配信24回目 戻りま銭【後編】 ――ほんとにいないの?
死んでからのほうが、本番みたいな顔をする夜がある。
最悪なのは、そういう夜に限って、あいつがいないことだ。
だから今回は、私が迎えに行く。
最初に戻ってきたのは、においだった。
消毒液。
古い血。
乾ききらないシーツ。
長く使われていない病院特有の、白いはずなのに少し灰色が混ざった空気。
「……う」
目を開ける。
私は、ひびの入ったビニール床の上に寝ていた。
天井の蛍光灯は半分だけ点いていて、残り半分は、切れているというより、点くのを諦めたみたいに黙っている。廊下の先には青白い非常灯。壁の案内板には、内科、処置室、手術準備室、当直室――と並んでいるのに、矢印の向きだけが微妙におかしい。
病院だ。
ただし、生きてる側の病院ではない。
「……さ い あ く」
声に出したら、廊下の奥へ細く反響して、少し遅れて返ってきた。
耳の奥には、死ぬ前の配信コメントみたいなざわつきがまだ残っている。
《聞こえてる?》
《戻って》
《それ使うな》
《朔夜の声じゃない》
《配信切れない》
ほんとに、最悪だ。
「やっと起きたわね」
すぐ横から、小さく、落ち着きすぎている女性の声がした。
「うわっ!」
飛び起きる。
廊下の壁際に、白縫冥が立っていた。
黒い服。白すぎる肌。感情を表に出さない目元。病院の薄暗さの中でも輪郭がきれいに出るのに、そこに人間っぽい安心感が一切ないのが、逆に怖い。
「びっくりした……! いたなら言ってよ!」
「言いました」
「もっと生きてる側のテンションで!」
私の胸元では、ぬいぐるみの形代に入ったぬいが、ぐったりしたまま片耳だけをぴくりと動かした。
「わしは最初から反対しとった……」
「今さら言うな!」
私は立ち上がろうとして、違和感に気づいた。
身体が軽い。なのに、痛みだけはしっかり残っている。刺された場所の奥が、冷たいままじくじくしている。死んだ直後の痛みだけが遅れてついてきてるみたいで、気持ち悪かった。
「……ここ、どこ」
「向こう側です」
「説明が雑!」
「廃病院案件の、処置途中だけが残った層。夜見朔夜も、ここへ引かれています」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
「あいつ、やっぱりこっちにいるの?」
冥はすぐには答えなかった。
代わりに、私の手元へ視線を落とす。
そこには、前編で握り込んだままだった小さな古銭があった。
くすんだ銀色。安っぽいくせに、指先だけ変に冷える。縁に細かい文字が刻まれているけど、読ませる気のない細さだ。
「それを、まだ持っているんですね」
「これ? 《戻り銭》」
「ええ。銭原の簡易蘇生具です」
私は冥を見た。
「簡易蘇生具って、事務所でさらっと言ってた(※前編参照)けど」
「はい」
「それ、本当に生き返れるやつなの?」
「いいえ」
即答だった。
「は?」
冥は少しも悪びれずに続ける。
「それは蘇生ではありません。時間の前借りです」
「もっと早く言え!!」
「言いました」
「小さい! 声が小さい!」
廊下に私の声が響く。
冥は平然としていた。
「《戻り銭》は、死の直後に使うことで、完全に落ちきる前の残り時間を買い戻す呪具です。戻れるのは一度だけ。しかも一時的です」
「……それ、ほぼ詐欺じゃん」
「銭原の品ですから」
「納得しかけたのが悔しい!」
私は古銭をにらんだ。
事務所で見た、朔夜の書き置きが頭に浮かぶ。
お前が行け
というか撮れ 配信しろ
机のやつもってけ
一回だけ
死ぬなとは言わん
最後のあたりは字が潰れて、よく読めなかった。
急いで書いたというより、急ぎながら何かに追われていたみたいな字だった。
最初は、うざい、雑、性格終わってる、って思った。
いや今も思ってるけど。
でも。
「あいつ……知ってたんだ」
「ええ」
「これが、まともな蘇生じゃないって?」
「知っていて置いたのでしょう。正規の蘇生術式を事前に仕込む時間がなかった。だから、最低限の保険だけ残した」
冥の言葉は冷たいのに、意味だけは妙に重かった。
「つまり、あいつ……」
「貴方を巻き込みたくなくて、先に出ました」
私は何も言えなかった。
これまで思っていたことが、頭の中で順番に戻ってくる。
うざい。
何してんの。
遅い。
どうせどっかで見てんでしょ。
アイツ……ほんとにいないの?
