配信58回目 回収命令が下った【前編】
今日は、学校まで営業をかけに来る保険屋っぽい大人が出ます。
でも、学校の先生は意外とちゃんと強いです。
そのあとで、ちゃんともっと嫌な話になります。
朝の教室は、昨日までと同じ表情だった。
窓の外の光。机を引く音。眠そうな声。誰かがコンビニの新作パンの話をしていて、るながそれにすぐ反応する。
平和だ。少なくとも、見た目だけなら。
でも私は、ノートを開いたまま、片手にペンを持っていても、そこへ何も書けずにいた。
昨日から、頭の奥に白い通路が残っている。
目を閉じると番号札みたいな扉が並んで、静かすぎる空気の中で、誰かが順番を待っている気配だけがある。
しかも最悪なことに、あの場所を思い出した瞬間だけ、頭痛が少し薄くなる。
それが、いちばん気持ち悪かった。
「ゆらちゃ〜ん……またぼーっとしてるぅ〜……」
るなが、自分の席から身を乗り出す。
私はシャーペンを持ち直して、雑に返した。
「ぼーっとじゃない。真面目に現実逃避してる」
「それ、ほぼ”ぼーっと”だよぉ〜……?」
隣で、白澤幽々が小さく言う。
「……昨日よりひどいね」
「顔?」
「空気」
刺さる言い方をする。
私はとりあえずノートへ視線を落として、書きかけの数式の続きを追おうとした。
そのつもりだったのに、気づいた時には、欄外へ細い字がひとつ残っていた。
**帰りたい**
「……は、また?」
声に出た。
「えぇ〜? なにぃ〜?」
「いや、何でもない」
慌てて、その文字をペンで上書きする。
筆圧が強すぎて、ペン先が折れ、紙が少し毛羽立ってしまった。
あー。もう本当に、帰りたい。
どこへ?
家か。
昨日より前か。
それとも、あの白い通路の向こうか。
そこまで考えて、自分でぞっとする。この二日、そんなことばかりを考えている自分がいる。
その時、教室の前扉のほうがざわついた。
担任と、知らない女の人が立っている。
いや、よく見れば、私はあの女を知っていた。それに気づいた一瞬で、背筋がブワワーッと冷えた。
グレージュのスーツ。整えられた髪、上品すぎる笑顔。
パッと見、人当たりのいい営業職にしか見えないのに、その輪郭だけが、学校という場所にまったく馴染んでいない。
蒐集の手先――針目結だった。
「あっ」
しまった、と思った時には遅い。
針目はもう、教室の中へ一歩入ってきていた。
「失礼いたします。影森さんがこちらにいらっしゃると伺いまして」
担任が少し困った顔で私を見る。
「影森。知り合いか?」
「知らないです」
即答した。
針目は笑顔を崩さない。
「いえいえ、知らないというより、まだ正式にご挨拶できていないだけでして。生活上の安全確認と、今後の保全措置について少しだけ――」
「必要ないです」
「影森さん、学校という場でお話しづらいのは理解しています。ですが今回はご案内ではなく――」
「必要ないです!!」
るなが、私と針目を交互に見て首をかしげる。
「だれぇ〜……?」
幽々が小さく、でもはっきり言った。
「やばい人」
「物騒ですねえ」
針目はくすりと笑った。
笑っているのに、私は全然笑えない。
「影森さん。少しだけお時間をいただければ――」
「関係者以外はお引き取りください」
担任の声が、ここで急に強くなった。
教室の空気が一斉にそっちへ向く。
針目が営業スマイルのまま担任を見る。
「保護者の代理のようなもの、とお考えいただければ」
「学校はそういう“ようなもの”を通しません」
うわ、センセー、強い。
「重要な安全上の確認でして」
「なおさら通せません。事前連絡もなく、授業時間中に女子生徒へ直接接触しようとしている時点でアウトです」
担任、正論の暴力が強い。
針目は一瞬だけ黙った。
でも、すぐにまた綺麗に笑い直す。
「融通が利かないんですね」
「褒め言葉として受け取っておきます。どうぞ、お帰りください」
「……警備を呼ばれる前に、という理解でよろしいですか?」
「話が早くて助かります」
強っっっ。
教室中が静まり返る中、針目はようやく一歩引いた。
その去り際、私の席のほうへ、バカ丁寧なお辞儀をしながら、鋭い目を向ける。
声は小さい。
でも、私にははっきり聞こえた。
「今日は学校の規則に守られていますね」
ぞわっとする。
「でも、放課後には切れます――」
そのまま針目は踵を返し、廊下へ消えていった。
