配信69回目 夜の川原に、一人ぶん多い
楽しかった写真に、知らない白いものが一つだけ混ざっていた。
そういう時は、だいたい気のせいじゃない。
今回は、川原で人数が合わなくなります。
写真に写った白いものを、最初に「気のせい」で流そうとしたのは透羽だった。
「いや、火の粉とか水しぶきじゃない? 夏の写真ってこういうの盛れがちじゃん」
言いながら笑っていたけど、声の軽さは、少しだけ浮ついていた。
るなはスマホをのぞきこんで、「えぇ〜、でもたしかに白いねぇ〜」と首をかしげる。幽々《ゆゆ》は何も言わない。ただ、画面から目を離さない。何を考えているのだろう。
私も笑って流せればよかった。
でも、あの白さを知っている。
昨日の夢の川辺。水際に伏せていた、白い背中みたいなもの。浅瀬のはずなのに、あっさり足元を消してきた冷たい手。
「……もう、帰ろっか」
自分でも少し早いと思うタイミングで、私は言った。
「えぇ〜? もうちょいだらだらしよぉ〜」
「暗くなると足元見えづらいし」
幽々が静かに重ねる。
「......片づけたほうがいい」
るなは口を鳥のように尖らせたけど、幽々が言えばだいたい従う。透羽も「じゃあラストで飲み切って、片づけよ」と空のペットボトルを振った。
日が落ちかけていた。
昼間はあんなに明るかった川辺が、夕方になるだけで急に他人行儀になる。
水面の反射は鈍くなり、草むらの影は濃くなって、遠くの笑い声も少し遠ざかる。子どもの声も、風も、虫の音も、全部あるのに、さっきまでより一段だけ世界が静かだった。
ぬいが、私の足元で妙に黙っていた。
こいつが何も言わない時は、だいたいろくでもない。――いうときもだが。
片づけを始めてすぐ、幽々の手が止まった。
「……ねえ」
その声で、全員が振り向く。
「人数、数えた?」
るなが、紙コップを持ったまま目を丸くする。
「えぇ〜? 四人とぉ、ぬい〜」
「五人+一匹じゃん」
透羽が笑った。
「なに、まだ写真気にしてるやつ?」
「そうじゃなくて」
幽々は足元を見たまま言う。
シートの端。紙皿。割り箸。飲みかけのラムネ。片づけたはずのゴミ袋。そして、白い紙コップが一つだけ、多い。
「……これ、誰の」
誰も答えなかった。
透羽が「予備でしょ」と言いかける。けど、その前にるなが小さく言った。
「さっきまでいた子、どこ行ったのぉ?」
空気が止まった。
「……は?」
自分の声が、嫌なくらい平らだった。
「白いの持ってた子ぉ……。るなたちの後ろにいたよねぇ?」
るなは、本当に見たままを言っている顔だった。
そこに悪気も、盛りも、怖がらせようとする気配もない。だからこそ一番まずい。
透羽がいつもより少しだけ早口になる。
「るな、それ見間違い。てか人いたなら普通に私も気づくし」
「見間違いなら、コップは増えない」
幽々が即座に返した。
その一言で、笑っていた透羽の口元が止まった。
私は財布の上から、内ポケットの札を触る。
残り一枚。
薄い紙なのに、指先だけが冷える。
その時だった。
川の向こう側。少し離れた岸の、ちょうど木の影が濃く落ちているあたりに、何かが見えた。
椅子だ。
折りたたみの簡易チェアみたいな、小さな席。そこだけ、妙にきちんと一人ぶんの場所がある。紙コップみたいな白いものも見える。誰も座っていないのに、座る前提で置かれたみたいな、不自然に整った空席。
「……あれ」
「影森?」
幽々が私を見る。
ぬいが、やっと口を開いた。
「見るでない」
「何あれ」
「埋めたがる席じゃ」
背筋が冷える。
「空いとるから、誰かを座らせたがる」
「最悪の説明を一番短く言うな」
なのに、目が離せない。
誰も座っていない。
でも、そこだけ“誰かがいた形”が残りすぎていた。来なかった人の席じゃない。戻れなかった人の席だ、と、見た瞬間に分かってしまう嫌さがある。
白いものが動いた気がした。
布じゃない。光でもない。背中だ。
「ゆらちゃん」
るなが不安そうに呼ぶ。
一歩、踏み出した。
「ちょ、影森!」
透羽の声が飛ぶ。
分かってる。近づくべきじゃない。昨日の夢だって、こうだった。水辺に白いものがあって、そこへ足を向けた瞬間に――
足首に、冷たいものが絡んだ。
「っ」
次の瞬間、背中に硬い感触があった。
座面だ。
立っているのに、膝の裏だけが急に折れる。見えない椅子に無理やり座らされたみたいに、腰が落ちる。首の後ろを誰かに押された。
「いや――!」
そのまま、浅瀬のはずの川へ引きずりこまれる。
水が一気に胸元まで来た。
おかしい。さっきまで子どもが遊んでいた深さじゃない。私の周りだけ、底が抜けたみたいに暗い。
「ゆらちゃん!!」
るなの悲鳴が聞こえた。
透羽が走る音。幽々が「そこ、深さちがう!」と叫ぶ。ぬいが唸る。
でも、遅い。
