配信40回目 事務所に泊まる羽目になった――VHSの中の声が、知っている
帰れない夜は、たいていろくでもない理由がある。
深夜、古い機材から声が聞こえた。
誰かが配信していた記録が、まだそこに残っていた。
終電を逃したのは、私のせいじゃない。
そこだけははっきり言っておきたい。
夜見よろず相談事務所の机の上でメールの返信を打ちながら、時計を見たら日付が変わっていた。電車はとっくに終わっていた。帰れない。そういうことだ。
「……詰んだ」
「なんじゃ」とぬいが冷蔵庫の上から言う。
「終電なくなった」
「ふむ。まあ、そうなるじゃろうと思っておった」
「思ってたなら教えてくれよ!」
朔夜はソファに沈んだまま端末を見ていて、私の方に目も向けない。
「泊まれ」
「え?」
「ソファがある」
「それだけ?」
「それだけだ」
普通なら「帰れないならタクシー代出せ」と言うところだが、朔夜の財布のヒモの固さは私が一番よく知っている。
るなにレインを送った。「今日帰れない」と。三秒でレスが来た。
『えぇ〜!朔夜さんとこ!?なになになに!?』
「何もないんだよ」と返したら「うそだぁ〜」が来た。
母には「友達の家に泊まる」と送った。朔夜がそれを横から見て「嘘をつくな」と言った。
「じゃあなんて言えばいいの」
「怪異相談屋の事務所」
「そんなの言えるわけないだろ、バカ!」
結局「友達の家」で押し通した。朔夜は一言「勝手にしろ」と言って、それきり関心をなくした。
ぬいがソファの背でくるりと丸くなった。
「まあ、今夜はここにいた方がよかろう」
「なんで」
「……あの棚が、温かいのじゃ」
事務所の奥、古い機材が積み上がっている棚。目を向けると、確かにその棚だけ空気が少し違う気がした。
「機材の熱とかじゃないの」
「電源が入っておらん機材が、温かいのはおかしい」
朔夜が端末から目を上げた。ぬいの言葉を聞いていたらしい。
「今夜はここから出るな」
「え、なんで急に」
「何かいる。外に出た瞬間に、追ってくる可能性がある」
「それって私が囮ってこと?」
「事務所から出るなと言っている」
「答えろ! 守ってるの? 囮なの?」
クズは答えなかった。
答えないことが、今夜は少しだけイヤだった。
―――
日付が変わって一時間が過ぎた頃、棚が動いた。
動いた、というより、音がした。
がたり、という小さな音。棚の奥から、乾いた機械音が低く鳴り始めた。
「……朔夜」
「聞こえてる」
朔夜が棚へ向かう。積み上がった機材をよけながら奥を探ると、一番奥に古いVHSデッキが一台あった。接続されていない。電源コードは抜けている。なのに、テープを巻き取るような音が、確かに中から鳴っている。
「触るな」
「触ってない!」
「ぬいも触るな」
「触らんわい」
朔夜がデッキをじっと見た。数秒、動かない。
「テープが入っている。誰かが入れたのか、もともとあったのかは分からない」
「どうするの」
「確認する」
「再生するの?」
「コードを繋がずに確認する手段がある」
朔夜は護符を一枚、デッキの上に置いた。薄く光る。それだけで、棚の周りの空気が少しだけ固まった気がした。
ぬいが耳をぴっと立てる。
「……中に何かおる。強くはない。でも古い」
「古いってどういう意味」
「長い間、ここにあったということじゃ。誰にも見つけられんまま、ずっと」
―――
朔夜がコードを繋いだのは、それから三十分後だった。
「再生するの?」
「少しだけだ。何が入っているか確認して、すぐ止める」
「止めきれなかったら?」
「止める」
強引な答えだった。でも朔夜がそう言う時は、たいていちゃんと止める。
再生ボタンを押した。
画面が砂嵐になった。
音声だけ、鮮明に流れてくる。
