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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第三章 花嫁の名前を知らないまま(夏~秋)

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配信71回目 ぬいが離れない

 昨日、私は川で一度ちゃんと死んだ。

 戻ってきたはずなのに、今日は朝から何かが近すぎる。

 しかも、その“何か”は、ずっと肩の上にいる。


 翌朝、ぬいは最初から機嫌が悪かった。


 ――いや、機嫌が悪いというより、妙に私との距離が近い。


 枕元。顔の横。歯を磨こうと洗面台へ行けば肩。制服に着替えようとすれば鞄の中。視界のどこかに必ず灰白色の毛玉がいる。しかも今日は、こっちが「暑いから離れろ」と言っても、ほとんど動かない。夏だぞ、今は。


「……なんなの、今日」


 私は鏡越しにぬいを睨んだ。


 ぬいは洗濯機の上に座ったまま、へたれた片耳だけぴくりと動かす。


「暑いんじゃ」

「じゃあなおさら離れろ」

「暑いのと離れたくないのは別じゃ」

「その返し初めて聞いたんだけど。てか今真夏なんですけど?」


 昨日の川原から、ずっとこうだ。


 夜刀やとに会って、最後の保険札まで失って、そのまま帰って寝た。寝たはずなのに、眠りは浅かった。川の匂いがまだのどの奥に残っている。喉だけじゃない。胸の奥、目の裏、足首のあたりまで、まだあの“席に合わせられた”感触が残っていた。


 なのに、その上からぬいまで張りついてくる。

 正直、だいぶしんどい。


 学校へ着いても、ぬいは離れなかった。


 机の中に潜り込み、昼休みには膝の上、移動教室では鞄の持ち手にしがみついてくる。周りには見えない存在(ぬいが見せようとしない限り)だからまだいいけど、見えていたらだいぶ怪しい女であることは間違いないだろう。


「ゆらちゃん、今日のぬい、機嫌わるいねぇ〜」

 るなが私の肩越しを見ながら言った。


「機嫌っていうか、なんか離れない」

「甘えてるんじゃなぁい〜?」

「そんな可愛い理由なら助かる」


 透羽とわが前の席から身をひねる。

「いや、それ甘えじゃなくない? なんか……貼りついてる感じ」

「貼りつくって言うな」

「でも今日のぬい、近すぎるじゃん。ビジュはぬいぐるみなのに中身だいぶ怖い」

「急に褒めて落とすな」


 幽々《ゆゆ》は私の鞄の口を見て、ぼそっと言った。


「怒ってるんじゃないと思う」

「じゃあ何」

「......焦ってる」


 その一言が、スンと、胸に入ってきた。


 るなが何気なく私の肩のあたりへ手を伸ばす。


「ぬい、おいでぇ〜?」


 その瞬間だった。


 ぬいが、ほんとうに珍しく低く唸った。


「……っ!」


 るなの手が止まる。


「え」

「ごめん、るな。今日たぶん触らないほうがいい」

「えぇ〜? ぬい、るなのこと嫌いになったぁ〜……?」

「そういう感じじゃない」

 透羽がぬいを見たまま言う。

「近づけたくないんだと思う」


 ぬいはそれを否定しなかった。

 ただ私の肩口へ、爪だけ少し深く立ててきた。


     ―――――


「で、なんで放課後に、こいつ連れて事務所来てんの私」


 夜見(よみ)よろず相談事務所のドアを開けた瞬間、私はそう言った。


 朔夜さくやは机の上の書類を見たまま、面倒くさそうに答える。


「離れないなら連れてくるしかないだろ」

「もっと他に言い方ない?」

「ない」

「あるだろ普通に」「ゆら大変だねとか」「バイト代増やしてあげようか?とか」

「暑さでバカになったかお前」

「うるさい!暑いんだよ」

「とにかく仕事だ」


 今日は軽案件だった。


 古いマンションの一室で、「鏡越しにだけ位置がずれる」。立っている場所は変わってないのに、鏡の中では肩ひとつぶん横へずれる。笑って済ませるには気味が悪く、命に関わるには弱い。そういう、ちょうど嫌な案件。


