配信34回目 既読がつく部屋【後編】 ――読まれた夜の終わり
朔夜が、ゆらの家まで来ていた。
休みを出している間に、向こう側が家まで来た。
「怪異が家まで来るなら話が変わる」は、ゆらへの言葉じゃなかった。
夜の住宅街は、静かだった。
コンビニの明かり。街灯。風のない夜。
見た目だけなら、何もない普通の路地だ。
夜見朔夜は、そのアパートの外壁を見上げながら、指に挟んだ呪符を一枚、静かに展開していた。
仮保全の引きではない。
もっと細かい、媒体経由の経路。
スマホから入って、既読を伝って、応答経路を作って、向こう側まで繋いでいる。
丁寧に、確実に、ゆっくりと。
「……手が込んでる」
低い声が、夜の空気に消えた。
ぬいから連絡が来たのは三十分前だ。
「向こう側に引かれとる。経路がスマホから来とる」。
それだけで、今夜ここへ来る理由として十分だった。
呪符が二枚目になる。
「|"媒体遮断"《メディア・ブレイク》」
静かに、名前だけが響く。
スマホ経由の経路が、根元から断たれる感触があった。
でもそれだけでは足りない。
霊的な応答経路は、まだ生きている。
三枚目。
「|"霊路閉鎖"《ライン・クローズ》」
空気が、一瞬だけ重くなった。
夜の住宅街に見えない境界が引かれて、経路が閉じていく。
ベランダの方を見る。
何かが、落ちた。
―――――
目を開けると、空が見えた。
夜空。星が少しある。風が、ない。
背中に地面の冷たさがある。
体が重い。蘇生後の、嫌な重さ。
「……また」
「ああ」
上から声がした。
夜見朔夜が、見下ろしている。
顔が、珍しく険しかった。
怒っているというより、機嫌が悪い。
怒りよりもっと静かで、もっと冷たい、本気の苛立ちの顔。
「起きれるか」
「……たぶん」
体を起こそうとして、腕が震えた。
背中に手が来て、強引に引き起こされた。
「痛っ」
「文句は後にしろ」
「いや今でしょ」
朔夜の手が背中を支えながら、一言だけ言った。
「ぬいから連絡が来た時間と、お前が落ちた時間。十五分ズレてる」
「……うん」
「なんでそのタイミングで連絡させなかった」
責める声じゃなかった。
確認する声だった。それが余計に答えにくい。
「見てしまってから、気づいた」
「カーテンを開けた」
「……開けてしまった」
「分かってはいた」
「分かってたけど、足が止まらなかった」
朔夜は何も言わなかった。
でも、手が背中から離れなかった。
「ごめん」
「謝るな」
「じゃあどうしろと」
「次は連絡しろ」
―――――
しばらく、その場にいた。
体が戻るまで、動けなかった。
朔夜は立ったまま、壁に背をつけて、ポケットに手を入れていた。
ゆらは地面に座ったまま、なんとなく口を開いた。
「……向こうで、鬼灯さんに会った」
「そうか」
「それで」
朔夜の声は平坦だった。
少し間があった。
「誰かの、何かを使って、わたしは戻ってきたって言われた」
朔夜は何も言わなかった。
「かなり遠い人で、もともと長く危うい状態だったって。奪ったわけじゃないけど、猶予を早めた形に、なったって」
「……」
「なゆさんが教えてくれた」
「あいつが、か」
そこだけ、声が少し違った。
責めているんじゃない。でも、予想外だったのかもしれない。
「なゆさんのせいじゃないよ。教えてくれたのは、たぶん、教えなきゃいけなかったから」
「そうだな」
「でも、知らないうちに払われてるのは、嫌だ」
朔夜が壁から背を離した。
ゆらを見る。真っすぐに、逸らさずに。
「それは、そうだ」
珍しかった。
同意するというより、認める声だった。
「今回だけじゃないかもしれない」
「……分かってる」
その一言で止まった。
分かってる、と言った。
分かっているのに、言えないことがある。その顔だった。
体がだいぶ戻ってきた。
ゆらは地面から立ち上がる。
「上がれ。送る」
「部屋まで来るの」
