配信38回目 間取りにない部屋【前編】――図面に載っていない扉がある
引っ越し先の間取り図に、部屋が一つ多かった。
夜になると、廊下の先に扉が出る。
死後側からじゃないと、分からないことがある。
相談メールの文面は、短かった。
『引っ越してきた部屋の間取りに、存在しないはずの扉があります。夜だけ廊下の突き当たりに出て、朝になると消えています。毎朝、物が少しずつ動いています。先生の配信を見て、連絡しました』
私がそれを読み上げると、
朔夜はコーヒーを一口飲んで言った。
「よし、行くぞ」
「え、今夜?」
「今夜」
「え〜〜〜!見たい配信あったのに……」
「えーじゃない。現地確認が先だ」
ぬいが冷蔵庫の上でのそりと起きあがった。
灰白色のふわふわした体が、ゆるりと揺れる。
「夜の物件か。じとっとした匂いがするのう」
「それ毎回言うよね」
「毎回そういう案件しか来ないからじゃ」
何も言い返せない。
―――
依頼人の真崎さんは、三十代前半くらいの女性だった。
新しい職場に近い物件を探して、二週間前に引っ越してきたばかりだという。
写真で見た印象より、目の周りが暗かった。
眠れていない顔だ。
玄関先で出迎えてくれた時、最初に謝られた。
「わざわざすいません。こんな話、おかしいと思われるかもしれなくて――」
「おかしくないですよ!」
私が即答すると、真崎さんは少し驚いた顔をした。
「……あなたの配信、怖くて最後まで見られなかったんですけど。連絡してよかったです」
「ありがとうございます」
朔夜が無言で中へ入る。――コイツに愛想は期待しない方がいい。
―――
1LDKの部屋は、生活感の薄い空間だった。
段ボールがまだいくつか積んである。
引っ越しの荷解きが、途中で止まっている。
「止まったんです、荷解き」
真崎さんは言った。
「扉が出るようになってから、この部屋に長くいるのが怖くて」
朔夜が間取り図を広げる。
LDK、寝室、バスルーム、玄関収納。
それだけの、普通の一人暮らし用の間取りだ。
「扉が出るのはどこですか」
「廊下の突き当たりです。寝室に向かう手前のところ」
朔夜が廊下へ行く。
私とぬいもついていく。
廊下は短かった。
玄関から寝室まで、七、八歩もあれば届く。
突き当たりには、壁があった。
普通の、白い壁。
「今は出ていませんね」
「夜の十一時過ぎくらいから出るんです。毎晩」
朔夜が壁に手を当て数秒、何かを確かめるように立ち止まった。
「ここは……境界が薄い」
「扉が出る理由になる?」
「なるな。この壁の向こうが、向こう側とほぼ繋がりかけている。夜、気温と湿度が下がると、境界がさらに薄くなって、扉として形が出る」
「形として出るってどういうこと」
「向こう側にある"扉"が、こっちに透けて見えるようになる。向こう側は、こちら側と構造は重なってる。だから夜だけ見える」
ぬいが廊下の端で、小さく唸る。
「廊下の空気が違うのう。端っこだけ温度が一段低い」
言われてみると、私も感じた。
廊下の突き当たりだけ、すうっと冷えている。
六月手前の夜にしては、不自然な冷たさだ。
「真崎さん、この部屋、内見の時に気になることはありませんでしたか」
「特には……。少し古い物件だとは思いましたが」
「以前の住人について、何か聞きましたか」
「……」
真崎さんの表情が、少し変わった。
「不動産屋さんに聞いたら、前の方は急に引越しされたって言っていました。理由は教えてもらえなかったです」
朔夜が壁から手を離した。
「今夜、十一時まで待ちます。扉が出たら確認したい」
真崎さん「私も一緒にいていいですか」
「いない方がいいですが、真崎さんの意思なら止めません」
「......一緒にいます」
真崎さんは、はっきりと言った。
自分の部屋に出た怪異から、逃げないと決めた顔だった。
―――
十一時五分。
扉が出た。最初は輪郭だった。
壁の中に、四角い線が浮かぶ。
うっすらと、でも確実に。
ドアノブの形まで、きちんと出ている。
「出た……」
真崎さんが息を呑む声がした。
ぬいが私の肩の上で身を固くする。
「こっちからと向こうからで、廊下の長さが合わないのう」
「え?」
ぬいの言葉の意味が、すぐには分からなかった。
「見てみい。玄関からここまで何歩じゃった」
「七、八歩くらい」
「では向こうからは?」
私は扉の形を見た。
向こう側に廊下がある。
同じ廊下だ。
同じ壁の色、同じ床材、同じ電球の光。
でも、扉の向こうに見える廊下は、こっちより長い。
「長い……」
「向こうの廊下は、こっちより三倍は長いじゃろう。同じ建物のはずなのに」
朔夜が静かに言った。
「向こう側では、この物件の構造が違う。廊下の先に、こっちには存在しない部屋がある」
