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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第二章 花嫁候補とか、聞いてない(春~夏)

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配信49回目 ぬいがやらかした――増えるな、複製されるな、勝手に営業するな

 旅館(修学旅行)のあとです。

 今回は前半ちょっと笑えて、後半ちゃんと最悪です。

 あと私は、やっぱり今回も死にます。

 旅館案件の翌日、私は夜見よみよろず相談事務所のソファに沈んでいた。


 頭が痛い。首も痛い。肩も痛い。温泉旅館で石鹸を踏んで、床の配置まで裏返って、死んで、戻って、翌日に普通に学校へ行かされて、そのまま放課後ここへ来ている時点で、人生の運用設計が全部おかしいのだ。


「……なんで私、普通に登校してるの?死んだことになってないんだろ」


「死因が事故扱いで学校も大事にしたくないんだろ」


 机の向こうで、夜見朔夜よみさくやが気だるそうに答えた。


 ムカつくことに、こいつは今日も顔だけはいい。少し長めの黒髪。白い肌。だるそうに伏せた目。黙っていれば絵になる。黙っていれば、ね。


 そう。ほんっとぉぉに、黙っていれば、だ。


「事故で済ませるなよ。温泉旅館の裏の間取りに落ちてたんだよ、私」


「戻ってきたなら問題ない」


「問題、大ありだよ!」


 私は抱えていたクッションを朔夜に思いきり投げた。朔夜は顔色ひとつ変えずに片手で受け止め、そのまま椅子の背に引っかける。それがまた腹立たしい。


 机の上には、旅館から持ち帰った例の白い管理札が置かれたままだ。


 仮保全。

 接触履歴あり。

 要再査定。


 見るだけで腹の底が冷える。旅館怪異の中に、あんな事務的な札が刺さっていた。しかも朔夜はそれを見てから、ずっと機嫌が悪い。


 なのに。


「ふふん」


 部屋の隅では、ぬいが妙に元気だった。


 灰白色の毛並み。片方だけ少しへたれた耳。ぬいぐるみの形代(かたしろ)に入っているせいで、見た目だけならちょっと古びたマスコットみたいな顔をしている。


 コイツも、()()()()()()()、だ。


「なんでお前が一番つやつやしてんの」


「有能ゆえじゃな」


「その有能、絶対違う方向で発揮されてるわ」


 ぬいは机の端で丸くなりながら、えらそうに尻尾を揺らした。


「旅館はよかったのう。湿り気、残滓ざんし、未成立の記録。胃に優しい味じゃった」


「食レポみたいに言うな」


「上品な後味であった」


「レビューもすんな」


 私はソファに頭を打ちつけた。痛い。死んで戻ったあとでも、こういう痛みはちゃんと痛いのが腹立つ。


 そこへ、事務所の奥でキーボードを打っていた毒島ぶすじま真琴まことが、画面から目を離さないまま言った。


「影森さん、冷蔵庫の上」


「え?」


 反射的に振り向く。


 冷蔵庫の上に、何か灰白色の小さいものが乗っていた。


「……は?」


 ぬいっぽい。


 サイズも色も耳のへたり具合も、だいたいぬいっぽい。


 でも、ぬい本人は机の上にいる。


 私はゆっくり指をさした。


「おい」


「なんじゃ」


「今、お前そこにいた?」


「ここにおるじゃろ」


「そうじゃなくて、あっち!」


 私が叫んだ瞬間、冷蔵庫の上の灰色の小さいものが、ぴょこんと跳ねた。


 そのまま電子レンジの上へ移動する。


「動いた!!」


「うるさいのう」


「お前が増えてる!!」


 私は反射的に立ち上がって冷蔵庫へ突進した。電子レンジの上にいたそれは、私が手を伸ばした瞬間、壁際のラックへ逃げる。ちょこちょこした足音。腹立つくらい見慣れた動き。


