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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第四章 死んでも終われない(秋~冬)

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配信98回目 最後の『貸し』は、まだ切れていない

 今日は、助けてくれる人が出てこない話だ。

 でも、だから終わりってわけでもなかった。

 書かれない一瞬だけが、たしかに私を留めていた。

 あっ落ちた!、と思った。

 でも、どこへ落ちたのかは、途中から分からなくなった。


 ただただ白い。

 ここは白いだけのはずなのに、深くなるほど色が増える。紙の白。病院の白。蛍光灯の白。モニターの白。記録用紙の白。骨みたいな白。そういう、ぜんぶ性質の違う白が何層にも重なって、下へ行くほど静かに色がにごっていく。


 足場はない。

 なのに、落ちきらない。不思議な感覚だ。


 胸の奥で、細い線だけがじりじり...と焼けていた。朔夜さくやが通した”帰還接続”(リターン・リンク)の残り火みたいなやつだ。切れてはいない。けれど、強くもない。今にも指の間から抜けそうな、か細い糸一本を、心臓の裏の血管で無理やり引っ張っているような感じがする。


「……っ、あ……」


 息を吸う。

 空気がないわけじゃない。でも、この場所の空気は肺へ入るたび、自分の輪郭を少しずつ削るみたいで気持ち悪かった。


 やがて、落下とも浮遊ともつかない感覚が、ふっと止まる。


 私は白い床の上へ膝から落ちた。


「あいったた……」


 自分の声がやけに小さい。吸われるみたいに、すぐ消える。


 そこは広い部屋――いや、部屋というには境目が曖昧すぎる場所だった。壁らしきものはある。天井らしき高さもある。けれど全部がぼやけていて、きっちり四角く切られていない。白い紙の中へ、無理やり空間を折りたたんで作ったみたいな、気持ち悪い広さだった。


 その中央に、机がひとつある。


 白い机。

 白い椅子。

 白い帳面。


 見た瞬間、背中の奥が冷えた。


「え……なゆさん?」


 いない。

 分かってた。ここで本人が待っていたら、それはそれで優しすぎるでしょ。


 でも、机の上の帳面は、どう見てもあの人のものに似ていた。


 ページだけが、ずっと多い。

 人間一人分の記録じゃ足りないくらい、分厚くて、静かで、白い。


 私は立ち上がろうとして、少しよろけた。膝の感覚が薄い。自分の身体がまだ私のものになりきってない。


「これ、ほんとに最悪……」


 机へ近づく。


 帳面は開いていた。

 まっさらな頁が、ひらかれたまま置かれている。そこへ黒いインクみたいなものが、上から一文字ずつ落ちかけては、止まる。


 止まっている。

 でも、消えてはいない。


 名前。

 回数。

 接触深度。

 帰還不整合。

 記帳保留。


 自分のことだ、と分かった。


「……これ、私の?」


「お前だけのものではありません」


 また、あの声だった。


 振り向くと、白い空間の向こう側で、上位設計者が静かに立っている。顔のないまま、でも確実にこちらを見ていた。前の層で見た時より、今はもっと人に近くて、でもそのぶん逆に怖い。椅子や机や待合の残骸みたいなものが積み上がって、人の輪郭を真似しているだけだと分かるから。


「ここは、記録へ落ちる直前の層です」


「あ、そう。最悪だね」


「最悪、という評価は非合理です」


「うん、その返しもう飽きたし――」


 そう言いながら、私は帳面から目を離さない。


 頁の上へ落ちかけた黒い文字が、まだ書き込まれていない。

 完全に私の名前になりきる前で、引っかかっている。


 その引っかかりだけが、ここで唯一の違和感だった。


「……本来なら、もう書かれてるんだ」


「はい」


「じゃあなんで止まってんの」


 白い存在は、少しだけ間を置いた。


「外部不整合です」


「日本語でOKなんだけど」


()()が残っています」


 喉がひくついた。


 猶予。

 その言葉を、私は()()()()()


