表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/40

第15話「嫌な風の匂い」

異変に最初に気づいたのは、鼻だった。


 猫になって一番変わったのは、嗅覚だ。人間だった頃には感じなかった空気の層が、今の私にはくっきり見える——いや、嗅げる。花の種類、人の感情、天気の変化。全部、匂いで届く。


 今朝、学園の廊下を歩いていて、妙な匂いを嗅いだ。


 酸っぱくて、湿っぽい。腐りかけの果実に似ている。でも果実じゃない。これは——人の悪意が混じった空気の匂い。前世でいうなら、職場で陰口が回っているときの、あの嫌な雰囲気を凝縮したような。


 リゼットの教室の前を通りかかったとき、匂いが濃くなった。


 ドアの隙間から、声が漏れている。


「ねえ、聞いた? リゼット様がフォレストさんをいじめてるって」


 ——は?


「リリアーナさんでしょ。可哀想に。男爵家だから逆らえないのよ」


「やっぱり氷の薔薇って怖いわ。花壇で転ばせたらしいじゃない」


 足が止まった。四本とも。


 花壇でリリアーナが転んだのは先日の話だ。あれはリリアーナが自分で足を引っかけて転んだだけで、リゼットは近くにもいなかった。クロードが助けたあの件。


 なのに「リゼットが転ばせた」ことになっている?


「クロード殿下がリリアーナさんを助けたのも、リゼット様への当てつけなんじゃない?」


「ありえる。殿下、最近リゼット様と目も合わせないし」


 尻尾の毛が逆立つ。


 これ、噂だ。しかも悪意のある方向に捻じ曲げられた噂。花壇の転倒事件が、いつの間にか「リゼットによるいじめ」にすり替わっている。


 誰が広めた?


 廊下の匂いを辿る。猫の鼻はGPSより正確だ。匂いには軌跡がある。同じ話を複数の場所でしている人間がいれば、その匂いが廊下に点々と残っている。


 甘ったるい香水の残り香。これは——知らない匂いだ。リゼットの周囲にいる人間の匂いは大体覚えているけど、これは嗅いだことがない。


 中庭に出ると、リゼットがいた。一人で、ベンチに座っている。


 いつもの「氷の薔薇」の表情。背筋をまっすぐ伸ばして、膝の上で手を組んで。完璧な令嬢の佇まい。


 でも私にはわかる。


 リゼットの匂いが、いつもと違う。緊張しているときの匂い。汗腺から微量に出る、酸味のある体臭の変化。人間には気づけないレベルの変化を、猫の鼻は拾ってしまう。


 ——知ってるんだ。噂のこと。


 私はリゼットの足元に駆け寄った。「にゃあ」と一声鳴いて、足首に頭を擦りつける。


「ミーシャ。今日は学園をうろうろしてたの?」


 リゼットが私を抱き上げる。その手が、いつもより少し冷たい。


「大丈夫よ。こんなこと、慣れてるもの」


 ——また、それ。「慣れてる」は嘘だって、昨日の夜に証明済みでしょう。


 リゼットが立ち上がる。教室に戻るつもりだ。


 その背中を見送りながら、考える。


 乙女ゲームのシナリオでは、悪役令嬢の断罪は「ヒロインへのいじめ」が原因だ。ヒロインをいじめた罪で、王子に公衆の面前で糾弾される。


 でもこの世界のリゼットは、リリアーナをいじめていない。断じていない。ハンカチを渡すような子だ。


 なのに噂は「いじめた」と広がっている。


 つまり——誰かが意図的にシナリオ通りの状況を作ろうとしている?


 背筋の毛が総立ちになる。


 風が変わった。中庭の植え込みを抜けてくる風に、さっきの甘い香水の匂いが混じっている。遠い。でも確かにある。


 私はまだその匂いの主を知らない。顔も、名前も。


 でも鼻は覚えた。この嫌な匂いを、絶対に忘れない。


 リゼットが教室に消えていく。ドアが閉まる瞬間、廊下のおしゃべりがぴたりと止むのが聞こえた。彼女が入ると空気が変わる——リゼット自身が昨夜言っていたことだ。


 四本の足に力を込める。


 猫にできることは限られている。喋れない。字も書けない(いや本当は読めるけど書けない)。証拠を突きつけることもできない。


 でも、嗅ぐことはできる。聞くことはできる。走ることはできる。


 この噂がどこから来たのか、突き止めなきゃいけない。リゼットの破滅フラグが、今まさに立ち始めている。ゲームとは違う形で、でも同じ結末に向かって。


 風が吹く。嫌な匂いを運んでくる、不穏な風。


 ——負けないからね。


 猫一匹の決意なんて、誰にも聞こえない。でもそれでいい。


 私はリゼットの教室の窓の下に腰を据えた。ここなら、中の会話が全部聞こえる。


 張り込み開始だ。元OLの猫、本気出します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