「今夜も来てくれてありがとう。……この場所が、どれだけ続くか分からないけど」
男の声だった。
朔夜に似ていたが、朔夜じゃない。もう少し若くて、少し掠れている。
「……誰の声?」
朔夜が答えなかった。
「配信してたの? 昔、誰かが」
答えなかった。
ぬいが、私の肩の上で小さく息を吐いた。
「……わしは、この声を知っとる」
その一言で、部屋の空気が変わった気がした。
「どういうこと? ぬい、誰の声か分かるの」
「……今は言えぬ」
「なんで」
「”今は言えぬ”、と言っておる」
音声が続く。
「……いつか、ここに誰かが来てくれるといい。俺がいなくなっても、この場所が」
そこでテープが止まった。
朔夜が電源を切った。コードを抜くと、静かになった。
「朔夜」
「なんだ」
「あの声、知ってる?」
「知らん」
「嘘っぽい」
「知らん、と言った」
それ以上は聞かなかった。朔夜が「知らない」と言う時の声の温度を、私は覚えてきてしまっていた。本当に知らない時と、知っているのに言わない時で、同じ「知らない」でも少しだけ違う。
今夜は、後者だった。
―――
午前二時を過ぎた頃。
朔夜は机で仕事を続けていた。私はソファで横になっていたが、眠れなかった。
棚が、また鳴った。
今度は音じゃなかった。
VHSデッキの、電源を抜いたはずの画面が、薄く光った。
「……え」
砂嵐じゃない。
画面の中に、この事務所が映っていた。
今のこの事務所が。机も、書類も、配信機材も、全部同じ配置で映っている。カメラが一台、三脚の上に立てられていて、そこから今の事務所を映している構図だ。
「朔夜」
「見た」
「あれ、今の事務所じゃないの」
「そうだ」
「どういうこと?」
「テープの中に、今の映像が入り込んでいる」
ぬいが棚から跳び降りて、私の肩に乗った。爪が少し食い込む。
「……ゆら。あの画面を、じっと見るな」
「なんで」
「映ってしまうから」
言われた瞬間、視線を外そうとした。
でも遅かった。
砂嵐の画面の中に、私の後ろ姿が映っていた。
今のソファに横になっていた、私の後ろ姿が。
「……え」
画面の中の私が、ゆっくりと振り向いた。
「いや待って、こっち向くな——」
画面から、手が出てきた。
VHSデッキの小さな画面から、人間の腕が出てくる。物理的にありえないサイズのはずなのに、出てくる。白くて細い手が、こちらへ伸びてくる。
朔夜が護符を構えた。
でも一瞬早かった。
手が、私の首に巻きついた。
「っ——!」
冷たい。指が細い。でも力が強い。
「離せ!」
「影森!」
朔夜が護符を叩きつける。手がぶれる。でも離れない。むしろ一段強くなった。デッキが火花を散らす。護符が弾かれる。
ぬいが叫ぶ。
「朔夜! 引き込もうとしている!」
「分かってる!」
引き込もうとしている。画面の中へ。首を掴んだまま、向こう側へ私を引き摺り込もうとしている。
もう一枚、護符が飛んだ。今度は手首に当たる。
手が一瞬だけゆるんだ。
その隙に、私は逃げようとした。
一歩、踏み出した瞬間。
手が、首を掴み直した。
今度は全力だった。
ぎし、と音がした。
首の骨が、鳴った。
嫌な音だった。聞いたことのない種類の音だった。自分の体の中から、ごきり、と固いものが折れる感触。
痛みより先に、視界が白くなった。
「あ——」
それだけ出た。
声にもならなかった。
意識が一点に絞られて、次の瞬間にはもう、何もなかった。
私は、また死んだ。
―――
気づいたら、テープの中にいた。
古い事務所に似た空間だった。でも家具の配置が少し違う。壁紙の色が違う。窓の位置が違う。
カメラが一台、三脚の上に立っている。
その前に、椅子が一脚。
ぬいが肩の上にいた。