 帳面へ書く側が、書かないことで作る、たった一瞬のずれ。

 なゆさんが何度もやってきた、不正。

 もう次は止められないと言ったはずの、その最後の貸し。


「……あるんだ」


 声が勝手に、小さくなる。


「まだ」


 返事はない。

 でも、白い帳面の頁が、風もないのにわずかに揺れた。


 そこへ落ちるはずの黒い線が、あと少しのところで止まっている。

 書かれていない。

 消されてもいない。

 ただ、遅れている。


 その中途半端さが、逆に胸へ刺さった。


 本人なゆさんはいない。

 助けに来ない。

 声もかけてくれない。


 なのに、ここでいちばん効いてるのが、もう顔を見せられない人の不正だなんて、ずるいだろと思った。


「……なゆさん――」


 口に出した瞬間、目と喉が少し痛んだ。


 泣きそうになったわけじゃない。

 でも、こういう場所で名前を呼ぶと、その人が本当にいないことだけは、変にくっきり分かる。


「お前はまだ記録に落ちきっていません」


 上位設計者が告げる。


「ですから、最終接続を優先します」


「それで?」


「帳面へ固定される前に、用途を確定します」


「なんだよ、その言い方!」


 白い床の奥で、何かが軋んだ。

 椅子だ。白い椅子がいくつも、いくつも生えてくる。待合用の椅子。病室の椅子。配信用のチェア。学校のパイプ椅子。事務所の安ソファに似たものまで混じっている。


 それら全部が、中央へ向かって少しずつ角度を変え、私を囲む。


「やめろ」


「接続材は、自発的同意がなくとも機能します」


「マジでやめろ!」


 後ずさる。けれど、床の感覚が薄いせいで足がうまくついてこない。

 逃げるつもりなのに、身体が半分だけその場へ残ってる。


 その時だった。


 机の上の帳面が、ぱたりと閉じる。


 勝手に。

 誰も触っていないのに。


 白い存在の動きが、一瞬だけ止まった。


「なに……記帳拒否?」


「拒否じゃないでしょ」


 思わず言い返した。

 胸の奥で、細い線がちり、と火花を散らす。


「私は、まだ書かれてないだけ。まだ、落ちきってないだけ」


「同義ではありません」


「人間側だとかなり違うんだよ」


 自分でも驚くくらい、声が出た。

 怖い。でも、その怖さの底で、妙に腹が立っていた。


 勝手に書くな。

 勝手に決めるな。

 勝手に“もう遅い”にするな。


 それを今ここで一番強く思わせているのが、いないはずのなゆさんの帳面なのも、ほんとうにずるい。


「私はまだこっちで終わってられないんだよ!」


 白い空間へ言葉を打ちつけるみたいに、私は言う。


「朔夜に借金もあるし、るなにもまだクレープおごってないし、幽々《ゆゆ》にも透羽とわにも説明ついてないし、ぬいも放っとくと絶対ろくでもないことしでかすし、朔夜にもまだ全然怒り足りてない!」


 そう矢継ぎ早に異形の存在へまくしたてる。自分で言ってて、最後のほうはかなりしょうもなかったなぁ。というのは後の感想。

 でも、そういうしょうもないもののキズナが、私をこっち側へ引っ張っているのは本当だった。


「それらは未練とよばれるものです」


「そうだよ」


「接続後も代替可能です」


「は?」


「同等の感覚再現、記憶固定、執着代替――」


「できるかそんなもん!」


 怒鳴った瞬間、胸の線がまた強く熱を持つ。


 安いコーヒーのにおい。

 臭いタバコににおい。

 るなの間延びした声。

 幽々の静かな目。

 透羽の雑な距離感。

 ぬいのうるさい鼻息。

 無事でいてほしい”なゆ”さん。

 玻璃。真琴さん、ミリア、銭原のオッサン、槙野刑事――。

 