「ぬい!」


「知らぬ」


「絶対嘘!!」


 私はラックの前でスリッパを脱ぎ、武器みたいに構えた。


「待てこら!」


 ぱしんっ。


 思いきり振り下ろしたスリッパは、ラックの角に当たって跳ね返り、私の手首に直撃した。


「痛っっ!」


 同時に、机の上のぬいが鼻で笑う。


「人間は鈍いのう」


「笑うな!」


 その時だった。


 今度はプリンターの上から、ぴこ、と小さい耳が出た。


 さらに、給湯ポットの陰からも、もそ、と灰色の尻尾が覗いた。


 私は固まる。


 朔夜も、さすがに目を上げた。


 真琴が静かに数え始める。


「机の上に本体。ラックの上にひとつ。プリンターの上にひとつ。給湯ポットの陰にひとつ。冷蔵庫の横に一」


「増えてる! 普通に増えてる!!」


 私が叫ぶと、プリンターの上の偽物ぬいが、ちょうど紙を吐き出し始めたところだったらしい。ずるずるとコピー用紙が出てきて、床に落ちる。


 白い紙には、なぜか黒い肉球みたいな跡が点々とついていた。


「なにこれ最悪かわいい」


「最悪じゃろ?」


「嫌味で言ってんだよ!」


 給湯ポットの陰のやつは、いつの間にかお茶請けのクッキー袋を引きずっている。ラックの上のやつは、私のヘアゴムをくわえていた。


「待て!それ私の!」


 追いかけた瞬間、今度は背後の冷蔵庫が開く。中から、別のぬいっぽいのが顔を出した。


「いや中にもいるの!?」


 私は半泣きで振り返った。


「朔夜! 助けて!」


「自力でなんとかしろ」


「冷たっ!」


「今は面白い」


「そういうとこなんだよ性格が!」



 真琴がモニターをこちらへ向けた。


「一応、裏は取れてます」


「何の“裏”!?」


「映像上でも増殖しています」


 画面には事務所の定点映像が映っていた。


 机の上の本体ぬい。その横の配信機材の陰に一匹。冷蔵庫の上に一匹。さらに、モニターの枠の中にもう一匹。画面越しにしか見えていないやつまでいる。


「やだ、なにこれ」


「しかも個体差があります」


 真琴が別フレームを切り替える。


「耳の角度、尻尾の長さ、目の位置。全部少し違う」


 私は画面と部屋の中を見比べた。


「つまり?」


複製コピーです」


 真琴が、きっぱり言った。


 部屋が一瞬、しんと静まる。


 その沈黙の中で、机の上の本体ぬいだけが、私からすっと目を逸らした。


 私はその動きでいろいろと確信した。


「あっ」


「何じゃ」


「お前、()()()()顔だ」


「失礼な――何を言う」


「いやその“失礼な”の言い方、完全にやってるやつ!」


 私は机を回り込んで、ぬいを両手で囲った。


「こら、吐け」


「口調が雑じゃ。いやじゃ。」


「雑でいい! お前、何やった!」


 ぬいは最初、ふんと鼻を鳴らした。


