配信61回目 ここにいろの翌朝――近いうちに転校生が来るらしい
昨日の言葉が、朝になっても頭から離れない。
なのに学校は普通に始まって、転校生の噂まで流れていた。
たぶん今回は軽い回……のはずだった。
朝、目が覚めた瞬間の気分は、いつも以上に悲惨だった。
別に寝ているとき金縛りにあったとか、天井に知らない顔が貼りついていたとか、そういうホラー的な意味ではない。もっと普通に、でもたぶん私にとってはいちばん面倒な気持ちだ。
昨夜の言葉が、頭から離れなかったのである。
――『ここにいろ。』
短いし、雑だし、説明不足。なのに、妙に耳に残る言葉――。
「……やだなぁ……」
布団の中で小さく呻いてから、私は枕へ顔を埋めた。
イヤだいやだ嫌だ。何が嫌って、自分でもちょっと心が揺れたのが嫌だ。
あの男が真面目な顔でそういうことを言う時、こっちは反応に困る。いつもみたいに「うるさい」「死ぬな」「配信の邪魔だ」くらいで済ませてくれた方が、よっぽど対処しやすい。なのになのに。
なのに昨夜は、あの顔で、あの声で、あれを言った。
ずるいだろ、普通に。そんなの。
スマホを確認する。通知は何件か来ていたけど、朔夜から来ていたのは業務連絡だけだった。
【今日は学校優先。寄るなら夕方でいい】
「対応、普通なんだ……」
いや、普通じゃない。
あいつが「学校優先」なんて書いて寄越すの、かなり珍しい部類。珍しいから余計に腹が立ってきた。昨日あんなことを言っておいて、翌朝にはしれっと実務モードに戻るな。こっちはそういう切り替え、そんなに上手くないんだよ。わかれよ。
私はフゥ~~っと深いため息をつきながら、ようやく起き上がった。
顔を洗って、制服に着替えて、髪をセットして、母から届いていた「パンあるから食べていきなさい」のレインを見て、適当に返す。そういう、いつも通りの朝の手順をなぞっているうちに、少しだけ呼吸が落ち着いた。
学校へ行けば、普通がある。
るながいて、幽々《ゆゆ》がいて、先生がいて、眠いホームルームがあって、たまに嫌な気配は混ざるけど、それでもまだ、あそこは“まともな”顔で出迎えてくれる。
だから今日は、それでいい。
そう思って家を出た。――考えごとをしすぎて、学校に少し遅れそうになったけど。
―――――
教室へ入るなり、るなが私を見つけて手を振った。
「ゆらちゃ〜ん、おはよぉ〜……」
「おはよ」
「顔しんでるぅ〜……」
「朝一番の親友の感想がそれ?」
「だってぇ〜……ほんとに、いつもよりぺしゃってしてるぅ……」
失礼だな、と思ったけど、否定しきれないのが悔しい。
鞄を机へ置くと、斜め前の席で白澤 幽々が静かにこっちを見た。
「寝てないの?」
「ちょっとだけね」
「ちょっと、の顔じゃないよ?」
「二人して朝から容赦ないな~」
私がぼやくと、るなが机に頬杖をついたまま、ふわっと笑う。
「でもぉ〜、今日ちょっとだけたのしい話があるよぉ〜」
「なに」
「うちのクラス、近いうちに転校生が来るらしいよぉ〜」
よりによって今その話題か、と思った。
「今その情報いる?」
「いるよぉ〜。夏前に転校生って、ちょっとイベントっぽいじゃん〜」
「人生を学園ラブコメみたいに言うな」
「えへへぇ〜」
るなはいつも通りだ。
そのいつも通りが、ちょっとだけ救いになる。
でも、幽々だけは首をかしげていた。
「……この時期に?」
「ねぇ〜。へんだよねぇ〜」
「まあ、家庭の事情とかあるんじゃない?」
そう言いながら、私は自分でもちょっとだけ引っかかっていた。
理由は説明しづらい。ただ、最近のこの街は、“タイミングが変なもの”ほどろくでもない場合が多い。そこへ「夏前の転校生」なんてものが差し込まれると、普通の情報のはずなのに、妙にその輪郭だけが浮いて見える。
ホームルームが始まって、担任が眠そうな声で連絡事項を読み上げる。小テストがどうとか、提出物がどうとか、エアコンの設定温度がどうとか。教室には朝のだるさと紙の匂い、それから窓の外の少しだけ強くなった日差しが混ざっていた。
