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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第三章 花嫁の名前を知らないまま(夏~秋)

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配信66回目 なゆさんは、また書かなかった ――ねぇ、なんで?

 書かれるはずの記録が、たまに抜ける。

 助かった、では済まない種類の空白がある。

 今回は、その白い一行の話です。

 喉が痛かった。


 目を開けた瞬間、最初に来たのがそれで、次に来たのが、ああまたやったな、といういい加減、慣れた実感だった。


 夜見(よみ)よろず相談事務所のソファ。薄い毛布。机の上には空き缶と書類と、飲みかけのペットボトル。いつも通り終わっている景色なのに、自分の喉だけが妙に現実味を持って痛む。


「起きたか」


 低い声がして、私はゆっくり顔を上げた。


 夜見(よみ)朔夜(さくや)が机の横に立っている。今日は開口一番の請求ではなく、黙ってミネラルウォーターを差し出してきた。


「……なにそれ」

「水だ」

「見れば分かる」

「じゃあ聞くな」


 受け取る。冷たい。その液が喉に落ちるたび、昨日の最後の感触が少しだけ蘇る。言い切れなかった声。喉に絡みついた、知らない誰かの「好き」と「助けて」と「行かないで」。


 私はペットボトルを握ったまま、低く言った。


「昨日、()()()


 朔夜は何も返さない。


「帳面」

「……」

「また、書いてなかった」


 そこでようやく、朔夜の目がわずかに細くなった。


 否定しない。見間違いだとも言わない。その時点で、もう答えみたいなものだった。


「……あいつ(なゆ)がやるなら、理由はある」

「その言い方きらい」


 私はそう言いながら、毛布を押しのけて起き上がる。まだ少しふらつく。ぬいが窓枠の上で丸くなったまま、片目だけ開けた。


「今日は朝から機嫌が悪いのう」

「毎回そうだろ」

「今日は別種じゃ」


 うるさい毛玉を無視して、私は朔夜を見た。


「勝手にかばわれるの、普通に嫌なんだけど」

「だろうな」

「私のせいであっちが困ってるの、さらに嫌」


 朔夜は少しだけ黙ったあと、机に寄りかかった。


「聞きに行くなら止めない」

「止めろよそこは」

「止めても行くだろ」

「……まあ、行くけどさ」


「ただし」

 低い声が一段落ちる。

「勝手に向こう(あの世)へ落ちるな」


 その言い方が、昨日の「触るな」と同じで少しだけ腹立たしい。腹立たしいのに、昨日ほど素直に噛みつけなかった。朔夜クズの癖に――。


     ―――――

 

