配信31回目 既読がつく部屋【前編①】 ――送ってない相手に読まれてる
蒐集の手から一時的に逃れたゆらに、静かな数日間がやってきた。
怪異も、借金の催促も、死亡も、今のところ何もない。
――なのに、なぜこんなに落ち着かないのか。
「何も起きないって、こんなに気持ち悪かったっけ」
それが今週の、いちばん正直な感想だった。
朔夜から「しばらくバイトは休め。様子を見る」と告げられたのは、蒐集商会の連中が帰ったその夜のことだ。
珍しく、ぶっきらぼうじゃない口調だった。「休め」というより、「休ませる」に近い言い方。だから余計に印象に残っている。
あれから、三日が経っていた。
怪異案件は来ない。
朔夜からも連絡がない。
ぬいは胸元のポーチの中でとぐろを巻いて、ほとんど喋らない。
「……ぬい」
「……なんじゃ」
「事務所、なんか連絡来てる?」
「来とらん」
「そっか」
返事をして、また黙った。
本来なら、こういう状況は大歓迎のはずだった。
死ななくていい。借金が増えない。怖い思いをしなくていい。
朔夜の声も聞かなくて済む。最悪だけど顔だけいい男に胃を痛める必要もない。
なのに。
「……なんでこんな落ち着かないんだろ」
ぬいが小さく鼻を鳴らした。
「そういうもんじゃ。一回覚えてしもうた体は、普通に戻りたがらん」
「普通の生活がいいにきまってんじゃん……」
「お前はもう、覚えられてしもうとる。戻りたくなくても、そういうわけにはいかんだろうよ」
それは、正しすぎて笑えない言い方だった。
廊下の物音に反応する。
外を歩いていて、視界の端に白いものが見えると一瞬だけ身構える。
スマホの通知音が鳴るたびに、レインじゃない何かを確認してしまう。
普通の高校生がする行動じゃない。
「……早く普通に戻りたい」
「普通、まだあると思うとるんじゃな」
ぬいはそれだけ言って、またポーチの中へ引っ込んだ。
ひどいことを言う割に、否定はしてこなかった。
それがまた、じわじわと嫌だった。
―――――
放課後の廊下は、いつも通りだった。
靴音と笑い声と、誰かのイヤホンから漏れる音楽と。
まぶしいくらい普通の時間が、そこにはちゃんと存在していた。
夕方の光が斜めに入って、教室の引き戸が開くたびに話し声が流れ出してくる。
廊下の掲示板には体育祭のポスターが貼ってあって、隣に誰かが書いた落書きが油性ペンで消されかけていた。
こういう景色を見ると、少しだけ息ができる気がする。
「ゆらちゃ〜ん」
るなの声が後ろから来た。
振り返ると、ロールされた袖口、着崩した制服、大きくて黒いたれ目。
どう見ても普通の女子高生が、どう見ても普通の笑顔で走ってくる。体格に似合わない大きな胸を揺らして。
「待っててぇ〜」
「走るな、こけるぞ」
どたどたと音を立てて追いついてきたるなは、息を全然切らしていなかった。
小柄な割に体力だけはあるのが、こいつの数少ない凄いところだと思う。
「ゆらちゃんよりわたし速いじゃん」
「あのね、速さで張り合ってるつもりないから」
後ろからもう一人、静かに近づいてくる足音があった。
白澤幽々。
こちらは走っておらず、ゆっくりと廊下を歩いてくる。
細い目が少しだけ眇められていて、何かを遠くで見るみたいな顔をしていた。
「ゆら、今日も早く帰る?」
「……まあ、そのつもり。バイト休みだし」
「そっか」
それだけ言って、幽々はるなの横へ並ぶ。
深く訊かないのが幽々の流儀で、それに助かっていることのほうが多い。
昇降口へ向かいながら、三人並んで廊下を歩く。
るなが誰かのSNS投稿の話をしていて、幽々がたまに相槌を打って、私は半分だけ聞きながら廊下の先を見ていた。
そこで、聞き覚えのある声がした。
「ちょっと待ちな――」
―――――
昇降口の手前、窓際の柱のそばに、三人の女子が立っていた。
