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悪役令嬢のペットに転生したら、令嬢が毎晩愚痴を言ってきます  作者: 夜凪 蒼


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第11話「敵じゃ、なかった」

中庭のベンチで、リリアーナが泣いていた。


 正確には、泣くのを我慢していた。唇をきゅっと噛んで、膝の上で拳を握って、目を真っ赤にしながら「大丈夫です」の顔を作ろうとしている。


 ——あ、だめだめ。その顔、全然大丈夫じゃないやつ。前世の後輩が退職願持ってくる数日前と同じ顔してる。


 私は植え込みの陰から様子を窺っていた。猫としての隠密行動は完璧だ。灰色がかった耳だけピンと立てて、息を殺す。


 リリアーナの隣に、リゼットが座った。


 いや待って。この状況、ゲームで見た気がする。中庭でヒロインと悪役令嬢が二人きり。確か——え、ここで嫌味を言うイベントじゃなかった?


 リゼットが口を開く。


「泣いているの?」


 冷たい、透き通った声。教室で聞くあの「氷の薔薇」の声だ。リリアーナの肩がびくっと跳ねる。


 やめてリゼット。せっかく前の話で「実はいい子」って私が太鼓判押したのに、ここで台無しにしないで——


「ハンカチ、使いなさい」


 ……え?


 リゼットの手には、淡い紫の刺繍が入ったハンカチ。彼女の私物だ。毎朝ナタリーがアイロンをかけているのを知っている。猫の特等席であるドレッサーの上から何度も見てきた。


 リリアーナも驚いている。大きな瞳がさらに大きくなって、ハンカチとリゼットの顔を交互に見ている。


「あ、あの、リゼット様……」


「使い終わったら洗って返して。それだけよ」


 リゼットは前だけ向いている。頬が、ほんの少し赤い。


 ——ちょっと待って。このイベント、ゲームにない。ないぞこれ。


 リリアーナがハンカチを受け取る。指先が震えていて、ラベンダーの香りがここまで漂ってくる。リゼット、いつもこのハンカチにポプリの香りを移してるんだよね。猫の鼻はそういうの全部拾ってしまう。


「リゼット様は」


 リリアーナが、しゃくり上げながら言う。


「リゼット様は、どうしてそんなに強いんですか」


 リゼットの睫毛がぴくりと揺れる。


「私、この学園に来てから、何もできなくて。みなさんのようにお作法も完璧じゃないし、社交の話題についていけないし」


 鼻をすすりながら、リリアーナは続けた。


「リゼット様みたいになりたいです」


 ——。


 ミーシャの脳内で、何かがガシャンと崩れた。


 いや。いやいやいやいや。


 ゲームと全然違うじゃん。


 乙女ゲームにおいて、リリアーナ・フォレストは悪役令嬢リゼットに虐げられる被害者ポジションのはずだ。リゼットに嫌がらせを受け、最終的に断罪イベントで彼女を追い落とす。そのシナリオを前世で見ていた。


 なのにこの子、リゼットに憧れてる? 敵視どころか「なりたい」って言ってる?


 リゼットも面食らっている。あの鉄壁ポーカーフェイスが一瞬だけ崩れて、口元がわずかに緩んだのを私は見逃さなかった。猫の目は動体視力が違うのだ。


「……強くなんてないわ」


 リゼットが小さく呟いた。


「ただ、弱いところを見せたら終わりだと思っているだけ」


 午後の日差しが二人の影を伸ばしていく。風が花壇のマリーゴールドを揺らして、甘い土の匂いが鼻先をくすぐる。


 リリアーナがハンカチで目を拭いて、ぎこちなく微笑む。


「でも、猫のミーシャちゃんには弱いところ見せてますよね」


「なっ——誰にそれを」


「お昼休みにミーシャちゃんを抱っこして、頬ずりしてるの、みんな知ってます」


 リゼットが立ち上がった。顔が真っ赤だ。


「リリアーナ・フォレスト。あなた、見なかったことにしなさい」


「えへへ、猫ちゃんかわいいですもんね」


「聞いてるの?」


 リゼットが早足で去っていく。背中がまだ赤い。


 リリアーナが去った方向を見つめて、ぽつりと呟く。


「やっぱり素敵だなぁ、リゼット様」


 ——ゲーム、ぶっ壊れてない?


 私は植え込みの中でぺたんと座り込む。前足が落ち葉の上でカサリと鳴った。


 前世の記憶では、この二人は宿敵同士。でも目の前にいるのは、不器用に優しさを渡す令嬢と、それに素直に感動している女の子。


 どこで何がズレたんだろう。いや——もしかして、ゲームの方が嘘だったのかもしれない。


 でも安心するのは早い。ゲームのシナリオが変わっているなら、破滅フラグの条件だって変わっている可能性がある。


 四本の足で踏ん張って、立ち上がる。


 とりあえず今は、リゼットを追いかけよう。あの人、照れると甘いもの食べたがるから、多分今頃キッチンで焼き菓子を強奪しているはずだ。


 ——それにしても「リゼット様みたいになりたい」か。


 前世の私だったら理解できなかったかもしれない。でも今は、毎晩あの子の愚痴を聞いてる猫だから。ちょっとだけ、リリアーナの気持ちがわかる。


 にゃあ、と一声鳴いて、私は中庭を駆け出した。


 リゼットの部屋には、焼き菓子のバター香が既に充満しているに違いない。

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