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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第三章 花嫁の名前を知らないまま(夏~秋)

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配信72回目 お前になれば消えない

 昨日まで、ぬいはただ鬱陶しいだけの毛玉だった。

 でも今日は、少しだけ違う。

 離れないんじゃなくて、離れられないみたいだった。

 その日の案件は、最初から空気が悪かった。

 

 なぜなら今日は、私と顔だけはいい最悪の男、朔夜だけでなく、るなや幽々、透羽とわたちも一緒だったからだ。最近、配信がマンネリ化していたので、若い女性が出るとウケがいいらしい。ノリもいい透羽が、やるやる~といってバイトについてくることになった。


 ――本音を言えば、朔夜が、「人数が多いほうが今日は安心だ」「バイト代も増やしてやる」、といったからだけど。


 ここは、古い雑居ビルの三階。テナントが全部抜けたあと、壁だけが残っているみたいなフロア。昼間なのに照明が薄く、廊下の奥だけが妙に暗い。失踪した配信者が、最後にここで「知らない声が混ざる」と騒いでいたらしい。


「うわ、普通に帰りたいわこれ」


 私が言うと、朔夜さくやは「帰っても次が来る」とだけ返した。最悪だ。


 肩の上のぬいは、今日も離れない。昨日よりさらに重い。軽いくせに、存在感だけが重い。


影森かげもり、奥を見るな」

「言われると見ちゃうだろ」


 言った直後、廊下の突き当たりのガラスに、自分じゃない影が一歩遅れて映った。


「……っ」


 足が止まる。


 透羽とわがすぐ気づいた。


「ゆら、今ちょっと変」

「何が」

「声。あと、目線」


 自分では分からない。でも、幽々《ゆゆ》も小さく息を呑んだ。るなは意味が分からないまま、ただ不安そうに私を見る。


 その瞬間、ぬいの爪が首の奥へ深く沈んだ。


 冷たい。


 肩じゃない。皮膚じゃない。もっと内側、呼吸と声の境目みたいなところへ、ぬいが本気で噛みこんでくる。


「いっ、ぬい……!」


 視界がぐらつく。廊下が遠のく。代わりに、ぬいの見ているものが流れ込んできた。


 空腹。

 居場所のなさ。

 消えかけた輪郭。

 ゆらにしがみつけば保てる、という汚い確信。


 そして、その奥に、あまりにもまっすぐな欲望があった。


 **お前になれば消えない。**


「やめろ……!」


 声に出したつもりだった。でも出たのは、私の声じゃなかった。


「……いらん」


 低く、かすれた、ぬいの声。


 るなが後ずさる。

「ゆらちゃん……?」


 透羽が一番先に動いた。


「それ、ゆらじゃない」


 遅れて朔夜が札を切る。白い紙が飛び、廊下の空気がひりついた。


「ぬい、離れろ」


 でも、ぬいは離れない。

 むしろ私の内側へ潜る。視界の端が灰白色に染まり、耳の奥で小さな獣の息が鳴る。手の感覚が遠い。足元が浮く。呼吸が止まる。


 そのまま私は、いったん落ちた。


     ―――――


 真っ暗ではない。


 布団の匂いがした。


 夏の夜の扇風機の風。冷蔵庫に入ったそうめん。るなの笑い声。幽々の静かな「そっか」。透羽の図々しい軽口。朔夜の「帰るぞ」。そういう、こっち側のどうでもいい断片が、暗い底に散らばっている。


