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悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


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第4話「学園に猫一匹」

事件は朝食の席で起きた。


「ミーシャ、今日は一緒に来なさい」


 トーストをかじりかけた猫の耳が、ぴくんと立つ。


「お嬢様、学園に猫を連れていくのは……」


 ナタリーが眉をひそめる。常識的な反応だ。ナタリーがこの家の良心だと一週間で確信している。


「規則にペット禁止とは書かれていないわ」


「書かれていなくても暗黙の了解かと」


「暗黙は明文ではないわ。つまり問題ない」


 理論武装が完璧すぎる。弁護士か、この17歳。


 こうして私は、リゼット専用の籐かごに入れられて学園に運ばれることになった。かごの中にはクッションが敷いてあり、蓋には空気穴が開いている。揺れるたびにラベンダーの匂い袋がさらさら鳴る。


 居心地は悪くない。問題は状況だけ。


 学園に到着するまでの馬車の中、リゼットはかごの蓋を開けて私を膝に出していた。馬車の窓から見える景色は、レンガ造りの商店が並ぶ通りから、だんだんと手入れされた並木道に変わっていく。空気も変わる。街の埃っぽさから、刈りたての芝と花壇の甘い匂いへ。


「着いたわ。ここからはかごの中にいなさい」


 蓋が閉まる。外の音だけが頼り。


 ざわ、ざわ。生徒たちの声。靴音。どこかで鐘が鳴る。


「リゼット様、おはようございます」


「ええ」


 声のトーンが3度は下がっている。氷の薔薇モード起動。昨夜「クロード殿下が天気の話しかしない」と泣きそうだった人と同一人物とは思えない。


 教室に入ると、空気が変わる。


 ざわめきが一瞬止まり、また別の種類のざわめきが始まる。「ヴァルモンド公爵令嬢だ」「今日も綺麗……」「近づかないほうがいい」。聞こえるのはひそひそ声ばかり。


 リゼットは気にする素振りもなく、席につく。かごを机の横に置き、授業が始まる。


 魔法理論の講義らしい。先生の声が単調で、猫の体はすぐに眠気に襲われる。抗えない。前世の会議中の睡魔より強い。あの睡魔にはコーヒーで対抗できたが、猫の体にカフェインという概念がない。


 うとうとしていたら、昼休みになっていた。2時間が蒸発している。


「ミーシャ、お昼よ」


 かごの蓋が開く。リゼットが人目のない中庭に移動していた。木陰のベンチに座り、私を膝に出す。弁当箱から白身魚の切り身を取り出して、小さくほぐしてくれる。


 魚。


 猫の本能が叫ぶ。


 元OLの理性が「行儀よく食べなさい」と制御しようとするが、体が先に動く。がつがつ。品位もなにもない。魚の脂が舌に広がって、猫の体が歓喜している。喉がごろごろ鳴る。止められない。


「ふふ、美味しい?」


 美味しい。悔しいけど美味しい。前世のコンビニ弁当の6倍は美味しい。


 食後、リゼットが中庭を歩く。私はその後ろを、とてとてとついていく。かごに戻れと言われたが、足元にまとわりついたら「仕方ないわね」と許可が出た。甘い。


 中庭は広い。手入れされたバラの生垣が迷路のように続き、奥には噴水がある。水の匂いが鼻をくすぐり、猫の耳が水音を追う。バラの棘に近づきかけて、リゼットに抱き上げられた。


「危ないわよ。棘があるの」


 午後の授業中、事件が起きる。


 かごの留め金が甘かったらしい。猫の体は液体だ。隙間があれば通り抜ける。気づいたら教室の床にいた。


 机の脚の森を、四本足で歩く。見える世界は足元だけ。靴。靴。ブーツ。革靴。ローファー。生徒たちの足がずらりと並ぶ。上を見上げれば、授業中の教室が見える。誰もこっちに気づいていない。


 ——あ、まずい。


 前方に、見覚えのあるブーツがある。銀色の刺繍が入った、上等な革のブーツ。王族仕様。つまり。


「……何だ、これは」


 低い声が降ってくる。見上げると、銀髪碧眼の青年がこちらを見下ろしていた。


 クロード・ルクレール。第一王子。リゼットの婚約者。そして乙女ゲームのメイン攻略対象。


 目が合う。


 王子は猫を見つめ、猫は王子を見上げる。


「にゃあ」


 沈黙。教室の視線が集まる。


「リゼット」


 王子が、教室の反対側に座るリゼットに向かって言う。


「お前の猫か」


「私のミーシャよ。何か問題でも?」


「学園に猫を持ち込むな」


「規則にはペット禁止と明記されていないわ」


 二人の間で、ばちばちと火花が散る。教室中が固唾を飲んで見守っている。


 でも私は見逃さなかった。


 王子の手が、机の下で微かに動いたのを。猫に向かって、指先をちょいちょいと。


 触りたいんだ、この人。猫を。


 でも婚約者の前でそんな素振りは見せられない。照れ屋で不器用な王子。天気の話しかできない理由が、ちょっとだけ分かった気がする。


「にゃあ」


 小さく鳴いてみたら、王子の耳が赤くなった。


 ――この学園、猫一匹で回せそうな気がしてきた。

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