配信88回目 借金だけは残る
喧嘩の翌日です。
距離は置きました。ちゃんと置いたはずでした。
でも請求書だけは、なぜか置けませんでした。
翌朝、私はちゃんと学校に来ていた。
来たくなかったわけじゃない。
むしろ、来られてよかった。
あの事務所に行かなくていいだけで、朝の空気がちょっとだけまともに思える。
るなは(いつも通り?)朝からパンを二個食べていて、透羽は教室に入ってきた瞬間から「影森、今日ちょっとだけ人間っぽい顔してる」と失礼なことを言った。幽々《ゆゆ》は「ちょっとだけ、なんだ」と小さく追撃してきた。
つまり、いつもの学校だ。
それなのに、私は朝礼が終わった一時間目の始まる前から、やたらそわそわしていた。
スマホが気になる。
通知が来そうで嫌だ。
でも来ないなら来ないで、それも妙に怖い。
「……何回見るの、それ」
透羽が私の手元をのぞきこんだ。
「別に」
「別にの人、五分で三回画面見ない」
「見たくて見てるわけじゃないんだけど」
「じゃあ完全に依存だよ」
「やめて」
るながのんびり首を傾げる。
「きのう、ちゃんとかえれたぁ〜?」
「帰れた」
「ねれたぁ〜?」
「……ちょっとは」
「じゃあえらいねぇ〜」
「るなの採点、甘すぎるだろ。幼稚園の先生か」
そこで、スマホが震えた。
私は反射で固まる。
「ほら来た」
透羽が言う。
「言い方」
「だって顔」
いやな予感しかしない。
画面を見る。
送り主は、知らないアドレスだった。
件名。
**【ご請求のご案内】十月前半分 仮締め明細**
「…………は?」
思わず声が漏れた。
「何」
透羽が身を乗り出す。
「何来たの」
「請求書」
「朝から?」
「朝から」
るながパンを持ったまま目を丸くする。
「こわぁ〜……」
「ほんとにそれ」
私はメールを開いた。
PDFが一通。本文はやたら丁寧だ。
**平素より夜見よろず相談事務所の業務へご理解ご協力を賜り、誠にありがとうございます。
下記、十月前半分の仮締め明細をお送りします。**
「誰が平素よりだよ」
私は小声で言った。
「そんな日、一日もないんだけど」
透羽が横で吹き出す。
「待って、文面ちゃんとしてるのが余計怖い」
「ちゃんとしてる顔で殴ってくるやつなんだよ、あの職場は」
「うわ、出た。ブラックバイト経験者の重い一言」
PDFを開く。
そこには、整いすぎた明細が載っていた。
蘇生費。
呪符消耗費。
臨時交通費。
現場危険手当――は、ない。
代わりに。
「……何これ」
「どれ」
「”感情的離席による業務停滞損害金”」
「なにそれ!最低すぎるでしょ!」
透羽が即答した。
るなも引いていた。
「えぇ〜……けんかしたのに、おかねだけ取るのぉ〜?」
「そう」
「それはぁ〜、だいぶやだねぇ〜……」
「だいぶじゃ済まない」
スクロールする。
まだあった。
**事務所離脱に伴う清掃未了分**
**臨時補助要員不在による配信準備遅延分**
**精神的負担による作業効率低下は個人差として補償対象外**
「補償対象外って自分で言うんだ……」
透羽が真顔になる。
「いやもう、普通に引くんだけど」
「私も引いてる」
「そこにいた本人が一番冷静なの逆に怖い」
幽々が私の手元を見下ろしたまま、静かに言った。
「……でも、来ると思ってた」
「え」
「請求書」
幽々は淡々と続ける。
「そういうのだけは、あの人ちゃんとやるでしょ」
ぐうの音も出ない。
「否定できないのが腹立つわ~」
「うん」
「しかも“仮締め”って何。まだ増える余地あるってこと?」
「あるんじゃない?」
透羽が肩をすくめる。
「最低だけど」
スマホが、もう一度震えた。
今度は別件だった。
差出人名だけで胃がきゅっとなる。
**毒島真琴**
「えっ、追撃?」
透羽が言う。
「追撃だね」
幽々が言う。
「そんな実況いる?」
私は恐る恐る開いた。
本文は短い。
**請求書は自動送信です。私の意思ではありません。
あと、事務所の給湯器が壊れました。影森さんがいつも叩いて直していたので、誰も直せません。
ついでに、シュレッダーも詰まりました。
戻れとは言いませんが、壊れていることだけ共有しておきます。**
私は天を仰いだ。
「これどういうことぉ~?」
るなが聞く。