あれ全部、私ひとりで勝手に怒って、勝手に不安になってただけじゃん、みたいな気まずさが胸の奥を掻きむしる。――少し、苦しい。
「でも、それでも説明しろよ……」
小さく吐いた声は、ほとんど自分に向けた悪態だった。
冥は何も返さず、廊下の奥を見た。
「時間がありません。夜見は深部へ引かれています」
「助けに行けばいいんでしょ」
「簡単には言わないでください。あちらは“まだ終わっていない処置”でできた層です。受けられたら、貴方も部品として固定される」
「最悪な言い方しかしないな、ほんと」
「事実です」
「最悪!」
ぬいが、私の腕の中で薄く震えた。
「……主っぽい匂いは奥じゃ。嫌な感じが濃い」
「お前、こういう時だけ役に立つよね」
「褒めても何も出ん」
私は廊下の先を見る。
処置室。
当直室。
手術準備室。
案内板の矢印は全部少しずつ曲がっていて、まるで“正しい場所”へ行かせる気がない。
廊下の床には、乾いた血の線みたいなものが細く続いていた。まっすぐではない。途中で消え、また少し先で現れる。誰かが何か重いものを運んだ痕跡というより、処置の途中で何度も止まった時間の名残みたいだった。
「……行く」
「止めても行くでしょうね」
「止めるの?」
「止めません。ただし、条件があります」
冥がこちらを見た。
「夜見を見つけても、すぐには触れないこと」
「は?」
「この層では、治療対象は“まだ処置中”として認識されます。無理に引けば、貴方ごと固定される」
「じゃあどうすんの」
「核を止める。そうすれば、未完了の処置自体が崩れる」
私は息を吐いた。
「分かった。いつも通り、私が核見つけて、あいつが処理すんのね」
「いつも通り、とは言いたくありませんが、概ねそうです」
「なんか引っかかるんですけど!説明が雑!朔夜と同じ!」
冥は初めて少しだけ眉を寄せた。
たぶん呆れてる。こっちだって呆れてる。
無言のまま、私たちは廊下の奥へ進んだ。
病室の扉は半開きで、どのベッドも白いカーテンに囲われていた。
ただ、その白さが変だった。汚れているんじゃない。清潔すぎて、逆に人間の体温が存在しなかったみたいな白さだ。
ひとつめの病室。
ベッドの上には誰もいない。
でもシーツだけが、誰かを寝かせた形に沈んでいた。
ふたつめの病室。
壁際の心電図モニターだけが、電源の入っていない黒い画面のまま、ぴ、ぴ、と鳴っていた。
みっつめの病室。
窓の外に、ありえない位置から外灯が見えた。ここは三階か四階くらいの高さのはずなのに、窓のすぐ外で街灯の明かりが揺れている。
「うわ……」
「見すぎるな」
「見ないで進める空間じゃないでしょ、これ!」
病室の奥、カーテンの隙間から、細い声がした。
「……先生」
足が止まる。
「先生、まだ……終わって、ない……」
声は若い女のものだった。
でも、生きてる側の声じゃない。喉の奥に水が溜まったみたいに重くて、ひどく遠い。
カーテンの下から、裸足が見えた。
白い。濡れている。点滴の管みたいな影が足首に絡んでいる。
「ゆら、行くな」
ぬいが低く言う。
次の瞬間、カーテンの向こうから、手が伸びた。
「っ!」
反射的に避ける。
手は私の肩を掠め、そのまま壁を掻いた。爪が長いんじゃない。爪の先に、薄い医療用テープみたいなものが何重にも貼り付いていて、その分だけ指先が不自然に長く見えるのだ。
「先生、まだ……帰っちゃ、だめ……」
「私は先生じゃない!」
叫んだ瞬間、病室の奥のモニターが一斉に点いた。
黒い画面に映ったのは、私たちじゃなかった。
手術台。白布。血。ぼやけた照明。誰かが慌ただしく動いている影。
