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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第二章 花嫁候補とか、聞いてない(春~夏)

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配信36回目 なゆさんの保健室――死因:カウンセラー

 昼休みの廊下は、いつもなら誰かしら人が流れている。


 でも保健室の前だけ、今日は妙に交通量が多かった。


 入っていく子がいる。出てくる子がいる。全員、どこかぼんやりしている。眠そうというより、焦点がほんの少しずれているというか、夢の中を歩いているというか。昼休みに体調が悪くなることはそこまで珍しくないとしても、人数が多すぎる。


 私はその列を横目で見ながら、鞄の口を少し開いた。


「ぬい―」


「なんじゃ」


「ここ、何か変じゃない?」


 鞄の中からもぞっと顔が出てくる。灰白色の毛。へたれた片耳。金色の目がぱちっと開いて、廊下を一瞥いちべつする。――しゃべらなければ、抜群に可愛い。

言うと調子に乗るから絶対に言わないけど。


「……フム。境界きょうかいの匂いがする」


 いつものおちゃらけた声じゃない。少しだけ低い。


 その瞬間、廊下の奥から養護ようご教諭が歩いてくるのが見えた。


 私は反射で鞄を閉めた。


「ぐむっ」


 くぐもった声がした。


「しゃべるな」


「おぬしが急に……」


「しゃべるなって言ってる!」


 養護教諭がこちらに近づいてくる。私は何でもない顔を作って壁際に寄った。先生はちらっとこっちを見て、通り過ぎていった。


 足音が遠ざかる。


 私は恐る恐る鞄を開けた。


 ぬいが潰れた顔をして、底に張りついていた。


「……殺す気か」


「ごめん」


「謝られると、余計腹が立つ」


「でも謝るより先にすることある?」


「ない。でも腹は立つ」


「それはごめん」


「二回謝るな、調子が狂う。帰りにプリンをよこせ」


 私はため息をついてから、もう一度保健室の扉を見た。


 入室する生徒が、また一人。眠そうな目で肩を少し落として、吸い込まれるよう保健室へと入っていく。


「ぬい、あの子たちも変?」


「変じゃな」


 ぬいが鞄のふちに前足をかける。


「きゃつらは、眠いんじゃない。すでに少し向こうに()()()()()。まだ浅いが......」


 私はそれを聞いてから、扉に手をかけた。


 開けた瞬間、消毒液の匂いと、もう一つ——薄く冷たい何かの匂いが混ざって流れてきた。


影森かげもりさん。どうぞ。入られますか――」


 白いカーディガン。机の上に置かれた白い手帳。整いすぎた顔。薄い琥珀こはく色の目が、穏やかにこちらを見ていた。


 鬼灯ほおずきなゆが、そこにいた。


「……なゆさん、また学校来てるじゃん」


「今学期もあちらの仕事と兼務けんむです」


「今学期も、って言える立場なの」


「社会的な立場が必要ですので」


「毎回同じ説明するなー」


「毎回同じことをしているので」


 鞄の中でぬいが「また会うたか」と小声でつぶやいた。なゆはそちらを一瞬だけ見て、また視線をゆらに戻した。何も言わない。鞄の中に霊獣がいることは気づいているようだが、当然のように受け流した。