 それに――朔夜の、あの整った顔と、腹立つ行動すべて。


 そういうのが、思い出とともに一気に体の内側へ戻ってくる。


 再現じゃない。

 本物の、こっち側の手触りだ。


「……代わりで済むなら、こんなにムカついてない」


 息が震える。


「私は、私で帰るの。誰かの静かな部品になるために残るんじゃない」


 白い存在は、しばらく沈黙した。

 感情がないくせに、その沈黙だけは妙に重い。


「非合理です」


「知ってる」


「非効率です」


「言われんでも、知ってるって」


「それでも、そちらを選びますか」


 その問いだけは、なぜか少しだけ人間っぽく聞こえた。


 試しているんじゃない。

 確認だ。

 書かれる前の一瞬に、どっちへ傾くのかを。


 私は帳面を見る。

 閉じた表紙の下で、まだ黒い線が完全には定着していないのが分かる。


 なゆさん。

 あんた、ほんとに最後まで勝手だ。


 でも、その勝手さに救われてるのも、たしかだった。


「選ぶよ」


 私は、白い存在を見返した。


「だって、まだ切れてないんでしょ」


 その瞬間、閉じた帳面の隙間から、細い白い紙片が一枚だけ滑り落ちる。


 白すぎて、最初は見えなかった。

 でもそれは、確かに紙だった。記帳前の余白を切り取ったみたいな、小さな短冊。


 床へ落ちたそれを、私は反射的に掴む。


 冷たくない。

 むしろ、指先に触れた瞬間だけ、ほんの少しあたたかい。


「……これ」


「記載猶予の残滓」


 白い存在が言う。


「不正により生成された、記録前の空白です」


「なゆさん、ほんとに怒られればいいのに……」


 呟いた声は、少しだけ笑いに近かった。

 泣きそうなのをごまかしただけかもしれない。


 次の瞬間、空間が大きく軋む。


 猶予が見えたせいか、今度は椅子の群れが一斉にこちらへ滑ってきた。白い糸も、床下から何本も伸びる。帳面に落ちる前に、用途だけでも確定させるつもりだ。


「っ、うわ、ほんと嫌!」


 私は紙片を握りしめたまま走った。


 走る、と言っても感覚は薄い。足が床を蹴っているはずなのに、半分は泳ぐみたいに浮いている。それでも、握った白い紙片だけが妙に重くて、こっち側の質量を思い出させる。


 白い廊下が増える。

 扉のない扉枠。

 待合の列。

 誰も座っていないのに、誰かが座る前提だけが整えられた空間。


 その奥で、静かな声がした。


「こっち」


 玻璃はりだ。


 白の奥、細い通路の分岐に立って、今度ははっきりこっちを見ている。前みたいな諦めた顔じゃない。まだ消えないものを見たあとの、少しだけ強い顔だ。


「来れるの?」


「来るよ」


「危ない」


「知ってる!」


「じゃあ急いで!」


 珍しく、玻璃が少しだけ強い口調で言った。


 私は白い紙片を胸に押し当てたまま、そっちへ走る。


 背後で、椅子の脚が床を擦る音がする。

 白い糸が追ってくる。

 帳面へ落ちる黒い線も、たぶんもう長くは止まらない。


 でも、今だけはまだ切れていない。


 その“まだ”のためだけに、私は前へ出る。


 玻璃の手が伸びる。

 私も手を伸ばす。


 指先が触れる寸前、胸の奥の細い線が、向こうから強く引かれた。


 朔夜だ。

 生きてる側の、乱暴で、雑で、でもたしかにこっちへ戻す力。


 私は息を呑む。


 白い紙片。

 玻璃の指先。

 胸の奥の帰還線。


 その三つが、同時に揃いかけたところで。


 目の前の白が、大きく裂けた――。

挿絵(By みてみん)


ここまで読んでくださってありがとうございます。

98話は、なゆ本人を出さずに、**“帳面に書かれない一瞬”だけが最大限効く**回として組みました。

助けに来るのではなく、最後に残した不正の猶予だけが、最深部でゆらを止めている――という、不在の効き方を前へ出しています。


### 今回の登場人物


**影森ゆら**

最深部で正式記録される寸前まで落ちた主人公。

それでも“代替できないこっち側”を理由に、まだ戻る側を選ぶ。


**上位設計者**

悪意よりも最適化の理屈で人を削る存在。

今回は“帳面へ固定する前に用途を確定させる”側として圧を強めた。


**鬼灯なゆ《ほおずき なゆ》**

本人は不在。登場もしない。

それでも、最後の貸し=記帳前の猶予だけが、ここで最も強く効いている。


**玻璃はり**

次回の帰還へ向けて、再び道を示す側へ立つ。

今度は“代わりになる”ではなく、“戻すために手を伸ばす”位置に近づいている。


**夜見朔夜**

この回では直接姿を見せないが、胸の奥の帰還線として、ずっとこちら側から引き続けている。


### 帳面


**金の借金**

白域侵入継続費+帰還線維持コスト。

たぶんまた増えています。本人は知る由もない。


**死の帳尻**

正式記帳、()()未了。

本来ならここで固定されるはずだったが、最後の貸しで一度だけ遅延。


**なゆの状況**

不在。直接介入なし。

ただし“書けたはずの余白”だけが、最後の猶予として残っている。


**白い帳面/上位構造の変化**

影森ゆら、候補個体から接続対象へ移行直前。

記録前の空白が、戻るための鍵として可視化された。


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