6.大きな公爵様
あれからすぐにメイドは温かなスープと柔らかなパンを持って帰ってきた。少し独特な風味のあるスープにほのかに甘いパンがよく合う。
メイドの持ってきた食事を半分ほど食べて医者が処方したという薬を飲んだあと、マーガレットはメイドの手によって軽く身支度を整えられていた。
ナイトドレスの上から羽織るように渡されたガウンはシンプルながら肌馴染みがよく、軽いのに暖かい。
よく目を凝らすと繊細な刺繍が入っている。どこの品かは分からないが、かなりの高級品だろう。
「髪は一つに纏めておきますね。飾りは…なくてもいいでしょう」
「失礼にならないかしら」
「旦那様は女性の身なりにとんと興味がございませんから。たとえそこら辺の雑草を飾っていたとしても絶対に気づきませんよ。お嬢様さえ嫌でなければ旦那様にお会いするためだけにわざわざ着替えたり着飾ったりする必要はございません。無駄ですから。楽な格好でよろしいのです」
できました。と緩く三つ編みした髪を肩から胸元に流してくれる。
ガウン姿に緩く纏めただけの髪。体調が優れない今、なんの締め付けも煩わしさもないこの格好は正直かなり有り難いのだが、少々不安でもある。
正直、初対面の男性に会う姿としては心許ない。相手が気にしないとはいえ、あまりにもラフすぎないだろうか。
「軽く化粧をしたほうがいいかしら?」
「必要ございませんよ。目と鼻と口さえついていれば旦那様は満足されます」
「目と鼻と口…」
「それにお嬢様はお化粧などされずとも十分にお美しいですよ」
メイドはからりと笑うと、戸惑うマーガレットから少し距離を空けた場所に、四角い木箱のような椅子を四つ横一列に並べ始めた。そしてさらにその後ろにも同じように椅子を並べる。
「何をしているの?」
「お気になさらず」
メイドはてきぱきと椅子を並べ終えると、椅子の上に分厚くて細長いクッションのようなものを置いて、マーガレットが横になっているベッドと並べた椅子の間に丸い机を一つ置いてお茶の準備をし始めた。
もしかしなくても、邸の主人を迎える準備だろうか?
それにしてもなぜ椅子が八つも必要なのだろう。
「あの…お嬢様は…」
なにやらメイドが話し始めようとしたその時、部屋に扉をノックする音が響いた。
「どなたかしら」
「恐らく旦那様ですわ。お通し致しますね」
メイドの言葉に頷く。
メイドは扉に向かうと外にいる人物を確認すると、ゆっくりと扉を限界まで開いた。
「…失礼する」
低い声とともに入ってきた人影にマーガレットは思わず息を呑んだ。
(大きいー…!)
マーガレットが今まで会ったこともないほど縦にも横にも大きい。
身長は見上げるほどに高く、横幅はマーガレットの二倍…、もしかすると三倍はあるかもしれない。
吹き出物で荒れた肌に、顔の真ん中にある低い鼻。腫れぼったい瞼に隠された細い目と、肉に埋もれた顎と首…。
彼が歩くたびに振動でベッドがわずかに揺れるのが分かる。
彼はベッドの近くに置いている椅子に気がつくと、一瞬立ち止まってちらりとマーガレットを見た。
そして何も言わず並んだ椅子の上にゆっくりと腰を下ろす。
どすん、という衝撃とともにマーガレットの体が跳ねる。
「…体調は?」
「まだ少し熱が…」
マーガレットは反射的に答えていた。
「食事は食べたのか?」
「えぇ、先ほど…」
「薬は?」
「食事のあとにいただきました」
彼はメイドが入れた紅茶に口をつける。
男に促され、マーガレットも紅茶を一口飲んだ。
「君はそのまま楽にしていてくれ。そんなに時間はかけないつもりだが、身体に障っても困る」
男の言葉にマーガレットは素直に頷いた。
「挨拶が遅れたな。ネーヴィアス公爵家当主リアム・ネーヴィアスだ」
「…モラリス公爵家の娘、マーガレット・モラリスです」
モラリス…と公爵が口の中で呟いたのがわかった。
ジェームズ、と公爵が呼ぶとそばに控えていた老齢の男性が心得たように頷いてそのまま部屋を出ていく。
マーガレットがジェームズを目で追っているのに気がついたのか、公爵が細い目をさらに細めた。
「気を悪くしないでほしい。我々にとっては必要なことだ」
「心得ています」
マーガレットのことを調べにいったのだろう。
公爵は探るような瞳でマーガレットを見た。
「君のことはこちらでも調べさせてもらうが、できれば君自身の口から真実を聞きたい。体調は万全でないようだが少しだけ私の質問に付き合ってもらえると有り難い」
「構いません」
マーガレットは平静を装いながら、内心混乱していた。
マーガレットは妃の教育の一環として、すべての貴族やその親類縁者に至るまで詳細に記憶している。
それなのに『ネーヴィアス』という家名も『リアム・ネーヴィアス』という人物も、どちらもマーガレットの知識のなかには存在しない。
(公爵家の家名も顔も知らないなんて有り得ない。それに、彼も私のことを知らないみたいだわー…)
曲がりなりにも公爵家の人間が、自分の国の王族の婚約者を知らないことなどあるのだろうか。
それに、マーガレットが気を失った森はモラリス領の目と鼻の先だったはずだ。実家の近くに他の公爵家の領地があったなんて聞いたことがない。
何かがおかしいー…。
彼が嘘をついている?
公爵家を騙って何か企んでいるとか?
それとも気を失っている間に知らない場所まで運ばれていた? 例えば隣国とかー…。
「どうした?」
「い、いいえ、なにも」
「…顔色が悪い。やはり話を聞くのは後日にしよう。体調が悪いのに無理を強いて、すまない」
ゆっくり休んでくれ、と彼が僅かに瞼を伏せる。
マーガレットは慌てて「大丈夫ですわ」と公爵を呼び止めると、緊張で早鐘を打つ心臓をなんとか鎮めようと胸を抑えた。
今はなんでもいいから情報が欲しい。
「無理をする必要はない」
「いいえ。本当に大丈夫です。あの、それよりも…」
マーガレットはゆっくりと頭を下げると、今の自分にできうる限りのカーテシーをした。
「危なかったところを助けていただいて有り難う御座いました。公爵様が助けて下さらなければきっと大変な事になっていたでしょう。そのうえお医者様まで…。本当に感謝しております」
「…いや、礼には及ばない。領地内の出来事は私の責任でもあるから」
「それでも感謝致します」
マーガレットの言葉に公爵は口を閉ざした。
感謝されて嫌な気持ちになる人はいない。まずは敵意がないことを示そうとしたマーガレットは、下げていた顔を上げると、驚いたような、怯えたような瞳と視線がぶつかった。
マーガレットと目が合ったことに気がつくと、公爵はびくりと体を震わせた。
「あの…」
戸惑うマーガレットに公爵は緩く首を横にふると、そのふくよかな腹を大きく膨らませて息を吐いた。
「…いや、なんでもない」
その声が僅かに震えていることに気がつく。
マーガレットが何かを言う前に、公爵は先ほどの様子など無かったかのように平坦な声で低く言葉を吐いた。
「君の体調が大丈夫なら、予定通り君について話をしよう。ここからは私の質問に答えてくれ」




