配信83回目 冥は檻を知っている
蒐集が閉じても、終わりではありません。
今度は、こっち側にある“管理”の話です。
顔のいいクズが、実はちゃんと檻つきでした。
夜見よろず相談事務所の空気は、もともと良くない。
古い雑居ビルの三階。薄暗い廊下の先。紙と機材と呪符と生活感が、ぜんぶ中途半端に積まれた部屋。人が働く場所というより、怪異と貧乏と寝不足が同居している終わった巣だ。
でも今夜は、その“いつもの終わり方”と少し違っていた。
いつも以上に、静かすぎる。
ぬいは机の端で丸くなったまま、珍しく一言もしゃべらない。私はソファの端で、ぬるいお茶を持ったまま、まだ息が落ち着かなかった。
さっき見た。玻璃のいた、白い場所。
待合みたいで、でも待つ場所じゃなかったあそこを。
「……ねえ」
「なんだ」
朔夜は端末から目も上げない。
「さっきの、三十秒って言ったよね」
「言った」
「私にはだいぶ長かったんだけど」
「そうかよ」
「そうかよじゃない。何あれ。前はもっと、普通に待合みたいだった」
朔夜がようやく顔を上げる。
「で、今回は何に見えた」
「……置いていかれた場所」
言った瞬間、自分でもぞっとした。
「待ってるんじゃなくて、待ったまま残されたものが積もってる感じ。あそこ、そう見えた」
「玻璃は何て言った」
「“わたしは連れていけない。帰り道が残ってるかどうか、教えるだけ”って」
「……そうか」
その反応が、気に入らなかった。
「知ってたみたいに言うなよ」
「全部は知らない」
「“全部は”って言い方がいちばん嫌なんだけど」
その時だった。
ちり、と小さな音がした。
蛍光灯が一瞬だけ明滅する。窓際の空気が、薄く切られたみたいに冷えた。ぬいがびくっと縮こまる。
「……来るの」
「誰が」
「嫌な女じゃ」
事務所の扉が、勝手に開いた。
ノックはない。遠慮もない。
白縫冥が、そこに立っていた。
白っぽいコート。温度のない目。綺麗なのに、見た瞬間に安心より先に“管理”という単語が似合う顔。
「失礼します」
「もう失礼してる最中だろ」
朔夜が低く言う。
「とっとと帰れ」
「嫌です」
「即答かよ」
冥は部屋を見回し、最後に私で視線を止めた。
「影森ゆら。返事はできますか」
「一応」
「結構。まだこちら側ですね」
「言い方」
冥はそのまま朔夜へ向き直る。
「夜見朔夜。お前はまた、自分がどこにいるか忘れた顔をしている」
「覚えてるよ」
「なら確認します」
冥が指を鳴らした。
ぱき、と乾いた音が走る。
次の瞬間、事務所の壁じゅうに白い線が浮かび上がった。
「……は?」
壁紙の下。天井の角。床の継ぎ目。窓枠。扉の内側。見えていなかっただけで、部屋のあちこちに細い線が走っている。円。枠。符号。檻の格子みたいな、白い封印。
「何これ……」
「固定です」
「固定?」
「この部屋は拠点であると同時に、封止でもある」
意味が遅れて届く。
「……封止って、まさか」
「そうです」
冥の声は静かだった。
「ここは夜見朔夜を休ませる場所であると同時に、逃がしすぎないための場所でもあります」
私は朔夜を見た。
「え」
「そういう顔するな」
「するでしょ! ただの事務所じゃなかったの!?」
「ただの、ではないな」
「その言い方やめろ!」
壁の線は、きれいというより都合がよかった。ここまでしか行くな、ここから先へ出るな。そういう管理の線だった。
「あなたはまだ、自分が閉じ込められていることを都合よく忘れられる」
冥が冷たく言う。
「自由に見えるほうが動かしやすい。だから許されているだけです」
私は言葉が出なかった。
こいつはずっと、金にうるさくて、態度が悪くて、好き勝手な最低男だと思っていた。
でもそれは、“自由な加害者”だからだと思っていた。
