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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第四章 死んでも終われない(秋~冬)

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配信90回目 最後の貸し

今日は、なゆさんが最後に貸してくれるお話です。

助ける話ではありません。助けたあとに、何が残るかのお話です。

冬は、こういう静かな別れ方で来ます。

 その呼び出しは、授業が終わる五分前に来た。


 スマホの画面に、短い一文だけが出る。


 **終わったら、旧相談室へ。ひとりで。**


 差出人表示はない。

 でも、誰からかは分かった。前と同じだ。


 私はその一行を見た瞬間から、残りの授業がほとんど頭に入らなかった。


 チャイムが鳴る。椅子を引く音。廊下へ出る足音。いつもの学校の放課後。


「ゆらちゃん、今日いっしょに帰るぅ〜?」

 るなが聞いた。

「ごめん、今日はちょっとだけ寄るとこある」

「またひとりで?」

 透羽が眉を寄せる。

「うん」

「大丈夫、の顔じゃないんだけど」

「大丈夫ではないが」

「正直だねぇ!」


 幽々が静かに私を見る。


「戻ってきて」

「うん」


 その短い約束だけ残して、私は旧相談室へ向かった。


 使われなくなった廊下は、放課後の学校の音から半歩だけ外れている。

 明るいのに、人の気配が薄い。

 冬の入口って、たぶんこういう空気だ。


 引き戸は、少しだけ開いていた。


「……入ります」


 中は白かった。


 相談室というより、前に見た“監査の部屋”に近い。机はひとつ。椅子は二つ。白い帳面。白いペン。湯気のないマグカップ。余計なものだけが綺麗に削られた、冷たい部屋だ。


 鬼灯ほおずきなゆは、その向こうに座っていた。


「来ると思っていました」

「呼んだの、そっちでしょ」

「ええ」

「じゃあ、その言い方ちょっとずるい」


 なゆは少しだけ目を細めた。笑ったわけじゃない。笑えない時の顔だ。


「座ってください」

「はい」


 椅子に座る。

 今日は、お茶は出ていない。

 それだけで、もう前とは違う気がした。


「監査、終わったの」

 私が先に聞く。

「一応は」

「一応」

「正式な処理は、このあとです」


 なゆは帳面に手を置いたまま言った。


「私はもう、あなたの案件に直接は関われません」

「……」

「単独接触も、裁量猶予も、未記録判断も止められてしまいます」

「できない、じゃなくて」

「止められました、が近いですね」


 分かっていた。

 前回の時点で、もうそうなると分かっていた。

 それでも、ちゃんと言われると痛い。


「じゃあ今日、なんで呼んだの」

「最後にひとつ、残せるからです」


 なゆが白い帳面を開いた。


 ページは、ほとんど何も書かれていない。

 でも、何もないはずの一頁いちページの真ん中にだけ、妙な余白があった。


 最初から空いていたんじゃない。

 本来は何かが入るはずだった場所を、誰かが意図して一個ぶんだけ空けた、そういう空白だった。


「これ」

 私は息を呑んだ。

「……何」

「不正です」

「言い切るな」

「もう隠す段階ではありませんので」


 なゆの声は、相変わらず静かだった。


「本来なら、ここは別案件の確定処理で埋まるはずでした」

「うん」

「でも、ひとつだけ空けました」

「私のために?」

「はい」


 喉の奥がひりつく。


「これが、最後の貸しです」

 なゆは帳面を見たまま続けた。

「次にゆらさんが正式な死の記録へ触れた時、()()()()、記帳を遅らせられます」

「遅らせる……」

「消せません。なくせません。ただ、一瞬だけ遅らせる」

「それで、何か変わるの?」

「刹那の局面では、その一瞬が生きることがあります」


 刹那の局面。

 その言い方が、もう嫌だった。


「……そういうの、やめてよ」

 私は小さく言った。

「そんな、先のことまで分かってるみたいな顔で」


 なゆは首を振る。


「分かっているわけではありません」

「じゃあ何」

「起きた時に、間に合わないのが嫌なんです」


 その返しは、ずるかった。


 告白の時と同じだ。

 綺麗なことを言わないくせに、誤魔化しもしない。


「これで、本当に、もう()()()()()