女子高生にはふさわしくない、派手な髪色。着崩した制服。片方だけ長い爪。
見た目だけなら「関わりたくない」側の分類に入れてしまいそうな三人組だったけれど、私には心当たりがあった。
以前、怪異案件で助けたことのある子たちだ。
「あんたたちか」
「そ。……なんか、あの、ほら」
先頭の子が首の後ろを掻きながら、紙袋を押し付けてくる。
ガサガサとした音がして、中をのぞくと食べ物が詰まっていた。
コンビニのパン複数。
大袋ポテトチップス。
チョコ系の菓子。
季節限定のスイーツ袋。
クリームどら焼きが三個。
「……なにこれ」
「礼。あんときの」
ぶっきらぼうに言う。
でもその顔が、かすかに赤い。
「いや、礼とかいいんだけど――てか前にもくれたじゃん」
「うっさい。いいから、もらえ。食え」
「そんなに?」
「三人分あるから!」
隣の二人が「そうそう」「三人で食べて」と追加で言う。
全員ちょっとぎこちなくて、照れているのがあからさまだった。
こういうのに弱い。
「……ありがとう」
「べつに」
本当にぶっきらぼうだった。
だがその瞬間、るなが袋の中をのぞき込んだ。
「クリームどら焼きだぁぁ!!」
「…………」
「ゆらちゃんたちに? ありがとぉ〜!!」
るなの目が、明らかに輝いていた。
食べ物の前でだけ、こいつの反応速度は異常になる。
不良三人組がそろって面食らった顔になる。
「え、お前……テンション上がるとこそこ?」
「だってクリームどら焼きじゃん!! 好きなんだよぉ〜!」
「ちっちゃいくせに遠慮ねえな……」
幽々が静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。いただきます」
「う、うん。どうぞ」
幽々の礼儀正しさに不良三人組が少し押される。
るなはすでにどら焼きの袋を開けていて、一口食べた瞬間に「んぁ、おいしい……」という人を脱力させる声を出した。そして、ほかのお菓子も次々に食べる。
「食べ方が……なんか、すごいな」
「えぇ〜? だってほんとにおいしいんだもん……」
「なんでそんなに食えてその体型なん?」
「えぇ〜? わからないぃ〜……おなかすくからぁ〜……」
きょとんとした顔でるなが答える。
不良三人組の一人が「信じられない」という顔をして私を見た。
「こいつ、ダイエットとかしてないの」
「してないと思う。そもそも食欲に勝てる意志力を持ってない」
「失礼じゃん!!」
「いや事実でしょ」
るなが口の中のお菓子を咀嚼しながら「ゆらちゃんひどぉ〜」と言う。
全然ひどくない。
不良三人組の一人が声を上げて笑った。
それからもう一人も。
「なんか、いいな。こういうの」
先頭の子がぽつりと言って、ちょっとだけ照れたように顔を背けた。
「今度みんなでなんか食い行こ。るなちゃんの食べ放題、見てみたい」
「食べ放題ぁぁぁい!!!」
るなの反応が早すぎた。
全員から笑いが漏れる。
私はお菓子の袋を受け取りながら、その笑い声を聞いていた。
日常って、ちゃんと戻るんだ。
当たり前のことを、少しだけ実感した。
―――――
帰りの駅前で、るなが「またグループレインしよ〜」と言って改札を抜けていった。
幽々と二人、反対方向のホームへ向かう途中で、スマホが鳴った。
グループレイン。るなから。
るな:「今日のどら焼き最高だったぁ〜」
るな:「あの子たちいい子だよぉ〜」
るな:「またおやつ買ってきてくれるって言ってた!!」
るな:「やったぁ!!!」
「……」
既読をつけながら、少しだけ笑ってしまった。
幸せそうだ。こいつは。
幽々もスマホを出して、グループ画面を確認している。
「ゆら」
「うん?」
「さっきも思ったんだけど」
幽々が、ちょっと間を置いた。
珍しい止まり方だった。
