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悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


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第9話「この展開、知ってる」

学園の中庭で、花壇の縁に座って毛づくろいをしていた時のことだ。


 薔薇のアーチの向こうから、聞き覚えのある声が二つ。


「きゃっ——!」


 高い悲鳴。続いてどさっという音。そしてすかさず——


「大丈夫か」


 低い声。


 毛づくろいの舌が止まる。右前足を舐めかけた姿勢のまま、私は固まった。


 薔薇のアーチの隙間から覗く。花壇の小道で、リリアーナが転んでいる。スカートの裾が花壇の石に引っかかったらしく、地面に膝をついた格好。そしてその手を取って引き起こしているのが——


 クロード王子。


 リリアーナの手を取る王子。花壇で転ぶヒロイン。助け起こす攻略対象。


 これ。


 これ、知ってる。


 いや、正確には「知っている気がする」。前世の記憶が反応している。乙女ゲームで、こういうイベント——花壇で転んだヒロインを攻略対象が助ける——ありすぎて特定できないけど、テンプレ中のテンプレ。


 え、この世界って本当に乙女ゲーム準拠なの?


 リリアーナが王子を見上げる。頬を赤く染めて「あ、ありがとうございます殿下」。王子は手を離して「気をつけろ」と短く言って踵を返す。


 うわ、まんまだ。まんますぎて逆に怖い。


 しかし冷静に観察すると、いくつか「想定と違う点」がある。


 まずリリアーナの表情。頬は赤いけど、あれは恋の赤面じゃない。走ってきた上に転んだからの赤面だ。息が切れている。そして彼女の視線は王子から離れた後、きょろきょろと周囲を探している。


「あの、殿下。リゼットさまを見かけませんでしたか?」


 リゼットを探していた。


 乙女ゲームのイベントなら、ここでヒロインは王子にときめくはず。でもリリアーナは王子そっちのけで「リゼットさまが読んでいた本の題名を教えてほしくて」と言っている。


 推しを追いかけて走って転んだだけか、この子。


 王子は一瞬だけ面食らった顔をして、すぐに無表情に戻る。


「知らん」


 去っていく王子の背中をリリアーナが申し訳なさそうに見送り、それからまた別の方向に走り出す。


「リゼットさまー!」


 ……シナリオ通りに進んでいるようで、微妙にズレている。フラグは立ったのか立たなかったのか。


 私は花壇の縁から飛び降りて、リリアーナの後を追った。猫の足音は静かだから気づかれない。薔薇の香りが風に乗って鼻をくすぐる。春の中庭は花の匂いが濃くて、猫の鼻には少し刺激が強い。


 リリアーナが図書棟の前でようやくリゼットを見つけた。


「リゼットさま! あの、先ほど読んでいらした本の——」


「『南部領の農業改革史』のことかしら」


「はいっ、それです! 私も領地経営に興味がありまして」


 リゼットが少し驚いた顔をする。男爵令嬢が領地経営に興味? そんな顔。でもリリアーナは目を輝かせて「お父様の領地のお手伝いをしたくて」と拳を握っている。


 ふむ。ヒロインが攻略対象じゃなくて悪役令嬢に懐いている。


 この展開は——知らない。少なくとも前世で遊んだどの乙女ゲームにもなかった。ヒロインと悪役令嬢が普通に仲良くなるルート。バグか? それともこの世界独自の分岐?


 いずれにせよ、「悪役令嬢が断罪される」という王道展開が起きるとしたら、リリアーナが敵に回る可能性は低そうだ。あの子の目に悪意はない。むしろリゼットへの憧れで溢れている。


 問題は王子だ。


 花壇でリリアーナの手を取ったあの場面。もし誰かに見られて「王子がヒロインと密会」なんて噂が広がったら——リゼットの立場が悪くなる。


 ゲームイベントは、たとえ当事者に悪意がなくても、周囲の解釈で毒になりうる。


 前世の知識がざわつく。嫌な予感がする。でも今は確証がない。


 私にできるのは、見て、覚えて、備えること。


 猫の記憶力がどこまで頼りになるかは心もとないけれど——花壇のあの場面を、私はきっと忘れない。


 だって、あんなベタなイベントを現実で目撃する日が来るなんて、前世の自分に教えてあげたい。「あなたの推しジャンル、現実になりますよ」って。


 もちろん笑えないほうの現実だけど。

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