配信87回目 知ってたの、って聞いてる!
今日は、本気で喧嘩します。
言い訳はあります。たぶん、筋も通っています。
でも、筋が通っているから許せる話ばかりじゃありません。
私は、その日の放課後、まっすぐ事務所へ向かった。
昨日、なゆさんに言われた言葉がまだ胸の奥にしっかり残っている。
”好きなんです。困るくらいに。”
あの人は、自分がこれ以上関われなくなることを、ちゃんと分かった上で言った。
だったら私は、こっちも曖昧なままにしたくなかった。
封筒の中身。
朔夜の筆跡。
帰還補助。経過観察。候補性あり。
知らなかったふりをするには、もう十分すぎる材料だった。
夜見よろず相談事務所の扉を開ける。
いつも通り、部屋は終わっていた。
積みっぱなしの書類。空き缶。呪符。配信機材。生活感と怪異対策が、今日も喧嘩しながら共存している。
でも、今日はその雑さに少しも安心できなかった。
「遅い」
朔夜が机の向こうから言う。
「来ると思ってた?」
「半々だな」
「へえ」
私は鞄を机の横へ置いた。
座らない。今日は座ったら負ける気がした。
「話がある」
「そうだろうな」
「逃げるなよ」
「お前相手に逃げるなら、もっと前にやってる」
その返し方が、もう腹立たしい。
「じゃあ聞く」
私は息を吸った。
「知ってたの?」
朔夜は少しだけ目を細めた。
「何を」
「そうやって返すの、ほんと最低」
「質問の幅が広い」
「じゃあ狭める」
机の上へ、昨日の紙を置く。
「私を死後側へ入れること。戻すこと。送り込むこと。その全部が、ただの救助じゃ済まない可能性」
喉が少しだけ震えた。
「それが“花嫁候補を育てうる行為”でもあるって、知ってたの」
沈黙。
否定が来ない時点で、もうだいぶ答えだった。
「……全部じゃない」
朔夜がようやく言う。
「でも、何も知らなかったわけじゃない」
「……そう」
胸の奥で、何かがきれいに冷えた。
「じゃあ何を知ってるの?」
私は声を荒げなかった。
その代わり、言葉をひとつずつ置いた。
「助けたかったのも本当。戻したかったのも本当。で、使えるとも思ってた?」
「“使える”の意味による」
「そういう逃げ方するなって言ってる!」
朔夜が机に手をつく。
「逃げてない。整理してる」
「整理の仕方がもう気に入らないんだよ」
「気に入る形で話せる内容じゃない」
分かってる。
分かってるから、余計に腹が立つ。
「最初から危ないとは思ってた」
朔夜が低く言う。
「お前は向こう側へ触れすぎる。死後側へ入るたび、戻ってくるたび、何かが寄る。その可能性は見えてた」
「見えてたのに、やらせた」
「やらせたんじゃない。必要だった」
「必要の中に、花嫁候補になることも入ってたんでしょ!」
ぬいがソファの背から、びくっと顔だけ出す。
「わし、今は喋らんほうがよい感じかの」
「絶対喋るな」
私と朔夜の声が重なった。
「こわ」
私は紙を掴み直す。
「これ、あんたの字だよね」
「そうだ」
「“帰還補助、一度まで”」
「そうだ」
「“送り込み判断は慎重に”」
「……そうだ」
一個ずつ認める。
一個ずつ認めるくせに、そこで止まる。
それがいちばんきつかった。
「じゃあ、私の時は?」
「……」
「慎重だった?」
「できる限りは」
「できる限り、であそこまで行ったんだ」
そこで初めて、朔夜の顔が少し歪んだ。
「お前を一回も向こう側へ入れないで済むなら、それが一番よかった」
「でも、そうしなかった」
「できなかった」
「同じだよ!」
机を叩いた音が、狭い部屋に響く。
「結果として私がこうなってるなら、できなかったも、しなかったも、こっちから見たら同じなんだよ!」
「違う」
「何が!」
その瞬間だった。
事務所の奥の空気が、ひやりと冷える。
扉は開いていない。なのに、白い気配だけが先に入ってきた。
白縫冥だった。
「続けてください」
静かな声だった。
「私も、そこは聞いておきたいので」
「お前は帰れ」
朔夜が低く言う。
「嫌です」
「このタイミングで来るな」
「来るべきタイミングなので」
冥は部屋の端へ寄り、私を見る。
「影森ゆら。あなたが聞きたかった質問を整理しましょうか」
「……は?」
「この男が“危険を知らなかったか”ではなく、“危険を承知でゼロにはしなかったか”が、今の争点でしょう」
「お前、わざとやってるだろ」
朔夜の声が低く沈む。
「ええ」
「最悪だな」
でも、冥の言い方は残酷なくらい正確だった。
私は朔夜から目を逸らさずに言う。
「そうだよ。私が聞いてるのはそこ」
「……」
