配信25回目 「今あなたの後ろにいる ――バズった夜のコメント欄【前編】」
借金は、ある日突然なくなったりしない。
むしろ、油断するとじわじわ増える。
そして私の人生は、だいたいそういう最悪寄りの現実でできている。
――ある日、私は今日もバイトで事務所に来ていた。
そして、夜見よろず相談事務所の机の上には、見たくもない紙が一枚、堂々と置かれていた。
請求書である。
いや、ただの請求書じゃない。
蘇生費。出張費。呪符消費。機材調整費。臨時結界補修費。意味の分からない項目が、やたらきれいな明朝体で並んでいる。見た目だけは立派だ。中身は地獄だ。ムカムカする。
「……は?」
私はその紙を持ち上げて、もう一度見た。
「いや待って。待って待って待って。なんで増えてんの?」
ソファの背にもたれたまま、ぬいが小さく鼻を鳴らした。
「増えるじゃろ。死んだのだから」
「その言い方やめろよ! “食べたのだから太る”みたいな軽さで言うな!」
「実際そういうものじゃ」
「私の人生を体重計みたいに扱うな!」
事務所は夕方の薄い光に斜めから照らされていた。
古いブラインドの隙間から差し込むオレンジ色が、机の書類の端と、使いっぱなしの配信機材の黒い筐体だけを妙にきれいに照らしている。ほかはいつも通り終わっている。吸い殻がたまったまま捨てられていない灰皿、積み上がったファイル。飲みかけのコーヒー。安っぽい蛍光灯。怪しい札の束。生活感と怪異対策の残骸が雑に混ざった、世界でいちばん就職したくない空間だ。
ちなみに朔夜は今いない。
珍しく、である。
警察の槙野さんから回された別件の現場確認だとかで、午後から出たきり戻っていない。だから今だけは、事務所の空気も少しだけ平和だった。請求書さえなければ。
「……もう無理。ほんと無理。時給三百円でいつまでこの借金返せばいいの。死んでも減らないんだけど。むしろ増えるんですけど!」
「死んでる時間は休憩扱いじゃしの」
「その就業規則ほんと爆散しろマジで」
私は机に突っ伏した。
書類の角が額に刺さって痛い。でも借金のほうがもっと痛い。
その時、事務所の扉が開いて、明るい声が滑り込んできた。
「ゆらちゃ〜ん……いるぅ〜?」
「いるよ……死にかけで……」
最初に入ってきたのは夜宵るなだった。
小柄で、ふわっとしたセミロング。甘い匂いのしそうな空気をまとっていて、見るからに“守られる側”なのに、なぜか一番よく危ないものを引き寄せる私の一番の親友である。今日は片手にコンビニの大きな袋を提げていた。
その後ろから、白澤幽々《ゆゆ》がおずおずと、静かに入ってくる。
薄い色のカーディガンに、手首まで隠れる袖。いつもの無表情に近い落ち着いた顔つきだけど、目だけはきちんと部屋の中を見ている。逃がさない観察力、とでもいうのか。何も言わなくても、この子はいつも、見落としたくないものを先に拾う。
「おじゃまします」
「いらっしゃい……っていうか、なんで二人そろって」
「プリン買ってきたよぉ〜」
るなが言って、袋を掲げた。中にはコンビニスイーツがぎっしり入っている。
「あとポテトもあるぅ〜。甘いのだけだと飽きるかなってぇ〜もちろんコンビニ限定の特大サイズぅ~」
「その気遣いの方向、相変わらず意味分かんないな」
「えへへぇ〜」
るなは笑いながら机の上に袋を置いた。
カッププリンが三つ。シュークリームが二つ。ロールケーキが一個。さらにLサイズのポテト。
どう考えても女子高生三人で“ちょっとつまむ”量ではない。
「毎回思うけど、その栄養どこ行ってんの」
「どこだろぉ〜」
「知らんのかい」
幽々が請求書を見て、静かに眉をひそめた。
「……増えたんだ」
「増えたよ。普通に。花見で死んで、学校でも死にかけて、なんならその前も普通に死んでるからね私」
「ゲームの実績解除みたいに言わないで」
「解除されてるの私の命なんだわ」
るながプリンのスプーンを取り出しながら、ふと首をかしげた。
「でもぉ〜、こういうのって配信したら稼げたりしないのぉ〜?」
私は顔を上げた。