こういう時間は好きだ。
誰も死なないし。
変な声も聞こえないし。
床下から手が生えてくることもない。
最っ高である。
……と思ったのに、二時間目の休み時間で、あっさり崩れた。
前の方の席で、女子が二人、スマホを見比べながら首をかしげていたのだ。
「ねえ、昨日のボイス、最後だけ入ってなくない?」
「え、ほんとだ。そこで“じゃあまたね”って言ってたじゃん」
「言ったよ? 送った時はあったもん」
私は顔を上げた。
嫌なところだけが、ぴん、と反応した。
その女子たちのうち一人が、こっちへ気づいて苦笑いする。
「影森さん、聞いてよ。なんか昨日送ったボイスメモの最後だけ消えてるんだよね」
「最後だけ?」
「うん。“じゃあまた”のところだけ無音で、そのあと雑音だけ残ってるの」
私は手を出した。
「ちょっと聞かせて」
「え、うん」
スマホを受け取る。再生。
最初は普通の雑談だ。宿題がだるいとか、先生が怖いとか、購買パンが売り切れてたとか、そういう、どこにでもある高校生の会話。
でも最後に近づいた瞬間、背筋が薄く冷えた。
『――じゃ、また……』
そこだけ、すっと抜ける。
消えている、というより、持っていかれている感じだった。
音の切れ方が変だ。ただ無音になるんじゃなくて、言葉の輪郭だけを誰かが摘まんで引き抜いたみたいに、そこだけ綺麗に空いている。
「……これ、他にもある?」
「あるある。朝から三人くらい同じこと言ってる」
「しかも消えてる言葉、ちょっとずつ違うんだよね」
別の子が横から言った。
「“またね”の子もいるし、“ごめん”の子もいたし、“助かった”が抜けてる子もいた」
ごめん。
またね。
助かった。
どれも、軽い言葉だ。日常の中にいくらでも転がってる。でも、転がってるからこそ、そこだけ抜かれると妙に気持ちが悪い。
私はスマホを返した。
「……一応、それ、消さない方がいいかも」
「え、なんで?」
「なんとなく。ほら、データ系の不具合って、下手に触ると悪化する時あるし」
苦しいごまかしだったけど、相手は「そっかぁ」と頷いた。
助かった。学校で毎回まともに怪異案件の説明なんかしていたら、こっちの高校生活が先に終わる。それどころか多分、死ぬ。
昼休みになって、私は屋上へ上がる階段の踊り場で、朔夜へレインを送った。
【学校で軽いの拾った。音声メモの最後の一言だけ抜ける】
既読は早かった。
【放課後来い】
それだけ。
「文章みじかっ……」
私はスマホをしまった。
よし、と少し気を引き締める。怪異は、軽いと思って油断すれば、たまに死ぬ。いや、たまにじゃないな。わりと死ぬ。
―――――
放課後。
るなと幽々には用事があるとだけ言って別れ、私は夜見よろず相談事務所へ向かった。
古い雑居ビルの外階段を上る。夕方の空気はまだ明るいのに、事務所の前だけはいつも少し時間が遅い。安っぽいプレート、薄暗い廊下、ドアの向こうから漏れてくる配信機材の熱と、紙と、コーヒーと、たまにタバコのくささ、呪符の焦げた匂い。
扉を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
返ってきた声が自然すぎて、私はその場で止まった。
「……いやそこ、“おかえり”なんだ」
ソファに沈んでいた朔夜が、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「何だ」
「何だ、じゃないのよ。急に家庭的な単語を使うな」
「面倒くさいやつだな」
「そっちだよ!」
言い返しながら、私は机の上にスマホを置いた。
朔夜はそれを受け取り、イヤホンで何件か聞き比べる。ぬいは窓枠の上から、やる気のない顔でこちらを見下ろしていた。
「……浅いな」
「信用できない評価きた」
「学校規模の拡大はまだしてない。境界に引っかかった“言い残し”だけを拾ってる」
「言い残し?」
「声の最後に乗る本音だ。軽い別れ、軽い謝罪、軽い安堵。そういう、ちゃんと相手へ届いて終わるはずの一言だけが、薄いところに引っかかって残ってる」
