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悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


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第20話「お前がいると笑う」

中庭の日向ぼっこスポットは、午後2時が最高だ。


東棟の壁に沿って伸びるベンチの端、ちょうど日差しが当たって風が当たらない一角。ここで丸くなると、猫の本能が全てを肯定してくれる。任務も噂も気がかりも忘れて、ただ温かい。


最高。


元OLとしての理性は「サボるな」と言っているけれど、猫としての本能が「寝ろ」と言っている。そして猫の体に住んでいる以上、本能の勝率は圧倒的に高い。


目を閉じかけた、そのとき。


足音がした。


重い。革のブーツ。規則正しいリズム。軍靴に近い歩き方。


嫌な予感がして薄目を開けると——クロード・ルクレール第一王子殿下が、真正面に立っていた。


銀髪が午後の光を弾いて眩しい。碧眼が、私をまっすぐ見下ろしている。


あ、ヤバい。


この人、私のこと嫌いなんだよね。最初に会ったときから、ずっと睨んでくる。リゼットの膝に乗っていると特に。あの鋭い目で「お前、いい加減にしろ」と無言の圧をかけてくる。


逃げよう。そう思って体を起こしかけたとき、クロードが動いた。


私の隣に、座った。


ベンチに。


王子が。猫の隣に。


え?


「……」


クロードは前を向いたまま、何も言わない。長い足を伸ばして、腕を組んでいる。横顔は相変わらず彫刻みたいに整っているけど、表情が読めない。


私はベンチの端で固まっている。逃げるべきか、このまま寝たふりをするべきか。判断がつかない。


1分が過ぎた。


2分。


クロードが口を開いた。


「お前、名前……ミーシャ、だったか」


「……にゃ」


認識されてたんだ。名前。


「リゼットが、お前の話ばかりするんだ」


ぽつりと、独り言みたいな声。


「『ミーシャがね、今日は棚の上から降りられなくなって』『ミーシャったら、リボンを引きちぎって』。毎日、毎日」


クロードの声に、怒りはなかった。それが逆に意外で、私は耳を立てて聴き入る。


「あいつは——リゼットは、俺の前では笑わない」


風が吹いた。中庭の木の葉がさわさわ揺れ、木漏れ日が王子の顔にまだら模様を落とす。


「学園でもそうだ。社交の場でも。公爵令嬢として完璧に振る舞って、隙のない微笑を浮かべて。でもそれは——笑っていない」


知ってる。私は毎晩、その仮面の裏側を見ている。


クロードの組んだ腕がほどけた。両手が膝の上に置かれる。革手袋の指先が、かすかに震えていることに気づいた。


「なのに、お前の話をするときだけ——」


一拍の間。


「笑うんだ。本当に」


あ。


何かが、繋がった。


この人が私を睨んでいたのは、「猫が嫌い」だからじゃない。


この人は——リゼットの本当の笑顔を、猫にだけ取られていることが、悔しかったのだ。


「俺はあいつの婚約者だぞ」


クロードの声が、少しだけ掠れる。


「なのに一度も、あんなふうに笑ってもらったことがない」


その言葉には、王子の威厳なんかどこにもなかった。


ただの、18歳の男の子の声だった。


私はしばらく、その横顔を見つめていた。


怒っているんじゃない。嫉妬しているんでもない——いや、嫉妬はしている。でもそれは悪意のある嫉妬じゃなくて。


好きな人に、自分だけが笑ってもらえない。その寂しさ。


前世で恋愛経験は乏しい方だったけど、この感情は理解できる。好きな人が、自分以外の誰かにだけ見せる顔がある。それがどれほど苦しいか。


クロードは前を向いたまま、ぽつりと続けた。


「お前がいると、あいつは笑うんだな」


呟き。


その声は、責めてもいないし、羨んでもいない。確かめているだけだ。事実を。自分の中で受け止めるために。


私は——猫だから、何も言えない。


「にゃあ」しか出ない。


でも。


私はそっと、クロードの膝に前足を乗せた。


彼がびくっと体を震わせる。目が丸くなって、こっちを見る。


「……何だ」


「にゃあ」


私はクロードの膝の上に飛び乗り、丸くなった。


あったかい。この人、体温が高いタイプだ。革手袋の下の手が、おそるおそる私の背中に触れる。ぎこちない手つき。猫を撫でたことが、あまりないのだろう。


「お前……急に……」


撫で方がへたくそ。力加減が全然わかってない。でも——悪意のない手だ。


「……柔らかいな」


王子の声が、少しだけ和らいでいる。


教えてあげたいことがたくさんある。リゼットはあなたのことを嫌ってなんかいないこと。彼女が仮面を被っているのは、ヴァルモンド家の名を背負っているから。あなたも「王族として正しくあらねば」って自分を縛っているでしょう。似た者同士なんですよ、あなたたち。


でも言えない。


猫だから。


「にゃあ」


精一杯の、柔らかい声を出す。


クロードの手が、少しだけ上手になった。耳の後ろを掻いてくれる。あ、そこいい。猫の本能が勝手に喉を鳴らしてしまう。


「……こうしていると」


クロードが、ほんの少し——本当にほんの少しだけ、口角を上げた。


「あいつの気持ちが、わかる気がする」


おや。


王子様、それはもしかして、猫の魅力に屈しかけていませんか。


「……この話は誰にも言うなよ」


猫に口止め。この人、やっぱりどこかズレている。


「にゃあ」


安心してください殿下。「にゃあ」しか言えないので、秘密は守りますよ。


クロードが立ち上がる。私を膝からそっと降ろして、マントの猫毛を払い——諦めたようにため息をつく。白い毛が銀髪と同化して見分けがつかない。


「……行く」


背を向けて歩き出す。3歩、4歩。


「ミーシャ」


振り返らずに、名前だけ呼んだ。


「あいつのこと——頼むぞ」


革靴の音が遠ざかっていく。


私は中庭のベンチで、しばらく動けなかった。


王子の本心は「嫉妬」だった。でもそれは、猫を排除したい嫉妬じゃない。


自分がリゼットを笑わせられないことへの、18歳の男の子の、不器用な悔しさ。


——ねえクロード殿下。あなたが自分を縛ってる鎖を外せば、きっとリゼットだって笑いますよ。


でもそれは、猫が教えることじゃない。


あなたが、自分で気づかなくちゃいけないことだ。


尻尾をぱたりと振って、私は伸びをした。


さて、噂の件もまだ完全には片付いていない。マルグリットの動機も気になる。それにリゼットの「冗談よ」も、あの目も。


やることが多い。猫なのに。


——ていうか猫に頼むな、王子。


でもまあ、頼まれちゃったものは仕方がない。


にゃあ。

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