その中心に、黒い上着の背中があった。
「……朔夜!」
画面の中の背中は振り返らない。
でもその場に、いる。間違いなく、あいつだ。
私は病室へ踏み込みかけた。
冥の手が、私の腕を掴む。
「だめです」
「でも今」
「餌です」
その一言が、背筋を冷やした。
直後、モニターの映像がぶつりと乱れた。
手術台の上の白布がめくれ、その下から、顔のない患者たちが一斉にこちらを向いた。
「うわっ……!」
病室のカーテンが全部同時に開く。
そこにいたのは、患者たちだった。
包帯だらけ。
点滴台を引きずっている。
首に処置跡。
腹に縫合痕。
目だけが異様に開いている。
なのに全員、同じ表情だ。
まだ終わっていない。
まだ治療がいる。
帰してはいけない。
そう思い込んだまま止まっている顔。
「走るよ!」
「右です!」
冥に引かれて廊下へ飛び出す。
患者たちの足音は揃っていない。引きずる音、点滴台の車輪、裸足が床を叩く音、骨の鳴る音が全部混ざって、病院全体が後ろから追ってくるみたいだった。
《ゆらちゃん気づいて》
《今の主治医じゃない》
《処置室》
《当直室の奥》
《まだ続いてる》
耳の奥の配信コメントが、急に鮮明になる。
死後側にまでコメントがついてくるな。ほんとに。
「コメント欄、今さら役に立つの!?」
「この層は記録に引かれています。貴方の配信痕も繋がっている」
「便利なのか怖いのかどっちかにして!」
私たちは当直室の前で足を止めた。
扉のプレートは斜めに割れていて、細い鎖が一本だけ垂れている。
その足元に、見覚えのある札が落ちていた。
黒い文字。
鋭い書き方。
けど筆圧がところどころ乱れている。
「……朔夜の札」
「ええ」
拾い上げる。
紙の端が焦げていた。
ここで戦ったのは間違いない。
「ねえ」
「なんです」
「あいつ、本当にひとりで来てたの?」
「私が追いついた時には、すでに奥へ入っていました。止める時間はなかった」
冥の声は相変わらず平坦だったけど、その言葉の裏にあるものは分かった。
蒐集。
録画の奥からこちらを見ていた“選ぶ側”の視線。
あれが次に狙っていたのが私で、朔夜はそれを知って、私より先に餌になるほうを選んだ。
うざい。
腹立つ。
説明しろ。
でも、その奥にあるものまで分かってしまうと、単純に怒るだけじゃ済まない。
「……ばかじゃん」
小さく吐いた私の言葉に、冥は何も返さなかった。
当直室の扉を開ける。
そこは、普通の休憩室ではなかった。
机。ロッカー。簡易ベッド。古い電気ポット。そこまでは当直室だ。
でも奥の壁一面に、カルテが貼られていた。
紙のカルテ。
手書きの経過記録。
同じ名前が何度も何度も書き直され、消され、上書きされている。
その一番奥に、大きな当直表があった。
夜勤担当医の欄。
ある日付だけ、赤いペンでぐしゃぐしゃに塗り潰されている。
その下に、小さくメモが残っていた。
処置継続
中断不可
帰宅不可
「……これ」
「核の思考です」
冥が静かに言う。
「この病院では、ある夜、当直医が患者の処置途中でこと切れた。患者を助けるはずの処置が終わらないまま、院内ごと事故に巻き込まれた」
「だから“まだ終わってない”が残った?」
「ええ。治療対象も、医師も、退出不能のまま固定された」
私は当直表を見つめた。
帰宅不可。
それは命令みたいでもあり、呪いみたいでもあった。
そのとき、当直室の床が、ぴたりと揺れた。
奥の壁が、静かに開く。
最初から扉なんてなかった場所に、細い処置通路みたいな空間が現れる。
白い照明。濡れた床。ステンレスの台車。壁に打ち付けられた無数の手形。
その先に、手術室が見えた。