 なゆが言った。

「次からは、私ではない誰かが、普通に書きます」

「普通、って何」

「貸しも猶予もない、という意味です」


 部屋の白さが、一段だけ冷えた気がした。


 私は帳面を見る。

 たった一個の空白。

 それが、最後の不正。最後の余白。最後の猶予。


「……そんなの、使いたくない」

「知っています」

「そもそも、使う状況が嫌なんだよ」

「それも知っています」


 なゆは、やっと私を見た。


「でも、持っていてください」

「持つって、どうやって」

「もう向こうへ渡しています」

「は?」

「ゆらさんが自覚しなくても使える形で、です」


 またそういうことを言う。


 分かりやすいようで、分かりやすすぎる説明はしない。

 でも、意味だけはちゃんと届く。


 私は聞いた。

「外されるんでしょ」

「ええ」

「じゃあ、もう会えないかもしれない」

「そうですね」


 なゆは淡々と言う。

 でも、その淡々さの下で、ちゃんと痛がっているのが分かる。


「……なのに、平気なんだ」

「平気ではありません」

「じゃあ何でそんな顔してるの」

「私が平気でないと、ゆらさんが余計困るからです」


 私は黙った。


 そういうところが、最後までずるい人。


「私、なゆさんのこと」

 言いかけて、止まる。

 好きだとか、嫌いじゃないとか、ありがとうとか。どれも少し違う気がした。


「……ちゃんと、いたんだなってこれからも思う」

 やっと出たのは、そんな変な言葉だった。


 なゆは目を細めた。


「それは良かった」

「良かった、で済むの」

「済みません」

「だよね」


 少しだけ、笑ってしまった。

 笑いたいわけじゃないのに、ここで泣くよりはましだった。


 なゆが帳面を閉じる。


 ぱたん、という小さな音。


 それで終わった気がした。


「もう呼べません」

 なゆが言う。

「前みたいには」

「うん」

「だから次からは、自分で戻ってきてください」

「注文が重い」

「言い方を重くしないと、ゆらさんは無理をします」

「否定できないのがやだ」


 私は立ち上がる。


 引き戸の前まで行って、振り返った。


 白い机。白い帳面。白い部屋。

 その真ん中に、なゆだけが座っている。


 前は近かった。

 今は、近いまま遠い。


「……ありがとう」

 私は言った。

「困っちゃったけど、ありがとう」

 なゆは一瞬だけ目を見開いて、それから、ほんの少しだけ笑った。


「それは、だいぶ困りますね」


 その笑い方を見たのは、たぶん初めてだった。


 引き戸を閉める。


 廊下へ出る。

 空気は冷えていた。

 秋の終わりじゃない。ちゃんと冬の入口の冷たさだった。


 私はコートの前を閉じて、歩き出す。


 最後の貸しは、たぶんもう渡された。

 目には見えない。触れもしない。

 でも、それがあるせいで、これから先の死に方まで少し変わってしまう。


 そういう貸しが、いちばん重い。


挿絵(By みてみん)



■今回の登場人物

影森(かげもり)ゆら

 なゆから最後の貸しを受け取った。使いたくないのに、使う状況だけは想像できてしまうのが最悪。

鬼灯(ほおずき)なゆ

 最後の不正として、帳面に空白ひとつぶんの猶予を残した。「これで、もう書けません」と告げて、ゆら案件から実質離脱。

・白い帳面

 今日の主役。書かないことも、貸しにすることも、制度の外へ踏み出した証拠になってしまう。


■今回の帳面

・金の借金

 直接の増減なし。こういう大事な回ほど、お金の話が静かなのが逆に怖い。

・死の帳尻

 本来なら正式処理しか残っていない段階で、空白ひとつぶんの不正が残された。最終局面で一度だけ、正式な死の記録を遅らせる猶予になる。

・なゆの状況

 かなり悪い。ゆら案件から外され、直接関与・裁量判断・未記録処理はここで実質終了。完全消滅ではないが、もう前みたいには会えない。

・白い帳面まわり

 優しさの痕跡が、制度上は最後の違反として残った。たぶん今日いちばん重いのは、この空白。


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