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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第二章 花嫁候補とか、聞いてない(春~夏)

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配信38回目 間取りにない部屋【前編】――図面に載っていない扉がある


 引っ越し先の間取り図に、部屋が一つ多かった。

 夜になると、廊下の先に扉が出る。

 死後側からじゃないと、分からないことがある。


 相談メールの文面は、短かった。


『引っ越してきた部屋の間取りに、()()()()()()()()()があります。夜だけ廊下の突き当たりに出て、朝になると消えています。毎朝、物が少しずつ動いています。先生の配信を見て、連絡しました』


 私がそれを読み上げると、


 朔夜さくやはコーヒーを一口飲んで言った。


「よし、行くぞ」


「え、今夜?」


「今夜」


「え〜〜〜!見たい配信あったのに……」


「えーじゃない。現地確認が先だ」


 ぬいが冷蔵庫の上でのそりと起きあがった。


 灰白色かいはくしょくのふわふわした体が、ゆるりと揺れる。


「夜の物件か。じとっとした(にお)いがするのう」


「それ毎回言うよね」


「毎回そういう案件しか来ないからじゃ」


 何も言い返せない。



―――


 依頼人の真崎(まさき)さんは、三十代前半くらいの女性だった。


 新しい職場に近い物件を探して、二週間前に引っ越してきたばかりだという。


 写真で見た印象より、目の周りが暗かった。


 眠れていない顔だ。


 玄関先で出迎えてくれた時、最初に謝られた。


「わざわざすいません。こんな話、おかしいと思われるかもしれなくて――」


「おかしくないですよ!」


 私が即答すると、真崎さんは少し驚いた顔をした。


「……あなたの配信、怖くて最後まで見られなかったんですけど。連絡してよかったです」


「ありがとうございます」


 朔夜が無言で中へ入る。――()()()に愛想は期待しない方がいい。



―――


 1LDKの部屋は、生活感の薄い空間だった。


 段ボールがまだいくつか積んである。


 引っ越しの荷解き(にほどき)が、途中で止まっている。


「止まったんです、荷解き」


 真崎さんは言った。


「扉が出るようになってから、この部屋に長くいるのが怖くて」


 朔夜が間取り図を広げる。


 LDK、寝室、バスルーム、玄関収納。

 それだけの、普通の一人暮らし用の間取りだ。


「扉が出るのはどこですか」


「廊下の突き当たりです。寝室に向かう手前のところ」


 朔夜が廊下へ行く。


 私とぬいもついていく。


 廊下は短かった。


 玄関から寝室まで、七、八歩もあれば届く。

 突き当たりには、壁があった。

 普通の、白い壁。


「今は出ていませんね」


「夜の十一時過ぎくらいから出るんです。毎晩」


 朔夜が壁に手を当て数秒、何かを確かめるように立ち止まった。


「ここは……境界が薄い」


「扉が出る理由になる?」


「なるな。この壁の向こうが、向こう側(あの世)とほぼ繋がりかけている。夜、気温と湿度が下がると、境界がさらに薄くなって、扉として形が出る」


「形として出るってどういうこと」


「向こう側にある"扉"が、こっちに透けて見えるようになる。向こう側は、こちら側と構造は重なってる。だから夜だけ見える」


 ぬいが廊下の端で、小さくうなる。


「廊下の空気が違うのう。端っこだけ温度が一段低い」


 言われてみると、私も感じた。


 廊下の突き当たりだけ、すうっと冷えている。


 六月手前の夜にしては、不自然な冷たさだ。


「真崎さん、この部屋、内見の時に気になることはありませんでしたか」


「特には……。少し古い物件だとは思いましたが」


「以前の住人について、何か聞きましたか」


「……」


 真崎さんの表情が、少し変わった。


「不動産屋さんに聞いたら、前の方は急に引越しされたって言っていました。理由は教えてもらえなかったです」


 朔夜が壁から手を離した。


「今夜、十一時まで待ちます。扉が出たら確認したい」


真崎さん「私も一緒にいていいですか」


「いない方がいいですが、真崎さんの意思なら止めません」


「......一緒にいます」


 真崎さんは、はっきりと言った。


 自分の部屋に出た怪異から、逃げないと決めた顔だった。


―――


 十一時五分。


 扉が出た。最初は輪郭だった。


 壁の中に、四角い線が浮かぶ。

 うっすらと、でも確実に。


 ドアノブの形まで、きちんと出ている。


「出た……」


 真崎さんが息を呑む声がした。


 ぬいが私の肩の上で身を固くする。


「こっちからと向こうからで、廊下の長さが合わないのう」


「え?」


 ぬいの言葉の意味が、すぐには分からなかった。


「見てみい。玄関からここまで何歩じゃった」


「七、八歩くらい」


「では向こうからは?」


 私は扉の形を見た。


 向こう側に廊下がある。


 同じ廊下だ。


 同じ壁の色、同じ床材、同じ電球の光。


 でも、扉の向こうに見える廊下は、こっちより長い。


「長い……」


「向こうの廊下は、こっちより三倍は長いじゃろう。同じ建物のはずなのに」


 朔夜が静かに言った。


「向こう側では、この物件の構造が違う。廊下の先に、こっちには存在しない部屋がある」


 ()()()()()()()()()