私は息を呑んだ。
中央の手術台の脇に、朔夜がいた。
壁に背を預けるみたいに立っている。
黒い服の肩口が裂け、腕に血がついていた。顔色も悪い。なのに目だけは、まだ死んでない側の鋭さを保っている。
そして、その真正面。
手術台の向こうに、白衣の影が立っていた。
男か女かも分からない。
顔には手術用マスク。
額のあたりだけがノイズみたいに揺れていて、輪郭が固定されない。
手にはメスではなく、古い録画機材のリモコンみたいなものを持っている。
医者と記録者と編集者が、気持ち悪いところで一つに混ざったみたいな姿だった。
そいつが、こちらを向く。
「次の処置対象」
「うっわ最悪!」
朔夜が、そこでようやくこっちを見た。
一瞬だけ、本気で顔色が変わる。
「……何で来た」
「置き手紙が雑すぎるんだよ!」
「来るなって書いたつもりだった」
「どこに書いてあった!?」
「行間だ」
「読めるか!!あたしゃ神か!」
叫びながら、泣きそうになる。
なんでこのタイミングでそういう会話してんの、私。
白衣の影が、ゆっくりと手を上げた。
「記録継続。治療継続。退出不可」
「うるさい!」
私が怒鳴ったのと同時に、患者たちが背後から流れ込んできた。
当直室も、廊下も、処置室も、全部が手術室へ繋がるみたいに狭まっていく。
「冥!」
「帰還路は固定します! 核だけ止めて!」
冥の鎖が、手術室の入口へ走った。
銀の光が空間の輪郭を留める。
ぬいが私の腕から飛び降り、低く唸る。
「主っぽいの、あの白衣の後ろじゃ! 手術台の下に、変な記録板がある!」
「記録板?」
「見よ!」
私は手術台の下を見る。
あった。
小さなモニター。
そこに、同じ処置風景が何十層にも重なって映っている。
中断した瞬間。血。手元。叫び。再生。停止。巻き戻し。再生。
“終わらなかった処置”だけを何度も何度も記録し続ける装置。
あれが核だ。
「朔夜! 下! 手術台の下の記録板!」
「分かってる」
朔夜が一歩踏み出す。
でも白衣の影が、その前に立ち塞がる。
「処置中につき、移動禁止」
「……だから嫌なんだよ、その理屈」
朔夜の声は低かった。
疲れてるのに、妙に冷たく澄んでいる。
「終わってないのは処置じゃない。お前の執着だ」
指先に札が挟まる。
でも出力が足りていないのが見えた。
ここまでひとりで戦って、もう余力が薄い。
なら。
私は手の中の古銭を見た。
《戻り銭》
生き返れるわけじゃない。
時間の前借り。
未練の残り時間の買い戻し。
つまり、ここで使うための保険。
「ゆら」
冥がこちらを見る。
「それを使えば、あとで余計に死にます」
「雑な言い方やめて」
「事実です」
「最悪!」
でも、もう決まっていた。
「死んでたまるか」
喉が乾く。
それでも、続ける。
「……でも、あいつだけ置いて帰るのは、もっとムカつく」
私は《戻り銭》を握り込んだ。
古銭の縁が、指の中で熱を持つ。
冷たかったはずなのに、今度は逆に嫌な熱だ。
死んだ直後の残り時間を、無理やり肉体側へ引っ張るみたいな、無茶な熱。
「ゆら!」
朔夜が、本気の声で私を呼んだ。
その一瞬だけで十分だった。
私は白衣の影へ飛び込み、そのまま手術台の下へ腕を突っ込んだ。
モニターに触れる。
その瞬間、白衣の影が私の喉を掴んだ。
「処置対象を確認」
「最悪だって、言ってんだろ……!」
古銭が、掌の中で砕けた。
ぱきん、と。
安っぽいくせに、嫌に澄んだ音がした。
次の瞬間、私の視界が白く弾ける。
息が止まる。
心臓が、一度だけ無理やり動く。
死んでるはずの身体に、仮の熱が戻る。
「っ、あああああ!!」