「外まで」
それだけだった。
―――――
部屋の前まで来て、朔夜が立ち止まった。
「明日、事務所に来い」
「……バイト休みじゃなかったっけ」
「終わりにする」
「休みが、短すぎない?」
「お前の家まで来る案件が出た時点で、休みを継続する意味がない」
それは、そうかもしれない。
納得したくないけど、反論できない。
「分かった」
扉を開けながら、ゆらはもう一度だけ振り返った。
「花嫁因子のこと、知ってた?」
朔夜は即答しなかった。
いつもなら何か言う。雑に誤魔化すか、一言で切り捨てるか。
でも今夜は違った。
少しだけ黙って、それから言った。
「全部は、知らない」
「一部は知ってたってこと」
「……分かってるなら、なおさら今は言えない」
「それ、いちばん嫌な答えだよ」
「知ってる」
知ってる、と言った。
それがまた、いつもと違う返し方だった。
さよならを言う代わりに、ゆらは扉を閉めた。
―――――
翌朝、スマホを見たら、母からレインが来ていた。
お母さん:「そういえばね、遠い親戚のおばあちゃん、亡くなったって連絡来た」
お母さん:「昔、ゆらが小さい頃に一回会ったかなってくらいの人だけど」
お母さん:「お葬式はこっちまで来なくていいって言ってたよ」
ゆらは、しばらくその画面を見ていた。
なゆの声が、頭の中で繰り返した。
――かなり遠い親族の方です。
――もともと、長く危うい状態でした。
――最後の猶予を、こちらへ充てた形に。
「…………」
何も言えなかった。
怒る先が、やっぱりない。
悲しむべきなのか、謝るべきなのか、怒るべきなのかも分からない。
「わかった」とだけ打ち返した。
母から「ありがとう」が来た。
会話は、それで終わった。
―――――
事務所に行ったのは昼過ぎだった。
朔夜は机で何かの資料を見ていた。
ぬいが棚の上で丸くなっている。
いつも通りの、最悪なにおいの事務所。
ゆらは椅子を引いて、座った。
「昨日の続き」
「聞く気があるなら」
「ない...けど」
朔夜が顔を上げた。
「でも聞く。知らないままのほうが嫌だから」
「……お前はそういうやつだな」
「悪口みたいに言うな」
朔夜が資料を置いた。
「花嫁因子については、蒐集側の査定語だ。向こう側との親和性を数値化する時に使う言葉の一つで、俺が名前をつけたわけじゃない」
「でも知ってた」
「……存在は、知っていた」
「わたしに、それがあるかもしれないことも?」
朔夜は答えなかった。
答えなかったことが、答えだった。
「知ってたなら言えよ」
「言ったとして、何が変わる」
「変わらなくても、知りたい」
「知らないほうが楽に動ける案件は、ある」
「そういう判断を、朔夜がすんな」
声が少し大きくなった。
気づいたら出ていた。
「わたしのことを、わたし抜きで決めるな」
朔夜が目を細めた。
怒っているんじゃない。
何か、別のことを考えている顔だった。
「……分かった」
短かった。
「今は、全部は言えない。でも、知ってることを隠すのは、やめる」
「やめるって言ったからには、やめてよ」
「ああ」
それで終わった。
物足りない。でも、今日はここまでだ、という気がした。
ぬいが棚の上から降りてきて、机の端に乗った。
「……昨日、なゆさんが最後に言ってた」
ゆらが小さく言う。
「また不正をすることになります、って。今回も書かなかったみたいだった」
「……そうか」
朔夜の声が、少しだけ変わった。
「あいつが書かないのは、珍しいことじゃない」
「それ、どういう意味?」
「規定を曲げてでも余白を作る理由が、業務じゃなくなってきてるってことだ」
ゆらはその言葉を、もう一回頭の中で繰り返した。
業務じゃない。
じゃあ、何だろう。
その答えを出す前に、窓際で何かが光った気がした。
―――――
白い。
窓ガラスの反射の中に、一瞬だけ。
紙片みたいな。
帳面の端みたいな。
