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悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


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第28話「前世より今がいい」

朝日が差し込む窓辺で、私は伸びをしている。


猫の伸びは人間のストレッチより気持ちいい。背骨がぐにゃりと曲がって、全身の関節がぱきぱき鳴る。この快感のためだけに猫に転生した甲斐がある。


庭から薔薇の香りが漂ってきた。ヴァルモンド家の庭園は季節を問わず何かしら花が咲いている。園丁が優秀なのだろう。前世のワンルームのベランダにあった枯れかけのサボテンとは大違いだ。


リゼットはもう学園に出かけている。最近は朝の支度が早い。以前は「行きたくない」と布団にくるまっていたのに。


暇だ。


猫の一日は長い。飼い主が学園にいる間、やることがない。ナタリーが用意してくれた朝ごはん(鶏のほぐし身)は食べ終えた。水も飲んだ。


窓辺で日向ぼっこするか。


……いや待て。日向ぼっこは危険だ。一度始めると3時間溶ける。猫の本能は恐ろしい。暖かい光が肉球に当たった瞬間、全身の筋肉が弛緩して意識が遠のく。


抗えない。


結局、窓辺の陽だまりに吸い込まれるように体を横たえている私がいる。


ぽかぽかする。


前世を思い出す。


佐藤美咲、28歳。蛍光灯の下でエクセルと睨み合い、コンビニ弁当の匂いが染みついたデスクで一日が終わる生活。画面の中のイケメンだけが「好きだよ」と言ってくれた人生。


それが私の前世だった。


今は。


朝起きたらリゼットの腕の中にいる。朝食は専属侍女の手作り。日中は好きなだけ昼寝して、夕方になったらリゼットが帰ってきて膝に乗せてもらえる。


夜は愚痴を聞いて、頭を撫でてもらって、一緒に眠る。


「前世より今がいい」なんて、人間として言っていいのかわからないけど。


前世の私は頑張っていたと思う。報われなくても出勤して、誰にも弱音を吐かなかった。


でも今の私だって頑張っている。走ったし。証拠を咥えて疾走したし。肉球すり減らしたし。猫なりに、精一杯やっている。


ただ──前世と違うのは、頑張った先に待っている膝があること。「にゃあ」と鳴けば微笑んでくれる人がいること。


窓辺の日差しが移動して、私の尻尾の先だけ影に入る。体を少しずらして、再び全身を光の中に収める。


うとうとしかけたとき、庭から足音が聞こえた。


レオンだ。学園の制服ではなく私服姿。非番なのだろう。庭園の垣根の向こうから、こちらを覗き込んでいる。


「ミーシャ。いるか」


 いますけど。


 窓辺から庭に降りると、レオンがしゃがみ込んで手を差し出してくる。撫でたいだけかと思ったが、表情がいつもと違う。


「お前に聞いてもしょうがないんだけどさ」


 聞いてるよ。聞けるよ。答えられないだけで。


「殿下が、お前のことを宮廷の魔術師に見せたいって言い出した」


 ──え。


「猫が証拠を咥えて断罪の場に飛び込むなんて、普通じゃないだろ。殿下はそれを『面白い』で済ませるタイプじゃない。『この猫に何らかの魔術的加護があるのではないか』って、真面目に調べようとしてる」


 心臓が跳ねた。猫の心臓は小さいけど、跳ね方は人間より派手だ。


 魔術師に調べられたら何が分かるのだろう。「前世がOL」なんて検出結果が出たら、この世界の魔術学は相当に発展していることになる。いやそういう問題じゃない。


「俺は止めたんだ。『ただの賢い猫ですよ』って。でも殿下、一度言い出したら聞かないからな」


 レオンの指が私の耳を掻いてくれる。気持ちいい。でも今は気持ちよがっている場合じゃない。


「まあ、すぐにってわけじゃないと思うけど。一応伝えとく」


 猫に伝えても何もできないのに、律儀だな、この人。


 レオンが立ち上がって、垣根の向こうに戻っていく。


 私は庭に座ったまま、考えている。


 魔術師の検査。前世の記憶がバレるかもしれない。猫のまま、ここにいられなくなるかもしれない。


 怖い。


 でも——リゼットの最近の変化を思い出す。朝、出かける前に私の頭を撫でる手つきが変わった。以前は縋るような手だったのに、今は「行ってくるね」と送り出す手だ。背中を丸めていた肩が、少しずつ開いている。


 あの子は強くなっている。私が猫でいなくても、きっと。


 ——いや、何を考えているんだ。


 猫でいたい。ここにいたい。この膝の上が、前世の人生のどの場所より居心地がいい。


 窓辺に飛び乗って、再び陽だまりに体を預ける。


にゃあ、と小さく鳴いて目を閉じる。


午後の昼寝。前世では「サボり」と呼ばれた行為が、猫の世界では「仕事」である。


今日も一日、頑張って寝よう。


——でも、ちょっとだけ、リゼットの帰りが待ち遠しい。

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