「既読つくの、早すぎない?」
「……え」
「レインの返事。今日何回か、送ってすぐ既読ついてた。あなた授業中だったのに」
言われて、思い出す。
確かに午後の授業中、鞄の中に入れたままだったはずのスマホで。
るなからの「後でどこかよった?」というメッセージに、既読がついていた。
気にしていなかった。
でも。
「……見てないんだけど、その時間」
「そっか」
幽々の返事は短かった。
でも、その声に「じゃあいいか」の成分がなかった。
「授業終わったら確認して」
それだけ言って、幽々はホームの階段を上がっていった。
背中は小さくて静かで、でもどこかに緊張の気配があった。
私は一人、改札のそばで立ち止まって、スマホを見た。
グループレインの画面。
るなの大量のメッセージ。
その下に、幽々からの一言だけのメッセージ。
幽々:「気をつけてね」
既読は、もうついていた。
―――――
家に帰ると、誰もいなかった。
母は夕方シフトが入っていて、今夜も遅い。
靴を脱いで、制服のままキッチンへ行って、冷蔵庫を開ける。
昨日の肉じゃがのタッパーと、卵と、牛乳と、それからラップに包まれたご飯がある。
レンジでご飯を温めながら、スマホが鳴った。
母からだった。
お母さん:「今日遅くなる ご飯冷蔵庫に入れといたから温めて食べてね」
お母さん:「最近顔色悪い気がするけど大丈夫?」
お母さん:「寝る前にレインして」
三連続で来ていた。
いつものやつだ。
「大丈夫だよ」
打ち返しながら、少しだけほっとする。
うっとうしいと思うのに、この連絡がないと逆に不安になる。
肉じゃがを温めて、卵を焼いて、ご飯と並べてテーブルに座る。
一人でご飯を食べる静かな部屋。
窓の外は、もう少し暗くなりかけていた。
なんとなく、スマホで朔夜の配信アーカイブを開いた。
サムネイルが並んでいる。
古いものから順に、タイトルを見るだけでいろんなことを思い出す。
壁の向こうで拍手する部屋。
出口が増える地下通路。
映ってはいけない切り抜き。
自分が死んだ現場のアーカイブを、ご飯食べながら見る女子高生。
我ながら、だいぶ終わってる。
「……花嫁因子...」
肉じゃがを口に運んで、呟いた。
あの言葉が、ずっと頭の中にある。
針目が口にした、あの単語。
タブレットに映った査定表の一行。
――備考:よく残る個体/上位適合候補/|"神の花嫁因子"《ゴッズブライダルコア》反応あり
「……なんなんだよ、それ」
配信画面の中で、朔夜が何かに向かって呪符を投げていた。
コメント欄が流れる。悲鳴の絵文字。「やばいやばい」の文字列。「ぬいかわ」の声。
画面の中はにぎやかで、私は今ここでひとりだ。
「花嫁因子って、何」
声に出して訊いてみても、当然誰も答えない。
「名前だけ聞くとものすごくロマンチックっぽいのに、あいつらの言い方だと全部……値段とか、用途とか、そういう感じだった」
向こう側との親和性。
帰還時の残存率。
高位存在への接続耐性。
器として好まれやすい個体。
一個一個は意味が分かる言葉なのに、並べると意味が分からなくなる。
「なんで私なんだよ。死にすぎてるから? 向こう側に近いから?」
それとも、もっと別の理由があるのか。
朔夜は「今はまだ、向こうが勝手にそう呼んでるだけだ」と言った。
そのあとに「今は、それ以上言えない」とも言った。
いつもの説明不足とは、少し違う顔だった。
説明できないんじゃなくて、説明したくない。
それより正確に言うなら、説明すると困ることになる、みたいな。
「アイツ……知ってて言わなかった顔、してたよな」
肉じゃがが冷めた。
―――――
ご飯を食べ終わって、配信アーカイブをつけたまま洗い物をして、制服から着替えて、ベッドの上でスマホを開いた。
るなから追加のメッセージが来ていた。