「知らぬ。人間の視線が増えれば、似たものが発生することも――」


「オイ、毛玉」


 朔夜の声が、すっと低く落ちた。


「三秒やる」


「理不尽じゃ」


「二秒」


「早い」


いーち


「わしだけが悪いわけではないぞ!」


 ぬいは、ものすごく素直に白状した。


「やっぱりお前じゃん!!」


 私は机を叩いた。


「ちょっとした副収入アルバイトじゃ!」


「何がバイトだよ、バカぬいぐるみ!!」


 真琴が無表情で問い返す。


「副収入、とは具体的に何を?」


「案件で吸った断片かけらを、少し分けただけじゃ」


「誰に」


 朔夜が即座に返す。


 ぬいは一瞬だけ耳を寝かせ、それでも小さく胸を張った。


「銭...ぜにはらに」


 私は天井を仰いだ。


「やっぱりアイツかああぁぁぁ……!」


 その名前が出た瞬間、朔夜が迷いなくスマホを取る。数秒後、スピーカー通話が繋がった。


『もしもしぃ、良心的ぼったくりの銭原ぜにはら呪助じゅすけで――』


「マジで殺すぞ」


『開口一番、めっさ怖いねん』


 相変わらず軽い。軽すぎる。スピーカー越しでも、胡散臭い笑顔が見える気がして腹が立つ。


 朔夜は机を指先で叩いた。


「毛玉の断片、どこへ流した」


『あー、あれな。いやあ、ちょっとしたサンプルやん。よう増えるなあ思うて』


「どこへ」


『そんな怒らんでもええやろ。うちは仲介しただけやて』


「どこへ」


 三度目の声は、笑ってなかった。


 銭原の軽さが、そこで少しだけ鈍る。


『……保全屋ほぜんや寄りの連中や。ほら、残ったもんに値ぇつけるタイプの』


 私は背筋が寒くなった。


 保全。値段。


 旅館で見た、あの白い札と同じ匂いだ。


「ちょっと待って」


 私は割り込んだ。


「それって、まさか」


『お嬢ちゃん、そんな顔せんでええやん。住所そのものを売ったわけやない。案件帰りの匂いとか、配信の導線とか、事務所のだいたいの圏内とか、そういう軽い情報だけ――』


「軽くない!!」


 私の悲鳴と同時に、朔夜の目つきが完全に冷えた。


「銭原、てめえ......」完全にキレモードだ。


『いや待て待て待て。わしも、あの毛玉の欠片がここまで増殖するとは思わんかったんやて』


 そこでぬいが小さく前足を挙げた。


「そこは、わしも思わんかった」


「お前は黙ってろ、加害者!」


 通話は、最後に朔夜が「今度、てめえの身体で支払ってもらうからな」でブチ切りした。


 部屋の空気はさっきまでと別物になっていた。


 でも、その空気を読まないのが、増殖したコピーぬいたちである。


 プリンターの上のやつが、今度は勝手に新しい紙を吐き出し始めた。そこへ冷蔵庫の横のやつが飛びつき、紙がびりっと裂ける。給湯ポットの陰のやつはクッキー袋を開けきって、床へ全部ぶちまけた。