「生きとるか」
「死んでるだろ」
「そうじゃったな。すまん」
「謝るくらいなら止めてよ」
「止められんかった。すまん」
二度謝った。珍しい。それだけ今回がまずいということだ。
部屋を見渡す。出口が分からない。来た場所、つまり画面の方向も分からない。
「核は?」
「あのカメラじゃ」
ぬいが言う。三脚の上のカメラを見る。レンズが、こちらを向いている。
「あのカメラが核なの?」
「視聴者の怨念が積み重なっとる。見られ続けた記録が、怪異になった。見る側を取り込もうとしている」
「見られすぎて怪異になったって……」
「配信というものは、恐ろしい」
カメラに近づく。レンズの中に、映像が見えた。今の事務所が映っている。朔夜が護符を積み重ねながら何かをしているのが分かった。生きている方の世界だ。
そして、カメラの横に何かが見えた。
棚の隅に、古いノートが一冊。
配信記録だった。
日付と、視聴者数と、一言だけのメモが続いている。
最後のページに、一行だけ書いてあった。
『誰かが見てくれている間は、ここにいられる』
「……」
私は朔夜の声を思い出した。
『今夜も来てくれてありがとう。この場所が、どれだけ続くか分からないけど』
テープに残っていた音声。
誰かがここで配信していた。見られることで、ここにいられた誰かが。
「ぬい」
「なんじゃ」
「この部屋、知ってるって言ったじゃん。さっき」
ぬいが少し間を置いた。
「……後で話す」
「後でじゃなくて今」
「今は無理じゃ。今はそれより——」
「——逃げろ!」
カメラのレンズが、赤く光った。
録画が始まった音がした。
記録される。映される。取り込まれる。
「走れ!」
カメラから離れた方向へ走った。ぬいが肩に爪を立てる。部屋の端まで走ったが、壁だった。窓がある。外は砂嵐だ。
外じゃない。画面の方向を探す。
奥だ。暗い方。
「あっちか!」
カメラの赤いランプが、こちらを追って向きを変えた。三脚が、誰も動かしていないのに回転している。
「気持ち悪っ!!」
「走れ!」
走った。暗い方へ。壁に手をついたら、そこだけ温度が違った。
「ここ!」
「そこが出口じゃ!」
外から、朔夜の術式が届いた。
|"記録焼却"《ログ・イレイズ》。
テープの記録が端から焼かれていく感触。部屋全体がぐらり、と揺れた。
続いて、|"位相固定"《フェイズ・ロック》。
出口の壁が、光った。
「行けっ!」
壁に飛び込んだ。
体が、向こう側へ出た。
―――
事務所の床に叩き出された。
体がある。生身だ。
でも首が痛い。骨が折れているかもしれない。というか、折れた音を聞いた。でも動いているということは、蘇生処理が入っているということだ。
「がっ……くそ……!」
床に手をついて起き上がろうとしたら、背中から朔夜の手が入って引き起こされた。
「起きるな。まだ補修が終わってない」
「補修って.....」
「首の骨が折れてた。接合した。痛いのは当たり前だ」
当たり前じゃない。当たり前に言うな。
「……死んだ?」
「死んだ。一回だ」
「VHSに首折られた……」
「そうだ」
「最悪すぎる死に方してる私……」
「毎回最悪だ」
フォローになってない。でも今は突っ込む気力もなかった。
VHSデッキを見た。画面は消えている。テープが出てきていた。朔夜が焼いたのか、端が少し黒くなっている。
「……ぬい」
「なんじゃ」
「さっきの部屋、知ってるって言ってたじゃん。後で話すって」
ぬいが私の膝の上に降りてきた。しばらく黙っていた。
「……今は言えぬ」
「また今は言えぬ」
「すまんの」
朔夜が、ぬいを見た。
「ぬいに聞け。テープの中の部屋を知っているか」
ぬいは朔夜の目を一瞬だけ見て、そらした。
