第21話「舞踏会に猫参上」
学園の大広間に、シャンデリアの光が降り注いでいる。
年に一度の秋の舞踏会。生徒と教師、それに社交界の名士が一堂に会する華やかな夜。ドレスの裾が床を滑る音、グラスの触れ合う涼やかな響き、バイオリンの旋律。
——で。
なぜ私がここにいるのか。
答えは単純で、リゼットが「今夜はお留守番よ」と言ったからだ。
お留守番と言われると行きたくなるのは、猫の本能か元OLの反骨精神か。とにかく私は、ナタリーの目を盗んで部屋を抜け出し、渡り廊下を駆け抜け、大広間の裏口から忍び込んだ。
テーブルクロスの下が、私の潜伏ポイントだ。白い布の向こうに、革靴とヒールが行き交う。料理の匂いが鼻をくすぐる。バターで焼いた魚。ハーブをまぶした肉。チーズの香り。
やばい。猫の本能が「食え」と言っている。
我慢だ。今夜は偵察が目的。マルグリットの顔を確認したい。あの甘ったるい香水の匂いの主を、この目で。
テーブルクロスの隙間から大広間を覗く。
リゼットがいた。深い紫のドレスに銀の髪飾り。「氷の薔薇」の名に相応しい、完璧な佇まい。その隣には——
クロードがいない。まだ来ていないのか、それとも別の場所に。
視線を巡らせていたとき、テーブルの上から何かが落ちてきた。
小海老のフリッター。
目の前に。
……食べていいやつ?
食べた。一口で。美味しい。衣がサクサクで中がぷりぷりしている。前世のコンビニ惣菜の10倍は美味しい。
いかんいかん。任務に集中。
テーブルの下を移動する。布の迷路を縫いながら、鼻で匂いを追う。あの甘い香水。マルグリットの匂い。
——あった。
ここだ。この辺りが濃い。
テーブルクロスを少しだけ持ち上げて覗くと、ワインレッドのドレスを着た令嬢が立っていた。黒髪に赤いバラの髪飾り。自信に満ちた笑顔で、周囲の令嬢たちと談笑している。
これがマルグリットか。
記憶に刻む。顔。匂い。声のトーン。侯爵令嬢。リゼットのライバル。
情報収集は順調——だったのだが。
問題はここからだ。
マルグリットのテーブルの上に、チーズの盛り合わせがあった。カマンベールの芳醇な香りが、猫の鼻を直撃している。
駄目だ。行くな。行くなよ佐藤美咲。
気づいたらテーブルの上に飛び乗っていた。
「きゃああ!」
悲鳴が上がる。チーズの皿が傾き、グラスが倒れ、ワインがテーブルクロスに赤い染みを広げる。マルグリットのドレスにもワインが跳ねた。
「何!? 猫!?」
大広間が騒然となる。
まずい。ここで捕まったら——
全力で走った。テーブルの上を駆け抜け、燭台を避け、フルーツの山を飛び越える。ぶどうが転がり、令嬢が叫び、給仕が皿を落とす。
「ミーシャ!?」
リゼットの声が聞こえた。驚きと呆れが半々の声。
さらにまずいことに——壇上近くで、年配の貴族のカツラの上に着地してしまった。
「うわっ!」
「猫が! 猫がカツラに!」
カツラの感触が肉球に伝わる。もふもふしている。これ、本物の毛? 高級品?
「取れ! 取ってくれ!」
カツラごとずり落ちて、床に着地。周囲は大混乱。
しかし——この混乱のおかげで、面白いことが起きていた。
リゼットが猫を追いかけて壇上の近くに来ていて、同じく猫騒動で動いたクロードと鉢合わせている。
「殿下、ミーシャが——」
「見ていた。お前の猫だろう。なぜ舞踏会に」
「連れてきてません! 勝手に来たんです!」
リゼットの声が——いつもの氷の薔薇じゃない。素の声。慌てて、情けなくて、猫に振り回される飼い主の声。
クロードが一瞬、目を見開いた。
そして——笑った。
小さく。ほんの少しだけ。口角が上がっただけの、不器用な笑み。
「……お前のところの猫は、自由だな」
リゼットが固まっている。王子が。笑った。自分に向かって。
「殿下、今——」
「何でもない。猫を捕まえるぞ」
二人が並んで猫を追いかけ始めた。その光景を、大広間の人々が呆気にとられて見ている。
私はテーブルの下に再び潜り込みながら、内心でガッツポーズ——いや、猫にガッツポーズの概念はないけど。
結果的に、猫の乱入が二人を近づけてしまった。
怪我の功名にしては出来すぎている。
でもまあ——チーズは美味しかったし、カツラの感触は忘れられないし。
リゼットに捕まった時「もう! あなたって子は!」と怒られたけど、その声は笑いを含んでいた。
帰り道、馬車の中でリゼットが呟いた。
「クロード様が、笑ったの」
——うん。知ってる。見てた。
「……猫のおかげかしら」
猫のおかげじゃないよ。あなたの素の姿を見せたから、彼は笑ったんだよ。
「にゃあ」
リゼットの膝で丸くなりながら、窓の外に目をやる。
いい夜だ。でも、まだ終わっていない。マルグリットの顔は確認できた。あの人が噂の黒幕。
明日が怖いけど——今夜くらいは。リゼットの温かい膝で、安心して眠ろう。




