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約束  作者: 沢村茜
第十一章
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春の訪れ

 桜の花が咲くころ、それぞれに合格通知が届く。私たちはみんな希望の大学に合格することができた。そして、別れが直前に迫っていた。


 私は何度か通ったことのあるアパートのチャイムを押す。


 すぐに薄手のジャケットを羽織った木原君が出てきた。


「ちょっと待って。中で待つ?」


 私はうなずくと、靴を脱ぎ、家の中にあがる。


 必要なもの以外は何もない家だったが、いつもいるはずの姿がないのに気づいた。


「一馬さんは?」

「見送りにはこないってさ。今日は出かけるからって朝から出て行ったよ」


 彼なりに私に気遣ってくれたんだろう。他の人も同様に木原君の見送りはしないと言っていた。友達と一緒に見送るのもそれはそれでよかったとは思うのだけど、一緒に見送りしてくれる人は誰もいなかった。


 木原君は紙袋や本などを丁寧に詰めていく。私はその様子をじっと見ていた。もう木原君の荷物はあまり残っていない。一馬さんが使うものだけ残し、いらないものは実家へと送ったようだった。これが彼の最後の荷物なんだろう。


 彼は開けっ放しになっていた旅行バッグのチャックを閉める。彼の乗る電車まで三十分くらい。


「そろそろ行こうか」


 そう言って部屋を出ようとした私の手を木原君が掴んだ。


 彼が私に差し出したのは小さな紙袋だった。


「重いかなと思ったんだけど。でも、君なら喜ぶって野村さんから言われてさ」


 その形を見ただけで、中身に大よそ見当がつく。緊張しながらそれを開けると、薄いブルーの誕生石がついた指輪がクッション製の素材に守られるように白いケースに収められていた。私の誕生石のアクアマリンだ。


「今年の誕生日プレゼント。遅くなったけど。いろいろ迷って、これがいいかなって」

「いつ買いに行ったの?」

「受験が終わった後に」


 彼からケーキをもらったので、てっきりそれが今年のプレゼントだと思っていた。


 私はそれを指にはめる。そして彼に見せた。


「似合う?」


 彼は頷いた。


「大事にするね」


 彼の顔が近づいてくるのに気づき、目を閉じる。その数秒後に、私の唇に彼の唇が触れる。触れるだけの優しいキス。私と彼が交わした最初のキスだった。


「誓いのキスみたいだね」


 目を開けると、恥ずかしそうにしている木原君にそういう。

 その言葉に反応したのか彼の頬がもっと赤くなっている。


「すっごい真っ赤なんだけど」

「君もね」


 私たちは顔を合わせると、笑い出す。一緒に笑えるだけで、心が満たされる。楽しいと心から言える。もうこんな時間を今までのように過ごせないのが寂しいけど。


 電気を消すと、アパートを出た。春の暖かい日差しが私たちに降り注ぐ。あたたかいけど、どこか哀しい、艶やかな光だった。


 私は胸元で輝くネックレスとと、指輪を見て、目を細める。

 もう迷わないと、信じていると決めたのだ。


 晴実が出かけるのは明後日。そのときは百合と一緒に見送りに行く予定だった。野木君も連れてこようかと言うと、晴実は嫌がっていた。自分が素敵な女性になってから再会したいらしい。でも、百合が言うにはそれは逆効果と言っていた。彼女がしっかりしたらするほど、晴実は彼の理想から遠ざかっていくから、と。


 彼はどこか抜けている女の子が好きらしい。ということは私はそうなのかと思ったが、あまり考えないことにした。


 晴実にそれを伝えると、彼女は仕方ないと苦笑いを浮かべ、夢に生きるのだと言っていた。それも一つの生き方だと思う。


 駅には多くの人が溢れていた。学生服を着た人、遊びに行くのか女の子同士のグループ、お年寄りや子供連れなど多くの人がいる。木原君は一度実家に戻り、荷物の整理をするらしい。私も一緒に来るかと聞かれたが、家族でしかできない話があることから、遠慮することにした。


 東京では一人暮らしをするらしい。もうアパートなども借りていて、入居するだけになっていた。数日実家に滞在し、それからその家に行くとのことだった。最初なので彼のお母さんも入学式の出席と新生活の準備を整えるために一緒に行くらしい。


 そのとき、銀色の車体がホームに入ってくる。そして、駅の構内にあふれていた人が、その中に飲み込まれていく。


「ゴールデンウィークには帰ってくるから」

「忙しかったら無理しないでね」


 私の言葉に彼は笑顔で答える。


 そのとき、プラットフォームに警笛が鳴り響く。これが私達の別れの合図だ。


「またな」


 彼は再開の約束の言葉を私に伝えた。彼の姿は先ほど駅にいた人たちのように、電車の中に収まる。


 私は笑顔を浮かべ、手を振った。


 電車のドアが閉まる。彼ともう一度目が合ったと思った瞬間、ゆっくりと動き出す。そして、あっという間に車体が駆け抜けていく。まるで私と彼の出会ってからの時間を示しているようだった。


 あっという間で、遠くで見ているよりも辛いことが多かった。彼に会ったことを後悔したこともあった。彼に関わらなければ、普通に高校を卒業しただろう。でも、彼がいたから、泣いたり笑ったり、そして元気になれたし、未来を見ることができた。私達の関係はハッピーエンドかは分からない。だが、私は彼に出会えたことを心から感謝していたし、後悔はしないと誓った。


 新しく増えた宝物を少しだけ日にかざす。すると、その宝石は太陽の光を受け、輝いていた。


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