配信68回目 川辺で肉を焼くだけのはずだった
みんなで夏休みっぽいことをしよう、という話になった。
川辺で肉を焼いて、ラムネを飲んで、だらだらするだけのはずだった。
たぶん、それを言い出した時点で何かが、少しだけ間違っていた。
翌朝、駅前の集合場所に着いた時点でもう暑かった。
朝なのに空気がぬるい。改札を出た瞬間、アスファルトの照り返しが脚にくる。今日ほんとに川辺へ行くのか、やめて冷房の効いた店でだらだらしないか、と三回くらい思ったけど、そこで引き返せるなら最初から来ていない。
「ゆらちゃぁぁぁ〜ん、こっちぃ〜!!」
るなが両手をぶんぶん振っていた。小柄な体に、麦わら帽子、ミニリュック、肩から下げた保冷バッグ。そしてその背丈に見合わない巨大な山。彼女だけ見れば、どう見ても小学生の遠足である。――引率者は私か?
透羽はすでにスポドリを二本持っていて、幽々《ゆゆ》は虫よけスプレーとウェットティッシュを確認していた。準備の方向性が全員で違うのが面白い。
「おはよ」
「ゆらちゃん、まだ顔しんでるぅ〜」
「朝イチで縁起悪いこと言うなって」
「だってぇ、今日も普通にしんどそうだしぃ〜」
「それはちょっと思う」
幽々が静かに言葉を重ねる。
透羽が私の顔を見て、ふっと目を細めた。
「でも昨日よりはマシじゃん。ビジュちょい回復してる」
「その評価の仕方やめろ」
「え、褒めてるけど?」
「そういうのが軽いんだよ」
「軽くない夏休みとか逆に無理っしょ」
何か、言い返しかけて、やめた。
その“軽さ”に助けられているのは、たぶんこっちだ。
電車を乗り継いで、さらにバスに揺られて、街の外れの川辺まで出る。中京圏最大級の街、とか言いながら、少し離れるだけで急に空が広くなるのがこの街のずるいところだ。高架も雑居ビルも地下街の入口も見えなくなって、代わりに草の匂いと水の光が前に出てくる。
「え、めっちゃ夏!」
透羽が先に声を上げた。
川は思っていたよりきれいだった。浅い流れが陽射しを細かく跳ね返して、岸辺にはすでに何組か人がいる。小さい子どもの声。遠くで上がる若者たちの笑い声。風に混じる焼けた肉の匂い。
ここは普通だ。普通すぎて、ちょっとだけ安心した。
私は無意識に財布の内ポケットを触る。
札は一枚だけ、まだそこにあった。
昨夜の夢のあと、二枚のうち一枚は黒ずんで裂けていた。あれを夢で済ませないくらいには、私はもうこの夏休みに信用を置いていない。
「影森ぃ、荷物こっち」
透羽が呼ぶ。
「なんで私が雑用係なんだよ」
「いちばん文句言いながらちゃんとやるタイプだから」
「最悪な観察力してんな」
「それなー」
「お前が言うな」
るなはシートを広げる前から保冷バッグを開けようとしていた。
「まだ早い」
私が言う。
「えぇ〜?」
「えぇ〜じゃない。肉はまだ焼けてない」
「じゃあ、お菓子ぃ〜?」
「それもまだ」
「厳しぃ〜……」
「るなは食べ物に関してだけ、五歳児になるよね」
透羽が笑う。
「それはちょっと分かる」
幽々まで頷いた。
ぬいは最初、保冷バッグの陰で「外は暑い」「川は湿気が気に食わん」「肉の匂いが下品じゃ」と文句を垂れていたくせに、コンロに火が入ったあたりでしれっと私の足元へ寄ってきた。
「お前、結局めっちゃ来てるじゃん」
「誰が好き好んで来た。供物の監視じゃ」
「ただの食欲だろ」
「失礼な。われは霊獣ぞ」
「肉に鼻ひくひくさせてる毛玉が言うな」
火が安定すると、幽々が静かに網を置く。透羽が肉を並べ、るなが横で「まだぁ〜?」を繰り返し、私は紙皿と箸を配る。たぶんこれが、私たち四人の役割分担としていちばん綺麗なんだろうと思う。るなは場を明るくして、透羽は空気を回して、幽々は黙って抜けを埋める。
私は、たぶんツッコミと現実と死亡担当。あ、最後は忘れて。私も忘れたい。
「焼けたぁ〜?」
「まだ」
「これならぁ〜?」
「それは生」
「厳しぃ〜……」
「だからるなは待て」
透羽がラムネ瓶を持ち上げた。
「影森、これ開けて」
「なんで」
「こういうの得意そう」
「どこ情報だよ」
「顔」
「顔でラムネ適性判断すんな」
結局開けた。るなが拍手して、透羽が「やっぱ有能じゃん」と言い、幽々が小さく笑った。
その瞬間だけ、私は完全に油断した。
普通の夏休みだ、と思ってしまった。
肉はちゃんとおいしかったし、るなは予想通り食べすぎたし(相変わらずどこに入ってんだそれ案件)、透羽は川に足を入れて「冷たっ」と騒ぎ、幽々は濡れない位置をきっちり選びながら景色だけ見ていた。私も靴を脱いで、水際まで行った。
