終話 二つの墓
穂坂警察署の刑事課は、3階にあった。
廊下に長椅子があって、私たちはそこで40分待った。誠司は膝の上に封筒を置いて、両手を重ねている。
呼ばれて、机の向かいに座った。
原本のデータを渡し、経緯を順に話した。戸籍、鑑定の報告書、楓野日報の複写、村で聞いた話、そして昨夜の通話の記録。
一つだけ、先に言うことがあった。
「山から見ていた人は、いません」
誠司が言った。
「そう言えば話すかもしれないと思って、言いました。証人はいません」
刑事は手を止めて、彼を見た。それから、書き込んだ。
「言っていただいて助かります」
「鑑定は」
「こちらは、あくまで端緒として扱います。必要な検査は、こちらで手続きを踏んでやります。ご本人の同意なしに集めた検体ですから、そのままでは使えません」
「分かりました」
「それと、あの録画だけで決まるものではありません」
刑事は言った。
「当時の書類、登記の動き、2010年の交番の記録。そういうものと一つずつ突き合わせて、初めて形になります。時間はかかります」
「かまいません」
誠司は言った。
「31年、待ちました」
弘子さんが任意で呼ばれたのは、その8日後だった。逮捕は、さらに20日あとになった。
供述の内容を私たちが知ったのは、春になってからだ。
1995年10月、彼女と忠久は、宗一さんと都子さんの家に出入りしていた。二人の家は3階建てで、加工場の帳面もそこに置いてある。
都子さんがきのこを採ってきた日に、彼女は夫に、山でドクツルタケを採ってくるように言った。煮汁をつくり、都子さんが作った料理に混ぜたのは彼女だという。
酒を飲んで動けなくなった二人を窒息させたのは、忠久だ。
翌日、忠久が村の人を呼んで、誤って毒きのこを食べたと言った。死亡の手続きは済み、解剖はされていない。
事件として調べられることは、なかった。
「子どもは、なぜ無事だったんですか」
私は刑事に聞いた。
「その晩、お子さんは母方のおばあさんの家に預けられていた、と話しているそうです」
誠司は何も言わなかった。
帰りの廊下で、彼は一度だけ立ち止まった。
「祖母が、俺を生かした」
*
公判は、2028年の秋に終わった。
傍聴席は横に並んだ長椅子で、隣の人と肩が触れる。私は誠司の左に座った。
被告人席の弘子さんは、2年前より小さく見える。
検察官が起訴の内容を読み上げた。
1995年10月、二名に対する殺人。夫との共謀と、実行の一部への関与。
弁護人は、被害弁償が済んでいることと、本人が事実を認めていることを述べた。
判決は、懲役20年だった。
裁判長が理由を読んでいるあいだ、弘子さんは前を向いている。振り返ることは一度もなかった。
満期で出てくる日、弘子さんは84歳になっている。
その日まで生きているかどうかは、誰にも分からない。塀の中で迎える誕生日は、20回ある。
被害弁償は、判決の前に終わっていた。
弁護士の事務所に呼ばれたのは、判決から10日後だ。
応接の机に、書面が三通、順番に並べられた。
「まず、マンションです」
弁護士は一通目を指した。
「穂坂市内の分譲、3LDK、評価額3800万円。移転の登記は済んでいます」
「二通目が預金です。基準日の残高、800万円全額。すでにお振り込みになっています」
「三通目は、別口の損害賠償の和解書です。300万円。こちらは、まだ支払われていません」
「回収の見込みは」
誠司が聞いた。
「正直に申し上げて、長くかかります。服役中の収入はわずかですから」
「分かりました」
彼は三通を一通ずつ読んで、最後の一通を、いちばん上に置き直した。
父と母が村で建てた3階建ての家は、もうない。預金も、そのままの形では戻らなかった。
戻ってきたのは、別の街にある古い部屋と、数字と、紙が三枚だ。
それでも、誠司はその三枚を封筒に入れて、鞄の内側にしまった。
*
絵里さんが協議離婚を済ませたのは、文哉さんが退院した年の春だった。
親権は彼女で、杏奈ちゃんは母親と暮らしている。財産分与と養育費は、書面にした。
婚氏続称の届けを出したので、姓は杉本のままだ。
引っ越しの日、私は車を出した。
段ボールが12箱と、自転車が一台。杏奈ちゃんは自分の机の脚を持って、最後まで手伝っていた。
「沙穂おばさん、この箱、どっち」
「台所って書いてあるほうです」
「わかった」
借りたお金は、二年かけて返ってきた。最後の振り込みに、短い文がついていた。
『ありがとうございました。次は、私が誰かに貸せるようになります』
桃子さんからの連絡は、一通だけ届いた。判決から一年たった、秋の初めだった。
『沙穂さんへ』
『文哉兄さんの世話をするために、兄さんの家に移りました。晃平の両親は、それを嫌がりました。晃平は最後まで謝っていましたが、謝りながら、離婚してほしいと言いました。姓は、杉本に戻しました』
『事故のあと、お医者さんに、もう子どもは産めないと言われました。それを、晃平の実家が親戚中に話しました。それから、縁談は一つも来ません』
『いまは文哉兄さんと二人で暮らしています。玄関の靴は、二人分だけです』
『これで気が済みましたか』
『もう連絡はしません』
私は画面をいちばん下まで送って、また上に戻した。
待っていればいい、とあの日、画面越しに私は言った。そのとおりになった。親のしたことが、子どもの代まで来ている。
私は読んで、返事はしなかった。
誠司にも見せた。彼も、返事はしなかった。
*
杷倉村に行ったのは、その年の10月だ。
墓地は集落の上のほうにあって、細い坂を登る。
管理小屋の前に、青いプラスチックのちり取りが立てかけてあった。柄のところが、日に焼けて白くなっている。
手桶を借りて、水を汲んだ。誠司が桶を持って、私が柄杓と花を持った。
宗一さんと都子さんの墓は、合葬だ。
誠司は水をかけて、墓石の肩のところを手で拭いた。花を挿して、線香に火をつけて、それから膝をついた。
「父さん、母さん」
そこで止まった。
続きが出てこないらしかった。肩が下がって、上がって、また下がる。
私は横に立って、彼の背中に手を置いた。
しばらくして、私が言った。
「お義父さん、お義母さん」
「沙穂です。誠司さんと結婚しました」
「弘子さんは、刑務所にいます。お二人の仇は、取りました」
「私たちは、幸せになります」
風が来て、桶の水面が細かく揺れた。
墓のまわりには、秋の草が伸びていて、白い小さな花がいくつか咲いていた。それは、誰も植えたものではない。
誠司が立ち上がって、袖で顔を拭いた。
「もう一か所、ある」
富代さんの墓は、同じ墓地の、三列向こうにあった。葛西の姓が彫ってある。
こちらは小さい墓で、周りが掃かれていた。誰かが来ているらしい。
誠司は水をかけて、また膝をついた。
「おばあちゃん」
今度は、それだけで終わりにした。
彼は立ち上がって、しばらく墓石を見ていた。
「三つか四つのころ、迎えに来てくれたのを覚えてる」
「そうですか」
「抱き上げられたのと、においだけだ。顔は思い出せない」
「じゃあ、写真を探しましょう」
「ああ」
「村の方に聞けば、持っている方がいるかもしれません」
「今度、また来るか」
「来ましょう」
私たちは柄杓を桶に入れて、坂を下りた。
管理小屋の前で、桶の残りの水を捨てて、内側を軽くゆすいだ。
柄杓を中に伏せて、桶を棚の、もとあった場所に戻した。
(了)