「……は?」
「最近ってぇ、みんな配信してるじゃん〜。おしゃべりしたりぃ、なんか食べたりぃ、メイクしたりぃ」
「いや、その並びに私の借金返済を入れるな」
「でもぉ〜、ゆらちゃんすぐ叫ぶしぃ、反応あるしぃ」
「事故物件みたいに言うな」
幽々は一拍おいてから、冷静に言った。
「軽い気持ちでやるものじゃないと思うけど」
「だよね!? やっぱそうだよね!?」
「ただ」
幽々が私の前の請求書を見た。
「時給三百円よりは、まだ夢がある」
「そっちにつくの!?」
ぬいが机の端で尻尾を揺らした。
「やればよいではないか。人間どもの視線は金になるのじゃろ」
「言い方が最悪!」
でも、その一言で、私はちょっと黙った。
配信。
いや、もちろん簡単じゃないのは分かる。むしろこの世界で“見られる”ってだいたいろくでもない。朔夜の仕事を見てれば嫌というほど分かる。
でも。
私は請求書を見た。
次に、冷蔵庫に貼られたコンビニのバイト募集の紙を見た。もちろん朔夜が冗談で貼ったやつだ。時給千百円。神か。
「……一回だけ」
私は言った。
「一回だけ、雑談みたいなやつやってみるとか……」
幽々がゆっくり瞬きをした。
「やるんだ」
「いや、だって。普通の配信だよ? 怪異とかじゃなくて。放課後の雑談。スイーツ食べるとか。そういう、何も死なないやつ」
「今の説明に“死なない”が入る時点で普通じゃないけどねぇ〜」
るながにこにこしながらプリンを差し出してくる。
「じゃあやろぉ〜。ゆらちゃんの借金、ちょっとでも減るかもぉ〜」
「減るかな……」
「増えるかもしれんの」
「縁起でもないこと言うな!」
でも、その時の私はまだ、本当に軽く考えていたのだ。
どうせ変なコメントが来ても、適当に流して切れば終わり。
るなはかわいいし、幽々は機材に強いし、私は……まあ、ちょっと借金で目が死んでるけど、それはそれでネタになるかもしれない。
そんなふうに。
たぶん、かなり雑に。
だから最初のコメントを見たときも、私は笑っただけだった。
――今あなたの後ろにいるよ。
その一文を。
まだ、ただの寒い冗談だと思っていた。
―――――
配信を始めたのは、その日の夜だった。
場所は、事務所ではない。
あそこは背景の情報量が終わっているし、何より“夜見よろず相談事務所”の室内をそのまま映すのは色々とまずい。機材も札も呪具もある。視聴者に拾われたくないものが多すぎる。
だから今回は、るなの家でも幽々の家でもなく、駅前のレンタルスペースを借りた。
白い壁。丸テーブル。簡易リングライト。観葉植物っぽいフェイクグリーン。
動画配信用の“無難な部屋”として作られた空間は、逆に妙に無個性で、それが少しだけ安心材料になった。
私はリングライトの前で、ぎこちなく座り直す。
「……ほんとにやるの?」
「もうアカウント作っちゃったよぉ〜」
「早くない?」
「サムネも仮で作った」
幽々がタブレットを見せてくる。
画面にはシンプルなタイトルが出ていた。
【放課後ゆる雑談】甘いもの食べながらおしゃべりするだけ
「めっちゃ普通」
「普通で始めたほうがいいと思ったから」
「ありがとう。いやでも、ほんとに普通で終わるよね? 終わってくれよ?」
「それは誰にも分からない」
「急に怖いこと言うのやめて」
るながテーブルにスイーツを並べる。
プリン、シュークリーム、ロールケーキ、ポテト、いちごミルク。
並べただけで食卓の圧が強い。
「なんでポテトがあるんだよ」
「しょっぱいのもいるかなぁってぇ〜」
「その感覚でLサイズ買うな」
「Lしかなかったよぉ〜」
「嘘つけ」
るなはけらけら笑っている。
幽々は機材の角度を微調整しながら、こちらを見た。
「....準備できたよ。映りとか、マイクの音とか確認してみて」
私は咳払いして、カメラの前で手を振る。
「えー……あー、あー、マイクテス。」
「なんか、それっぽくなってきたね」
幽々が小さく笑って、配信開始ボタンを押した。
画面が切り替わる。
黒い待機画面。
数秒ののち、私たち三人の姿が映った。
