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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第四章 死んでも終われない(秋~冬)

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配信93回目 玻璃のほうが先だった

 静かな場所は、やさしいとは限らない。

 何も増えない場所ほど、そこにいたくなることがある。

 今回は、玻璃が少しだけ近くなる回です。

 玻璃と話した次の日の教室で、私はノートを開いたまま五分くらい同じ行をボーッと見つめていた。


 文字は読めている。意味も分かる。

 でも頭の中では、昨日見た白い廊下の扉が、ずっと順番に並んだままだった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 あれは怪談や怪異の類の顔をしていなかった。

 怖いくせに、きれいで、正しくて、だから怖かった。


「ゆら、今日も、ほんとやばいよ」


 前の席から振り返った透羽とわが、遠慮なく言った。


「顔、三徹の人のそれじゃん」


「二日かな、当たらずも遠からず。寝れてない」


「じゃあ逆に怖いんだけど」


 るなが牛乳パックを持ったまま眉を下げる。


「ゆらちゃん、保健室いくぅ〜?」


「行ったら行ったで、あそこも最近ちょっと嫌なんだよ」


「それは分かる」


 幽々《ゆゆ》が小さく頷いた。


「静かすぎる場所、今日は特に良くない」


 その言い方に、私は少しだけ肩を強張らせる。


 静かすぎる場所。

 昨日の向こう側を、思い出してしまった。


「今日も……放課後、ひとりで帰らないほうがいいかも」


 幽々が続ける。


「なんで?」


「理由はない。でも、そういう日の勘」


 るながすぐに乗った。


「じゃあ、るな一緒にかえるぅ〜」


「私も行く。影森、今たぶん単独行動向いてないし」


 透羽のその言い方が、妙にひっかかった。


「向いてないって何」


「……なんか、そういう感じ。ほら、割れそうなコップって一人で持たせたくないじゃん」


「例えが嫌すぎる」


 笑って返したけれど、喉の奥はずっと乾いたままだった。


―――――


 結局、今日も私は二人を先に帰した。

 るなは最後まで「ほんとにぃ〜?」と心配してくれたし、透羽も「なんかあったらすぐレインして」と珍しく軽口を引っ込めたけれど、今は誰かと並んで歩く普通の帰り道のほうが怖かった。


