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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第一章 死んでからが勤務時間――蘇生費は給料から引かれます(初春)

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12/65

配信12回目 死因を書けない遺体と、起きてくる夜

今回は血が出ます。

あと、安置室に入ります。

怖いのが苦手な人は、引き出しが動いても気のせいにしてください。


*****

 これは、私が死んで、サイテーな男のサイアクな怪異案件を手伝わされる話だ。


 今回は特別に、安置室まで連れて行かれる。


 死後も仕事させられるとは聞いていたが、死体と同室になるとまでは聞いていなかった。


 契約書に書いてなかったよな、と確認しようとしたら、そんな書類は最初からなかった。


 やっぱりこのバイト、最悪だ。


―――


 翌朝の夜見よろず相談事務所は、いつも通り終わっていた。


 机の上には昨日の書類が積みっぱなし。空になったエナジードリンクの缶が三本。配信用の機材が出しっぱなしで充電器が絡まっている。生活しているのか、怪異が巣食っているのか、どちらとも言えない部屋だ。


 私は掃除機を片手に止まっていた。


「……朔夜」


 ソファに深く沈んだまま端末を確認していた男が、視線だけ上げる。


「なに」


「昨日のレイン、幽々のスマホ以外にも届いてた、って言ったよね」


「言った」


「それ、今は?」


 朔夜は端末の画面を私の方へ向けた。


 着信ゼロ。通知ゼロ。静かだ。


「今は沈黙してる。動いていない怪異を掘り起こすのは悪手だ」


「……でも出生届って言ってたじゃん」


「動いたら対処する」


「その判断が一番怖いんだよ!」


「怖くても正しい」


 私は掃除機を床に置いた。


「じゃあ今は何もしなくていい?」


「今は別の仕事がある」


「別の?」


 朔夜はソファから立ち上がって、コーヒーカップを手に取った。中身は空だ。飲むそぶりをしながら、なんでもなさそうに言う。


「今日、客が来る」


「誰」


「警察だ」


 私は掃除機の柄を持ち直した。


「……警察?」


槙野まきの、という男だ。悪い刑事じゃない。ただ、うちに持ち込んでくる案件は毎回ろくでもない」


「毎回?」


「今日が初めてじゃない」


「私が初めてだけど!」


「お前は今日が初めてだな」


 それだけ言って、朔夜はカップを台所へ持っていった。


 追いかけなかった。


 聞いてもどうせ、「来たら分かる」か「聞かなくていい」しか返ってこないのが三か月働いてようやく分かってきた。


 ぬいが窓枠で丸くなったまま、片目だけ開いた。


「おぬし、顔が諦めとるぞ」


「賢くなった結果だよ」


「成長の方向がおかしい」


 それはそうだと思った。


―――


 槙野まきの恒一こういちは、予告通り昼前に来た。


 くたびれたスーツ。目の下のクマ。無精ひげ気味。コーヒーの染みがシャツの胸元についている。仕事に疲れた、という感じが顔全体から滲んでいて、刑事というより現場と事務の板挟みで胃が痛い人、という印象だった。


