」
沈黙。
波の音だけが響く。
帝国艦隊の砲門が、ゆっくりと動く。
観測団の船内に緊張が走る。
「……来るか」
ガルドの声が低くなる。
レオンは、動かない。
「撃てば、侵略だ」
小さく呟く。
「撃たなければ、正当性が崩れる」
旗艦の甲板に、一人の男が現れる。
銀糸の長衣。
カイロス・ヴァル=ゼルディア。
距離はまだ遠い。
だが視線が、ぶつかる。
「目的を述べよ」
拡声器越しの声。
「安全確認の共同実施」
レオンは答える。
「封鎖が“確認”であるなら、我々も確認する権利がある」
沈黙。
砲門が、わずかに下がる。
だが閉じない。
カイロスが、静かに言う。
「貴官は、恐れていないのか」
風が止まる。
「恐れています」
レオンは即答した。
「だが恐れは、光に弱い」
一瞬。
帝国側の甲板にざわめきが走る。
カイロスは、わずかに目を細める。
「我々が拒否すれば?」
「その瞬間、封鎖は侵略になる」
「撃てば?」
「歴史が記録する」
静かな言葉。
だが重い。
カイロスは、しばらく黙った。
帝国艦隊は、戦争を望んでいない。
恐怖を維持したい。
撃てば、恐怖は一瞬で侵略へ変わる。
観測団の船は、まだ進む。
砲門の真正面。
距離、わずか。
一発で沈む。
ガルドが、息を止める。
帝国側の砲手が、照準を微調整する。
時間が、伸びる。
カイロスの声が、響いた。
「……観測を許可する」
砲門が、ゆっくりと閉じる。
海の空気が、わずかに緩む。
観測団が、帝国旗艦へ横付けされる。
記録官が、書き留める。
航路封鎖の理由。
検査手順。
停船記録。
すべてが、文書になる。
光に晒される。
カイロスが、レオンに近づく。
至近距離。
「賭けだな」
「はい」
「撃てば終わりだった」
「ええ」
沈黙。
「恐怖は裏切らない」
カイロスが低く言う。
「だが恐怖は、照らされると弱まる」
レオンは答える。
カイロスの目が、わずかに揺れる。
「三十日後」
「帝国は再び来る」
「その時、貴官の秩序は残っているか」
「残します」
即答ではない。
だが確信が戻りつつある。
観測団の船が離れる。
砲撃はなかった。
だが勝利でもない。
港へ戻る途中。
エリスが、小さく言う。
「止まりましたね」
「一時的にです」
レオンは、海を見つめる。
「恐怖は消えていない」
だが。
撃たなかった。
帝国は、正当性を守った。
そして協議会も、崩れなかった。
七日の期限。
残り一日。
円卓は、まだ割れていない。
だが戦いは、これからだった。