「……知っておる。でも今は言えぬ」
「なぜ」
「まだ、わしにも整理できておらんから」
朔夜は何も言わなかった。
でも、何かを確認した顔をしていた。
私には分からない何かを、二人は知っている。あのテープの中の声も、あの部屋も、何か繋がっていて、朔夜もぬいも、まだそれを言わない。
今夜はここまでだ、と思った。
聞いても答えが返ってこない夜がある。この事務所には、そういう夜が多い。
―――
朝が来た。
ソファの上で目が覚めた。体が痛い。首が特に痛い。昨日骨が折れたから当然だ。
事務所には誰もいなかった。
朔夜はどこかに出かけているらしい。ぬいも見当たらない。
机の上を見ると、二つの『もの』が並んで置いてあった。
トーストが一枚。
請求書が一枚。
ゆらはしばらく両方を交互に見た。トースト。請求書。トースト。請求書。
請求書を手に取る。
蘇生費。深夜割増。護符消費三枚分。VHSデッキ修繕費(焼損につき実費)。
合計、増えた。
「…………」
くしゃっと握り潰した。
(やっぱりアイツはクズだ。死ね。)
トーストを一口かじった。うまかった。
ぬいが窓の外から戻ってきて、私の横に降りた。
「起きたか」
「起きた」
「トーストは」
「うまい」
「じゃあよかったのう」
「よくない。請求書もある」
「そうじゃのう」
ぬいは私の膝の上に転がって、短く息を吐いた。
「……昨日のテープの話、いつか話す。まだ整理できておらんが、いつか」
「うん」
「それまで待ってくれるか」
「待つよ」
私は窓の外を見た。五月の朝だ。事務所の窓から見える景色は、どこにでもある街の朝だ。
でも昨日の夜、このビルの奥の棚に、誰かがずっといた。見られることでここにいられた誰かが。その記録がテープになって、ずっとここにあった。
まだ何も分からない。
でも、いつか分かる日が来るんだと思った。
「帰る前に、借金の今の総額聞いていい?」
朔夜から、レインが来た。
『帰ったら計算する。増えてる』
「知ってる」
トーストの残りをかじって、ソファから立ち上がった。
私の人生初めての異性とのお泊りは、こうして最悪な死に方で終わったのだった。
ゆら「配信っていうか、もう半分、業務報告だよね。――四十回。」
―――――
■ 登場キャラクター
影森ゆら
VHSデッキの画面から手が出てきて首を折られた女子高生。今回の死に方は自分でも「最悪すぎる」と言っている。テープの中の部屋でカメラの核を確認し、朔夜の術式と連携して戻ってきた。朝のトーストはうまかったが請求書は握り潰した。
夜見朔夜
「出るな」と言った理由を最後まで「囮か守りか」どちらか答えなかった。テープの音声に一瞬だけ反応したが「知らない」と言い張った。朝のトーストと請求書を同時に置いて出かけた。性格は終わっている。
ぬい
「あの棚が温かい」と最初に気づいた。テープの中の部屋を「知っとる」と言いかけて「今は言えぬ」と引いた。54話への明確な伏線。朔夜にも同じことを聞かれて目をそらした。いつか話すと約束した。
■ 今回の話について
VHSアナログ怪異回です。テープの中に残っていたのは「視聴者に見られることでその場にいられた誰かの配信記録」が怪異化したもの、という構造にしました。見られることで存在できた記録が、今度は見た側を取り込もうとする、という反転が今回の核です。
死のシーンは首の骨が折れる音から意識消失まで、今回はっきり描きました。
また、ぬいが「この部屋を知っとる」と言いかけて引いた場面は、今後の伏線になりそうです。テープの音声・あの部屋・ぬいの出自が、後の話でつながります。
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