細い筆跡みたいな、白い何か。
目を向けると、もうなかった。
窓の外は、普通の昼の街だった。
「……なゆさん」
ゆらが呟いた。
朔夜は聞こえたはずだが、何も言わなかった。
書いたのか、書かなかったのか。
余白は残っているのか、もう尽きているのか。
分からないまま、窓の外が普通の街で、それだけだった。
―――――
その夜。
ゆらは部屋に戻って、スマホの通知を全部オフにした。
音量もゼロ。画面も暗め。
ベッドに伏せる。
昨夜と同じ部屋で、昨夜と同じベッドで、でも昨夜よりずっと遠くから帰ってきた気がする。
向こう側が、日常の中まで来た。
事務所の案件じゃなかった。
学校でも、現場でもなかった。
自分の部屋に、向こう側が来た。
スマホが経路になった。
ベランダが足場になった。
それが、今夜いちばん、まずいことだと思った。
スマホを伏せた。
少し経って、画面が一瞬だけ白く点いた。
通知じゃない。
既読でも、受付済でもない。
でも、画面の反射の中だけに、一瞬だけ見えた。
背後の、白い窓口の気配。
ゆらは目を閉じた。
見なかったことにした。
今日は、それでいい。
―――――
同じ頃、夜見よろず相談事務所。
夜見朔夜が一人で机に座っていた。
電灯はついている。
でも配信機材の電源は落としてある。
静かな事務所。
昨夜、ゆらの家まで行った。
住宅街の路地。アパートの外壁。落ちてくる体。
事務所を出るのは、相談案件の時だけだ。
それ以外で外へ出る理由は、原則ない。
でも昨夜は出た。
ぬいからの連絡を受けて、考える前に出ていた。
机の上の名刺を一枚、指先で動かす。
先日、針目結が置いていったやつ。
「家まで来るなら、話が変わる」
低く、誰にでもなく言った。
その独り言に――返事は、なかった。
続く。
■ 登場キャラクター紹介
▶ 影森ゆら(主人公・女子高生)
今回は蘇生後に「誰かの猶予を使って戻ってきた」という話を、現世側で実感させられた。怒る先が見つからないまま、怒れないまま朝を迎えた。母からのレインが、思ったより正確に現実へ刺さった。
▶ 夜見朔夜(事務所所長)
ゆらの家まで来た。事務所を出る理由になる案件でも、休みを終わらせる理由でもあった。花嫁因子については「知っていた」を認めた。全部は言えないが、隠すのはやめる、と言った。事務所で一人、夜に一言だけ言っていた。
▶ 鬼灯なゆ(境界記録局四課・記帳官)
今回は直接は登場しない。でも窓際の白い反射に、何かが一瞬だけいた気がした。書いたのか、書かなかったのかは、分からない。
▶ ぬい(霊獣・マスコット)
昨夜、朔夜に連絡した。「見るな」と叫んで無視された時より、連絡した方が早かった。今回の功績の大半はぬいにある。
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■ 今回の解説
「既読がつく部屋」、後編です。
前編①から数えて四話にわたった今回のシリーズが、ひとまず決着しました。
怪異としては終わっています。スマホ経由の経路は断たれ、向こう側は今夜ここへは来られない。
でも、ゆらが「向こう側が日常まで追ってきた」と実感したことは残ります。事務所の外。案件でもない場所。自分の部屋。それが今章のいちばん嫌なことです。
母からのレインと、なゆが告げた話が重なる場面は、何も言えないまま「わかった」で終わらせました。怒れない怒りは、どこへも行けず残ります。
朔夜が花嫁因子の存在を知っていたことが、本人から今回初めて認められました。「全部は言えない、でも隠すのはやめる」。それが今の二人の距離の答えです。
次話からは、第二章本筋に入ります。向こう側が日常まで来た、ということの意味が、少しずつ形になっていきます。
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