配信11回目 おろしたはずの通知【後編】
父親欄に名前が入らない限り、誰も解放されない。
怪異の形をした"宙吊りの責任"を前に、影森ゆらは書くことを選んだ。
書記具は、釘だった。
*****
「ぬい! 書くもの!」
「あるかそんなもん!」
『使え』
朔夜の声と同時に、黒い線の先から細い釘みたいなものが落ちてきた。
|"原版追跡釘"《オリジン・スパイク》だ。
「え、これで書くの!?」
『贅沢言うな』
「書記具の治安が悪い!」
私は半泣きで、その釘を欄へ突き立てた。
紙じゃない。
感触は、もっとぬるい。
でも書ける。
相談者たちから聞いた名前。
レイン履歴。
送金記録。
途中まで書かれて消えていた名前。
私はそれを、片っ端から"父親欄"へ打ち込んだ。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
書くたびに、部屋のどこかで女の呻き声みたいな息がほどける。
「確認」
怪異が揺れる。
「確認、不要」
「確認、不要」
「確認、不要」
「そうだよ」
私は吐き捨てた。
「もう女の側だけ確認して待たせるの終わり」
最後の一枚へ、いちばん太い名前を書く。
たぶん斡旋役。
たぶん一番多くを宙吊りにしてきたやつ。
その瞬間、中央の怪異の腹に開いていた空白が、ばちん、と音を立てて閉じた。
同時に、部屋の奥から無数の声が噴き出す。
男の声だ。
ちがう、俺じゃない
ちゃんと話すつもりだった
お金は払った
合意だった
俺の人生終わるんだけど
「知るかよ」
私は本気で言った。
「こっちも終わってんだよ」
その一言で、待合室全体がひび割れた。
ビニール椅子が崩れる。
受付窓口が横に裂ける。
透明ポケットの中の書類が、いっせいに紙吹雪みたいに舞い上がる。
ぬいが叫ぶ。
「今じゃ! 核が裸になった!」
中央の怪異の胸元。
そこだけ、白いエコー写真が一枚、他より濃く残っている。
たぶん最初の傷。
最初に"終わったこと"にされた起点。
『影森』
朔夜が言った。
『それを破れ』
「雑!」
『今さらだろ』
「くそ!」
私は|"原版追跡釘"《オリジン・スパイク》を握り直して、その写真へ突き立てた。
びし。
乾いた音がする。
エコー写真に亀裂が走る。
その瞬間、朔夜の声が重なった。
『|"再帰封止"《ループ・ロック》』
『|"拡散停止"《スプレッド・ロック》』
『|"記録焼却"《ログ・イレイズ》』
黒い線が、部屋の中心へ一気に収束した。
白い紙の怪異が、初めて悲鳴みたいな音を立てる。
でもそれは、赤ん坊の声じゃない。
通知音。
既読の音。
送金完了音。
自動受付音。
それが全部まとめて壊れる時の音だ。
待合室の椅子に座っていた女たちの輪郭が、少しずつほどけ始める。
泣いてはいない。
叫んでもいない。
ただ、長く止めていた息を、ようやく吐けたみたいな顔をしていた。
その中のひとりが、私を見た。
今度は顔が少しだけ見えた。
知らない人だ。
でも、年齢も、服も、時代も、たぶんひとりじゃない。
「……父親欄」
その人が言う。
「空白じゃなくなった」
「うん」
私は答えた。
「だから、もう待たなくていい」
それが正しい答えかどうかなんて分からない。
でも、その人は少しだけ頷いて、すぐに紙片みたいにほどけて消えた。
待合室が崩れる。
床が抜ける。
天井の通知光が落ちる。
受付窓口が裏返る。
ぬいが私の肩へ飛びついた。
「帰るぞ!」
「どうやって!?」
「知らぬ! でも今帰らねばまた向こうに落ちる!」
『影森』
朔夜の声が近くなる。
『線を掴め』
見ると、黒い処理線の一本だけが、私の目の前まで下りてきていた。
ロープみたいにも見えるし、ひび割れみたいにも見える。
私はそれを掴んだ。
冷たい。
でも、今までの白い手ほど嫌じゃない。
『引く』
「雑!」
叫んだ瞬間、世界が裏返った。
白い待合室。
紙の怪異。
父親欄。
全部が一気に遠ざかる。
代わりに、喉が焼けるみたいに痛くなった。
息が。
入る。
でも痛い。
むせる。
苦しい。
生きてる感じが、ぜんぶ最悪な形で戻ってくる。
私は床へ叩きつけられた。
「――っ、ごほっ!」
咳き込む。
喉が痛い。
腹の奥が気持ち悪い。
でも空気は入る。
視界の端に、夜の校舎の床が見えた。