「うわあああっ!」


 私は叫びながら、近くのティッシュ箱を投げた。外れた。


 ラックの上のやつが、今度は私のシュシュをくわえたまま配信機材の棚へ飛び移る。


「返せ、それ今朝なくしたやつ!」


「増えた結果、知能が下がっとるのう」


「分析してる場合か本体!」


 真琴がモニターを操作しながら静かに言う。


「依頼報告、さらに増えています」


「え?」


「スマホの隅にいる。寝室の棚にいる。動画を止めると増える。子どもが名前をつけた。ほぼ全部同じです」


 彼女が開いたメール一覧には、同じような文面がずらっと並んでいた。


 しかも、その多くに添付画像がある。スマホの端。テレビ台の上。クローゼットの隙間。どれも、ぬいに似た小さい灰色のものが写っている。


「可愛い見た目で被害だけ本格派なのやめろよ……」


 私が呻くと、真琴は小さく首を横に振った。


「もっと悪いです」


「まだ下あんの?」


「あります」


 彼女は別窓を開く。


「自然発生なら、投稿時間も拡散経路もばらけます。でもこれは違う。同じ時間帯、同じリンク構造、同じ観測順で報告が集まってます」


「……なにそれ」


「誰かが追える形に揃っています」


 部屋が、また静かになる。


 真琴の声だけがやけに冷たく響いた。


「ぬいさんのコピーが出た場所を、誰かが見ています」


「観測……」


「はい。どこが薄いか。誰が接触しやすいか。どの家、どの端末、どの視聴者が向こう側に触れやすいか」


 私はゆっくり、ぬいを見る。


 ぬいは今度こそ気まずそうに耳を伏せていた。


「つまり、お前」


「……」


「自分の偽物ばらまいて、入口マーカー配ったってこと?」


「そんな大層なつもりではなかったんじゃ」


「結果が最悪じゃねえか!!」


 朔夜が低くまとめる。


「毛玉の断片が偶発的に増えた。その増殖先を、あいつらが“接触候補”の目印に使ってる」


 机の上の白い札を、彼が指先で弾いた。


「見られてるんじゃない。探らせたんだ」


 ぞっとする言い方だった。


 旅館で刺さっていた札の意味が、じわじわ繋がってくる。旅館だけじゃない。もう、こっちの日常そのものへ細い針が刺さり始めている。


「……ねえ」


 私はソファの背にもたれたまま聞いた。


「これ、また私も見られてるってこと?」


「見られてる」


「マジ......?」


「お前はもう接触履歴つきだ」


 最悪だった。


 ほんとうにちっとも嬉しくない個体認定である。


 その時だった。

 配信機材の奥から、ぶつっ、と嫌な音がした。

 みんなが振り向く。


 古いキャプチャーボードに繋いだままだったサブモニターが、真っ黒なはずなのに、勝手に白いノイズを流し始めていた。


 画面の隅で、小さな灰色のものが、ひとつ、ふたつ、みっつと増える。


 コピーぬいだ。


「うわ」


 私の声と同時に、床の上のコピーたちも一斉にそっちを向いた。


 まるで呼ばれたみたいに。


「……やばいのう」


 ぬいが珍しく弱気な声を出す。


「今さら!?」


「元の群れに寄っとる」


「群れ!?」


 真琴がすぐに画面を切り替える。


「旧式の録画ラインです。アーカイブ保管用。七年前のデータがまだ残ってる系統に繋がってます」


 朔夜の目が細まる。


「どこだ」


「奥の保管部屋です」


 言われた瞬間、コピーぬいたちが一斉に動いた。


 ちょこちょこちょこ、と、やたら素早い。


 事務所奥の、古い機材やテープを押し込んだ保管部屋へ向かって走っていく。


「待て! 増えるな!」


 私は反射的に追いかけた。


「影森、行くなっ!」


「私が行かなきゃ!!」


 保管部屋は狭かった。


 古いビデオデッキ。今は見ることのないブラウン管のCRTモニター。ケーブルの束。段ボール。棚に積まれたテープ。ほこりっぽい匂いと、熱のこもった古い機械の匂いが混ざっている。


 そして、その中央のモニターだけが、勝手に点いていた。


 ノイズ混じりの古い映像。


 今の事務所によく似た構図なのに、少しだけ違う。机の位置、棚の高さ、壁の傷。


「これ、何……」


 私が近づいた瞬間、コピーぬいたちが一斉にモニターの周囲へ集まった。


 画面の中にもいる。外にもいる。ぬいに似た小さいものが、何匹も、何十匹も、画面の縁へまとわりついている。


 しかも、その一匹一匹の輪郭の奥に、別の何かが見えた。


 短いコメント。ユーザー名。投稿時刻。切り抜きURL。部屋番号。視聴履歴。


 小さい身体の中に、観測の破片が詰め込まれている。


「っ……」


 嫌な理解が走る。


 これ、ただの毛玉じゃない。


 “見つけた”という視線そのものだ。


 そこへ、机の上にいた本体ぬいが私の肩から飛び降り、ひどく焦った声で叫ぶ。


「その線を抜け! 影森かげもり、それ以上近づくでない!」


「どれ!?」


「一番赤いケーブルじゃ!」


「わかった!」


 でも、画面の中のコピーぬいたちが、今度は私のほうを向いた。


 小さいくせに、ぞわっとするくらい同じ顔で。


 その瞬間、背後で何かが引っかかった。


「え?」


 足首に、ケーブルが絡んでいた。


 さっき走り込んだ時に踏んだらしい。私は体勢を崩した。

 咄嗟とっさに近くの棚へ手をつく。でも、支えたはずの棚の下段に、コピーぬいが潜り込んでいて、積まれていた古いデッキがずるっと滑る。


「ちょ、待っ――」


 ごっっっ!


