配信41回目 最悪の先輩が来た【前編】――知らない人が「朔夜くん」と呼んだ
事務所に、知らない男が来た。
朔夜が「先輩」と呼んだ。
その瞬間から、空気がおかしくなった。
五月の昼下がり、事務所は平和だった。
平和というのは「怪異が来ていない」という意味で、「朔夜の機嫌がいい」という意味では全然ない。少なくとも今日はまだ誰も死んでいないし、請求書も来ていない。それで十分だ。
私はメールの返信を打ちながら缶コーヒーを飲んでいた。ぬいは冷蔵庫の上で丸くなって寝ている。朔夜はソファで端末を見ている。五月の光だけが窓から差し込む、静かな午後。
そこに、ノックもなしに扉が開いた。
「よ、朔夜くん。久しぶり」
聞いたことのない声だった。でも「朔夜くん」と呼んだ。
そこには男が立っていた。三十代前半くらい。背は朔夜と同じくらいだが、纏っている空気がまるで違う。黒っぽい髪を無造作に流して、くたびれたジャケットを羽織っている。
また、特徴的なのが――この男、表情が笑っている。ずっと笑っている。でも目の奥だけが、どこか遠くを見ていた。瞳は光を反射しているのに、何も映していない目。
そして、見た目だけなら、朔夜と同等か好みによってはこの男のほうがいいという異 性もいるだろう。渋めのトレンディドラマの中年役が十分やれるルックスだ。
(ということは、朔夜と同じくこいつもクズなのかな)などと私が思いつつ
「……誰、この人」 と聞いた。
私が呟くより先に、朔夜が端末から目を上げた。私が見たことのない種類の無表情になった。
「何しに来た」
「挨拶が終わってないじゃん」
男は笑ったまま事務所に入ってきた。ノックなし、許可なし、遠慮なし。棚を一瞥して、機材を一瞥して、私を見た。目が合った。
「あー、いるじゃん。ちゃんと」
その言い方が引っかかった。「いる」じゃなくて「ちゃんといる」だ。最初から私の存在を知っていた言い方だ。
「ゆらちゃん、でしょ。俺のこと知らないよね。初めまして、黒瀬夜刀だよ」
「……黒瀬、さん?」
「夜刀でいいよ」
朔夜が立ち上がった。今まで見た中で一番速い立ち上がり方だった。
「おい、ゆらから離れろ」
「怖い怖い。挨拶しただけじゃん」と 夜刀と名乗った男は手を万歳のポーズにして言う。
「ゆら、こっちに来い」
「え、なに、なんで」
「いいから来い」
私は缶コーヒーを持ったまま朔夜の近くに移動した。夜刀は笑ったまま、ソファに勝手に腰を下ろした。誰の事務所だと思っているの、この人――。
冷蔵庫の上でぬいが目を開けた。夜刀を見て、片耳だけぴっと立てる。
「……なんじゃ、お前」
「久しぶりだね、ぬい。覚えてる?」
「……知っとる。けど、なんでここにおる」
「会いに来たんだよ。朔夜くんに。あとゆらちゃんにも、ちょっと、ね――」
ぬいが私の肩に飛び降りてきた。普段より爪が食い込んでいる。
「ゆら。こいつとは、あまり話すな」
「なんで」
「聞くな。とにかく話すな」
夜刀はおかしそうに笑った。
「ぬいまで怖い顔して。俺、そんなに警戒されること何かした?」
「した」と朔夜が言った。「"した"の一言で済む話じゃないが」
「うわ。俺、一応先輩なんだけど~~」
「先輩だからこそだ」
―――
結局、その後も夜刀はしばらく帰らなかった。追い出そうとした朔夜と五分ほど応酬があったが、夜刀は笑いながら全部受け流して、最終的にソファに居座り続けた。
朔夜が「出ろ」と言うたびに「上からの確認もあるしね~」とかわす。その「上から」という一言が出るたびに、朔夜の眉間の皺が深くなった。
「あの、夜刀。朔夜とどういう関係なの」
「朔夜くんと俺は、まあ似たようなもの同士かな。同じ系譜、というか。俺の方が先にここに来てて、朔夜くんが後から来た感じ」
「ここ、って?」
「この街。もっと広くいうと、現世全般」
現世。その言い方が、普通の人間の言葉じゃなかった。
「配信、続けてるんだね。朔夜くんらしくない気もするけど」
「俺のやり方に口出しするな」
「してないしてない。むしろ感心してる。登録者を燃料にするって、効率いいじゃん。俺の頃はそんな仕組みなかったから」
「お前の頃のやり方の結果がどうなったか、覚えてるか」