 ぬいは、それを見ていた。


 私の目の奥から。

 私の呼吸の中から。


 その全部を喰って、空にして、そこへ自分が入るつもりだった。なのに、最後の最後で手が止まる。


 布団の温度だけ、壊せない。

 るなの声だけ、うるさくて消せない。

 朔夜の雑な言い方だけ、腹が立つのに切れない。


 普通の日常の断片が、小さすぎるくせにやけにしぶとく残る。


「……なんでじゃ」


 ぬいの声が、泣きそうに掠れた。


 その隙に、札が燃えた。


 朔夜の声が遠くから刺さる。


「戻れ、影森!」


 白い線が走る。肺がひっくり返る。胸が痛い。視界が一気に戻る。


     *****


「っ、は……! げほ……!」


 私は床に膝をついていた。喉が裂けそうに痛い。るなが泣きそうな顔でしゃがみこんで、幽々が肩を支え、透羽が本気で青ざめている。


 朔夜は私の前に立っていた。札の燃えかすが指に残っている。


 ぬいは床に落ちていた。


 くたっとした灰白色の塊。片耳も尻尾も力なく垂れて、見た目だけならただのぬいぐるみだ。


「……お前」


 怒りが先に来た。


 私は咳き込みながらぬいを掴み上げた。


「何してんだよ!」

「……」

「消えたくないのは分かった! だからって私を中から食おうとすんな!」


 ぬいはぐったりしたまま、かすかに目だけ開ける。


「すまん......」

「謝って済むか!」

「それでは、済まんな」

「知ってるよ!」


 そこまで怒鳴って、私は息を切らした。


 捨てたい。

 今すぐ投げたい。

 でも、指が離れない。


 ぬいは小さい。本当に弱っていて、今にも消えそうで、それでも最低なことをした。


 その両方があるから、余計に腹が立つ。


 朔夜が低く言った。


「今日は連れて帰る。切り離しは後だ」

「後っていつだよ」

「お前がもう少しまともな時」

「毎回それ!」


 でも反論しきれないくらい、まだ胸が痛かった。


 ぬいは私の手の中で、ほんの少しだけ震えた。


「……消えとうなかっただけなんじゃ」

「まずは相談しなよ、そ・う・だ・ん」


 私はそう言って、結局、ぬいを放れなかった。

挿絵(By みてみん)



 ここまで読んでくださってありがとうございます。


 今回は、夜刀やとに刺されたあとの余波を引きずったまま、ぬいの異常な密着と、とうとう乗っ取り未遂まで行く回でした。

 大きな怪異そのものより、**いつもの相棒枠が、ちょっとずつ“そっち側”へ寄ってきている**嫌さを優先しています。


 ぬいは今回、はっきり「消えたくない」側の本音を出しました。

 でも、その本音がそのまま可哀想にはならず、きっちり最悪の形で出てくるのが、この毛玉の厄介なところです。


 ゆらにとっては腹が立つし怖いし捨てたいのに、完全には放れない。

 そのぐちゃっとした関係ごと、次回もう少し悪化します。


■今回の登場人物


影森かげもりゆら

 ぬいに深く噛みこまれ、一瞬だけ境界の底へ落ちた主人公。怒るのが正しいのに、最後まで完全には放れない。相談しなさいと優しくしかる。


夜見よみ朔夜さくや

 現場でぬいの異常な噛みこみに気づき、即座に引き戻した怪異相談屋。切り離しは危険と判断し、今回は観察と保留を選んだ。


・ぬい

 今回の本命。朝から異常に離れず、現場ではついにゆらの中へ入ろうとした。最後に漏れた「消えとうない」は本音だが、やり方が最悪すぎる。


夜宵やよいるな

 ぬいの異常な機嫌の悪さに最初に触れた親友。今回は見えないなりに、ゆらの“いつもと違う”をちゃんと怖がっている。


夏目なつめ透羽とわ

 「それ、ゆらじゃない」と最初に言い切った子。見えていないはずなのに、ズレた瞬間だけは妙に正確。


白澤しらさわ幽々《ゆゆ》

 静かにゆらを支え、場の空気の悪さを受け止める側。今回は騒がないぶん、いちばん早く危険の深さを理解している。


■今回の帳尻


・金銭帳尻

 軽案件の処理費は通常運転。高額呪具の新規消費はなし。ただし、ゆら側の不安定化により今後の維持コストは上がりそう。


・死の帳尻

 鏡案件中に一瞬だけ境界へ落ちる形で、軽い死亡/仮死寄りの停止あり。朔夜の即時引き戻しで帰還。


・境界記録局四課・帳面書き

 対象:影森かげもりゆら

 今回処理:浅い死亡接触一回

 備考:ぬいによる霊体側への深部干渉確認。通常怪異接触とは別ラインの危険として要注意。


鬼灯ほおずきなゆの状態

 今回直接の登場なし。

 ただし、ゆらの死亡接触が続いているうえ、記帳対象に**ぬい由来の深部干渉**まで重なったため、四課側の帳尻処理負荷はさらに上昇。前話までの未記帳・猶予分も含め、なゆ側の余白はかなり削られている想定。


・構造帳尻

 ゆらが危ない、だけではなく、ぬいがゆらへしがみつかないと危ない段階へ入りつつある。依存と寄生の境目が、かなり嫌な形で崩れ始めている。


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