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作者注記※この先、本編では読みやすさを優先して登場人物名で表記していますが、配信上では全員ハンドルネームを使用(会話・コメントすべて)しています。
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「……見えてる?」
「見えてるぅ〜」
「こっちにはね」
「視聴者側に聞いてんの!」
最初は、本当に人が少なかった。
《きた》
《こんばんは》
《誰》
《雑談?》
《女の子三人じゃん》
「こんばんはー……で、いいのかな」
《緊張してて草》
《真ん中の子顔死んでる》
《右かわいい》
《左の子雰囲気ある》
「いきなり顔死んでるって言われたんだけど」
「事実かもしれない」
「幽々まで言う!?」
るながいちごミルクを持ったまま、ふわっと手を振った。
「こんばんはぁ〜……」
《右の子かわいい》
《声ふわふわ》
《ちっちゃい》
《うわ、でかい》
「最後のコメント言い方ァ!」
「でかいって何がぁ〜?」
「言わせるな」
「えへへぇ〜」
幽々はコメント欄を確認しながら、小さく呟く。
「今のところ変なのはいない」
「その言い方だと変なのが来る前提なんだけど」
「ネットってだいたいそうでしょ」
「その正論が嫌だ」
最初の十五分くらいは、ほんとうに平和だった。
好きなコンビニスイーツの話。
学校帰りに何を食べるか。
るなが最近ハマってるパン屋の塩バターロールの話。
私の借金は当然ネタになった。
「え、ちょっと待って。借金あるの?」
「あるよ」
「やばぁ〜い……」
「お前の反応が他人事すぎる」
「だってぇ、私のじゃないしぃ〜」
「その通りすぎて腹立つ!」
《借金いくら》
《重くて草》
《学生で借金は草じゃない》
《何やったの》
《ポテトで返せ》
「ポテトで返せるならとっくに返してるわ!」
るながそのポテトをもぐもぐ食べながら言う。
「こわいとおなかすくぅ〜」
「まだ何も怖くないだろ」
「配信ってちょっと緊張するよぉ〜」
「そこは分かる」
《ポテトうまそう》
《この子ずっと食ってる》
《なんでそんな食べて細いの》
《栄養どこいってんの》
「それ私も聞きたい」
「胸とかぁ〜?」
「自分で言うな!!」
コメント欄が一気に流れる。
《草》
《言った》
《正直でよろしい》
《右の子おもろい》
《バズるのこっちでは》
そこで、確かに空気が少し変わった。
視聴者数が、急に増えたのだ。
「……あれ」
幽々がタブレットを見下ろす。
「今、跳ねた」
「何が」
「同接」
「え」
「るなの切り抜きっぽいのが、たぶん外に回った」
「切り抜きってもう!?」
「早くない!?」
るな本人だけが、のんびり首をかしげる。
「えぇ〜……なんかあったぁ〜?」
《右の子かわいすぎ》
《どこで見れる?》
《この子の名前なに》
《制服どこ?》
《アーカイブ残る?》
私の背中が、ほんの少しだけ冷えた。
“名前なに”は分かる。
“アーカイブ残る?”も、まあ分かる。
でも、その間に混ざった“制服どこ?”が少しだけ嫌だった。
幽々も同じところを見ていたらしい。
表情は変わらないのに、指だけが一瞬止まった。
「……るな、カーディガン前閉じて」
「えぇ〜? あついよぉ〜」
「いいから」
「なんでぇ〜?」
「いいから」
幽々の声が、ほんの少しだけ硬かった。
私はそれに気づいて、るなの肩を軽く引いた。
「閉じとけ。なんか……嫌な感じする」
「んぅ〜……?」
るなはよく分かってなさそうなまま、前を閉じる。
《あ》
《閉じた》
《草》
《さっきのがよかった》
《制服どこ?》
《高校生?》
「はいはいはい、そこまでね!」
私は画面に身を乗り出した。
「年齢とか学校とか住んでるとことか、そういうの答えないから!」
《草》
《防犯意識えらい》
《でも今の時代普通》
《後ろの観葉植物レンタルスペースだろ》
その一言で、私は言葉を切った。
「……は?」
「どうしたの」