 事務所のドアを開けて、朔夜を見て、あからさまに嫌そうな顔をした。


「来た」


「毎回その顔なんだが」


「毎回嫌だからだ」


 そこで視線が私に移った。


「……また未成年か」


「また、って言い方やめてください」


「お前のことは知らない。前の子の話だ」


 前の子。


 なんかいろいろ気になるが今は聞かない。


 槙野は椅子を引いて、なんとも言えない顔で座った。


「報告書に書けない案件だ。毎回そういうやつだけここへ持ってくる」


「知ってる」


「今回はまずい」


「知ってる」


「知ってるなら早く聞け」


 朔夜が向かいに座る。私は端のパイプ椅子を引いた。ぬいが私の肩に乗ってくる。


 槙野は一度だけ深く息を吐いてから、言った。


「死体が出てる」


「それは普通の話だ」


「そうだ。問題は、検視記録に死因が書けない」


 朔夜の目が少しだけ変わった。


 私はそれに気づいた。


「書けない、というのは」


「文字通りだ。書こうとすると手が止まる。端末入力しても、保存した瞬間に項目が空欄に戻る。印字しようとすると、インクが滲んで読めなくなる」


「何件だ」


「三件。同じ安置室で、同じ症状が出てる」


「安置室で」


「もう一個ある」


 槙野の声が、わずかに落ちた。


「夜中に、引き出しが内側から叩かれた。音を聞いた担当者が確認に行ったら、遺体の向きが変わっていた。翌朝には元通りだった。担当者は今、軽い解離症状で休職中だ」


 部屋が静かになった。


 ぬいの爪が、私の肩に少しだけ食い込む。


「……向きを変えてた」


 私の声は、自分でも思ったよりひっそりしていた。


「自分で?」


「それが分かれば俺も来ない」


 槙野は机の上に両手を置いた。疲れた人間が、それ以上疲れた顔をしている。


「信用はしていない。だが他に説明のつく先がない。だからここに来た。毎回そうなんだが、毎回気が重い」


「報酬は」


 朔夜が言った。


 槙野がわずかに眉を寄せる。


「……予算外で動く」


「じゃあ今回のゆらの蘇生費は槙野持ちだ」


「は?」


 私は立ち上がった。


「ちょっと待って、今さりげなく私が死ぬ前提で話したよね?」


「統計的に」


「統計で死を語るな!」


「槙野、肉体修復費も込みで後で送る」


「なんで俺が……」


「嫌なら他に頼め」


 槙野は黙った。


 そして、長い沈黙の後に、静かに言った。


「……分かった」


「早い!」


 私の叫びは、二人とも聞こえていないふりをした。


挿絵(By みてみん)


―――


 夜になった。


 私とぬいと朔夜の三人で、槙野に案内されて建物に入った。


 市内の、大きくもなく小さくもない施設だ。表側は静かで、蛍光灯の明かりだけが廊下に並んでいる。昼間なら生活の気配がある場所なのに、夜は全部が白と影だけになる。


 槙野は入口で止まった。


「俺は外で待つ」


「怖いんですか」


「仕事の管轄外だ」


「怖いんですね」


「そういう言い方をやめろ」


 朔夜が先に廊下へ入る。私はその後をついた。ぬいが肩の上で鼻をひくつかせる。


 安置室は地下一階にあった。


 階段を下りるたびに、気温が一段ずつ落ちていく。消毒液の匂いが最初は薄く、次第に濃くなる。ホルマリンの底に沈んだみたいな重さが、鼻の奥にじわじわ積もる。


 扉を開けた瞬間、白が目に入った。


 壁。天井。床。全部白い。蛍光灯が均一に部屋を照らしていて、影がどこにもない。清潔だ。でも清潔さが、逆に怖い。生きているものが一切ないから、汚れる必要がないだけだ。


 左右の壁に、引き出しが並んでいた。


 金属製。銀色。取っ手が一列に並んでいる。全部閉まっている。静かだ。当たり前に静かだ。


 でも私は、最初に入った瞬間から、ずっと息を浅くしていた。


「においは?」


 朔夜がぬいに聞く。


「……」


 ぬいは答えるまでに、少しだけ間があった。


「死の匂いやない。()()()()()()におい、じゃ」


「そうだな」


「どういう意味」


「普通に死んだものは、もう少し静かだ」


 朔夜は壁際の台へ移動して、クリップボードを手に取った。


 検視票が挟まっている。


 私も横から覗いた。


 氏名。性別。年齢。発見場所。発見日時。


 全部が埋まっている。


 でも「死因」の欄だけが、白い。


 空白ではなく、白い。


 なんとなく分かる。文字を書こうとして書けなかった場所と、最初から空白の場所は、なんとなく違う見え方がする。ここは前者だ。何度も、何度も書こうとして、それでも定着しなかった場所だ。