しばらくして、教室全体がまとめて息を吐くみたいにざわつき始める。
「え、なにあれ」
「営業?」
「保険とか?」
「すごく丁寧で真面目そうな人だったけど」
「やばいでしょ常識的に考えて」
「怖」
私は机に突っ伏した。
「先生、今だけ年収一億に見えた……」
担任が眉をひそめる。
「影森。変な大人に心当たりあるなら、先に言いなさい」
「心当たりはあるけど、言葉にすると余計説明できくなるなるんです……」
「それでも言いなさい」
ごもっともだった。先生、ありがとう――。
―――――
事務所へ着いた時、朔夜はいきなりこの世の終わりかと思うような、すごい顔をしていた。
机の上には、朝のホームルームよりもっと嫌な紙が置かれている。
罫線が綺麗で、文面が丁寧で、そのくせ人間を人間扱いしていない書類特有の冷たさがあった。
「なにそれ」
鞄を置く前に聞くと、真琴さんが端末の画面を見たまま答えた。
「正式通達です」
「何の」
「ゆらさんの」
最悪だ。
私は急いで、紙の一番上にある表題を読む。
**高危険度越境接触個体 保全移送要請書**
「……個体?」
「文面上はほぼ物件ですね」
真琴さんが事務的に言う。やめてほしい。そういう悪趣味な冗談は。
ぬいがソファの上で、ぬいぐるみの体をふんぞり返らせた。
「値札屋らしいの」
「お前、その呼び方ちょっと好きだな」
「ワシは、嫌いな相手ほど的確に呼ぶ主義じゃ」
私は書類をめくる。内容はもっと最悪だった。
影森ゆらを回収対象と認定。
期限付きで身柄の引き渡しを要求。
拒否した場合、強制保全措置へ移行。
「私、人間なんだけど」
「文面上は違います」
真琴さん、そこは否定して。
端末のスピーカーが、ぴ、と鳴った。
画面に音声再生ウィンドウが開く。
出なくても誰だか分かった。穏やかで、丁寧で、だからこそ怖い声だ。
『夜見さん。書面はご確認いただけましたか』
天原久遠。
朔夜は椅子にも座らず、端末を見下ろしたまま言った。
「だが断る」
『即答ですね』
「当たり前だ。お前の文面を最後まで読む義理などない」
『ですが、現状でもっとも合理的な保全先は私どもです。壊すあなたより、残す私たちのほうが適している』
その一言で、空気がぴりつく。
「保全って言えば何してもいいと思うなよ」
私が口を挟むと、音声の向こうで久遠が静かに笑った気がした。
『影森さん。あなた自身の意思も、もちろん尊重いたします』
「いや今の書類のどこを読んだらそうなるの?」
『意思というものは、環境が整えば自然と定まることもあります』
「言い方が完全に洗脳のそれなんだよ。変な宗教かよ!」
朔夜の声が、一段低くなる。
「久遠」
『はい』
「次、直接来たらぶっ壊す」
『それは脅迫でしょうか』
「確実な予告だ」
通信が切れた。
短い沈黙のあと、私は机へ突っ伏す。
「朝は針目、今は理事長。何この大人の連携プレー。社会が私を雑に回収しようとしてるんだけど」
「社会ではないな」
朔夜が言う。
「もっと趣味が悪い」
「フォローになってない!」
ぬいが肩で笑って揺れた。
「学校で追い返された女が、その日のうちに正式書類を寄越す。なかなかに性格が悪いの」
「お前が楽しそうに言うな」
真琴さんが私のスマホを見て、ふと顔を上げる。
「……るなさんからレイン、来てます」
嫌な予感しかしない。
「なんて」
「“ゆらちゃ〜ん、これ前にもあった扉かなぁ〜?”」
はい、最悪記録、更新。
―――――
高架下の脇道は、夕方を過ぎると空気が少し古い。
車の音は近いのに、人の気配だけが薄い。壁の落書き、古い貼り紙、自販機の白い光。どこにでもある街の隙間なのに、そこだけ時間が一枚ずれているように見える。
るなは、その真ん中で首をかしげていた。
「これぇ〜……前にも見たやつっぽいよねぇ……?」
指さす先。
壁と壁のあいだ、どう考えても通路にならない幅の場所に、白い扉が立っている。
ノブもある。蝶番もある。塗装の少し剥げた、ふつうの古い扉。
なのに、その“ふつう”が浮いている。高架下の汚れた壁面から一ミリだけ距離を取って、異物みたいに立っていた。
幽々《ゆゆ》が青い顔で呟く。
「……前より、近い」
「見えるの?」
「見えるっていうか、ここだけ音が違う」
ぬいは私の腕の中で、露骨に嫌そうな顔になっていた。
「いやじゃ。これはほんにいやじゃあ」
「お前がそこまで言うと逆に安心できないんだけど」