「それ、誰かが困るタイプの残り方?」
「少しずつな」
朔夜は端末を置いた。
「影森、今日は前に出るな」
「は?」
「聞き込みだけでいい。回収は俺がやる」
私は思わず、顔をしかめた。
「……なんで」
「なんでもいいだろ」
「よくない。昨日まで平気で前に出してたくせに」
「今日はいいと言ってる」
「それ、逆に腹立つんだけど」
自分でも言い方が尖ったと思った。
でも止まらなかった。昨日の言葉を引きずってるのは私だけじゃないくせに、こういう時だけ誤魔化したみたいな顔をするのは、ずるい。
朔夜が少しだけ黙る。
「……深くない案件で、わざわざお前を削る意味がない」
「何それ」
「そのままだ」
「昨日の続きみたいな顔で言うな」
「してない」
「してる」
ぬいが、面倒そうに尻尾を揺らした。
「若いのう」
「黙れ毛玉野郎」
「昨日の今日じゃから仕方あるまい」
「お前まで言うな!」
私は机の端を軽く叩いた。
朔夜は視線を逸らし、結局それ以上は何も言わなかった。
その沈黙のほうが、よっぽど厄介だ。
―――――
結局、件の音声メモは、事務所へ持ち込まれた追加二件と合わせて処理することになった。
抜けていたのは、
「ごめん」
「またね」
「助かった」
その三つだった。
朔夜によれば、どれも“ちゃんと届いて終わるべき言葉”で、だからこそ、届かず薄い場所へ溜まると、小さくても妙な残り方をするらしい。
「じゃあ、戻せるの?」
「完全には無理だ。引っかかった分を剥がして、余計な残響を散らす」
「言葉の後始末まで仕事なの、ほんと業務範囲が終わってるな」
「お前の雇用環境よりはましだ」
「張り合うな」
回収自体は速かった。
朔夜が机の上へスマホを三台並べ、短く術を通す。札は一枚だけ。火も大きくない。派手さのない、地味な処理だった。
でも最後の一台を閉じる直前、私は聞いてしまった。
ノイズの奥に、誰のものでもない呼吸がひとつだけ混じったのだ。
短い。
浅い。
それなのに、さっきまでの案件の匂いじゃない。
「……朔夜」
「何だ」
「今の、聞こえた?」
朔夜の目が少しだけ細くなる。
「何を」
「息。知らないやつ」
答えるより先に、事務所の空気がほんの少しだけ静かになった。
窓の外では車の音が流れている。冷蔵庫も鳴っている。ぬいもいる。いつもの事務所だ。なのに、その一瞬だけ、全部の音の奥に薄く“待ってる感じ”が混じった。
誰か、まだ来ていないものの気配。
私は振り向いた。
誰もいない。古い棚、積まれた書類、配信機材、薄い廊下の向こう。見慣れたはずの景色が、少しだけ焦点をずらしてこちらを見返している。
「……これ、今日の案件じゃないよね」
「ああ」
朔夜が短く答える。
「じゃあ何」
「まだ分からん」
「その言い方、分かってる時のやつじゃん」
「分かってるのは、次が来るってことだけだ」
私は言い返しかけて、やめた。
次が来る。
その言い方が、妙にしっくり来てしまったからだ。
学校で聞いた、転校生の噂。
幽々が何となく引っかかった顔。
るなの、何でもないみたいな声。
それから今、音声メモの奥に混じった、案件と別の呼吸。
まだ何も始まっていないはずなのに、次の気配だけが先にこっちを見ていた。
「……やだなぁ」
小さくこぼした私に、朔夜はいつもより少しだけ近い声で言った。
「今日はもう帰れ」
「え」
「学校優先って送っただろ」
「……ほんとに気持ち悪いくらい気を遣うじゃん」
「うるさい」
「それはそれで腹立つ」
でも、その“うるさい”が、いつもより少しだけ弱かった。
私は鞄を持ち直して、事務所の扉へ向かう。
出る直前、なんとなく振り返った。
朔夜はもう端末へ視線を落としていた。ぬいは窓枠で丸くなっている。いつも通りの、終わってる事務所の風景だ。
なのに胸の奥だけが、妙に落ち着かなかった。
―――――
廊下へ出る。
古い蛍光灯の白さ。湿った壁。階段の下から上がってくる、夏前のぬるい空気。
