配信78回目 針目はまだ笑っている
通知は、鳴っただけでは終わらない。
やさしい顔をした言葉ほど、逃げ道を細くする。
そして今回も、たぶん私はちゃんと死にかける。
銭原の店を出てからも、透羽のスマホ画面には、あの通知が消えずに残っていた。
【保全処理のご案内】
【現在の状態を、より安全に維持するためのご相談が可能です】
文面だけ見れば、保険か行政の案内みたいだった。
あいつらのやり口だ。だからこそ嫌だ。
人を助ける顔をした文章ほど、こっちの逃げ道を狭める。
「――消して」
私が言うと、夏目透羽は「うん」と返した。けれど、指はすぐに動かなかった。
「……透羽?」
「いや、消すよ。消すけどさ――」
画面の白い光が、透羽の頬だけ少し青く見せる。たった一瞬の間なのに、その躊躇いに何か違和感を覚える。
その時、歩道の向こうから、やわらかい声が飛んできた。
「少しだけ、お時間よろしいですか?」
振り向いた瞬間、ぞっとした。
感じのいい笑顔だった。明るすぎず、押しつけがましくもない。ベージュ寄りのスーツ、綺麗な名刺入れ、薄いタブレット。駅前で保険を勧めてくる営業か、マンション販売の担当に見えなくもない。
でも私は知っている。
あの笑顔は、人に向ける顔じゃない。値札を見る目だ。
蒐集の手先、針目結――。
「……帰れ」
私が即答すると、針目結は困ったように、でもまったく困っていない顔で首を傾げた。
「警戒されるのは承知しています。ただ、本日は勧誘ではなく確認です。最近、急な事故や、繰り返す危険に心当たりはありませんか?」
「あっても、お前に言うわけないだろ」
「そうですよね。でも、一度では済まない方ほど、先に選択肢を知っておいたほうが楽なんです」
その“楽”に、透羽の肩がわずかに揺れた。
見逃さなかった。
たぶん針目も、そこへ言葉を置くために来た。
「夏目さん」
針目の視線が、私ではなく透羽へ向く。
「戻されたあとの生活は、おつらいでしょう。周囲に合わせるふりを続けるのは、想像以上に消耗します」
透羽の顔から、笑いが一枚だけ落ちた。
「……何の話?」
「ご本人なら、少しは分かるはずです。眠る前に、元の場所へ戻りそうになる感じ。知らない単語だけ、最初から知っている感じ。戻ってきたのに、どこか一部だけ置いてきた感覚」
背中に、ぬるい汗が走る。
そこまで言うな。
そこまで、他人のズレ方を綺麗な言葉にするな。
「 や め ろ 」
私が低く言うと、針目はまた笑った。
「ですから、ご案内です。無理に普通へ合わせなくてもいい管理方法があります。保全下のほうが、むしろ穏やかに過ごせる方も多いので」
「保全って、都合よく言い換えてるだけだろ」
「言い換えではありません。保護と管理は似ていますが、別です」
「最悪なこと言ってる自覚ある?」
透羽が、まだスマホを持ったままぽつりと呟く。
「……楽、なのかな」
その声を聞いた瞬間、反射で手が動いた。私は透羽の手首を掴んで、画面ごと下げさせる。
「そっち見るな」
「影森」
「見るなって言ってる」
針目は少しだけ目を細めた。
「影森さんは、拒否反応が強いですね」
「当然だろ。人を配ってるティッシュをもらうくらいの意識で扱ってる奴に、好感持つわけない」
「そのたとえ、乱暴ですね」
「お前らのやってることのほうがよっぽど乱暴だよ」
針目はそこでタブレットを開いた。
向けられた画面に、吐き気がした。
名前が並んでいる。
影森ゆら
区分:越境接触個体/仮保全中
夏目透羽
区分:戻された個体/経過観察相当
その二行が、同じ大きさで、同じ整ったフォントで、同じ白い画面に並んでいた。
「……は?」
「現時点の簡易整理です」
「整理って言った?」
