新しい日々
遅くなってしまいごめんなさい
話の展開が急すぎてごめんなさい
永い夢を見ていた。否、夢ではなく過去の記憶を思い出していただけだ。
兄に甘えながら何も考えず何もせずに生きる日々はゆっくりと流れていった。兄の優しさの檻を甘受していたあの毎日が壊れたあの日。
あれから幾らたっただろう。兄のことや自分を取り巻くことを考えると足元が崩れていく感覚がする。
今の自分は国を守る黒の女王として振舞えているのだろうか。戴冠式を終えて日の浅い黒の王の地盤はまだ固まってはいない。その弱さにつけ込もうとする貴族も多い。だからこそ、私がしっかりしないと、王を支えるのは私の役目なのだ。
「殿下、ラグドール卿がお見えです」
「ええ、分かったわ」
侍女に案内されて向かった先には、黙ってそこにいるだけなのに迫力のある男がいた。
私の存在に気づくと男は立ち上がり会釈をした。その隙のない身のこなしは、長年の軍人生活で身についたものだろうか。
髪色と同じ濃い赤い瞳が、射抜くような視線が向けられていることを感じ思わず口角が上がる。
「相変わらずですわね、ラグドール卿」
「はて、相変わらず、とは一体どういった意味でしょうか」
低いバリトンの声が部屋を満たす。
「女王である私に媚びることのない態度をなさるのは変わらずだと思いまして」
にっこりと笑いかけると、男は少し眉を寄せた。
「気に障ったのなら謝りますが」
「まさか、新鮮で嬉しく思うわ。それに貴方に媚びられるようになったら私驚いて、この国を滅ぼしかねないわ」
「…冗談に上手い返しをするのは慣れておりません」
じとり、と睨まれる。だが、その瞳には困惑の色が僅かに見え、この男に近づけた気がする。
「うふふ、それよりもわざわざ呼びつけてごめんなさいな。お願いがあるのです」
「お願い…?」
「ええ、アトリウス卿の動向に目を光らせておいてほしいの。あの方、まだエドモンド様を国王にすることを諦めてないみたいなの、この国でアトリウス家と同等の権力があるのはラグドール家だけですもの」
「…もちろん。この国の基盤を守るのは我々の役目ですから」
「そう、頼りにしているわ。ラグドール卿には陛下の守りになっていただきたいのよ、貴方の甥も陛下に陶酔しているようだし」
そう言うとラグドール卿の眉間に皺が寄る。
「それはアレ勝手にやっていることですが」
「貴方の甥ですもの気まぐれに陛下の側にいるわけではないのでしょう?それに毎日毎日、陛下の隣は貴方の甥が陣取ってらっしゃるわよ」
「…陛下のアトリウス卿のことはお任せください」
甥が陛下の側にいるのはあまり気に入っていないのか話が急に変えられ、話し合いを終えた。
ラグドール卿を見送り、今日の予定をこなそうと振り向くとそこには見知った顔がいた。
「あら、エルナ。お疲れ様」
ミントグリーンの髪色に目の下の泣きぼくろが特徴的な私の護り人。
エルナは私の言葉に表情一つ変えず、ただ頷きを返した。
「怪我はない?」
「ありません」
エルナはそう言って頭を下げると踵を返し消えていった。
以前約束させた、帰って来たときは、無事でも必ず顔を見せに来るということをきっちり果たしていったエルナの後ろ姿を見送った。
「殿下、陛下が共に昼食を、と」
「そうだったわね、陛下をお待たせするのは悪いわね。急ぎましょう」
急ぎ足で廊下を歩く。
多少待たせたところであのお優しい陛下は何も気にせず笑うが、それでも私の半身であり同じ黒を持つ尊い方であることは間違いない。
今日もあの気さくな人柄に触れ合えるのだと思うと自然と笑いが溢れていた。