幽々が聞く。
「今、“レンタルスペースだろ”って」
るなが画面を覗き込む。
「ほんとだぁ〜」
《今、あなたの後ろにいるよ》
そのコメントが流れたのは、その直後だった。
一行だけ。
絵文字もなく。
変に飾りもしない、まっすぐな文字。
私は一拍だけ黙って、次の瞬間、吹き出した。
「出た出た出た! 寒いやつ!」
るなも笑う。
「こわいよぉ〜」
幽々は笑わなかった。
「……」
「え、なにその顔」
「別に」
「いや別にじゃないでしょ」
幽々は視線をコメント欄に戻した。
「同じアカウント、少し前からいた」
「え」
「目立たないように混ざってた。最初の方に《こんばんは》って打ってる」
私は画面を見た。流れるコメントの中に、その名前はもう見つからない。
《右》
《その棚の横》
《笑って》
《るなちゃんかわいい》
《今あなたの後ろにいるよ》
また来た。
「しつこ」
私は苦笑いしながら言った。
「そういうの、ほんと寒いからね?」
《今あなたの後ろにいるよ》
《右》
《白い靴あるよね》
空気が、止まった。
「……は?」
私たち三人は、ほとんど同時に床を見た。
部屋の隅。
出入口の横に、私たちが脱いだ靴が三足並んでいる。
白いスニーカーは、私のだ。
「なんで分かんの」
思わず口から出た声は、さっきまでより少し低かった。
るなが笑いを引っ込める。
「え、やだぁ……」
幽々はもう画面ではなく、部屋全体を見ていた。
「カメラに映ってない」
「じゃあ、さっき入るとこ見られてたとか?」
「それだけじゃない」
コメントが流れる。
《その棚の横》
《観葉植物の影》
《左の壁、薄い》
《今あなたの後ろにいるよ》
私は反射的に振り返った。
白い壁。
フェイクグリーン。
丸テーブルの後ろの空間。
当然、誰もいない。
「いや、いないじゃん」
「振り返らないで」
幽々が言った。
「なんで?」
「そういうコメントに合わせて動かないで」
「は?」
「見てる方向が違う」
幽々の指が、タブレットの画面を滑る。
「普通のコメントは配信者を見てる。でも今混ざってるの、背景と位置しか見てない」
「……」
「見てるんじゃなくて、探してる」
その一言で、るなの顔から笑みが消えた。
「ゆらちゃん……」
「だいじょぶ。まだ、ただの嫌がらせかもしれないし」
そう言いながら、私は自分で自分の声が少し硬いのが分かった。
ただの嫌がらせ。
そうかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
そして嫌なのは、どっちでも怖いことだった。
コメントの流れがまた速くなる。
《その部屋、駅前のやつ?》
《左の壁紙見たことある》
《レンタルだよね》
《今あなたの後ろにいるよ》
《窓ないんだ》
《じゃあドアだけ》
《白い靴かわいい》
「気持ち悪っ」
口から漏れたのは、たぶん本音だった。
るなが自分の腕をさする。
「なんか……さむい」
「冷房?」
「ちがうぅ……」
その時だった。
るなのスマホが、机の上でぶるっと震えた。
私たちは同時にそっちを見る。
「なに」
「通知ぃ……?」
るなが恐る恐る画面を開く。
「……DM」
「誰から」
「知らないひとぉ……」
私は思わずスマホを覗き込んだ。
アイコンなし。
名前は、意味のない記号の羅列。
本文はない。
画像が一枚だけ送られてきていた。
暗い。
少しぶれている。
でも、何の写真かはすぐ分かった。
この部屋のドアの前だった。
外側から撮られた、薄い木目のドア。
銀色のノブ。
下の方に小さく貼られた管理番号のシール。
ついさっき私たちが入ってきた、そのままの入口。
「は?」
私の喉が乾く。
「……嘘でしょ」
るなが小さく息を呑んだ。
「やだぁ……」
幽々は、ほとんど反射みたいな速さで配信画面を落とした。
「切る」
「え、待っ」
「今すぐ」
画面が暗転する。
コメント欄が消える。
リングライトの白さだけが、急にむなしく部屋に残った。
さっきまで騒がしかったのに、配信が切れた瞬間の静けさは、不自然なくらい深かった。