 鈍い音がした。


 視界が、斜めに流れる。


 頭の後ろに、遅れて痛みが来る。古いデッキの角か、棚の金具か、分からない。ただ、いやなほど重い衝撃だった。


「あ」


 と思った時には、もう床が遠かった。


 古いモニターの白いノイズだけが、やけに明るい。


「いや、ほんとに待っ……」


 そのまま、意識が途切れた。


―――


 目を開けた時、私は棚の少し上から、自分の身体を見下ろしていた。


「……あー」


 また、死んだ。

 今回も、だいぶ間抜けな死に方だった。


 床には私。頭の横に倒れた古いデッキ。朔夜がすごく嫌そうな顔で駆け込んでくる。真琴はもう救急より配信機材保全の手つきで電源系統を見ている。ぬいは私の肩口を離れて、珍しく本気であたふたしていた。


「またまた死んだのう!?」


「ぜぇぇんぶ、お前のせいだよ!!」


 霊体のまま怒鳴ると、ぬいがびくっと耳を伏せる。


 でも、その直後に見えたものに、私は口をつぐんだ。


 コピーぬいたちの本当の形だ。


 外側は灰白色の毛玉。でも中身は違う。コメント欄の視線、動画の切り抜き、配信の残響、観測タグ、位置情報の欠片。そういうものが、小さな獣の形へ無理やり縫い合わされている。


 しかも、その全部が、モニターの中の古い映像へ細い糸で繋がっていた。


「朔夜!」


 私は死んだ側から叫ぶ。


「これ、毛玉の複製じゃない! 視線の寄せ集めだ! 見つけた場所の情報ごと、古い映像に戻してる!」


 朔夜が即座に私のいる位置を見た。


コアはどこだ」


「画面! でも今のコピーじゃなくて、その元!」


 真琴が横から答える。


「七年前のアーカイブです。タイムコードだけ生きてます。これが雛形ひながたです」


 ぬいが情けない声で言う。


「……わしの欠片に、古い観測記録が噛んだのじゃ。たぶん」


「たぶんで済ませるな!」


 朔夜は、倒れた私の身体を一瞥いちべつしてから、舌打ちした。


「今回の蘇生、高くつくぞ」


「金の前に私の心配しろ!」


「してるから赤字だ」


 最低。死後でも腹が立つ。


 でも、憎まれ口をたたいても、彼は次の瞬間にはもう仕事モードに入っている。


 朔夜はノイズだらけのモニターへ向かって札を投げた。


”媒体遮断”(メディア・ブレイク)


 白い札が画面の四隅へ貼りつく。ノイズが一瞬だけ静まる。


『真琴、録画ライン切れ。今繋がってる拡散先、全部拾え』


「拾ってます。コメント流入、切り抜き、保存済みリンク、逆順に潰します」


『毛玉、お前は呼び戻せるだけ呼び戻せ』


「理不尽じゃ!」


『お前の不始末だ』


「正論が強い!」


 ぬいはぶつぶつ言いながらも、コピーたちへ向かって、妙に高い声で何かを鳴いた。


 きゅる、みたいな、気の抜けた音だった。


 でも効果はあった。


 周囲に散っていたコピーぬいたちが、一瞬だけぴたりと止まる。向きを変え、本体のほうへ集まり始めた。


「うわ、ちょっと可愛いのが腹立つ」


「今そういう感想を言う場面ではありません」


 真琴の冷静さが強い。


 朔夜がさらに札束を抜く。指先で弾いた紙幣が、白い火みたいに燃えた。


”逆探封鎖”(バックトレース)

”拡散停止”(スプレッド・ロック)