 昼の学校は、昨日までと変わらず騒がしかった。


 変わらないはずなのに、私だけ少し遅れている。みんなと同じ速度で喋って、同じ速度で笑っているふりをしながら、喉の奥ではまだ昨日の白い糸みたいな感触が残っていた。


「ゆらちゃん、声へんだよぉ〜?」

 るなが顔をのぞきこんでくる。


「昨日ちょっとやらかした」

「ちょっとでそうなるぅ〜?」

「ちょっとの定義がこの人おかしいから」

 透羽とわが横から言った。

「てか昨日のボイスのやつ、うちの学年でも回ってる。『最後だけ聞こえないの、ガチでキモい』って」


 幽々(ゆゆ)は飲みかけの牛乳を置いて、ぼそっと言う。


「今日、窓に白い紙みたいなの見えた」

「やめて」

「ただの紙じゃない」

「もっとやめて」


 透羽が、珍しく少しだけ声を落とした。

「……影森って、今日ほんとに顔しんどそーね」


「やめろ、その言い方」

「普通にマジのやつなんだけど」


 私はそこで視線を逸らした。


 軽口のままいける空気だった。たぶん、ここで笑ってごまかすのが普通だった。でも、今日はだめだった。ごまかしきれない場所で、昨日の白い帳面がずっと引っかかっている。


 放課後、私は一人で校舎の端へ向かった。


 保健室棟のさらに奥。普段はあまり人が来ない、小さな相談室の並ぶ廊下。ここだけ空気が薄くて、白い。病院とも学校とも違う、妙に音の吸い込まれる感じがある。


 いちばん奥の扉が、少しだけ開いていた。


 ノックをする前に、中から静かな声がした。


「どうぞ、影森(かげもり)さん」


 やっぱり、いる。


     *****


 部屋の中は、やけに白かった。


 白い机。白いカーテン。白い壁。消毒液みたいな匂いすらしない。何もない清潔さだけが揃っていて、逆に落ち着かない。


 鬼灯(ほおずき)なゆは、その中央に座っていた。


 白い髪。白っぽい服。白い帳面。相変わらず、存在感のほうが色より淡い。


「こんにちは」

「こんにちは、じゃないんだけど」


 私は椅子にも座らず言った。


「なんで、また書かなかったの」


 なゆはすぐには答えなかった。


 白い帳面の端を、指先で静かになぞる。その仕草が、昨日の死後側と同じだった。


「記録処理には優先順位があります」

「そういうのじゃなくて」

「即時記帳が最適でない場合もあります」

「そういうのでもなくて」


 声が少し強くなる。


()()()()()()()()()()()()()