るな:「食べ放題の予算調べてる!!」
るな:「一番安いのが1280円でしゃぶしゃぶとか食べ放題のやつ!」
るな:「あの子たちとみんなで行こぉ~!!」
幽々からも来ていた。
幽々:「学校で変なことあったら教えて」
「変なこと」の定義が広すぎる。
ただ、幽々がこういう言い方をする時は、それなりの根拠がある。
返事を打とうと思った。
「どういう意味?」か、「大丈夫だよ」か。
どちらにするか迷いながら、一旦キーボードを開いて指を止めた。
なんとなく、思ったことを打ちかけた。
「花嫁因子って何だと思う?」
打ちかけて、消した。
幽々に訊くことじゃない。そもそも説明できない。
画面を閉じようとしたとき。
そのメッセージ画面に、既読がついた。
「……え」
手が止まる。
送ってない。
消した。
間違いなく、送信ボタンは押していない。
でも。
「花嫁因子って何だと思う?」という未送信の文字の横に、灰色の「既読」が表示されている。
送信先は、表示されていない。
「……なに」
通知音は鳴らなかった。
誰かがメッセージを送ってきた形跡もない。
ただ、既読だけがある。
気のせいかと思って、スクリーンショットを撮ろうとした。
シャッターを切った瞬間、既読の表示が消えた。
「……」
画面を見つめる。
普通のレイン画面だ。
未送信のテキストは消えていて、入力欄は空白になっている。
スクリーンショットのフォルダを開いた。
写真は保存されていた。
でも、既読の表示は、なかった。
つづく
■ 登場キャラクター紹介
▶ 影森ゆら(主人公・女子高生)
怪異案件で数千万円の借金を背負い、夜見よろず相談事務所でブラックバイト中の16歳。今週はバイト休みで、ひさしぶりの平和な日々のはずだったのに、なぜか全然落ち着かない。向こう側に覚えられた体は、来るはずのない気配を待ち続けるものらしい。
▶ 夜宵るな(親友・日常側ヒロイン)
ゆらの親友で、明るくて天然で食欲とバストが規格外な小柄女子。霊感はゼロ。食べ物の前だけ反応速度が別人になる。今回はクリームどら焼きで完全に本領を発揮した。食べ放題への参加意欲は満点。
▶ 白澤幽々(親友・情報ハブ)
ゆらの親友。静かで察しが良く、学校の非公認怪異SNSをひとりで管理している。「既読つくの早すぎない?」と最初に気づいたのもこの子。幽々がこういう言い方をする時は、だいたい本当にまずい。
▶ ぬい(霊獣・マスコット)
ゆらに半寄生している口の悪い霊獣。今週はほぼポーチの中で丸まっていた。正しいことだけ言ってくる。「気配を待っとるんじゃ」という一言が今回の全部を言い表している。
▶ 不良少女たち(再登場)
以前ゆらたちに助けてもらった三人組。照れながら差し入れを持ってきてくれた。るなの食べ方に衝撃を受けており、食べ放題同行を希望している。
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■ 今回の解説
第二章、開幕です。
第一章の騒動から三日。事務所からも怪異からも連絡がなく、ゆらにはひさしぶりの休みがやってきました。でも、何も起きない日常のほうが逆に落ち着かない。「向こう側に覚えられた体は、普通に戻るのが怖い」とぬいが言っていましたが、これはなかなか正確な言い方だと思います。
今回の怪異は地味に始まります。授業中についていた既読、打って消したメッセージに灯った既読、でも写真には映らない既読。
確認できない。でも確かにあった。そういう「証拠にならない異常」が、今章のホラーの作り方です。
次回(前編②)、この夜は続きます。ちょっとまずいことになります。
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