配信73回目 真琴は現場に出たくない(前編)
放課後です。
今日は、怪異より先に「記録の冷たさ」が怖い回です。
あと真琴さんが、めちゃくちゃ嫌そうな顔をします。
放課後の廊下は、昼より少しだけ嘘くさい。
窓の外はまだ明るいのに、校舎の奥へ行くほど、光が先に疲れてるみたいに薄くなる。夏休み前のざわついた空気と、部活へ走る足音と、どこにでもある女子高生の会話。その全部がちゃんとあるのに、今日はそこへ、妙に細い違和感が混じっていた。
「影森、今日ビジュ死んでない?普通にしんどそう」
転校してきてまだ日が浅いくせに、夏目透羽は距離を詰めるのだけ妙に早い。
「毎度、初手から人の顔にダメ出しすんな」
「でもぉ、ゆらちゃん今日もちょっとしんどそうだよぉ〜?昨日大変だったもんねぇ~」
るながパンの袋を抱えたまま覗き込み、幽々《ゆゆ》がその横で小さく頷く。
「それ、本人が一番分かってるやつ」
「ほら二対一じゃん」
「多数決で人の顔色決めるな」
私は鞄を肩へかけ直しながら、わざと大げさにため息をついた。ほんとは、顔色が悪い理由なんて分かりきっている。昨日、ぬいに身体の内側まで引っ掻き回され、危うく“私じゃないもの”にされかけた。あれで元気だったら、それはもう別の怪異だ。
透羽はけろっと笑って、るなのパンをひょいと見た。
「るな、それもう二個目でしょ。えぐ」
「まだいけるよぉ〜?」
「そこ胸張るとこじゃないからね、まぁ胸は張らなくても出てるか」
軽口は軽口のまま流れかけた。
なのに、透羽がふと、なんでもない声で言う。
「ていうか影森、それ保全される前に帰ったほうがよくない?」
足が止まった。
「……は?」
「え?」
言った本人だけが、きょとんとしている。るなは意味が分からないまま首をかしげ、幽々だけが静かに透羽を見た。
「今の単語、またちょっと、普通じゃないよ」
「いや、なんか……そういう界隈の動画見すぎただけ。気のせい気のせい」
透羽は笑ってごまかしたけれど、その“気のせい”は、気のせいにしてはいけない種類の雑さだった。
私は舌打ちしたいのを堪えて、スマホの振動に視線を落とした。
表示された名前は、毒島真琴。
嫌な予感しかしない。
メッセージは短い。
『蒐集側の残データ、変です。来られますか』
「うわ、最悪」
「なにぃ〜?」
「仕事」
「顔、さらに死んだね」
「お前はビジュ判定やめろ」
言いながらも、背中の内側が冷えていく。真琴さんが“変です”だけで済ませる時は、だいたい済まない。
―――――
夜見よろず相談事務所のドアを開けた瞬間、空気がもう重かった。
配信機材の熱。紙と埃とコーヒーのにおい。その見慣れたぐちゃぐちゃの中で、今日はぬいまで静かだった。いつもなら机の上で偉そうに文句を垂れる灰白色の小悪党が、ソファの端でぺしゃっと潰れている。
「……毛玉の置物?」
「失礼なやつじゃの……」
声だけは返ってきたけど、迫力がない。
「昨日あれだけ人の中ぐちゃぐちゃにしといて、今日は瀕死アピールかよ」
「アピールではない……ほんとうに、しんどみ……」
「そこだけ女子高生みたいな語彙になるな」
事務所の奥で、朔夜が画面を睨んでいた。隣には真琴さん。いつもなら絶対に現場入りしなさそうな人なのに、今日はノートPCとタブレットを抱えたまま、露骨に帰りたそうな顔をしている。
「影森、こっち」
「なに」
真琴さんが画面をこちらへ向ける。
「蒐集関連の残ったデータを整理してたんですけど……記録項目がおかしいんです」
「おかしいって?」
「怪異現象の報告書なら、発生時刻、媒体、接触人数、被害内容、そういう並びになるんです。でもこれは違う」
スクロールされた項目は、見た瞬間に嫌だった。
接触深度。
残留率。
再利用可能性。
損耗許容。
「……なにこれ」
「だから嫌な感じだって言ってるんです」
真琴さんは本気で嫌そうに眉を寄せた。
「これ、怪異の記録じゃないです。素材の査定です」
部屋の温度が、少しだけ下がった気がした。
私は意味が分からないまま、でも“人として見られてない”感じだけは分かった。
「いや待って。素材って、物のほうの?」
「たぶん、人も込みです」
「最悪」
「いつもながらですが――それは同意します」
朔夜が短く言う。
「現場を見ないと断定できない」
「私はもちろん!嫌です」
「行くぞ」
「いやです。現場に出たくないです」
即答だった。
私は思わず真琴さんを見た。この人ほんとにそういう顔するんだ、という意味で、ちょっとだけ感動した。
「真琴さん、そういう感情あったんだ」
「あります。普通にあります。むしろそれが普通です」
「この事務所にいると感覚狂うから助かる」
「影森、お前もだ。来い」
「助かったの一秒だけだったわ」
―――――
現場は、駅裏の古い雑居ビルの三階だった。
使われなくなった編集室か、保管室か、そういう“人がいた痕だけが残ってる部屋”。剥がされたラベル。空になったストレージケース。まとめて縛られた紙束。蛍光灯はついているのに、光が紙の白さをきれいに照らさない。