 ―――


 幽々の面談の時間が来た。


 白澤しらさわ幽々《ゆゆ》が保健室に入っていくのを見送って、私は廊下の壁に背を預けた。待つしかない。


 ぬいが鞄から半分だけ顔を出す。


「なゆのせいじゃな、この濃さ」


「え」


「あれは向こう側の存在じゃ。閉じた場所に長居するほど、その空間の境界が削れる。今日は特に濃い」


「……なゆさん、それ知ってて来てるの?」


「さあ。知っとるんじゃないか」


「なんで来るの、じゃあ」


「さあ」


「さあしか言わないじゃん」


「わしには分からん」


 そこで、ぬいが急に黙った。


 口だけ少し開けたまま、鞄の縁から半分身を乗り出して、ぴたっと動かなくなる。


「どうした」


「……わしも少し、引かれる感じが」


「え、ぬいも?」


「ここ、なかなかに濃い。長居はしたくない」


「だったら出てくるな」


「おぬしが閉じたせいで出てきたんじゃ!」


「鞄の中にいろ!」


「言われんでも戻る!」


 ごそっと潜っていくのを確認してから、私は廊下に視線を戻し、さっき入っていった生徒たちのことを考えた。


 向こうに引かれかけている。まだ浅い。


 浅い、って何なんだろう。


 保健室から出てきた子が、またぼんやりした顔で廊下を歩いていく。壁にぶつかりそうになって、ふらっと方向を変えた。眠いんじゃない。歩き方が()すぎる。


 ツン――と鼻をつく消毒液の匂いが、廊下にまで薄く流れてくる。


 ―――


 幽々の面談が終わった。


 扉が開いて、幽々が出てくる。私は「どうだった」と聞こうとして、やめた。三人のルールだ。聞かない。


「ゆらちゃん、待ってたの」


「いや、どうせここにいたから」


「……ありがとう」


 幽々はそれだけ言って、少し廊下の先を見た。今日の幽々は、いつもより少しだけ色が薄い気がした。気のせいかもしれない。


 幽々が歩いていくのを見送り、私は保健室に入った。


「なゆさん」


「はい」


「あの子たち——保健室に来てた子たち、なゆさんがいるせいで引かれかけてるって、知ってた?」


 なゆが手帳を閉じる手を、止めた。


「……知っていました」


「じゃあなんでいんの」


「幽々さんのカウンセリングが必要だからです」


 その言い方が真っすぐで、私は言葉に詰まった。


「だからって——」


 奥のカーテンが揺れた。


 誰もいないのに。


「ゆら!」


 ぬいが鞄の中から飛び出してきた。体当たりするみたいな勢いで。その弾みで鞄がひっくり返り、教科書とルーズリーフとぬいが一緒に床に散らばった。


「あっ!」


 拾おうとしてかがんだ瞬間に、床の感触が消えた。


 薄い膜を踏み抜く感覚。足が、そのまま抜けていく。


「え、なんで私が——」


 死んだ。


 床に転がったぬいが、上を向いたまま一言言った。


「……鞄のせいにするでないぞ」


 なゆが静かに私を見下ろした。


「……また私です」


 ―――


 向こう側の保健室は、同じ形の部屋だった。


 ただ、日の差し方がおかしい。窓の外は明るいのに、部屋の中だけ一段曇っている。ベッドの白いカーテンは誰も触れていないのに、ゆっくりと揺れている。消毒液の匂いが、どこか遠くからただよってきている。


 天井を見上げた。普通の保健室の天井だ。


 ドアを開ける。廊下に出る。歩く。


 また保健室の扉があった。


 開ける。同じ部屋に戻る。


「……なにこれ」


 どのドアを開けても、保健室に戻ってきた。廊下が続かない。階段に出ない。外に繋がらない。


 眠れないのに横になれる場所。出口のない安静。


 ベッドに手を触れてみた。


「……こっち(死後)のほうが、ちょっとふかふかじゃない?」


 遠くから声がした。


「向こう側のベッドに品質を求めないでください」


 なゆだ。カーテンの向こうから、穏やかで事務的な声が届く。


「聞こえてんじゃん! だったら早くそっちに戻して!」


「今処理中です」


「死人を待たせるな!」


「少々お待ちください」


「少々って何分?」


「時間の概念は、そちらとこちらで変わっていますので、なんとも――」


「不親切すぎる!」


 でも声が聞こえる。向こう側まで届く、なゆの声。


 それがあれば、戻れる。


 ―――


 どれくらいたったのだろう。気がついたら、保健室のベッドに横になっていた。


 白いカーテン越しに光が差している。外から生徒の声がする。普通の昼休みだ。


「影森さん、気分は」


 なゆが横に立っていた。


「最悪」


「それは申し訳ありません」


 養護教諭が駆け寄ってくる。「急に倒れて——」


「少し過換気かかんきだったようです。安静にすれば問題ありません」


 なゆがさらっと処理する。先生が「じゃあ少し休んでいてね」と別の生徒の対応で席を外した。


 幽々がそっとカーテンの内側に入ってきて、私の顔を見た。


「また死んだ顔してる」


「言い方やめて」


「正確だから」


「それはそう」


 なゆが白い手帳を取り出した。


 いつものように開く。いつものように私のページを見る。いつものようにペンを持つ。


 ——止まった。


「……今回は」


 手帳を、閉じた。


()()()()()