その途中で、スマホが震えた。
るなからだ。
【転校生、女の子らしいよぉ〜】
「今それ送ってくる?」
思わずひとりで突っ込んだ。
でも、その画面が一度暗く落ちた瞬間、黒いガラスの端に、ほんの一瞬だけ、自分の後ろへ知らない影が立った気がした。
振り返る。
誰もいない。
廊下は静かで、事務所の扉も閉まっている。階段の手すりは古びていて、踊り場の電灯がじんわりと白いだけだ。
「……やだな」
小さく呟いて、私は階段へ足をかけた。
一段。
二段。
三段。
その四段目で、足裏の感触が、すっと消えた。
「……え」
階段が、なかった。
正確には違う。そこにあるはずの段差だけが、薄く抜けていた。目には見えていたのに、踏んだ瞬間だけ、足場としての意味が消えたみたいに。
身体が傾く。
手すりを掴もうとした指が空を切った。
スマホが手から滑る。
画面の中で、るなのメッセージが白く跳ねる。
転校生、女の子らしいよぉ〜。
「ちょ――」
言い切る前に、視界が回った。
踊り場の白。
壁の灰色。
錆びた手すり。
自分の足。
落ちていくスマホ。
全部がぐるっとひっくり返って、次の瞬間、後頭部に鈍い衝撃が来た。
ごん、じゃない。
もっと嫌な音だった。
骨の奥へ直接響く、硬くて重い音。
痛い、と思ったのは一瞬だけだ。
その次にはもう、痛みの輪郭が遠くなる。
冷たい床。
頬の横へ流れてくる、ぬるい何か。
視界の端で、割れたスマホの画面が点いている。
その黒いガラスの中で、知らない影だけが、今度ははっきり私を覗き込んでいた。
「……あ」
声にならない。
息も、うまく入らない。
頭のどこかで、変に冷静な自分が思った。
――あ、これ。
――私、今日まだ死んでなかったんだ。
そう気づいたところで、視界がすうっと暗く閉じた。
つづく
ゆら「今日で、六十一回も配信して、まだ終わってないの、普通に嫌。」
――――
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、60話の直後の熱を少しだけ引きずったまま、学校側の“普通”へ戻ろうとする回でした。
ただ、この作品はそういう回ほど、最後できっちり帳尻を取りにきます。
今回の小怪異は、**「ちゃんと届いて終わるはずだった最後の一言」**が薄い場所へ引っかかるタイプ。
軽い違和感のようでいて、放置するとじわじわ人の側を削る、地味に嫌な類でした。
■今回の登場人物
・影森ゆら
昨日の「ここにいろ」を朝まで引きずったまま登校し、学校で小粒怪異を拾い、事務所で朔夜と気まずく喧嘩し、その帰りに階段から落ちて死んだ。今回は完全に油断死。ひどい。でも、影森由良は今日も死にます。
・夜見朔夜
昨日の余熱を引きずっているくせに、翌朝には業務連絡だけ寄越した最低男。今回はゆらを前に出さない方針だったが、最後の転落までは読めなかったはず。読めていたらそれはそれで嫌。
・るな
朝からいつも通りで、転校生の噂を運び、最後はレイン一本で不穏の引き金を引いた。本人に悪気はない。たぶんこの先も一生ない。帰り道で、ドーナツとあんパンを3個ずつ食べました。本人曰く「夕前飯だよぉ~」とのこと。
・白澤 幽々
転校生の噂に最初に引っかかっていた側。こういう“まだ形になっていない不穏”に先に気づくのは、だいたい幽々。
・ぬい
若いのう、で済ませていた毛玉。今回は完全に野次馬枠。役に立っていないのに、たぶん次回は最初に「また死んだんかおぬし」と言う。
■今回の帳尻
【今回の帳尻】
・金銭帳尻:事務所までの交通費、回収用の札一枚、蘇生一回予定。借金はたぶん、いつも通り微増です。
・死の帳尻:今回は一件追加。帳面の線がまた一本増えるやつです。
・構造帳尻:今回の案件とは別の“次の気配”が、もう先にこちらを見ていました。嫌な前倒しです。
・鬼灯なゆの胃痛:たぶん増えます。確実に。
次回は、たぶん蘇生から始まります。
そして、まだ来ていないはずの転校生が、少しずつこちら側へ入ってきます。