「朔夜、本当に書けないの」


「書いてみるか」


 差し出されたペンを取る。


 死因の欄に、ペン先を当てた。


 書こうとした。


 書けなかった。


 手が止まる、という感覚ではない。書く気持ちがある。腕は動く。でも文字が、紙の上に定着しない。書いた瞬間に吸い込まれる。痕跡が残らない。


「……気持ち悪い」


「記録が消えてるんじゃない。記録される前に取られてる」


 ペンを返す。


「取られてる、って何に」


「それを調べに来た」


 その時だった。


 部屋の左端。


 引き出しのひとつが、音もなく、数センチだけ開いた。


 私は固まった。


「……ねえ」


「見えた」


「動いたよね? 今動いたよね? 私の気のせいじゃないよね」


「気のせいじゃない」


「そういう時だけ即答するなよ!」


 ぬいの爪が、私の肩に食い込んだ。


「静かにせい」


「無理」


「静かにしろ」


 声を落とした。


 部屋が静かになる。


 蛍光灯が、低く鳴っている。


 それ以外に音はない。


 ない、はずだった。


 聞こえた。


 骨が軋む音を、私は初めて「内側から」聞いた気がした。


 きし、と金属が鳴ったのか、それとも別のものが鳴ったのか、分からない。でも音はそこにあった。引き出しの中から。内側から。


「お、おい」


 私の声が裏返る。


 朔夜が一歩前に出た。


 その瞬間、部屋中の引き出しが、一斉に数センチ開いた。


 音は、なかった。


 ただ、全部が同時に動いた。


 隙間から、指が出てきた。


 白い。血の気が全部、抜けている。爪の先が、少しだけ変色している。でも指は、確実に動いていた。ゆっくりと、取っ手を外側から探るように。


「やっぱり嫌だこれ!」


「影森、下がれ」


 後退した。


 一歩、二歩、三歩。


 その時、ふと頭の隅に、くだらないことが浮かんだ。


―――


 こういう時、幽体離脱ができたら死ななくて済むのに、と何回か思ったことがある。


 でもそんな便利なものはない。マンガの読みすぎだった。


 朔夜に一回聞いたことがある。


「幽体離脱ってできないの?」


 朔夜は少し間を置いてから、答えた。


「幽体離脱は怪異への入口になる」


「それ、否定してないよね」


「やり方があったとしてもやるな」


「怖いこと言うな!」


 それ以来、聞いていない。


 死ぬのは、いつも全部本番だ。


―――


 次の瞬間、腹に熱いものが走った。


 後退した拍子に、何かにぶつかった。


 振り返れなかった。


 気づかなかった。


 いつの間にか開いていた引き出しのひとつから、完全に出ていた遺体が、背後に立っていた。


 首の角度がおかしかった。膝が逆に曲がっていた。目が開いていた。


 そして手の中に、凶器があった。


 後から考えれば分かる。死因未記入のこの遺体は、被害者ではなかった。記録されなかったのは、加害者だったからだ。捜査が宙吊りになって、証拠品も回収されていなかった。


 でも、その時は何も分からなかった。


 熱い、という感覚だけがあった。


 腹の、少し右寄りの、奥の方。


 痛みより先に熱い。じわっと広がる。液体が服に滲んでいく感触がある。


 膝が、自分で折れた。


 床につく前に、壁に手をついた。


 手のひらが冷たい。金属の壁。白い。


「……これ、やばいやつだ」


 声にならなかった。


「朔夜」


 それだけ言えた。


「影森!」


 朔夜の声が、近いのに遠かった。


 ぬいが叫んでいる。遠い。


 視界が、静かに斜めになっていく。


 床が冷たかった。


 冷たい、という感覚が、熱いよりずっと正確に伝わってくる。


 腹の奥だけが、まだ熱い。


 それが最後だった。


挿絵(By みてみん)


―――


 気づいたら、廊下にいた。


 生きている人間の廊下ではない。


 薄暗い。蛍光灯の光が届かない。天井が高い。床が白い。でも安置室の白とは違う。こっちの白は、温度がない。


 左右に、椅子が並んでいた。


 ビニール椅子。古い。病院の待合室みたいな配置。


 椅子に、人が座っていた。


 何人もいた。


 全員が正面を向いていた。俯いていない。下も向いていない。真正面だ。


 顔がある。


 今回は見える。


 でも表情がない。目が開いている。息をしていない。でも消えない。そこにいる。ただ、()()()()()