「給湯器とシュレッダーが死んだらしい」
「しらないよぉ〜……」
「私も知らないよ!」
透羽が机をばんと叩く。
「いや最低すぎるでしょ、ほんとに! 喧嘩した翌日に送る内容それ!?」
「しかも戻れとは言ってないのが余計ずるい」
幽々が小さく言った。
「困るって分かってて投げてる」
その通りだった。
戻れとは言わない。
でも、いないと困る情報だけ寄越してくる。
それでこっちが勝手に気になるなら、お前の判断だろって顔が透けて見える。
「……ほんと最悪」
私は机に突っ伏した。
るなが私の背中をぽんぽん叩く。
「ゆらちゃん、今日はぁ、行かなくていいよぉ〜?」
「行かない」
「ほんとにぃ〜?」
「……行かない」
言い切ったのに、自分の声が少し弱い。
そこへ、教室の後ろで誰かが小さく悲鳴を上げた。
「え?」
振り返る。
掃除用具入れの前にいた女子が、床を指差して青ざめていた。
「なんか……これ、動いてない?」
「は?」
見れば、古い紙片みたいなものが床をずるずる引きずるように動いている。すごく弱い。すごくしょぼい。でも、普通に嫌だ。
クラスの空気がざわつく。
「やだ、何あれ」
「虫?」
「紙じゃない?」
私は反射で立ち上がっていた。
「あっ」
透羽が言う。
「行くの?」
「……行くしかないでしょ、あれは」
自分でもいやだった。
もう距離を置くって決めたのに、こういう時の足だけは先に動く。
私は掃除用具入れの前まで行って、しゃがみこんだ。
紙片みたいに見えたそれは、誰かが雑に破って捨てた、お祓い札の切れ端だった。効き目が切れたまま、半端に残って、弱い気配だけ引っかけている。
「……しょぼ」
「感想それ?」
透羽が後ろから言う。
「でも、しょぼい」
私は鞄の中を探る。
「え、何出すの」
「塩」
「なんで持ってるの!?」
「持つだろ、この街で生きてたら!」
「生きてたら普通、お料理以外で持たないよ!」
小袋の塩をぱらっと撒いて、切れ端をティッシュで包む。ついでにゴミ箱へ入れようとして、手が止まる。
「だめだ、これ燃えるゴミじゃない」
「分別あるんだ……」
透羽が引いた声で言う。
「あるよ。むしろそこ大事」
「そこだけ急にプロ意識出すのマジ勘弁」
私は小さく息を吐いた。
「……ほら、終わり」
「終わったの?」
「今日はこれで終わる」
「“今日は”って何」
「聞くな」
席へ戻る途中で、幽々が静かに言った。
「結局、完全には離れられてないね」
「うるさい」
「責めてない」
「それが一番刺さるんだよ」
チャイムが鳴る。
いつもの学校。いつもの授業。いつもの教室。
なのに私のスマホには、請求書が残っている。
机の中には塩の予備が入っている。
シュレッダーが詰まった事務所の様子まで、勝手に頭に浮かんでくる。
私はまだ、あの職場から完全には自由じゃない。
喧嘩しても。
距離を置いても。
請求書だけは、ちゃんと残る。
それが今日いちばん、笑えるのに笑えなかった。
ゆら「たぶん、こういうのは数えた時点で意味を持つ。」
■今回の登場人物
・影森ゆら
距離を置いた翌朝に請求書を食らった。しかも小さな学校怪異には普通に対処してしまい、自分でも完全には切れていないことが分かった。
・夜宵るな
「けんかしたのにおかねだけ取るのぉ〜?」と素直に引いた。正しい。
・夏目透羽
請求書の最低さに全力でドン引きした。外から見るとほんとうにそう。
・白澤幽々《ゆゆ》
「でも来ると思ってた」と静かに刺した。いちばん事実に近い。
・毒島真琴
追撃メール担当。たぶん悪意は薄いが、タイミングが最悪。
■今回の帳面
・金の借金
きっちり継続。しかも感情的離席による業務停滞損害金まで乗ってきた。最悪。
・死の帳尻
死亡追加なし。学校の小粒案件だけなら、まだ日常側で処理できる範囲。
・なゆの状況
直接登場はなし。ただし前話の告白以降、ゆら側の距離変化と事務所側の関係悪化で、“書かない側”としての負荷はむしろ増しているはず。
・白い帳面まわり
人間関係は壊れかけても、借金と業務だけは妙に現実的に残る。ホラーのくせに事務処理だけ生々しい。
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