見えない何かが、背中を押したまま離さない。座れ、と言われている。足りなかった一人に数えられるみたいに、私の身体だけがその席にぴたりと合っていく。
「やだ、やだ……っ」
水が口に入る。
息ができない。
喉の奥が焼ける。
川の底に、白いものが見えた。
背中。紙コップ。空いた席。誰かの帰れなかった形。
あ、これ――ほんとに死ぬ。
肺が縮む。視界が暗くなる。遠くでるなが泣きそうな声を出していて、透羽が何か悪態をついていて、幽々が私の名前を呼んでいるのに、どれも遠い。
音が切れた。
身体の感覚も切れた。
水の冷たさだけが最後まで残って、それすら薄くなる。
―――――
「息してない!」
透羽の声が、どこか遠くから落ちてきた。
「ゆらちゃん、やだ、やだぁ……!」
「離れて、るな! 今――」
自分の身体を見下ろしている、と思った。
川辺に倒れている。濡れた髪。青い顔。動かない胸。透羽が唇を噛んで、幽々が震える手で私の肩を支えて、るなが半泣きで名前を呼んでいる。
死んだ。
それだけは、はっきり分かった。
その瞬間、財布のあたりで乾いた音がした。
ぱき、と何かが裂ける。
白い線が一瞬だけ胸元から走って、私の身体と、どこか上のほうを無理やり繋いだ。引っ張られる。落ちるんじゃなく、戻される。
次に来たのは、すさまじい痛みだった。
「っ、げほ……ッ!!」
気づいた私は、思いっきり水を吐いた。
肺がひっくり返る。喉が裂けそうに痛い。目の前でるなが「うわぁぁん!」と泣きながら抱きつこうとして、幽々が「るな、まだだめ」と止めている。透羽は膝をついたまま、息だけ荒かった。
「……やば」
透羽が低く言う。
「今の、まじでやばい」
私は咳き込みながら、震える手で財布を探った。
札は、なくなっていた。
代わりに、黒く焼けた紙片みたいなものが指先に触れて、ぼろ、と崩れた。
「……最後の、やつ」
「何?」
幽々が聞く。
「保険……終わった」
それだけ言うのが精一杯だった。
その時、不意に、誰かが笑った。
川原の端。
薄暗くなった土手の上に、男が一人立っていた。
見覚えがある。
あの、最悪の先輩。帰還者。夜刀――。
夏の終わりみたいな、軽い顔でこっちを見下ろしている。
「やっぱ埋めにきたな」
るなが息を呑む。
「……だれぇ?」
透羽の顔から、さっきまでの軽さが消えていた。幽々は私の前へ半歩出る。
男は、濡れた私を見て、少しだけ目を細めた。
「その席、お前に合ってたろ」
喉が、さっきとは別の意味で冷えた。
(朔夜――......)
つづく
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、68話の楽しい川辺回をちゃんとひっくり返すための後半でした。
写真の白いもの、増えた紙コップ、るなの無邪気な一言、そして“空いた席”。日常側のまま怪異が数を合わせにくる、というのをやりたかった回です。
そして今回は、ゆらを確実に一度落として、最後の保険札も使い切りました。
これで次からは、軽い保険なしの状態になります。夏イベントの空気はまだ続きますが、だいぶ笑って済ませにくくなってきます。
最後に出てきた帰還者も含めて、次回からまた空気が一段変わります。
■今回の登場人物
・影森ゆら
“空いた席”に数を合わせられ、川へ引かれて確実に一度死んだ主人公。戻ってはきたが、最後の保険も失った。
・夜宵るな
悪気なく「さっきまでいた子どこ行ったのぉ?」と言ってしまい、場の空気を一番最悪な角度でひっくり返した親友。こういうときほど、るなの無邪気さは怖い。
・夏目透羽
最初は軽く流そうとしたが、紙コップが増えた時点でさすがに笑えなくなった。明るく誤魔化す癖があるぶん、崩れた時の顔が早い。
・白澤幽々《ゆゆ》
数のズレに最初に理屈で気づいた子。今回は「見間違いなら、コップは増えない」がかなり強い。
・ぬい
珍しく早い段階から嫌な気配を察知していた半寄生霊獣。「埋めたがる席」と短く言ったが、短いぶん嫌な説明だった。
・帰還者
最後に現れた“最悪の先輩”。夏の終わりみたいな顔で出てきて、だいぶ空気を壊していった。
■今回の帳尻
・金銭帳尻
緊急用護符、二枚目まで消費。これで事務所支給の保険札は打ち止め。請求は重い。ゆら「まじ勘弁なんだけど」
・死の帳尻
川辺で確定死亡一回。溺死寄り。数を合わせる怪異に“席へ座らされる”形で落とされた。
・境界記録局四課・帳面書き
対象:影森ゆら
今回処理:死亡一回/緊急仮留め経由で帰還
備考:水辺接触、席型怪異との適合あり。要注意度上昇。
・構造帳尻
「一人ぶん多い」は、ただの見間違いではなく、空いた数に生きている側を当てはめる怪異だった。遊びの延長ではなく、最初から“埋めるための一席”があった可能性が高い。
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