 だからこそ、ぬいの異常がよく目立った。


 現場は六畳ほどの部屋だった。白い壁。安いカーテン。生活感の薄い一人暮らし用の部屋。正面の姿見だけがやけに大きくて、入った瞬間からぬいの毛が逆立った。


「やだ、なんか今日いつもより分かりやすく嫌」

「感度が上がってる」

 朔夜が短く言う。

「影森、鏡の前」

「なんで毎回私が」

「いちばんズレを拾いやすいから」

「その適性ほんといらない」


 しぶしぶ鏡の前に立つ。


 映った私は、ちゃんと私だった。濡れてない制服。少し顔色の悪い女子高生。肩には灰白色のぬい。そこまではいい。


 でも、瞬きをした瞬間、鏡の中の私だけが半歩ぶん横へ滑った。


「……っ」


 ずれた。


 身体じゃない。像だけが、ぬる、と横へ行く。


「見た」

「どれくらいだ」

「肩ひとつぶん」

「十分」


 朔夜が札を取り出そうとした、その前だった。


 ぬいがいきなり私の首元へ食いこんだ。


「いっ……!」


 痛いというより、冷たい。爪が皮膚へ刺さったんじゃない。もっと内側、霊体の輪郭みたいなところへ、ぬいの気配が深く噛みこんでくる。


 その瞬間、視界が反転した。


 鏡の部屋じゃない。


 匂いが先に来る。湿った布。古い毛。獣じみた飢え。消えかけたものが、自分の形を保つために必死で何かへしがみついている、そういう温度。


「……な、に、これ」


 見えたのは、ぬいの見ている世界だった。


 人の形は輪郭じゃなく“居座り方”で見える。部屋の中の鏡は、ただのガラスじゃなくて“消えそうなものが映りたがる穴”に見える。私の身体は、白くて温かくて、しかも今ちょっと壊れやすい、ものすごく都合のいい足場みたいに見えた。


 気持ち悪い。


「影森!」

 朔夜の声が遠い。


 呼吸が止まる。


 鏡の前に立っていたはずなのに、足元が一瞬なくなった。川でもないのに、水に落ちる直前みたいな浮遊感が来る。心臓がひゅっと縮んで、そのまま息が抜けた。


「っ、は――」


 出ない。


 世界が一瞬だけ無音になる。


 そこで、たしかに私は落ちた。


     *****


 次に息が入った時、私は床に膝をついて咳き込んでいた。


「げほっ、げほ……!」


 胸が痛い。喉も痛い。しかも、肩にまだぬいがいる。


「お前、何した……!」

 半泣きで怒鳴ると、ぬいは珍しく言い返さなかった。


 朔夜がしゃがみこみ、私の顎を持ち上げて瞳を確認する。触り方は雑なのに、目だけ冷静だ。


「……噛み込みが深い」

「そういうの先に言えよ」

「今言ってる」

「切れよ!」

「今は剥がすな」


 即答だった。


「は?」

「無理に切ると、お前の霊体側まで裂ける」

「じゃあどうすんの」

「様子を見るしかない」


「一番聞きたくないお医者の台詞なんだけど」


 朔夜は眉を寄せたまま、ぬいを見る。


 ぬいは私の肩から降りない。降りないどころか、いつもより小さく丸まって、私の首元へ額を押しつけていた。


 それが妙に、怯えている生き物みたいで、余計に腹が立つ。


「……なんなの、ほんと」


 案件自体は、そのあと朔夜がさっさと片づけた。

 鏡のズレは封じられ、依頼人は泣きそうな顔で何度も頭を下げて、部屋は普通の嫌な部屋へ戻る。


 でも私の中では、そっちよりぬいのほうがよっぽど問題だった。


     ―――――


 帰り道、ぬいはまた黙っていた。


 夜の風は少しぬるい。昼の熱を引きずったアスファルトの匂いがする。私は喉の違和感と肩の重みを抱えたまま、ひたすら不機嫌だった。


「……今日のあれ、何」


 ようやく聞くと、ぬいは私の肩の上で耳を伏せた。


「暑い」

「今さらその言い訳する?」

「鏡が嫌い」

「知ってる」

「水辺も嫌いじゃ」

「それも知ってる」


 少しだけ沈黙が落ちる。


 街灯が一本、私たちの影を長く伸ばした。

 その影の中で、ぬいの輪郭だけが少し薄い。


「……離れたら消えそうなんじゃ」


 かすれた声だった。

 独り言みたいで、でもちゃんと私へ向いている。


「は?」


「おぬしが、ではない」

 ぬいは低く言う。

()()()()()