旧相談室の前だ。
ハンディカムは少し離れたところでまだ回っている。
ぬいは私の胸の上に落ちてきて、ぐえっと潰れた声を出した。
「お、おぬし……っ、重い! 死んで戻ってきた直後に遠慮がない!」
「お前が先に乗ったんだろ……!」
「そういう問題ではない!」
上から、足音が駆けてくる。
速い。
でも無駄がない。
次の瞬間、朔夜が視界に入った。
黒い上着。
いつもの気だるい顔。
でも目だけが、まったく笑ってない。
「……戻ったか」
「その確認、軽っ」
「軽く言わないと重いだろ」
「名言ぶるな……」
朔夜はしゃがみこんで、私の喉元へ二本指を当てた。
脈を確認する。
それから、ほんの少しだけ息を吐いた。
「一回止まって、戻った」
「毎回その"戻った"をコンビニ感覚で言うなよ……」
「請求は後で行く」
「やっぱりそこは元気なんだよな!」
るなが、泣きそうな顔で廊下の角から飛び込んできた。
「ゆらちゃぁぁん!」
「うわ近い」
「だってまた死んでたもんんん!」
「だから言い方!」
「でも死んでたぁ……!」
「まあ、それはそう」
幽々《ゆゆ》は少し遅れて来た。
息は乱れていない。
でも顔色が悪い。
「……終わった?」
「一応な」
朔夜が立ち上がる。
「表層は潰した。待機列も切った」
「男側は」
幽々が聞く。
朔夜は、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「今ごろ、自分の端末で自分の名前を見てる」
「……最低」
「そうだな」
私は床に転がったまま、半分だけ笑った。
「ざまあ」
「おぬし、品がないのう」
ぬいが言う。
「でも今のはちょっと同意じゃ」
「お前も十分品ないよ」
るながしゃくりあげながら、私の手を握る。
「ゆらちゃん……もう、そういうの、やだよぉ……」
「私もやだよ」
「でも行くんでしょぉ……?」
「報酬次第かな……」
「懲りろ!」
朔夜が、落ちたままだったハンディカムを拾い上げる。
液晶には、最後の数秒が残っていた。
私が|"原版追跡釘"《オリジン・スパイク》を突き立てたところ。
黒い線が落ちたところ。
そして待合室の女たちの輪郭が、少しずつ薄れていったところ。
朔夜はそれを数秒だけ見て、すぐに電源を切った。
「残すの?」
幽々が聞く。
「一部だけだ」
朔夜が答える。
「全部残すと、また入口になる」
「じゃあ、相談者たちは」
「通知は止まる。鏡も薄くなる」
「薄く、か」
「消えはしない」
その言葉に、全員が少しだけ黙った。
そうだ。
消えない。
怪異は潰せても、起きたことそのものは消えない。
妊娠したことも。
終わったことにされたことも。
待たされた時間も。
言えなかったことも。
全部きれいにはならない。
でも、それでも。
「父親欄だけ女側で持たされるより、まだマシだろ」
私は天井を見ながら言った。
朔夜は少しだけ目を細めた。
「今回はな」
「今回は、って予防線張るなよ」
「仕事だ」
「お前ほんとロマンないな」
「あると死ぬ」
「それはそう」
るなが涙声のまま笑う。
幽々は口元だけほんの少し緩める。
ぬいは私の腹の上で偉そうに座り直した。
夜の校舎の空気はまだ冷たい。
でも、さっきまでみたいな"呼ばれる感じ"はもう薄い。
私はゆっくり息を吐いた。
喉は痛い。
腹の奥も気持ち悪い。
でも生きている。
生きていて、最悪で、だからまだ文句が言える。
その時。
ぶる、と幽々のスマホが震えた。
全員、止まる。
「出すな」
朔夜が即答した。
幽々は無言で画面を見る。
レイン通知。
送り主不明。
本文は一行だけ。
『確認ありがとう。次は出生届です』
「…………」
るなが涙目のまま固まる。
私は床に寝たまま顔をしかめた。
「……終わってねぇじゃん」
「当たり前じゃ」
ぬいが言う。
「こういう類は、次の書式を持ってくる」
「役所みたいに言うなよ……」
「役所みたいな顔をしとったしの」
朔夜は幽々のスマホを取り上げて、その場で通知を削除した。
削除して、電源まで落とす。
「今日はここまでだ」
「珍しく優しい」
「違う。続けるとまた開く」
「やっぱり優しくない」
でも、その言い方が今は少しだけありがたかった。
私は起き上がろうとして、盛大によろけた。
るなが慌てて支えようとして、逆に一緒にぐらつく。