「……」


 ぬいの気配がない。


 朔夜の声も聞こえない。


 一人だ。


 霊体の一人は、生身の一人より、もっと静かで、もっとひとりだ。


「また死んだの?」


 声がした。


 振り返っていない。振り返る前に、声がした。


 隣にいた。


 気づいたら、隣に立っていた。


 足音がなかった。気配もなかった。


 でも怖くなかった。むしろ、少しだけ、息が緩んだ。


 見た目は年下か同じくらいか、判断しにくい女の子だった。色素の薄い髪。白い肌。古いワンピース。輪郭が少し透けている。光の当たり方で、消えそうに見える。


 でも、目だけは、ちゃんとこっちを見ていた。


「……また、って初めて会うんだけど」


「ここで会うのが初めてなだけ」


 少女が言う。


「あなたのこと、前から知ってるよ」


「それ、怖い言い方だよ」


「慣れて」


 慣れないよ、と言いかけて、止めた。


 廊下の人たちへ、少女の視線が向く。


「あの人たち、分かる?」


「……終われなかった人、ちゃんと死んだのに死んだことにならなかった人、って感じがする」


「正解」


 少女は静かに言った。


「記録がないから、向こうに行けない。こっちにもいられない。ただ待ってる」


「何を」


「名前。書かれるのを」


 廊下の向こうで、椅子の一つがきし、と軋んだ。


 誰も動いていないのに。


「あなたは」


 聞いた。


「名前、教えてくれる?」


 少女は少しだけ考えるみたいに間を置いた。


玻璃はり


「……玻璃」


「うん」


「ここに、ずっといるの?」


「ずっとじゃない。でもよく来る」


「なんで」


「こういう場所の方が、静かだから」


 生きてる側より、と付け足さなかった。でも聞こえた気がした。


 私は廊下の奥を見た。


 突き当たりに、白いものが浮いていた。


 紙だ。


 検視票だ。


 何も書いていない。ただ浮いている。でも、あれが核だと分かった。さっき安置室で見たものの、向こう側の姿だ。


 ただ。


 廊下に座っている人たちの中に、一人だけ違うものがいた。


 座り方が違う。


 背筋が、妙に伸びている。こちらを見ている。正確に言うと、私の方向を見ている。


「玻璃」


「うん」


「あれ」


「見えた?」


「被害者じゃないよね」


「違う」


 玻璃が静かに言った。


「殺した側が、一緒に閉じ込められてる。死因が記録されなかったから、加害者も被害者も、同じ場所で宙吊りになってる」


「……最悪」


「そうだね」


 最悪だ。死んでも一緒にいなきゃいけない。被害者が、加害者と同じ廊下で待たされている。


 それを言葉にしようとした、その瞬間。


 立ち上がった。


 加害者側が、ゆっくりと、椅子から立ち上がった。


 動きが、さっきの安置室の遺体と同じだ。関節がおかしい。首が少し右に傾いている。膝が逆に曲がっているのに、歩ける。


 こちらへ来る。


「走っていい?」


「走ると廊下が伸びる」


「最悪!」


「でも、走るより遅くはある。走っていい」


 走った。


 伸びた。


 廊下が、走るたびに前が遠くなる。端に辿り着かない。でも止まれない。後ろで足音がする。骨が軋む音がする。


「朔夜!」


 通話が繋がっているのか分からない。でも叫んだ。


「向こうに加害者がいる! 被害者と一緒に閉じ込められてる!」


 返事がある。


『聞こえてる』


「だから何! 追いかけられてるんだけど!」


『死因を書けばいい。記録が確定すれば、加害者も止まる』


「書けないって言ったじゃん!」


『書ける場所が向こうにあるはずだ。お前が見つけろ』


「解決策が雑!!」


 廊下の途中で、玻璃が横に並んだ。


 走っているのに、足音がない。


「あの検視票」


「うん」


「思ったことを向ければいい。書く手はなくても、こっちでは意図が形になる」


