第41話「籠の中から月」
茶会から二日後。私は連行された。
朝、控えの間にやってきたのは、衛兵二人と書状を持った侍従、それに申し訳なさを全身にまとったオーギュストだった。リゼットは教育の真っ最中。ナタリーが立ちはだかってくれたが、侍従が読み上げた書状の前には、侍女の腕力も猫の脚力も無力だった。
経緯はこうだ。
モンフォール侯爵夫人が、正式な苦情を申し入れた。「素性の知れぬ獣が王宮の庭を荒らし、茶会の席にまで持ち込まれた。王宮の品位に関わる」と。木登り事件が、ここで効いてきた。あの夫人、ちゃんと調べていたのだ。敵ながら仕事が丁寧で嫌になる。
苦情は王妃の元へ上がり、王妃は命じた。
「では、調査が済むまで一時保護を」
体面上、何もしないわけにはいかない。何かをした実績が要る。だから一番穏便な「保護」で蓋をする。組織の判断として、教科書通りだ。理解はできる。理解はできるが、保護されるのは私である。
そして保護先に手を挙げたのが、この男だった。
「いやあ、申し訳ない。本当に申し訳ない。でもこれは検査ではありません。保護です。保護は命令違反ではない。むしろ命令の遂行です。完璧な論理だ」
屁理屈をこねながら、オーギュストは私の入った籠を抱えて、嬉々として塔への階段を上っている。
語るに落ちている。論理が完璧なとき、人は普通「完璧な論理だ」と言わない。
魔術師の塔の一室に、私の「保護施設」は用意されていた。
広めの籠。ふかふかの敷物。水と食事の皿。爪とぎ。羽根のおもちゃ。窓に面した特等席。
……準備が良すぎる。
この男、いつか私を泊める日のために、一式揃えていたな?
「快適でしょう。三か月かけて選びました」
三か月前から計画的だった。
籠の格子に、鼻先で触れてみる。ぴり、と静電気に似た感触が走った。普通の籠ではない。魔術のかかった籠だ。力ずくでも、隙間からでも、出られない作りになっている。
一応、プロとして脱出は試みた。
格子を押す。開かない。留め具を前足で探る。動かない。底の敷物を掘る。床しか出てこない。鳴いて同情を引く。「おお、鳴き声の周波数が通常より低い。不満の表明か」とメモを取られて終わった。
敗北である。
完全な、敗北である。
断罪の場に走り込んだ猫も、王妃の最側近と停戦協定を結んだ猫も、魔術の籠の前では、ただの猫だった。爪と肉球では、魔術に勝てない。
昼の間、オーギュストは観察と世話を交互にやった。
「お昼はどうします。鶏と魚、両方ありますが」
メニューを聞かれる軟禁である。待遇だけなら前世の正社員より上だ。
食べている間も、ペンの音がした。「『咀嚼は右寄り。奥歯に違和感の可能性? 要観察』」。ない。利き顎なだけだ。咀嚼の癖まで記録される猫生は初めてだが、悪意がないのが調子を狂わせる。この男の目には、悪意の代わりに好奇心が満タンに入っている。質が悪いのは、さて、どちらだろう。
午後は寝たふりをした。寝たふりをしていたら、本当に寝ていた。猫の体は軟禁にも適応する。起きたら、敷物が日向の位置に移動していた。
……腹立たしいほど、快適である。
夕方、塔の窓の外が騒がしくなった。
遠く、本宮の方から、聞き覚えのある声がした。
「ミーシャはどこ!? 保護ってどういうことです!?」
リゼットだ。教育が終わって、知ったのだ。
窓に前足をかけて外を見る。距離があって姿は見えない。でも声の感じで分かる。あれは怒っている。学園で「氷の薔薇」と呼ばれた頃には出さなかった種類の、まっすぐな怒りだ。
そして、その声がふっと小さくなった。誰かが宥めている。ナタリーか、クロードか。
……そうだ。それでいい。
ここで君が乗り込んできて暴れたら、侯爵派の思う壺だ。「猫ごときで取り乱す令嬢に、妃の資格なし」。連中が欲しいのは、その絵なのだから。
分かっている。頭では。
でも、声が遠ざかっていくのを聞くのは、思っていたより、ずっと応えた。
籠の中で、自分の前足を見た。
走れる足だ。断罪の日、学園の廊下を全力で駆けた、自慢の足だ。なのに今日は、走る場所がない。走って解決できる種類の問題が世の中には思ったより少ないのだと、社会人も猫も、いつか思い知る。
夜になった。
オーギュストは「観察記録の整理があるので」と言って、隣の書斎に引っ込んだ。律儀なことに、ランプを一つ、籠のそばに残して。
私は敷物の上に丸くなって、窓を見た。
月が出ていた。
数日前、バルコニーで王妃と見たのと同じ月だ。あの夜の私は自由で、月は綺麗だった。今夜の私は籠の中で、月は——癪なことに、籠の中から見ても、綺麗だった。
月は誰の事情も酌んでくれない。等しく照らすだけだ。リゼットの部屋も、王妃のバルコニーも、魔術師の塔も。
ふと、前世の夜を思い出した。
終電後のオフィスの窓から見た月。あのときも私は、出られない箱の中にいた。あの箱には鍵すらなかったのに、私は自分で居続けた。誰かが「保護」してくれたら、よかったのに。
……いや、やめよう。湿っぽいのは性に合わない。
整理する。現状、私は詰んでいる。自力脱出は不可能。リゼットの直接行動は悪手。頼みの綱は、正規の手続きと——
こつ、と窓に音がした。
見上げると、窓の外の張り出しに、大きな影が座っていた。
バロン?
どうやってそこに。犬だろう。猫でも迷う高さだぞ。いや、それより。
バロンは窓越しに私を見下ろし、それから、月を見上げた。
逃がしに来た、わけではないらしい。彼は王妃の犬だ。王命の「保護」を破りはしない。ただ、来たのだ。籠の中の同業者のところに、夜番のついでみたいな顔をして。
窓一枚を挟んで、犬と猫は、同じ月を見上げた。月明かりの中で、バロンの金茶の毛並みが、もふもふと夜風に揺れている。あの毛量なら、夜番も寒くなさそうだ。
にゃあ、と鳴いてみた。
——聞いてよ、バロン。籠って、狭いんだよ。月は綺麗だけど、膝がないんだよ。
考えてみれば、史上初である。愚痴を聞く側の私が、誰かに愚痴を言うのは。鳴き声ひとつに詰め込んだ愚痴が、犬に通じたかどうかは分からない。でも。
窓の向こうで、尻尾が一回、ぱたんと動いた。
通じた、ということにしておく。
……存外、悪くない夜番である。
明日のことは、明日考えよう。猫の手で開かない籠なら、猫の手以外で開けてもらうまでだ。
私には、人脈がある。
二本足のも、四本足のも。