機械のファンの音。
遠くの車の音。
るなの浅い呼吸。
私はるなのスマホをもう一度見た。
画像の下に、ようやく一行だけ文字が表示される。
――私、るなちゃん。今あなたの後ろにいるよ。
「……最悪」
喉の奥から出た声は、自分でも驚くほど小さかった。
るなが半泣きで私の袖を掴む。
「ゆらちゃん……これ、やだ……」
「うん。私も嫌だ」
幽々はすでに立ち上がって、部屋のドアを見ていた。
静かな横顔のままなのに、目だけがひどく冷えている。
「これ、配信のノリじゃない」
「分かってる」
「……でも、怪異だけでもない」
私はそっちを見た。
「どういう意味」
幽々は数秒黙ってから、言った。
「コメントの動きが、複数ある。
同じ場所を探してるやつと、ただ便乗して煽ってるやつと、……本当に近くにいるやつ」
るなの指が、私の袖をぎゅっと強く握る。
「ほんとに……?」
「たぶん」
「たぶんって何」
「たぶん、が一番怖い」
その時。
真っ暗になったはずの配信用タブレットが、何の前触れもなく、ぴ、と点いた。
三人とも、息を止める。
画面には、配信アプリの待機画面なんかじゃなくて、薄暗い部屋の映像が映っていた。
私たちの後ろ姿だった。
丸テーブル。
リングライト。
椅子に座った私たち。
背中。肩。髪。
そして、その後ろ。
ドアのすぐ前に、黒い影が立っていた。
「……っ」
るなが悲鳴を呑み込む。
私は反射的に振り返った。
現実のドアの前には、誰もいない。
でも、画面の中にはいる。
影は動かない。
人に見える。
でも、輪郭が少しだけ暗すぎる。
立っているだけなのに、そこだけ光が吸われてるみたいだ。
「なんで……」
私の声が掠れる。
幽々が一歩下がった。
「……やっぱり、混ざってる」
「混ざってるって」
「人間の“来た”と、怪異の“いる”が」
その瞬間、タブレットのコメント欄が勝手に再生された。
《後ろ》
《いた》
《見えてる》
《今あなたの後ろにいるよ》
《開けて》
どん、と。
部屋の外で、何かが鳴った。
ノックみたいにも、手のひらを扉に押し当てた音みたいにも聞こえた。
るなが、ついに声を震わせた。
「……やだ」
私は息を吸った。
でも、うまく入ってこない。
画面の中の影は、まだドアの前に立っている。
現実のドアの向こうにも、何かがいるかもしれない。
人間かもしれない。
怪異かもしれない。
そのどっちでもあるのかもしれない。
分からないのが、一番嫌だった。
るなのスマホが、また震える。
新しい画像が一枚。
今度は、もっと近かった。
ドアノブを真横から撮った写真。
銀色の金具に、外の廊下の灯りが細く反射している。
その端に、爪みたいな白いものが映っていた。
添えられた文字は、一行だけ。
――後ろ見て。
続く。
■今回の登場人物
・影森ゆら
借金返済の夢を見て、雑談配信に手を出した女子高生。まだ死んでいないが、空気はかなり死に寄っている。
・夜宵るな
ゆらの親友。ふわふわしていて危機感が薄いが、今回は“見られる側”として真っ先に反応を集めてしまった。
・白澤幽々《ゆゆ》
静かな情報ハブ。今回はコメント欄の異常と、“探している視線”の混入に誰より早く気づいた。
・ぬい
口の悪い半寄生霊獣。今回も横からろくでもないことを言うが、まだ本格稼働はしていない。
■今回の話の解説
今回は、これまでの「画像を消しただけでは終わらない」「見たい顔だけを抜き取る視線」という流れの延長として、配信コメント欄と特定文化、その先にある“本当に来るかもしれない人間”の怖さを混ぜた前編です。
前半は三人の軽い雑談とるなのバズりで日常の強度を出しつつ、後半でコメントの視線が“会話”ではなく“場所”を見始めることで、空気を反転させています。
そして最後は、配信を切ったあとに届く写真と、「今あなたの後ろにいるよ」という文面によって、怪異なのか人間なのか分からない最悪の恐怖へ繋げました。
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