「現場側では、把握しやすさも重要ですから」
「人をファイルみたいに並べるな!」
思わず一歩踏み出した私を、透羽が逆に止めた。
「ゆら、待って」
「待たない。待てるわけないだろ」
針目は、怒らせたつもりがないみたいな静かな声を続ける。
「影森さんは、『よく残る』。夏目さんは、戻されたあとが『まだ綺麗』です。どちらも乱暴に扱う気はありません。だからこそ、早めの保全が」
「うるさい。こっちの意思を尊重しろ!偽善者野郎」
自分でも、声が思ったより低く出た。
針目の笑顔が、ほんの少しだけ薄くなった。
でも消えない。あの人の笑顔は表情じゃなくて、機能だ。
「影森さんのように、繰り返し死の縁へ近づく方は、途中で壊れることがあります」
「……」
「無駄死にが減るだけでも、価値はあると思いませんか?」
「お前の“無駄”判定で、私の死に方を決めるな」
言った瞬間、タブレットの端で何かが揺れた。
白い画面の奥。
査定表のさらに下。
見えたのは一瞬だけだったけど、そこに数字と語句の列が流れる。
損耗率。
残存性。
用途候補。
くらっとする。
視界の輪郭が、ほんの少しだけ遅れた。
「……っ」
「ゆら?」
透羽の声が遠い。
呼吸が、一拍ぶん遅れる。胸の真ん中に、冷たい針を差し込まれたみたいだった。
やばい、と思った時には遅かった。
心臓が、落ちる。
世界の音だけが先に遠ざかり、足元の感覚が消えた。膝が折れる。アスファルトにぶつかる直前、誰かが名前を呼んだ。
「影森!」
朔夜の声だった。
次の瞬間、何か細いものが胸の奥へ無理やり通された感覚がある。
痛い。優しさの欠片もない。けれど、こっち側へ引き戻すための雑な線だと、本能で分かった。
「っ、ぁ……!」
肺が勝手に空気を奪い込んだ。
息が戻る。痛みも戻る。最悪だ。
「げほっ、げほっ……!」
「影森。見るなって言っただろ」
「……言ってない……!」
「言ったようなもんだ」
「毎回それ!説明不足!!」
視界の端で、針目がほんの少しだけ息を吐いた。
驚いた、ではない。確認した、の顔だったのが腹立たしい。
「やはり不安定ですね」
「人を殺しかけといてその感想!?」
「接触だけでここまで落ちるなら、急いだほうがいい」
「急ぐのはお前の帰宅だよ!」
そこへ、イヤホン越しに真琴の声が飛び込んできた。
『位置、ほぼ絞れました。通知経路、相談ページ、保全案内、全部一個所に集約してます。表向きは資料保管室扱いですけど、中身は完全に仮拠点ですね』
続いて、ミリアの声。
『外、見た。出入口ふたつ。警備カメラ三。正面は綺麗だけど、裏の搬入口、生きてる』
冥はもっと冷たい。
「蒐集を助ける気はありません。ですが、夜見。あなたが今ここで暴走するのも止めます」
「うるせぇな、冥――」
「そのまま突っ込めば、あなたごと閉じます」
「相変わらず言い方が怖いわ!」
少し遅れて、白い帳面を閉じる音がした。なゆだ。
「……また書かないことになりますね」
優しい声だった。だから余計に怖い。
「でも、次は帳尻が先に来ます。影森さん、もう猶予は薄いです」
「今その情報いる……?」
「必要です」
針目はその会話を聞きながら、また営業用の笑顔へ戻っていた。何もなかったみたいに、名刺を一枚だけ差し出してくる。――前にもあったな。事務所で。
「本日はご案内までにしておきます。夏目さん。影森さん。選択肢は、多いほうが安心できますから」
私は名刺を見る前に、朔夜がそれを指先で弾き飛ばした。
「くだらんエセ営業は終わりだ」
「では、次は施設側でお待ちしています」
針目は一礼して去る。
足音まで感じがいいのが、本当に腹立たしかった。