冷たい。
そこで一瞬だけ、昨夜の夢がよぎった。
白い背中。水の底。足首に絡んだ冷たい指。
「……」
「ゆらちゃん?」
るなが振り返る。
「だいじょぶぅ〜?」
「うん。平気」
「ほんとぉ〜?」
「ほんと」
そう答えながら、水面を見る。
昼の川だ。明るい。浅い。子どもが石を投げて遊んでいる。夢の川辺とは違う。違うのに、喉の奥だけ少し冷えた。
気づけば、幽々がこっちを見ていた。
「思い出した?」
「……何を」
「昨日のやつ」
私は肩をすくめる。
「顔に出てた?」
「ちょっとだけ」
「最悪」
でも、幽々はそれ以上言わなかった。言わないまま、視線を水面から外して、火のほうへ戻る。こういうところがありがたい。
昼を過ぎて、風が少しだけ涼しくなる。るなが「写真とろぉ〜!」と言い出したのは、その頃だった。
「今のうち、今のうちぃ〜! まだみんな元気そうだしぃ〜!」
「“まだ”って何」
「夏のおでかけって、後半だいたいみんな死んでるじゃん?」
透羽が言う。
「それは分かる」
「分かるんだ」
スマホを石に立てかけて、タイマーをセットして、四人で寄る。ぬいは当然のようにるなの腕の中へ収まっていた。
「もっと寄ってぇ〜」
「暑い」
「影森、顔かた」
「うるさい」
「幽々ちゃん、もうちょいこっちぃ〜」
「今行く」
シャッター音が何度か鳴る。
撮れた写真をその場で確認して、みんなで笑った。るなの笑顔がぶれていたり、透羽が変な顔してたり、私だけ半目だったり、幽々がいちばんちゃんと写ってたり。そういう、あとで見返したらたぶん少しだけ恥ずかしい普通の写真だ。
でも、三枚目で、幽々の指が止まった。
「……ねえ」
声が低い。
「人数、数えた?」
るなが首をかしげる。
「えぇ〜? 四人とぉ、ぬい〜」
「五人+一匹じゃん」
透羽が笑う。
「なに、急にこわいこと言うやつ?」
「……そうじゃなくて」
幽々が画面をこっちへ寄せる。
私は写真を見る。
火の粉じゃない。水しぶきでもない。光の飛びでもない。
るなの肩の少し後ろ、水辺へ続くあたりに、白いものが一つだけ写っていた。
レジャーシートにも見える。
背中にも見える。
でも、昼間の写真に混ざる白さじゃない。
昨夜、夢で見たあの白さに、少し似ていた。
「……これ」
喉の奥が、また冷える。
さっきまでただの夏休みだった景色が、スマホの画面の中で、少しだけ別のものへ変わって見えた。
つづく
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、第三章の夏イベント前半として、できるだけちゃんと「楽しい夏休み」をやる回でした。
るな・透羽・幽々・ゆらの四人で動くと、いつもの怪異案件とは違う軽さが出るので、そのぶん最後の写真一枚が嫌な形で残る回になったと思います。
67話で使った保険の札の余韻も、今回は少しだけ残しています。
何も起きていないように見える日ほど、実はもう先回りされている、という感じが少しでも出ていたら嬉しいです。
次回は、この写真の白いものが何なのか、もう少しはっきりしてきます。
■今回の登場人物
・影森ゆら
普通の夏休みをやるつもりだったのに、結局は水辺の冷たさに昨日の夢を重ねてしまう主人公。楽しい時間の中でも、完全には気を抜けていない。
・夜宵るな
夏休み初日から川・肉・ラムネで全力の親友。空気を明るくする能力が高く、こういう回では本当に強い。食欲もいつも通り強い。
・夏目透羽
即乗る、即仕切る、即煽る夏休み適性が高い転校生。軽いノリで場を回しつつ、気づいたら一番テンポを作っている。
・白澤幽々
静かに必要物を揃え、火のことも虫よけもきっちり見ている実務型。今回は最後の「人数、数えた?」で、一気に空気をひっくり返した。
・ぬい
文句を言いながら結局ついてくる半寄生霊獣。肉の匂いには勝てない。
■今回の帳尻
・金銭帳尻
追加出費は表向きなし。ただし、前話で消費した保険札一枚の請求は保留中。
・死の帳尻
今回は本編内で新規死亡なし。前話の夢内溺死の余韻継続。
・境界記録局四課・帳面書き
対象:影森ゆら
今回処理:新規記帳なし
備考:水辺接触兆候、継続観測対象。
・構造帳尻
遊びの記録であるはずの写真に、“楽しかった証拠”ではない白いものが一枚だけ混ざった。日常の側へ、もう向こう側が先回りしている可能性が高い。
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