まさか逆だなんて。
「……ずっと、管理されてたの」
「ずっとではありません」
答えたのは冥だ。
「正確には、逸脱しすぎない範囲で運用されていた、です」
「人に使う言葉じゃないんだけど」
「人では済まないので」
「おい」
朔夜が低く割り込む。
「それ以上喋るな」
「嫌です」
「お前ほんとそういうとこだぞ」
「ええ。知っています」
空気が張る。
大声じゃないのに、この二人が本気で噛み合わない時のほうがよほど怖い。
「……で」
私は無理やり口を挟んだ。
「今日は何しに来たの」
「確認と警告です」
「何の」
「影森ゆら。お前は今、向こう側から見つかっている」
背中が冷えた。
「それ、玻璃にも言われた」
「でしょうね。だから来ました」
「何しに」
「次にお前が呼ばれた時、自分から奥を見に行かないよう釘を刺しにです」
「最後ちょっと私のせいみたいに言ってない?」
「少しはそうです」
「腹立つ……」
冥は続ける。
「この部屋の固定も前より浅い。外からの干渉は増えています。事務所ごと噛みに来るか、お前を餌にして内側から崩すか。そのどちらか、あるいは両方です」
「餌って言うな」
「適切な表現です」
「分かったなら帰れ」
朔夜が言う。
「まだです」
「何がまだだ」
「お前への釘刺しが終わっていない」
冥の目が細くなる。
「次にお前が“送り込む側”の判断を優先した場合、私はこの拠点を一時閉鎖します」
「は?」
「聞こえましたよね」
「聞こえた上で言ってる」
私は息を呑んだ。
閉じる。
この事務所を。
この檻ごと。
「……助言を一つ」
冥が扉の前で振り返る。
「見えたことは、もっと早く言いなさい」
「説教?」
「助言です」
「その二つ、今のあなたから言われるとだいぶ怖い」
「慣れてください」
「無理です」
冥は答えず、静かに出ていった。
扉が閉まる。
やっと息ができる。
「……最悪」
私が言うと、朔夜が短く返す。
「そうだな」
「そうだなじゃないんだよ」
私は壁を見る。もう白い線は消えている。なのに、一度見えてしまった以上、前と同じには見えない。
ここは拠点だ。
でも同時に、こいつを留めるための檻でもある。
「ねえ朔夜」
「何だ」
「今まで、あんたのこと、だいぶ最低な自由人だと思ってた」
「だいたい合ってる」
「そこに“檻つきクズ”属性が追加された」
「やかましい」
でも、笑えなかった。
向こう側から近づいてくるものだけが敵じゃない。
こっち側にも、勝手に見えて勝手じゃない檻がある。
秋の空気は、思っていたよりずっと狭い。
そんな気がした。
■今回の登場人物
・影森ゆら
玻璃のいた白い場所を見たあと、その余韻が抜けないまま事務所で追加の現実を食らった。今回の感想は「最低な自由人に檻がついた」。だいたい合ってる。
・夜見朔夜
ゆらを戻し、冥に事務所ごと固定を見せつけられた。軽口は叩くが、本気で冥には逆らいきれない。顔のいいクズのくせに、ちゃんと管理対象だった。
・白縫冥
強制介入。事務所=拠点であり檻でもあることを可視化した。助言の顔をして圧をかけるのがうまい。怖い。
・ぬい
「嫌な女じゃ」とだけ言って即座に縮こまった。危険察知だけは優秀。戦力にはあまりならない。
■今回の帳面
・金の借金
蘇生直後の経過観察と結界維持で、たぶん減っていない。むしろ微増の気配。
・死の帳尻
今回は正式な死亡追加なし。ただし死後側接触の余熱が濃く、白い帳面側の視線は確実に近い。
・向こう側からの見つかり具合
かなり悪化。玻璃にも冥にも「もう見つかっている」と言われた。良くない。
次は、前任記帳官と“まだ近いもの”の話です。
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