「花嫁候補になる可能性、完全には切ってなかったんでしょ」
数秒の沈黙のあと、冥が淡々と言った。
「排除はしていません」
私より先に、答えたのは冥だった。
「少なくとも序盤から中盤にかけて、この男は“ゼロにできない”ではなく、“ゼロにしきらなかった”側です」
「黙れ」
朔夜が言う。
「事実でしょう」
「言い方を選べ」
「選んだ上でこれです」
私は息を呑んだ。
やっぱりそうなんだ、と思う気持ちと、ちゃんと口にされると無理だ、という気持ちが同時に来る。
「なんで」
声が少し掠れた。
「なんで、そんなの残したの」
朔夜は目を閉じて、短く息を吐いた。
「助ける手段が、それしかない場面があった」
「……」
「戻せるなら戻したかった。生きてる側へ繋ぎたかった。そのために、お前の適性を使った」
「使った、って認めるんだ」
「今はな」
今は。
その言い方で、時間差の誠実さみたいなものまで腹立たしくなる。
「守るつもりだった」
朔夜が言う。
「でも、使うのと完全に分けられてたとは言わない」
それで終わりだった。
言い訳はある。
たぶん筋も通っている。
でも、今ここで私が欲しかったのは、通った筋じゃない。
最初からお前だけは違った、お前だけが特別っていう、雑でもいいから、そういう否定だった。
それが、来ない。
「……無理」
自分でも驚くくらい、声が静かだった。
「影森」
「今、名前呼ばないで」
私は一歩下がる。
「それ、私にとって一番きつい形の正解だよ」
「聞け」
「聞いたよ、もう」
喉が痛い。
「助けたかったのも本当。使ったのも本当。危ないって知ってたのも本当。切れなかったのも本当」
笑えもしないのに、口元だけが歪んだ。
「最悪じゃん。ほんとに」
ぬいが小さく身を縮める。
冥は黙ったままだ。
部屋の中の空気だけが、やけに白い。
「……私はさ」
自分でも情けないくらい、小さい声で言った。
「危ないのに使われたことが嫌なんじゃないんだよ」
朔夜が動かない。
「危ないのを知ってて、それでもお前なら戻せるって思われてたことが嫌なんだよ」
「……」
「戻れるから大丈夫、って。そういう計算の中にいたのが、いちばん無理」
それは玻璃にも、なゆにも、冥にも言えなかった、本音だった。
戻れるから。
戻されるから。
だからもう一回。あともう一回。
その積み重ねの先に、私が何へ近づいていたのか。
こいつは、全部じゃなくても知っていた。
「しばらく会いたくない」
私は言った。
「え」
ぬいが変な声を出す。
「いや、わしも?」
「お前はあとで考える」
「こわ」
朔夜だけを見て、続ける。
「事務所にもいかない。私の前に現れないで」
「影森」
「無理。今はほんとに無理」
朔夜が何か言いかける。
でも、その前に私は鞄を掴いた。
「借金の話なら、あとで紙で送って」
「おい」
「いつもみたいに業務的に来ればいいじゃん!」
最低な捨て台詞だと思った。
でも、もっとひどいことを言う前に、それしか出てこなかった。
扉へ向かう。
手をかけたところで、後ろから冥の声がした。
「一度壊れるべきものはあります」
「今それ言う?」
私は振り向かずに言う。
「はい」
「やっぱ嫌いだわアンタ」
返事を待たず、扉を開ける。
廊下の空気はぬるかった。
でも、事務所の中よりはずっと息がしやすい。
私はそのまま階段を降りた。
呼び止める声は、最後まで来なかった。
それが少しだけ救いで、少しだけ痛かった。
■今回の登場人物
・影森ゆら
ついに本気の対決。聞きたかった答えは来ず、いちばんきつい形の“正しい答え”だけを受け取って、朔夜を拒絶した。
・夜見朔夜
助けるつもりだったことも、使ったことも、危険をゼロにしきれなかったことも否定できない側。言い訳はできるが、完全否定はできなかった。
・白縫冥
最悪のタイミングで、最悪の精度で争点を言語化する女。事実の切り方がいちばん痛い。
・ぬい
今回も空気を読んで静かだったが、最後にだけちゃんと巻き添えを恐れた。小物として正しい。
■今回の帳面
・金の借金
感情が壊れても減らない。たぶん請求書だけはちゃんと来る。最悪。
・死の帳尻
死亡追加なし。ただし関係の帳尻は完全に崩れた。
・なゆの状況
前話で業務としての均衡を失っている。ゆらと朔夜の決裂により、今後は“書かない側”としてさらに追い込まれやすくなる。
・白い帳面まわり
人ではなく、関係のほうが先に壊れた。ここから先は、未記録や猶予だけでは支えきれない段階へ入る。
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