「どういう意味」


「本当に思ったことを、あそこへ向けるだけでいい」


 浮いている検視票が、前方に見えた。


 後ろで足音が近い。


 私は走りながら、考えた。


 この廊下にいる人たちのことを、考えた。


 名前も知らない。顔も表情もない。でも、終わりたかったはずだ。死んでいいはずだ。記録されていいはずだ。終わっていいはずだ。


 こっちが「終わり」じゃなくて、ちゃんと向こうへ行けるところまで、届いてほしい。


 検視票が目の前にあった。


 私はそこへ、ぶつかるように手を伸ばした。


 紙の感触がなかった。でも何かが伝わる感触はあった。


 文字が滲んだ。


 ()()()()()()()


 その瞬間、朔夜の声が重なった。


『"残響回収(エコー・リカバー)"』


『"記録焼却(ログ・イレイズ)"』


 廊下が揺れた。


 座っていた人たちの輪郭が、少しずつ薄れていく。


 加害者は別の方向へ引っ張られるように、廊下の端へ消えていった。抵抗するでも叫ぶでもなく、ただ引かれていく。記録が確定した瞬間に、宙吊りが解けた。


 廊下が崩れる。


 白い壁が、端から溶けていく。


 玻璃が隣に立ったまま、静かに言った。


「終わり?」


「たぶん」


「よかった」


 少し間があった。


「また来るでしょ、あなた」


「来ないようにしたい」


「来るよ」


 玻璃は、ほんの少しだけ笑った。年相応の、柔らかい笑い方だった。


「あなたはいつもちゃんと戻る側だから、来すぎる」


「褒めてないよね、それ」


「次来た時も、ちゃんと戻って」


 それだけ言って、玻璃は廊下の向こうへ消えた。


 足音はなかった。


 世界が、裏返った。


―――


 喉が焼けるみたいに痛かった。


 息が入る。でも痛い。むせる。苦しい。全部戻ってくる。生きてる感じが、ぜんぶ最悪な形で戻ってくる。


「――っ、ごほっ……!」


 床が冷たい。安置室の床だ。金属の匂いがする。消毒液の匂いがする。


 朔夜が私の脇に膝をついて、首元へ二本指を当てた。脈を確認する。少しだけ息を吐く。


「戻った」


「毎回その『戻った』が軽い……」


「軽く言わないと重い」


「その理屈もう聞き飽きた……」


 傷を確認しようとして、腹に手を当てた。


 服が冷たかった。


 でも傷がない。


 触っても、穴がない。血も出ていない。


「……消えてる?」


「消した。肉体修復費、別途請求する」


「は?」


「蘇生と修復は別工程だ」


「一個の処置じゃないの!?」


「骨折と打撲が別診療なのと同じだ」


「例えが正しいのが腹立つ!!」


 ぬいが私の胸の上に落ちてきて、ぐえっと潰れた声を出した。


「おぬし、また無茶したのう……」


「後ろから来たんだよ、気づかなかったんだよ……!」


「次からは後ろも見よ」


「安置室で後ろ確認しながら歩けってこと!?」


 廊下を走る音がした。


 槙野だった。


 息が上がっている。外が静かになったから、入ってきたのだろう。


 安置室を一瞥して、それから床に座り込んでいる私を見た。


「……終わったのか」


「一応」


 槙野は引き出しを一つ開けた。遺体が収まっている。向きが正しい。他の引き出しも確認する。全部、正常だ。


 クリップボードを手に取った。


 検視票を見る。


 長い沈黙があった。


「……書いてある。全部、書いてある」


 死因が、三件とも記録されていた。


「報酬」


 床に座ったまま、私は言った。


 槙野が振り返る。


「は?」


「危険手当込みで今回は上乗せって言ってたので」


「俺はそんなことを」


「言ったよ」


「言ってないが」


「朔夜」


「請求書は後で送る」


 朔夜が言った。


 槙野が小さく舌打ちした。でも否定はしなかった。


挿絵(By みてみん)