 言葉が止まる。


 ぬいは、しばらく黙ったあと、ほんとうに小さな声で続けた。


()()()()()()


 それは、ぬいにしてはあまりにもまっすぐな本音だった。


 いつもみたいな小悪党ぶった言い方じゃない。面倒くさい言い回しも、偉そうな語尾もない。ただの、消えたくない、だった。


 私はしばらく何も言えなかった。


 腹は立つ。

 怖い。

 でも、それだけでもない。


 こいつが今しがみついているのは、たぶん私を失いたくないからでもあるし、私にしがみついてないと自分が消えるからでもある。その両方が混ざっている。


 最低だ。

 でも、分かりやすく最低なだけじゃないぶん、余計に嫌だった。


「……それで、私の中に爪立ててくるの、だいぶ迷惑なんだけど」

「すまん」

「素直に謝れたの初めてじゃない?」

「たぶんの」


 少しだけ、笑いそうになった。

 でも、笑ったら何かを許したことになりそうで、やめた。


 夜の街は、昨日までと同じ形をしている。

 なのに私はもう、同じじゃないものばかり見つけてしまう。


 そして肩の上のぬいは、今日だけは本当に離れなかった。


 つづく


挿絵(By みてみん)

ここまで読んでくださってありがとうございます。


 今回は、夜刀に刺された翌日の余韻を引きずったまま、ぬいの異常な密着と変質を前へ出す回でした。

 大きな怪異よりも、「いつもの相棒みたいな存在が、ちょっとずつ違ってきている」ほうの嫌さを優先しています。


 ぬいはもともと小悪党で、助けにも迷惑にもなる存在ですが、今回はかなりはっきり“消えたくない側”の本音が漏れました。

 その本音が可愛いかというと、たぶんそう簡単でもなくて、しがみつき方そのものがだいぶ危ないのが、この回の嫌なところです。


 次回はこのまま、ぬい側の問題がもう少し露骨に前へ出てきます。

 たぶん、また軽くは済みません。


■今回の登場人物


影森かげもりゆら

 川の死の余韻を引きずったまま学校と事務所を往復する主人公。今回は鏡案件の途中で、ぬいに深く噛みこまれ、一瞬だけまた死んだ。


夜見よみ朔夜さくや

 現場でぬいの異常な噛み込みに気づいた怪異相談屋。切り離せないと即断したぶん、今回は対処より観察寄りの立ち位置になった。


・ぬい

 今回の主役。朝からゆらへ貼りつき、現場では霊体側へ深く噛みこんだ。最後に「()()()()()()」と本音を漏らしたが、かわいそうだけでは済まない危うさがある。


夜宵やよいるな

 昼休みにぬいの機嫌の悪さへ最初に気づいた親友。今回も日常側の空気を保っているが、ぬいには珍しく拒まれた。


夏目なつめ透羽とわ

 「貼りついてる感じ」と、ぬいの異常な近さを言い当てた転校生。見えていないはずなのに、ズレた部分だけは拾ってくる。


白澤しらさわ幽々《ゆゆ》

 「怒ってるんじゃなくて焦ってる」と、ぬいの状態を一番正しく言語化した子。今回も静かに核心へ触れている。


■今回の帳尻


・金銭帳尻

 軽案件の処理費は通常運転。新しい高額呪具の消費はなし。ただし、ゆらの状態悪化により今後の維持コストは上がりそう。


・死の帳尻

 鏡案件中に一瞬だけ境界へ落ちる形で軽い死亡/仮死寄りの停止あり。朔夜の即時引き戻しで帰還。


・境界記録局四課・帳面書き

 対象:影森かげもりゆら

 今回処理:浅い死亡接触一回

 備考:ぬいによる霊体側への深部干渉確認。通常怪異接触とは別管理が必要な可能性あり。


・構造帳尻

 ゆらが危ないのではなく、ぬいがゆらにしがみつかないと危ない段階へ入りつつある。依存と寄生の境目が崩れ始めている。


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