夜刀の笑顔が、一瞬だけ止まった。本当に一瞬だった。次の瞬間にはもう笑っていて、見間違いだったかもしれない。でも止まった。
「覚えてるよ」と夜刀は言った。「だから来たんじゃん」
―――
昼が過ぎて、夕方になった。夜刀はまだいた。
時々スマホを触り、時々棚を眺め、時々私の方を見る。その「時々私の方を見る」が、じわじわ気になってきた。
「なんで私のこと見てるの」
「見てないよ」
「見てた」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない」
夜刀は少し笑って、今度はちゃんとこちらを向いた。
「ゆらちゃんってさ、死後側に入れるんだって? そういう子って、珍しいんだよね。入るだけじゃなくて、ちゃんと戻ってこれる子は特に」
「ゆらに話しかけるな」
朔夜の声が、今日一番低かった。
「話してるだけじゃん」
「こいつとは話すなと言ってる」
夜刀は肩をすくめた。私はその二人のやり取りを見ながら、何かを掴みかけていた。朔夜が夜刀を嫌っている理由。単純な嫌悪じゃない。もっと別の何か。
「朔夜待って。夜刀、一個だけ聞いていい?」
「どうぞ」
「本当に何しに来たの。上からの確認だけ?」
夜刀は少し間を置いた。
「半分はそれ。あと半分は……まあ、ゆらちゃんに会いたかったのかな」
「初対面なのに?」
「聞いてたから。よく残る子がいるって」
よく残る子。その言い方を、私は前に聞いたことがある。蒐集商会の人間が使った言葉だ。
「……その言い方、蒐集商会の人と同じだ」
夜刀の笑顔が、また一瞬止まった。
今度は朔夜が動いた。夜刀と私の間に、す、と入る。
「今日はここまでだ」
「追い出す気?先輩を」
「そうだ」
「つれないなぁ」と夜刀は言いながら、ゆっくり立ち上がった。「まぁ、また来るし」
「二度と来るな」
「来るよ。上からの確認、まだ終わってないし」
夜刀が扉に向かう。その背中を見ながら、私はぬいに囁いた。
「ぬい、こいつ何者」
「……後で話す」
「今日二回目だよ、それ」
「後で話す、としか言えぬ」
夜刀が扉の前で振り返った。人差し指を1本立てて、朔夜に向けながら。
「朔夜くん、一個だけ」
「なんだ」
「もうちょい、焦った方がいいよ。上は、もうゆらちゃんに値段つけてるから」
朔夜が何も言わなかった。夜刀は笑ったまま出ていった。
扉が閉まる。事務所が静かになった。
私は朔夜の背中を見た。
「ねぇ……朔夜」
「なんだ」
「あの人、信用できる?」
「できない。するな」
「でも、嘘はついてない?」
長い沈黙があった。
「……ついてない、と思う」
その答えが、一番嫌だった。
ぬいが私の肩でため息をついた。
「ふぅ……ゆら」
「うん」
「しばらく、朔夜のそばを離れるな」
「……夜刀から離れろってこと?」
「そういうことじゃな」
私は閉まった扉を見た。また来る、と言った。本当に来ると思う。笑いながら、何でもないふりをして、また来る。
それが一番怖かった。
■ 登場キャラクター
影森ゆら
知らない男に「ゆらちゃん」と呼ばれた。断る間もなかった。蒐集商会と同じ言い回しをされて、嫌な予感だけが先に来ている。
夜見朔夜
夜刀が来た瞬間に立ち上がった。ゆらと夜刀の間に入った。今日一番機嫌が悪かった。それ以上のことは言わない。
黒瀬夜刀
初登場。朔夜の先輩で、同じ系譜の存在。笑ってばかりいるが目が遠い。「上からの確認」を口実に来たが、本音の半分はゆらを見に来ることだった。「よく残る子」という言い方が蒐集商会と重なる。その理由は、まだ言わない。
朔夜と同じで超イケメン(イケオジの部類)。クズかどうかはまだわからない。
ぬい
夜刀を知っていた。「あまり話すな」と言った。「後で話す」と言ったまま話していない。
■ 今回の話について
帰還者・黒瀬夜刀の初登場回です。前編はコメディ寄りの温度で、夜刀のちょっかいと朔夜の機嫌最悪を軸に動かしました。夜刀が何者かはまだ明かしていませんが、「上からの確認」「よく残る子」「値段がついてる」の三点が不穏として残ります。後編では花嫁因子への言及と、朔夜が本気で怒る場面に入ります。
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