―――


 施設を出て、外の空気を吸った。


 冷たい。夜の冷たさで、消毒液の匂いが薄れていく。


 槙野が帰り際、私の横に立った。


「……お前、高校生だろ」


「そうです」


「何してんだ」


 怒っているわけじゃなかった。責めているわけでもなかった。ただ本当に、分からないという顔をしていた。


「私も聞きたいです」


 槙野は何も言わなかった。


 少しだけ目を伏せて、そのまま歩いていった。


 振り返らなかった。でも、歩き方が最初より少しだけ重かった。


 朔夜が隣に立った。


「次がある」


「分かってる」


「出生届の件、動いたら連絡する」


「分かってる」


「今日の修復費は明日までに計算する」


「それは聞きたくない」


 ぬいが私の肩で丸くなった。


「おぬし、今日は頑張ったのう」


「頑張っても借金は増えるんだよ……」


「それはそうじゃ」


「慰めになってないよ」


 夜の街に出た。


 高架の影。古い雑居ビルの窓。大通りのネオンが遠く滲む。一本裏へ入ると時間が古くなる、この街。


 腹に手を当てた。


 傷はない。


 でも熱は、まだ薄く残っていた。


 刺されたことは、覚えている。


 消えたのは傷だけだ。


 そのまま歩いた。夜の空気は冷たくて、腹の奥の熱だけが、ひとつ分だけ自分の体に残っていた。


 その時。


 スマホが震えた。


 レインじゃない。番号非通知だ。


 本文は一行だけ。


()()、確認しました。()()()()()()()


「……」


 朔夜に見せた。


 朔夜はそれを一秒見て、ポケットへ手を入れた。財布を出す。中を確認する。仕舞う。


「登録者、今いくらいる」


「それ私に聞く?」


「概算でいい」


「……昨日より二千くらい増えてたと思う」


 朔夜は、少しだけ目を細めた。


「足りるかどうか、だな」


「何が?」


 答えなかった。


 ただ前を向いて、歩き始めた。


 私はその背中を見ながら、もう一度スマホを見た。


 次は死亡届、か。


 出生届は来なかった。


 でも死亡届は来た。


 その順番に、なんとなく、嫌な気配がした。


 だって。


 誰の、死亡届なのか。


 まだ、聞いていない。


*****

■ 今回の登場キャラクター


◆ 影森ゆら(かげもり ゆら)

本作主人公。女子高生。今回は背後から刺されて死にました。安置室で一人死ぬのは初めてです。傷は消えましたが借金は増えました。腹の奥の熱だけ、まだ覚えています。


夜見朔夜よみ さくや

夜見よろず相談事務所所長。今回も守銭奴でした。蘇生と肉体修復を別工程として請求するのは本人的には当然のことです。でも「足りるかどうか」と言った時だけ、少し温度が違いました。


◆ ぬい

半寄生相棒。安置室でも死後潜入中も健在。今回は珍しく静かなシーンが多かったです。


槙野恒一まきの こういち

警察側の窓口。初登場です。くたびれたスーツと目の下のクマと、仕事に疲れた顔。怪異を信じないふりで説明のつかない案件だけ朔夜に横流しする男。外で待っていたのは仕事の管轄外だからです。怖かったわけではないです(本人談)。


玻璃はり

死後領域の案内人。今回が本格登場です。足音がない。気配がない。でも怖くない。ゆらが死後側に入るたびに会える存在です。自分のことはほとんど話しませんでした。


■ 今回の怪異

死因未記入コーズ・アンノウン。検視記録に死因を書き込めなくなる怪異。死因が記録されていないため、遺体は書類上「死んでいない」扱いとなり、完全には止まれない状態になります。被害者と加害者が同じ場所で宙吊りになっていたのが今回の特殊な点でした。ゆらが死後側で「記録する」という意図を向けたことで記録が確定し、朔夜の封印術式と組み合わせて終わりました。表層は終わりです。根は、まだあります。


■ 次回について

次は死亡届です。誰の、かはまだ分かりません。

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