怪異の気配というより、事務処理の残骸がそのまま腐ってる感じがした。
「うわ……普通に無理なんだけど」
「こういう部屋、映像より先にログが死ぬんですよね」
真琴さんは入口からあまり動かないまま、視線だけで部屋を読んでいく。
「ファイル名の連番が飛んでる。時刻も揃いすぎです。あと、これは消去じゃない。見せないように詰め替えてます」
「言い方がもう怖い」
「消したなら、まだ親切です」
「親切な蒐集とか存在しないだろ」
「それもそうですね」
淡々としているのに、真琴さんの指先だけが少し強張っていた。前へ出ない。触らない。代わりに、数字と傷だけを見ている。
その横顔を見て、私はようやく気づいた。前線では頼りなく見える。でも、この人は“記録の死に方”を読む側だ。
棚の奥から、朔夜が古い端末を引きずり出す。起動音が妙に長い。私はその画面を覗き込み、そこで嫌なものを見た。
フォルダ名の一部。学生証の切れ端みたいな画像。学籍番号の途中まで。名前はない。顔もない。でも、抜け落ち方が妙に生々しい。
「……これ、透羽?」
「断定はまだ早いです」
真琴さんが低く答える。
「でも、空白の作り方が不自然です。事故で飛んだんじゃない。意図的に抜いてる」
朔夜が画面を閉じかけた、その瞬間だった。
別フレームが一瞬だけ開く。
後ろ姿の女子生徒。肩までの髪。見慣れた制服。その横に、ノイズみたいな細い輪郭が重なった。
それが、私に見えた。
「――っ」
呼吸が抜けた。
画面の奥から、何かが私を認識した感じがした。視線じゃない。もっと冷たくて、もっと事務的なもの。
接触深度。
残留率。
再観測。
査定継続。
耳元で、機械みたいな声がした。
次の瞬間、世界が遠のく。
膝から力が抜けた。床が近い。けど倒れるより先に、いったん全部の音が薄くなる。心臓が止まる時って、たぶんこういう静かさなんだと思った。
「影森!」
朔夜の声が、ずっと遠い。
白い。薄い。向こう側とも言い切れない、処理途中の余白みたいな場所で、私はほんの数秒だけ落ちた。
悲鳴はない。呻きもない。あるのは、値札みたいな言葉だけ。
再利用可能。
損耗許容。
回収判断、保留。
――人を、物みたいに呼ぶな。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
「げほっ……!」
現実へ引き戻される。床に手をつく。喉が焼ける。頭痛がひどい。視界の端で、真琴さんが珍しく顔色を変えていた。
「今の……怪異の反応じゃないです」
その声は、いつもより低かった。
「処理です」
朔夜は何も言わない。ただ、画面を叩き落としそうなくらい冷たい目で端末を見ていた。
真琴さんが震える指で、最後のログを開く。
「……ありました。末尾だけ残ってる」
そこに並んでいた断片は、短かった。
再観測継続。
学校生活への再配置。
回収判断、保留。
「人の人生を置き場みたいに言うなよ……」
自分の声が、思ったより掠れていた。
朔夜が、ようやく口を開く。
「続きは明日だ」
「最悪の引きなんだけど」
「それは最初からです」
真琴さんが本気で疲れた顔のまま、壁にもたれた。
「……だから現場は嫌なんです」
その台詞だけが妙に普通で、なのにこの部屋の中では、いちばんまっとうに聞こえた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、怪異そのものよりも“人が記録され、分類され、素材みたいに扱われる怖さ”が前へ出る回でした。次回は、この残データを真琴がさらに読み解きます。
【今回の登場人物】
・影森ゆら
死にたくないのに、今日もちゃんと落ちました。今回は長く死ぬというより、短く“処理”に触れてしまった感じです。
・夜見朔夜
静かに怒る回。こういう時のほうがだいたい怖いです。
・毒島真琴
今回の主役その1。現場は嫌い。でも、ログの傷を読むのはめちゃくちゃ強い人。
・夏目透羽
今回は学校パートのみ。軽い言葉の中に、少しだけ“普通じゃない単語”が混ざりました。
・夜宵るな/白澤幽々
短い出番ですが、日常の空気と違和感の入口をちゃんと担ってくれています。
・ぬい
前回の反動でちょっと静か。珍しい。
【今回の帳尻】
・金銭帳尻:現場一件、交通費、機材まわりの細かい出費つき。借金はたぶんいつも通り、微妙に嫌な方向です。
・死の帳尻:今回は短く落ちました。
ただし落ちた先が“怪異”ではなく“処理”側だったので、死の帳尻としては軽く見えて、帳面上はむしろ面倒なやつです。
・構造帳尻:増えました。かなり。
蒐集側は怪異を記録していたのではなく、人の残り方を査定していました。しかも透羽の過去記録にも妙な空白あり。学校パートの平和が、じわじわ終わり始めています。
・鬼灯なゆ:今回も直接は出ていません。
でも帳面の向こうで「それ一行で済ませます?」みたいな顔は、たぶんしています。かわいそうです。
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