 壊したくないものほど、近くへ置けない。それは私の信念だ。


 夕方の街は、まだ人が多い。

 高架下の風はぬるく、信号待ちの列にはスーツ姿も学生も買い物帰りの人も混ざっていた。


 スマホが震える。


 母からだった。


『ごはん冷蔵庫に入れてるよ。遅いなら先にレインして』


 ほんの一行。

 いつもなら少しだけうっとうしくて、でも見た瞬間に安心する、生活の連絡。


 今日はそれが、胸に刺さった。


 帰る場所はある。

 温めれば食べられるご飯がある。

 それだけのことが、昨日の白い廊下を見たあとだと、やけに遠い。


 青信号に変わる。

 人の流れが前へ動いた。


 その向こうに、玻璃がいた。


 横断歩道の真ん中じゃない。

 渡り切った先でもない。

 人混みの少し奥、信号柱の影みたいな位置で、白く、静かに、最初からそこにいたみたいに立っていた。


「……玻璃」


 声に出した瞬間、周りの音がひどく薄くなった。


 車の走行音も、人の話し声も、靴音も、一枚膜をかけたみたいに遠のいていく。私は半歩、いや一歩ぶん、無意識に前へ出た。


 玻璃は手招きしない。

 呼びもしない。

 ただ、こちらを見ていた。


 足元の感覚が、ふっと抜ける。


 クラクションが鳴った。

 強い光が横から差して、世界が白く裏返る。


―――――


 気がつくと、駅のホームみたいな場所にいた。


 ホーム“みたいな”としか言いようがない。

 線路はないのに、黄色い点字ブロックだけがまっすぐ伸びている。ベンチはあるのに広告がない。案内板は吊られているのに、行き先が書いていない。


 白くて、静かで、行先だけが抜け落ちた場所。


「また死んだの?」


 玻璃の声がした。


 ベンチの端に座っている。制服でも私服でもない、いつもの曖昧な格好で、隣が空いているのが最初から決まっていたみたいに。


「……死んでない。たぶん」


「それ、まだ言うんだ」


「言うでしょ普通」


 私はふらつきながら立ったまま答える。

 身体が軽い。軽いのに、胸の奥だけがやけに重かった。


「ここ、昨日の場所と違う」


「うん。昨日より、手前」


「手前?」


「戻る人が、少しだけ座るところ」


 玻璃は空いたベンチを見た。


「座る?」


「座らない」


「そう」


 その返事が静かすぎて、逆に腹が立つ。


「昨日の話、まだ終わってないんだけど」


「終わってないよ」


「花嫁が接続材だとか、向こう側を設計したものがいるとか、そういうの。なんで玻璃は最初から知ってるの」


 玻璃はすぐには答えなかった。

 代わりに、ホームの向こうを見た。


 白い空間の先には、改札みたいな枠がいくつも並んでいる。人はいないのに、たまに一つだけ光って、また消える。そのたびに、どこかで小さな処理音が鳴った。


「慣れると、出たくなくなるから」


 昨日も聞いた言葉を、玻璃は今度はもう少し低い声で言った。


「……それ、どういう意味」


「こっちは、何も増えないの」


 玻璃は自分の手元を見下ろした。


「借りも。約束も。失敗も。明日の予定も」


 指先が、膝の上でそっと重なる。


「痛いことがあっても、そこで止まる。誰かに嫌われても、その先が増えない。何かを返せなかったって思っても、次の請求が来ない」


 私は息を詰めた。


「……だから、楽なの」


「楽?」


「うん。やさしいんじゃない。止まってるだけ。止まってる場所は、がんばらなくていいから」


 その言い方は、泣きそうでも笑いそうでもなく、ただ疲れた人の声だった。


「私は、止まりたくない」


「まだ、でしょ」


 玻璃がやっと私を見た。


「あなたはまだ、向こうで名前を固定されてない。だから戻れる。帰る場所も、呼ぶ人も、怒る人もいるから」


「じゃあ玻璃は?」


 聞いた瞬間、空気が少しだけ張った。


「玻璃は、なんでそんなに詳しいの」


 玻璃は視線を逸らさない。

 でも、答えもまっすぐは返さない。


「……席があるとね」


 ホームの端を見ながら、玻璃は言った。


「人は、その形にだんだん合っていくの。最初は違和感があるのに、何回か座ると、自分のほうがそこへ寄っていく」


「席――?」


「呼ばれる場所。置かれる場所。待つ役目」


 私は一歩、玻璃へ近づいた。


「それ、玻璃のこと?」


「似たようなもの」


「似たような、じゃない」


 声が少し荒くなる。


「玻璃のほうが先だったんでしょ」


 初めて、玻璃の表情が止まった。


 否定しない。

 肯定もしない。

 その沈黙だけで、十分だった。


「……先に、座ったことがあるの?」


 やっとの思いで絞り出すと、玻璃はベンチの端へ少しだけ手を置いた。


「一回じゃないかもしれないし、一回だけかもしれない」


「何それ」


「向こう側って、ちゃんと数えないから」


「私は数えるよ!」


 思ったより強い声が出た。


「曖昧にしないで。玻璃が何でもないみたいに、ただ案内するだけみたいに立ってるの、もう無理」


 玻璃は少しだけ目を伏せた。


「……あなたが来る前から、ここを知ってた」


 その一言が、胸に落ちる。


「戻る線の細さも、残る人の顔も、呼ばれた人が最初に言う嘘も。知ってた」


「じゃあ、やっぱり……」


「でも」


 玻璃は私の言葉を静かに切った。


「だから、あなたを置いていきたくないとも思ってる」


 私は息を止める。


「もし足りないなら、私でいいって思う時がある」


 ホームの白さが、その瞬間だけ冷たく見えた。


「あなたの代わりに残れたら、そのほうが静かに済むって」


「勝手に決めないで」


 即答だった。


「私の代わりとか、そういうの一番嫌い」


「知ってる」


「知ってる顔するな」


 喉が熱くなる。

 怒っているのに、泣きそうなのが最悪だった。


「玻璃が先だったなら、なおさらだよ。先に沈んだやつが、後から来たやつ押し戻して自分だけ残るみたいなの、全然きれいじゃない」


 玻璃は黙った。


 白いホームの向こうで、どこかの扉が一つ閉まる音がした。


「……ゆら、やっぱりそういう子なんだね」


「何それ」


「戻るほうを選ぶ子」


 玻璃が言った直後、世界が大きく揺れた。

 遠くでサイレンが鳴っている。誰かが私の名前を呼んでいる。現実側の音だ。


 身体が急に重くなる。

 これ、戻される。


「待って!」


 私は反射的に手を伸ばした。


「玻璃!」


 玻璃は立ち上がらなかった。

 ベンチに座ったまま、少しだけ笑う。


「だから、早く帰ったほうがいいよ」


「次、ちゃんと話して」


「……うん」


「逃げないで」


「それは、()()()()でしょ」


 その返事だけを残して、白いホームが遠ざかった。


挿絵(By みてみん)

―――――


 目を開けると、夕焼けが滲んでいた。


 硬いアスファルト。喉に焼けるような痛み。右肩にひどい鈍痛。救急隊員らしい人が何か言っていて、近くでスマホを握った女の人が青い顔をしている。


「意識戻りました! 聞こえますか!」


 私は咳き込みながら起きかけて、また押し戻された。


 どうやら横断歩道の端で跳ね飛ばされかけたらしい。完全に轢かれたわけじゃない。でも、たぶん一瞬は向こうへ落ちた。


 救急車の赤色灯が、視界の端で回る。


 ポケットの中で、スマホが震えた。


 るなからだ。


『ゆらちゃん、なんかやな感じした。だいじょうぶ?』


 その一文を見た瞬間、胸の奥で何かがほどけた。


 戻る場所は、まだある。

 怒る人も、泣く人も、待ってるご飯も、ちゃんと残ってる。


 でも同時に、ベンチに座ったままの玻璃の姿も、頭から離れなかった。


 あの子はたぶん、ただ案内しているんじゃない。

 先にその席へ触れて、先にそこへ馴染んで、先に戻れなくなりかけた側だ。


 だから私を見ていた。

 だから私の代わりになろうとした。


 夕焼けの街は、昨日までより少しだけ遠かった。

 それでも私は、息が痛いまま、こっちの空気を吸い込んだ。


 まだ、帰れる。帰るんだ。



 配信93回目でした。

 今回は玻璃はりの「静かさ」が、ただの案内人の静けさではなく、少し疲れた人の静けさでもある、と見える回です。


 今回の主な人物は、影森かげもりゆら、玻璃はり夜宵やよいるな、白澤しらさわ幽々《ゆゆ》、夏目なつめ透羽とわです。


【帳面】

・金の借金:継続。事故対応その他の請求が増える未来しか見えない。

・死の帳尻:交通事故による一時停止相当。正式記帳遅延の余白あり。

・なゆの状況:前任記帳官としての直接関与なし。案件除外継続。

・白い帳面/構造側の変化:玻璃が「先に席へ触れた側」である可能性が濃厚化。接続材候補の前例が、まだ消えていない気配。


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