私は手術台の下の記録板を引きずり出して、床へ叩きつけた。
画面が割れる。
重なっていた処置記録が、一斉にノイズへ変わる。
白衣の影が、初めて悲鳴みたいな音を上げた。
それは人の声ではなかった。
巻き戻しと停止を同時にかけたみたいな、気持ち悪い断裂音。
「朔夜! 今!」
「言われなくても分かる」
朔夜の札が走る。
紙ではない。
数字だ。
配信、登録、収益、赤字、そういう人の嫌な現実を全部燃やして、呪術の形へ変える、あいつの最悪な術。
低く、短く、処理コマンドみたいに言う。
「”媒体遮断”」
「”再帰封止”」
「”強制終了”」
白い光が、手術室の輪郭を切った。
患者たちが一斉に止まる。
点滴台の車輪が、きい、と遅れて止まる。
白衣の影の輪郭が崩れ、マスクの下から何層もの顔が剥がれ落ちる。
当直医。患者。記録者。編集者。処置対象。全部が中途半端に重なって、最後にただの空白だけが残った。
処置室全体が、崩れ始める。
天井の照明が落ちる。
床の血の線が逆流する。
壁の案内板が全部、ばらばらの矢印になって剥がれていく。
「戻ります!」
冥の鎖が強く光った。
でもその瞬間、私の足元がふらついた。
「……え」
《戻り銭》の熱が、急に切れた。
指先から感覚がなくなる。
視界が遠のく。
さっき無理やり動いた心臓が、今度こそ止まる側へ引かれていくのが分かった。
「まだ生き返って、ない……って、こういう……」
冥が言っていた意味が、最悪のタイミングで分かった。
「ゆら!」
朔夜が私を支える。
腕の力は残っているのに、私の身体のほうが追いついていない。
生きてるふりをしていた死体が、時間切れで崩れるみたいな、嫌な感覚だった。
「銭原ァァァァ!!」
私は最後の元気で絶叫した。
そこで、視界が一度、完全に落ちた。
――次に戻ってきたのは、胸の痛みだった。
「っ、げほ……!」
肺が空気を思い出す。
喉が焼ける。
心臓が、今度はちゃんと、自分のものとして痛い。
私は冷たい床の上で咳き込んだ。
見上げると、天井は見慣れた夜見よろず相談事務所の天井だった。
薄汚い蛍光灯。
配信機材。
ぐちゃぐちゃの机。
生活感と怪異対策が最悪の比率で混ざった、あの事務所。
「……戻ってる」
「戻しました」
そういう冥のすぐ横で、朔夜が壁にもたれていた。
顔色は悪い。服も裂けてる。腕に血もついてる。なのに、口を開いた瞬間に全部台無しになる。
「今回の蘇生費は――」
「請求すんな!!」
反射で叫ぶ。
喉がまだ痛い。なのに叫ぶしかない。
「割引してやる」
「無料にしろ!!」
「それは無理だ」
「うざい!」
「善意はある」
「金額に反映しろ!」
「少しはする」
「少しって何!?」
朔夜は少しだけ目を逸らした。
「……今回は、お前が勝手に死んだわけじゃない」
「うん?」
「助けに来た分は、まあ……考慮する」
「……」
ほんの一瞬だけ、言葉に詰まる。
その間が腹立つ。ずるい。ほんとに。
「でも無料ではない」
「結局取るんかい!!」
「この世に無料ほど高いものはない」
「このクソ野郎!!」
私が机を叩いた瞬間、事務所の奥から陽気すぎる声がした。
「いやぁ~、景気のええ絶叫やねえ」
私はその声だけで眉間が痛くなった。
「……いると思った」
「おるでぇ」
銭原呪助が、勝手に冷蔵庫を開けながら出てきた。
柄シャツ。金歯。笑ってるくせに目が笑ってない最悪の呪物屋。
「なんでいるの!?」
「そら気になるやろ。《戻り銭》使うた客のアフターケアや」
「アフターケアが口だけすぎる!!」
私は机に突っ伏した。
「あれ偽物だったの!?」
「偽物は言いすぎや。本物の半分くらいや」