 モニターの中の古い映像が、ぐらりと歪む。


 その瞬間、私はその画面の隅を見た。


 今の事務所によく似ている。でも違う。少し古い。少し狭い。そして、その隅に――今よりもっと輪郭の薄い、ぬいみたいなものがいた。


「……あ」


 私が声を漏らすと同時に、真琴も画面へ顔を寄せた。


「これ……」


 コピーぬいたちは、朔夜の術式で次々に白いノイズへ戻っていく。毛玉の形がほどけ、視線の欠片になり、モニターへ吸い込まれる前に焼け落ちる。


 最後の一匹が消えた時、部屋はしんと静まり返った。


 ノイズも止まる。


 古いモニターだけが、かすかなざらつきを残して映像を止めた。


 その停止画面を見た真琴が、ぽつりと言った。


「……七年前の映像にも、います」


 全員がそちらを見る。


 画面の隅に、小さい灰白色のもの。


 今のぬいよりもっと曖昧で、ノイズみたいに揺れている。


 しかも、それははっきりと、今の事務所そっくりの空間にいた。


「は?」


 私は死んだまま、間抜けな声を出した。


 ぬいだけが、珍しく黙っている。


 その沈黙が、いちばん嫌だった。


―――


 次に気づいた時、私は事務所の床で咳き込んでいた。


「げほっ……!」


「起きたか」


 朔夜が、いつもの“嫌そ~な顔”で私を見下ろしてくる。


「第一声それ?」


「今回の死因、かなり間抜けだな」


「原因のお前が言うな!」


 私は頭を押さえて起き上がった。まだ痛い。なんなら、死ぬ前より痛い気がする。


 横を見ると、ぬいが封印札を額に貼られたまま、逆さに吊られている。さっきまで増殖していた威勢はどこへやら、完全にしょんぼりしていた。


「当面、配信機材への接触禁止」


 真琴が事務的に告げる。


「外部断片の持ち出し禁止。銭原との無断取引禁止。棚の上も禁止です」


「横暴」


「妥当です」


 私は立ち上がって、ぬいの鼻先を指でつついた。


「お前、地味に社会悪なんだよ」


「地味ではない。可愛い社会悪じゃ。」


「そこだけ訂正すんな」


 でも、笑い飛ばせる感じでは、もうなかった。


 古いモニターには、停止した七年前の映像がまだ残っている。


 今の事務所によく似た部屋。そこにいる、今よりもっと曖昧なぬいみたいなもの。


 それを見ている朔夜の横顔は、いつもよりずっと険しかった。


 私は頭の痛みと一緒に、別の寒さを飲み込む。


 今回ばらまかれたのは、ただの偽物じゃない。


 誰が薄いか。誰が触れやすいか。誰が向こうへ落ちやすいか。


 そういう情報そのものを、小さくて可愛い顔に詰めてばらまいていたんだ。


 最悪すぎる。


 しかも、その元が七年前からある。


 私は喉の奥の痛みをごまかすみたいに、小さく呟いた。


「……ほんとに、ろくでもない職場」


■今回の登場人物


影森かげもりゆら

 旅館の翌日で満身創痍まんしんそういなのに、事務所でまた死んだ主人公。今回はかなり間抜け寄りの事故死。


夜見よみ朔夜さくや

 相変わらず説明と優しさが足りないが、今回はコピーぬいの拡散経路ごと潰しにきた。


・ぬい

 今回の主犯。副収入感覚で断片を流し、複製され、逆さ吊りにされた。見た目は可愛いが、やってることはわりと社会悪。


毒島ぶすじま真琴まこと

 編集・記録・ログ解析担当。今回いちばん冷静に全体像を掴んでいた実務屋。


銭原ぜにはら呪助じゅすけ

 今回も軽いノリで最悪の仲介をした男。便利だが、便利なぶん信用できない。


■今回の話の解説


 49話では、ぬいの軽率な裏取引が“コピーぬい”の増殖を招き、それが蒐集側の観測導線にもなっていたことが発覚しました。

 前半は毛玉騒ぎのコメディですが、後半では「可愛い複製が、視線と接触履歴の回収装置になっている」という嫌さへ繋げています。

 そして最後の古いアーカイブ映像は、次回の本筋へそのまま接続する導線です。

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