「安心する要素をどこに見た」
朔夜が一歩前へ出る。
「るな、離れろ」
「えぇ〜? でもぉ、ただの扉じゃないのぉ……?」
「違う。見た瞬間に違う」
「そんなぁ〜……?」
るなが不満そうに頬を膨らませる。
それを見ながら、私は扉から目を離せなかった。
ただ不気味なだけじゃない。
怖いのに、静かだ。頭の奥でずっと鳴っていたざらつきが、扉を見る間だけ少し薄くなる。誰も叫ばない。誰も死なない。白い通路の静けさだけが、その向こうに繋がっている気がした。
――あっちのほうが楽。
また、そう思った。
思った瞬間、血の気が引く。
怖い。嫌だ。なのに、扉の向こうが「嫌じゃない」と感じてしまう。
「影森」
朔夜が低く呼ぶ。
「見るな」
「……見たいわけないでしょ」
「違う。そういう意味じゃない」
その時、スマホが震えた。
画面を見る前に、耳の奥で声がする。
『ほら』
夜刀だった。
『来たがってる』
「っ……」
反射的にスマホを落としそうになる。画面には着信も通知もない。なのに、声だけが直接頭へ落ちてくる。
『無理に引っ張る必要ないんだよ。本人が帰りたがってる』
「勝手に私の将来を決めるなぁ!」
私が怒鳴ると、るなと幽々がぎょっとして振り向いた。
扉の前の空気が、ふっと揺れる。
朔夜が即座に前へ出て、私と扉のあいだへ立った。
「夜刀。くだらん横槍を入れるな」
『横槍じゃない。確認だよ』
声は笑っている。
『お前だって分かってるだろ。その子はもう、こっちの静けさ、その良さを知ってる』
「黙れ」
『黙らない』
扉の白さが、少しだけ濃くなる。
るなが、ぽかんとそれを見て呟いた。
「……ゆらちゃん、それ、ほんとに扉に見えてるぅ……?」
私は答えられなかった。
扉の輪郭が、白い通路の入口に重なる。番号札の気配。紙をめくる音。向こう側は静かで、やさしくて、息がしやすい。
怖いのに、入りたい。そう思う自分のほうがもっと怖い。
気づけば、足が半歩だけ前へ出ていた。
「影森」
朔夜の声が、さっきより近い。
でも、その声より先に胸の奥で別の気持ちが立ち上がる。
帰りたい。
静かなほうへ。
痛くないほうへ。
そして私は、止めに入った朔夜の手を見て、反射みたいに口を開いてしまった。
「なんで止めるの」
言った瞬間、自分で凍った。
るなが小さく息を呑む。
幽々の顔から血の気が引く。
ぬいが腕の中で固まる。
朔夜だけが、何も言わなかった。
ただ、掴んだ私の手首にかかる力だけが、少しだけ強くなる。
その沈黙のほうが、怒鳴られるよりずっと怖かった。
私は、自分の口を自分で塞ぎたくなった。
今のは、誰が言った。
私か。向こうか。もう、その境目が分からない。
白い扉は、そこにある。
”それ”は何も言わず、ただ静かに開く準備だけをしていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
配信58回目は、学校という“普通”の場所まで蒐集商会の回収が入り込んでくる前編でした。最初に少しだけ呼吸のある場面を入れつつ、後半では「帰りたい」がゆら自身の気持ちみたいに育ってしまう不穏へ落としています。
今回のポイントは三つです。
一つ目は、針目がついに学校へ来るほど表側へ踏み込んだこと。
二つ目は、天原久遠から正式な回収命令が出て、ゆらが完全に“対象物”として扱われ始めたこと。
三つ目は、白い扉の前で、ゆら自身が「なんで止めるの」と言ってしまったことです。
今回の登場人物メモです。
・影森ゆら
向こう側への引力が、外からの呪いではなく、自分の意思みたいに感じられ始めています。
・夜見朔夜
止める側へ回ろうとしているのに、まだ全部を説明しきれない怪異相談屋。
・針目結
学校にまで営業をかけに来た回収担当。先生に追い払われても引きません。
・天原久遠
穏やかな声のまま、人を保全対象として扱う理事長。
・夜刀
直接姿を見せずとも、頭の中へ平然と声を落としてくる最悪の先輩。
・夜宵るな / 白澤幽々《ゆゆ》
守りたい日常側。だからこそ、近づかれると痛い。
・ぬい
嫌がる時だけやたら正しいことを言う、だいぶ迷惑な小動物。
次回は、この「なんで止めるの」の続きから、もっと本格的に“向こう側が選ぶ”話へ入っていきます。
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