透羽はしばらく黙ったまま、私の横にしゃがみこんでいた。顔色は悪い。たぶん私も同じだ。
「……ごめん」
「なんで透羽が謝るんだよ」
「一瞬だけ、そっちのほうが楽かもって思っちゃった」
「......わたしは、前にも経験してるし、ねっ」
精一杯から元気で私に伝える透羽は、少しだけ、震えていた。
「思うだろ。あんな言い方されたら」
「でも、思ったの最悪だなって」
私はまだ痛む胸を押さえながら、息を整える。
「楽なんじゃないよ。あいつらは、選ばせないだけだ」
透羽は小さく笑って、それからちゃんと頷いた。
「うん。だから、一緒に行く」
「え?」
「ここで逃げたら、たぶんあの笑い方ずっと残る」
ミリアが鼻で笑う。
「いい顔するじゃん。やっぱ趣味悪い奴らは、こっちから殴り返したほうが早いのよ」
「殴るで済めば楽なんだけどな」
朔夜が短く言った。
「役割いうぞ。真琴は記録係固定。ミリアは外周。冥は閉鎖補助。透羽は無理すんな。見えた違和感だけ拾え。影森」
「……はいはい、どうせ前の役だろ」
「前だ」
「知ってた!」
少しだけ笑いが出た。ほんの一瞬だけ。
でも、そのくらいでちょうどよかった。
―――――
車で移動した先は、街の外れにある古いビルだった。
再開発から半歩だけ置いていかれたみたいな、白くて、静かで、やけに空調の効いた建物。表の案内板には、資料保管室だの相談窓口だの、感じのいい文字が並んでいる。
なのに、入口の前に立った瞬間だけ分かった。
ここ、笑顔の奥が全部白い。
透羽が小さく息を吐く。
「……ここだ」
朔夜はドアの向こうを見たまま、低く言った。
「拾われる前に、こっちから入る」
自動ドアの曇ったガラスの向こうで、まだ誰かが笑っている気がした。
つづく
ここまで読んでくださってありがとうございます。
配信78回目は、蒐集商会側の“感じのいい顔をした回収”が真正面から来た回でした。
殴ってくる怪異より、笑って選ばせてくる相手のほうが、たぶんずっと質が悪いです。
今回の登場人物
**影森ゆら**
死にたくないのに、またしても営業トーク経由で心臓を止められかけた女子高生。今回は「自分が嫌な目に遭う」より先に、「透羽を渡したくない」が動いた回でもあります。
**夜見朔夜**
相変わらず口は悪いし雑ですが、今回は“壊す”より先に“引き戻す”側へ寄ったのが少しだけ見えました。本人は絶対認めません。
**夏目透羽**
“楽なほうへ行きたくなる気持ち”を一瞬だけ覗かせた転校生。だからこそ、そこで踏みとどまる意志が見えた回です。
**針目結**
営業スマイルのまま、人を区分と用途で並べてくる蒐集側の前線担当。今回いちばん怖いのはたぶんこの人です。
**鬼灯なゆ**
今回も帳面に書くべきところを、ぎりぎりで書かない側へ寄った記帳官。ただし猶予は、もうかなり薄いです。
**紅坂ミリア/毒島真琴/白縫冥**
それぞれ別の理屈で蒐集へ対抗しつつ、次回の突入準備を整えた面々。ここから先は、もう逃げるだけでは済みません。
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### 境界記録局四課・鬼灯なゆの帳面
**記帳対象**
影森ゆら
**今回の状態**
未記帳処理
※本来は記帳対象。今回も猶予扱い。
**記帳理由相当**
蒐集側端末との接触による短時間停止/帰還処理あり
**帳尻状況**
猶予、継続中
ただし余白は減少
**備考**
笑って差し出される選択肢ほど、死後側ではよく残る。
次回、突入処理に伴い追加記帳の可能性高し。
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