 そういうことか。


「その部屋に何かいるの?」


「その可能性が高い。ただ、今夜は確認だけだ」


 朔夜が配信機材を構える。


 スマホのカメラを扉の形に向ける。


「ゆら、霊体で入れるか」


「え」


 私は扉を見た。


 向こう側の廊下が、長くこちらへ伸びている。


 薄い電球の光。


 古い壁紙。


 誰もいないのに、人が()()気配のする場所の空気。


「生身では入れない。扉はあくまで形だ。実体じゃない」


「霊体なら入れる?」


「霊体なら境界の薄い場所を通り抜けられる。ここなら、その条件を満たしてる」


 つまり。


「死んで入れってことか!!」


「正確には、霊体状態で境界を通過してもらう。向こうの構造を確認して、核の場所だけ教えてくれれば十分だ」


 ぬいが私の耳元でささやく。


「嫌なら嫌と言えばよい」


「嫌なんだけど、真崎さんがいる前で嫌って言うのも嫌なんだよ」


「お前の悩みはいつも面倒じゃのう」


 私は真崎さんを見た。


 真崎さんは、黙って扉の形を見ていた。


 自分の部屋に、毎晩扉が出る。


 毎朝物が動く。


 眠れない夜が続いている。


 でも逃げなかった。


 ため息をついた。


「分かった。行く」


「待て」


 朔夜が私の腕をつかんだ。


「向こうで何かに声をかけられても、答えるな。誰かに見えても、触れるな。これだけ守れば戻れる」


「何かいるの?」


「可能性の話だ」


「可能性があるから言ってるんじゃないの」


「……守れるか」


「守る。守るから早く行かせてくれ、怖いから早く終わらせたい」


 朔夜が手を離した。


 私は廊下の突き当たりに向かって、一歩踏み出した。


―――


 次の瞬間、世界の温度が変わった。


 寒い。


 六月前の夜じゃない温度だ。


 もっと遅い秋か、冬の入口みたいな寒さ。


 そして、廊下が長かった。


 さっきまで七、八歩だったはずの廊下が、ずっと先まで続いている。


 振り返ると、扉の向こうにリビングの光がある。


 真崎さんと朔夜の輪郭が見える。


 声は聞こえない。


「……向こう側に入れた」


 自分の声が、少し遠く聞こえる。


 ぬいが肩の上で、爪を立てた。


「生きとるか」


「生きてる」


「霊体に見えるが」


「それは毎回そうじゃない?――今回は痛くなくて、よかった」


 廊下の先を見る。


 長い。


 すごく長い。


 でも、突き当たりは見える。


 扉がある。


 木製の古い扉。


 ノブはびかけた金色。


 すりガラスのはまった扉だ。


「何かいる?」


「……分からぬ」


 ぬいの声が、珍しく慎重だった。


「生きている何かじゃない。でも強くもない。何か()()()()()、って感じじゃ」


 残っている。


 私は扉に近づいた。


 すりガラスの向こうに、光がある。


 電球の黄色い光じゃなくて、もっと白くて冷たい光。


 扉に手を当てた。


 その瞬間、ガラス越しに見えた。


 部屋の中に、テーブルがあった。


 椅子が二脚、向かい合って置かれている。


 テーブルの上に、コップが二つ。

 片方は中身が入っている。もう片方は空だ。


 テーブルの横に、段ボール箱が積まれている。

 中身は荷物だ。引っ越しの途中で、止まったまま。


「……荷解きが、途中で止まってる、って真崎さんいってたっけ」


 ぬいが静かに言った。


「おいおい、こっちの話ではないぞ。向こう側の話じゃ」


 私は唾を飲み込んだ。


 あの世に残っているのは、誰かが「行けなかった場所」の残留だ。


 引っ越しの途中で、止まってしまった人の残留――。


 続く。





■ 登場キャラクター


影森かげもりゆら

今回も霊体での現地確認を引き受けた。死後側に入ると生身では見えない「向こう側の構造」が見える適性を、今回もフル活用させられている。扉の向こうに見えた「途中で止まった引っ越し」の意味を、まだ飲み込みきれていない。


夜見よみ朔夜さくや

現地確認と生身での侵入は不可と判断し、ゆらの霊体投入を即決した。腕を掴んで注意事項を言った割に、手を離すのは早かった。


ぬい

「じとっとした匂い」で最初から察知していた。向こう側でも珍しく慎重な言い方をしている。「残っている」の正体に、うっすら気づいている。


真崎さん

新居に引っ越してきたばかりの依頼人。眠れない夜が続いているのに逃げなかった。自分の部屋のことを自分の目で確かめる、と決めた人。


■ 今回の話について


リミナルスペース回の前編です。「間取り図に載っていない部屋」という怪異は、向こう側と現実の空間が重なっているという構造から来ています。生身では見えない「廊下の長さの差」「向こう側の扉」が、霊体のゆら視点だからこそ分かる、という形で死後潜入パートを自然に組み込みました。今回見えた「途中で止まった引っ越し」の残留については、後編で明かされます。


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