 私が目を丸くする。


「え……ラッキー?」


「ラッキーではありません」


「なんで書かないの」


「私に起因する死は、記録すると上位への報告義務ほうこくぎむが生じます」


「報告、したくないの?」


「……今回の件は、私の不手際ふてぎわです。保健室の境界が薄くなることは予測できた。対処できなかった」


「つまりなゆさんが悪いってこと?」


「結果として、そうです。ただ、今回は書きません」


「書けないのと書かないのって、違う?」


「……今回は書きません」


「今二回目それ言った」


「三回言います。今回は書きません」


「意地になってる!!」


 幽々がそっと言った。


「……なゆさん、今ちょっと早口だったし、三回言った」


 なゆが微妙な間を持った。


「……おふたりとも、昼休みが終わります。教室へどうぞ」


「話を打ち切った!!」


 でも実際に昼休みが終わる。私は渋々ベッドから降りた。


 廊下に出る前に、振り返った。なゆはもう窓のほうを見ていた。白いカーディガン。閉じた手帳を胸に抱えたまま。春の校庭を見ている横顔。


 穏やかで、事務的で、でも少しだけ——何かを考えているような顔。


 書けない理由と、書かない理由。どっちが重かったんだろう、と思いながら、廊下へ出た。


 ―――


 放課後。校門を出たところで、スマホが鳴った。


 朔夜さくやからだった。


「何があった」


「なゆのせいで死んだ」


 短い沈黙。


「……なゆが」


「保健室の境界が薄くなってて引き込まれた。帳簿も書かれなかった」


「そうか」


「それだけ? 心配とかないの」


「お前の学校、今学期も案件が出そうか」


「出そうというか、なゆがいる時点でもうじわじわしてるんだけど」


「だったらいい。次から学校でも配信回せ。昼休みと放課後、スマホで十分だ」


 私は足を止めた。


「……は?」


「定点で回しとけ。素材になる」


「ちょっと待って。私の学校だから」


「知ってる」


「嫌。絶対嫌」


 はっきり言った。


「配信しながら死ぬじゃん。学校で死ぬのがそのまま流れるじゃん。私が怪しいやつだってバレるじゃん。三つ全部嫌」


 横で夜宵やよいるなが「三つ言うの珍しいね、ゆらちゃん」とメロンパンをかじりながら言った。


「三つとも全部まともな理由だから!」


 電話の向こうで、朔夜が少し間を置いた。


「借金が、減る」


 止まった。


「え……今、なんて」


「学校案件は学生層のチャンネル登録者数を動かす。収益が増えれば返済に充てられる」


「それ本当に?」


「嘘はつかない」


「つかないだけで誤魔化しはするじゃん」


「今回は誤魔化してない」


「……どのくらい減る」


「案件の規模次第だ」


「案件の規模って、私がどのくらいひどい目に遭うかじゃん」


「そうだな」


「最悪」


 しばらく黙った。


「……するとは言ってない」


「分かった」


「でもまあ……考える」


「分かった」


「考えるだけだから」


「分かった」


「なんで三回聞くの」


「お前が三回言ったから」


 通話が切れた。


 るなが「どうするのぉ」と聞いてくる。


「……どうしようかな」


「借金減るならいいんじゃないのぉ?」


「死ぬんだよ、毎回学校で」


「あ、そっかぁ……でもゆらちゃん、学校でも死んでるよぉ? 保健室で今日も死んでたし」


「……指摘が正確すぎる」


「えぇ?」


 ぬいが肩の上からぽつりと言った。


「やるんじゃろ、どうせ」


「う る さ い」


「借金の話になった瞬間、声のトーンが変わっとったぞ」


「うるさいって言った」


 春の夕方。制服の群れがバラけていく。自転車が追い抜いていく。普通の放課後だ。


 なゆが手帳を閉じた音が、まだ頭の隅にある。書けないと書かないのどちらが重かったのか、なゆは最後まで答えなかった。


 でも、私の頭の中はもう別のことを考えていた。


 借金が減る。学校配信。


 あーあ。


 私って、()()な女だな。

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