間取りにない部屋。
そういうことか。
「その部屋に何かいるの?」
「その可能性が高い。ただ、今夜は確認だけだ」
朔夜が配信機材を構える。
スマホのカメラを扉の形に向ける。
「ゆら、霊体で入れるか」
「え」
私は扉を見た。
向こう側の廊下が、長くこちらへ伸びている。
薄い電球の光。
古い壁紙。
誰もいないのに、人がいた気配のする場所の空気。
「生身では入れない。扉はあくまで形だ。実体じゃない」
「霊体なら入れる?」
「霊体なら境界の薄い場所を通り抜けられる。ここなら、その条件を満たしてる」
つまり。
「死んで入れってことか!!」
「正確には、霊体状態で境界を通過してもらう。向こうの構造を確認して、核の場所だけ教えてくれれば十分だ」
ぬいが私の耳元で囁く。
「嫌なら嫌と言えばよい」
「嫌なんだけど、真崎さんがいる前で嫌って言うのも嫌なんだよ」
「お前の悩みはいつも面倒じゃのう」
私は真崎さんを見た。
真崎さんは、黙って扉の形を見ていた。
自分の部屋に、毎晩扉が出る。
毎朝物が動く。
眠れない夜が続いている。
でも逃げなかった。
ため息をついた。
「分かった。行く」
「待て」
朔夜が私の腕を掴んだ。
「向こうで何かに声をかけられても、答えるな。誰かに見えても、触れるな。これだけ守れば戻れる」
「何かいるの?」
「可能性の話だ」
「可能性があるから言ってるんじゃないの」
「……守れるか」
「守る。守るから早く行かせてくれ、怖いから早く終わらせたい」
朔夜が手を離した。
私は廊下の突き当たりに向かって、一歩踏み出した。
―――
次の瞬間、世界の温度が変わった。
寒い。
六月前の夜じゃない温度だ。
もっと遅い秋か、冬の入口みたいな寒さ。
そして、廊下が長かった。
さっきまで七、八歩だったはずの廊下が、ずっと先まで続いている。
振り返ると、扉の向こうにリビングの光がある。
真崎さんと朔夜の輪郭が見える。
声は聞こえない。
「……向こう側に入れた」
自分の声が、少し遠く聞こえる。
ぬいが肩の上で、爪を立てた。
「生きとるか」
「生きてる」
「霊体に見えるが」
「それは毎回そうじゃない?――今回は痛くなくて、よかった」
廊下の先を見る。
長い。
すごく長い。
でも、突き当たりは見える。
扉がある。
木製の古い扉。
ノブは錆びかけた金色。
すりガラスのはまった扉だ。
「何かいる?」
「……分からぬ」
ぬいの声が、珍しく慎重だった。
「生きている何かじゃない。でも強くもない。何か残っている、って感じじゃ」
残っている。
私は扉に近づいた。
すりガラスの向こうに、光がある。
電球の黄色い光じゃなくて、もっと白くて冷たい光。
扉に手を当てた。
その瞬間、ガラス越しに見えた。
部屋の中に、テーブルがあった。
椅子が二脚、向かい合って置かれている。
テーブルの上に、コップが二つ。
片方は中身が入っている。もう片方は空だ。
テーブルの横に、段ボール箱が積まれている。
中身は荷物だ。引っ越しの途中で、止まったまま。
「……荷解きが、途中で止まってる、って真崎さんいってたっけ」
ぬいが静かに言った。
「おいおい、こっちの話ではないぞ。向こう側の話じゃ」
私は唾を飲み込んだ。
あの世に残っているのは、誰かが「行けなかった場所」の残留だ。
引っ越しの途中で、止まってしまった人の残留――。
続く。
■ 登場キャラクター
影森ゆら
今回も霊体での現地確認を引き受けた。死後側に入ると生身では見えない「向こう側の構造」が見える適性を、今回もフル活用させられている。扉の向こうに見えた「途中で止まった引っ越し」の意味を、まだ飲み込みきれていない。
夜見朔夜
現地確認と生身での侵入は不可と判断し、ゆらの霊体投入を即決した。腕を掴んで注意事項を言った割に、手を離すのは早かった。
ぬい
「じとっとした匂い」で最初から察知していた。向こう側でも珍しく慎重な言い方をしている。「残っている」の正体に、うっすら気づいている。
真崎さん
新居に引っ越してきたばかりの依頼人。眠れない夜が続いているのに逃げなかった。自分の部屋のことを自分の目で確かめる、と決めた人。
■ 今回の話について
リミナルスペース回の前編です。「間取り図に載っていない部屋」という怪異は、向こう側と現実の空間が重なっているという構造から来ています。生身では見えない「廊下の長さの差」「向こう側の扉」が、霊体のゆら視点だからこそ分かる、という形で死後潜入パートを自然に組み込みました。今回見えた「途中で止まった引っ越し」の残留については、後編で明かされます。
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