「半分しか生き返ってないじゃん!」
「せやから“戻る”だけや。“生き返る”までは保証しとらん」
「詐欺じゃん!!」
銭原はまったく悪びれずに肩をすくめた。
「業界では“戻りま銭”言うらしいんや。かなわんでしかし」
「他人事みたいに言うな!!」
「カンニンな。今度チューチューアイスおごったるから」
「命の値段が安すぎるんだよ!!」
その横で、ぬいがぐったりしたまま呟く。
「わしはチューチューアイスの白いやつがよい」
「お前も黙れ!」
冥は壁際に立ったまま、静かにこちらを見ていた。
「一応、報告しておきます」
「なに」
「夜見は、珍しく貴方を生かす気ではいました」
「言い方!」
「事実です」
「ほんと最悪な人たちしかいないな、この職場……」
そう言いながら、私はちらっと朔夜を見る。
あいつは相変わらず面倒くさそうな顔をしていた。
でも、ほんの少しだけ、ほんとに少しだけ、いつもより疲れた顔で目を閉じていた。
たぶん、余裕がなかったのは本当だ。
あの汚い字も。
説明する時間がなかったのも。
先にひとりで行ったのも。
全部、むかつくくらい本当だった。
「……次からは」
「なんだ」
「ちゃんと説明しろ」
「善処する」
「その返事、絶対しないやつじゃん」
「一応言っとくが、お前も来るな」
「行間で書くな!!」
叫んだら、事務所の空気が少しだけ軽くなった。
死んで、戻って、また借金が増えて。
それでもこうして、最悪な職場の最悪な机の前で怒鳴っていられる。
それが、たぶん。
今回は、ちゃんと助けられたってことなんだと思う。
全然認めたくないけど。
机の端には、くしゃくしゃの書き置きがまだ残っていた。
お前が行け
というか撮れ 配信しろ
机のやつもってけ
一回だけ
死ぬなとは言わん
最後の一行は、やっぱり潰れて読めない。
でももう、少しだけ分かる。
あの字は、雑だったんじゃない。
急いでいた。
追われていた。
それでも、私の分の保険だけは残そうとしていた。
「……ほんと、字きたない」
「聞こえてるぞ」
「聞かせてる」
私はそう言って、机に額を押しつけた。
中京の大都市の夜は、やっぱり怪異に近い。
死後側は相変わらずろくでもない。
銭原の品は思った以上に信用ならない。
朔夜は顔以外だいたい終わってる。 ――ほぼ、いつもどおりだ。
でも。
ほんとにいない夜よりは、今いるこの空間が、ずっとマシだった。
つづく
■今回の登場人物
・影森ゆら
死んでたまるかと言いながら、結局自分から死後側へ飛び込んだ女子高生。助けに行く側へ回ると、だいたいさらにひどい目に遭う。
・夜見朔夜
雑な書き置きを残して先行した怪異相談屋。今回は本当に余裕がなく、しかもちゃんと守る気ではいた。なお請求はする。
・白縫冥
助けないけど、死なせもしない看守役。説明は足りているつもりだが、だいたい声量が足りない。
・ぬい
ぬいぐるみ形代に入った寄生霊獣。こういう危ない深部では意外と役に立つが、態度は終始えらそう。
・銭原呪助
《戻り銭》を売った張本人。今回も最悪のタイミングで現れ、最悪の軽さで真相を説明した。
■今回の話の解説
前編の「朔夜不在の怖さ」と「雑な書き置き」が、後編で「本当に説明する余裕がなかった」「ゆらを守るために先に動いていた」へ反転する構造です。
また、《戻り銭》は蘇生ではなく“死ぬまでの時間を買い戻すだけ”の粗悪品であり、銭原らしい胡散臭さと、朔夜の本蘇生の重さを対比させています。
ホラーとしては廃病院の“終わらない処置”を核にしつつ、ラブコメとしては「ほんとにいないの?」から「迎えに行く」までのゆらの感情を主軸に置いた後編でした。