ぬいが巻き込まれて文句を言う。
ぐだぐだだ。
最悪の案件のあとに、最悪の団子みたいな帰還になる。
それでも、さっきの待合室よりはずっとましだ。
「帰るぞ」
朔夜が言う。
「うん」
幽々が答える。
「帰ろぉ……」
るなが鼻をすすりながら言う。
「報酬……」
私は言った。
朔夜が振り返る。
「そこか」
「大事」
「死にかけて一発目がそれ?」
「生きてる証拠だろ」
「最低」
幽々が小さく言った。
「でも、ちょっと安心した」
私はその言葉に、少しだけ笑う。
「だろ」
夜の廊下を歩く。
非常灯の白さ。
窓ガラスに映る影。
足元の冷たさ。
全部まだ気持ち悪い。
でも、もう"順番待ち"の気配はなかった。
校舎の外へ出た瞬間、春の終わりみたいな風が頬を撫でる。
私はその風を吸い込んで、咳き込んで、結局また最悪だと思った。
それでも。
待合室に座らされてるだけよりは、ずっとましだった。
【登場キャラクター紹介】
■ 影森ゆら(主人公)
高校2年生、16歳。怪異事件で夜見朔夜の高額呪具を壊し、四千九百八十万円の借金を背負った。死んでも働かされ、死後潜入まで業務内容に含まれるブラックバイト生活を送る。口が止まらず理不尽にキレるが、最後まで見捨てない。今回は、"確認"の形をした怪異の正体を見抜き、父親欄へ名前を打ち込む役を担った。書記具は釘だった。
■ 夜見朔夜(夜見よろず相談事務所所長)
外見年齢二十七〜二十九歳前後、実年齢不詳。チャンネル登録者数や収益を霊的リソースとして燃やし、術式を行使する怪異相談屋。今回は外部から処理線を通し、|"再帰封止"《ループ・ロック》|"拡散停止"《スプレッド・ロック》|"記録焼却"《ログ・イレイズ》の三連術式を落とした。守銭奴のくせに情で赤字になる、善性の抜けない人物。
■ ぬい
下級寄生霊獣。手のひら大の霊獣で、ゆらに半寄生している。境界感知と雑霊捕食が得意だが、強い怪異にはほぼ無力。今回は部屋の四隅を走り、待機列の糸を浮かび上がらせる役を果たした。口は悪いが、ゆらがいなくなることを本能的に恐れている。
■ 夜宵るな
高校2年生、16歳。ゆらの親友。霊感はないが、怪異のある場所を無意識に引き寄せる体質を持つ。今回は校舎で待機していたが、ゆらが戻った瞬間に飛びついた。見た目に反してめちゃくちゃ大食いという正式設定があるが、今回は泣き通しで食欲どころではなかった。
■ 白澤幽々《ゆゆ》
高校2年生、16歳。ゆらとるなの同級生で、学校の非公式裏オカルトSNS管理人。霊感こそないが、危険な気配・消えた通知・おかしな画像に異様に敏感な体質を持つ。今回の案件は、彼女のスマホに届いたレイン通知が発端だった。静かな顔色の悪さは、今回の怪異のテーマと無関係ではない。
―――
【今回の話の解説】
◆ 怪異の正体
「父親欄未入力怪異」の正体は、水子の霊ではなかった。責任を宙吊りにされた女たちの待機エネルギーと、逃げた男たちの言い訳・履歴・送金明細・同意書が一塊になって固まったもの。"かわいそうな赤ん坊"の形を借りることで、誰も男側の責任を問わないまま、女の側だけに"確認"を押しつけ続ける構造の怪異だった。ゆらはその正体を見抜き、怪異の定義を書き換えることで核をむき出しにした。
◆ 解決の手順
① ゆらが怪異の本質("確認の形をした責任逃れの寄せ集め")を言語化し、核を不安定化。
② ぬいが部屋の四隅の待機列の糸を浮かせ、逆流先が男側にあることを特定。
③ 朔夜が外部から|"権限接続"《アクセス・ライン》|"逆探封鎖"《バックトレース》|"媒体遮断"《メディア・ブレイク》を通し、処理権限を通達。
④ ゆらが|"原版追跡釘"《オリジン・スパイク》で父親欄に名前を打ち込み、空白を埋める。
⑤ 朔夜が|"再帰封止"《ループ・ロック》|"拡散停止"《スプレッド・ロック》|"記録焼却"《ログ・イレイズ》で核を焼却・封止。
◆ 解決しなかったもの
怪異は潰せたが、起きた事実は消えない。妊娠も、終わらされたことも、待たされた時間も。通知が止まり、鏡は薄くなるが、根は消えない。そして次の書式は、もう届いていた。
◆ 次回の引き
『確認ありがとう。次は出生届です』
怪異は書類を持ってくる。つまりこれは、まだ続く。