 なゆの目が、ほんの少しだけこちらへ上がった。薄い琥珀(こはく)色。いつも穏やかで、たいてい何かを諦めたみたいな色。


「私のせいでそっちが困るなら、普通に嫌なんだけど」


 沈黙が落ちる。


 廊下の向こうで、誰かの足音がした。すぐに遠ざかる。この部屋だけ時間の流れ方が少し違うみたいで、その小さな音だけが妙にはっきり届いた。


 やがて、なゆが言った。


「非合理なんです」


「え」


「あなたの死に方は毎回」


 私は息を止めた。


「そういうものを、何度も書くのは嫌になります」


 静かな声だった。泣きそうでも、怒っているわけでもない。ただ、業務文書の一行だけが、途中で人の言葉に変わってしまったみたいな声だった。


「……嫌って、そっちでも思うんだ」


 なゆは少しだけ視線を落とす。


「記帳官にも、向かない記述はあります」

「それ、規則違反なんじゃないの」

「はい」

「即答なんだ」

「事実なので」


 私はそこで、ようやく椅子に座った。


 怒るつもりだった。勝手に貸しだの猶予だの付けられて、また知らないうちに助けられていることに文句を言うつもりだった。


 なのに今は、思っていたのと全然違うしんどさが胸のあたりにある。


「見せて」


 気づけば、そう言っていた。


「私のとこ」

「おすすめしません」

「でも見る」

「そういうところです」

「何が」

()()()です」


 なゆは、小さく息をついた。


 そして帳面を開く。


 私の名前。並んだ線。増えていく記録。その途中、一箇所だけが妙に白い。


 書かれるはずの位置だけが、空白のまま残っている。


 白い。ひどく白い。ページそのものより白く見えるくらいに。


「……ほんとに、抜けてる」


 見た瞬間、ぞわっとした。


 そこはただの余白じゃなかった。白いノイズみたいに揺れている。書かれなかった死が、言葉にも数字にもなれずにそこへ滞っている感じ。


 視界が一瞬だけ遠のいた。


 引かれる。


 足元じゃない。呼吸じゃない。名前の書かれていないその一行に、意識だけが浅く触れる。


「っ」


「影森さん」


 次の瞬間、私は真っ暗でも白でもない、中途半端な場所へ半歩だけ落ちていた。


 どこでもない。なのに、見覚えがある。死後側へ滑りかけた時の、温度も音も薄くなるあの境目。


 空白の一行が、そこに浮いていた。


 書かれなかった私の死が、文字ではなく、白いざらついた気配だけで残っている。


「戻ってください」


 なゆの声が近い。


「まだ、こちらです」


 細い手が私の手首を取る。


 ぐっと引かれて、視界が戻る。白い部屋。白い机。開かれた帳面。少しだけ乱れた私の呼吸。


 なゆは帳面をすぐ閉じた。


「余白は、無限ではありません」

「……」

「もう何でも抜けるわけではないんです」


 その言い方は、脅しではなかった。事務的な説明の形をしているのに、ちゃんと限界の告知だった。


「だから今回も、もう次で終わりとか言うの」

「そうは言っていません」

「言ってるようなもんでしょ」

「あなたは拡大解釈が得意ですね、ほんとに」


 私は少しだけ笑いそうになって、笑えなかった。

 そして、なゆさんは少しだけ、笑っているように感じた。実際は他の人が見たらほとんど変わらない顔だっただろうけど。


 この人は、たぶん本当に困っている。それでも、困っていると正面から言う役職じゃない。


 だからこういう言い方になる。


     ―――――


 同じ頃。


 白い画面の前で、別の報告が上がっていた。


「同一個体に対する記帳欠損、継続を確認」

「対象、境界記録局四課」

「関連監視対象、夜見朔夜周辺」


 報告を受けた白縫(しらぬい)めいは、細い指で資料の端を押さえたまま、しばらく黙っていた。


「記録不一致を監視対象へ移行しますか」


 冥はようやく視線を上げる。


「……また、ですか」


 短いその一言だけで、部屋の温度が少し下がった。


 管理線の向こうで、白いランプがひとつ点灯する。


 夏休みの前に、見られてはいけないものが、またひとつ増えた。


 つづく


挿絵(By みてみん)


 ここまで読んでくださってありがとうございます。


 今回は、65話ラストで残った「書かれるはずの一行が空白のまま」という違和感を、そのまま正面から拾う回でした。

 なゆはいつも業務の顔で立っていますが、今回はそこから少しだけ感情が漏れています。ゆらにとっては助けられている話のはずなのに、素直に安心できないのも、この作品らしいところかなと思います。


 そして最後は、冥側でも記録不一致が監視対象として動き始めました。

 夏休み前に少しだけ、日常の背中側が冷えてくる入り口になりました。


■今回の登場人物


影森(かげもり)ゆら

 死にたくないのに、帳面の空白まで自分で見に行ってしまう女子高生。今回は死ぬより先に、「書かれなかった死」が残る感覚を知ってしまった。


夜見(よみ)朔夜(さくや)

 怪異相談屋。今回は珍しく最初から請求より水を差し出した。止め方が不器用なので、だいたいゆらにキモがられる。


・ぬい

 半寄生霊獣。今回も朝から余計なことを言いながら、空気の悪さだけは正確に嗅ぎ当てていた毛玉。


夜宵(やよい)るな

 ふわふわしているのに、ときどき核心の手前を踏む親友。今回は「声へんだよぉ〜?」で、ゆらの無理をいちばん最初に拾った。


白澤(しらさわ)幽々(ゆゆ)

 静かな情報ハブ。今回は「窓に白い紙みたいなの見えた」と、短い一言で空気を悪くする役をきっちり担当。


夏目(なつめ)透羽(とわ)

 距離感が近くて、やっぱり言葉選びが少しズレる転校生。軽口の中に、普通の高校生はあまり使わない温度の単語が混ざる。


鬼灯(ほおずき)なゆ

 境界記録局四課きょうかいきろくきょくよんか記帳官きちょうかん。今回は「書かなかった理由」を初めて感情寄りに口にした。静かな顔のまま、いちばんしんどいところを引き受けている。


白縫(しらぬい)

 監視側の人。今回は最後の短い場面だけだが、「記録不一致」がすでに見逃されない段階に入ったことを示した。


■今回の帳尻


・金銭帳尻

 蘇生直後スタートのため、たぶん前話分の請求がそのまま継続中。今回の直接戦闘はなしだが、帳面側へ首を突っ込んだぶん、別方向で高い。


・死の帳尻

 本来は前話で一件追加済み。ですが今回も、記帳は未処理のまま。書かれるべき一行が白く残り続けている。


・境界記録局四課・帳面書き

 対象:影森(かげもり)ゆら

 今回記帳予定:前話死亡分一件

 処理状況:未記帳継続

 備考:空白余白への接触あり。余白の安定性低下。今後の抜き処理には限界あり。


・構造帳尻

 「書かれないこと」そのものが、もう安全ではない段階へ入った。助けてもらっているだけでは済まないズレが、管理側でも観測され始めている。


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