夢の始まり
電車を降りる頃には辺りは闇に落ち、街頭が照らすだけだった。朝が早かったからか電車の中で少し眠ってしまっていた。
辺りを流れる風も体の熱を芯から奪ってしまうのではないかと思うほど冷たいが、眠気覚ましにはちょうどいいかもしれない。
駅を出ると、一馬さんが私を見る。
「今回はいろいろ教えてあげたけど、今度からは全部雅哉に聞けよ」
「そうします」
「聞いたって何を?」
希実とのことも考えると、チョコレートのことは黙っておいたほうが良い気がした。わたしはネックレスを見つめる。
「これを買うのを偶然見ちゃったの」
「え?」
木原君の顔が引きつる。
「お前も無駄なことをしていたってわけ。むしろ余計なことのほうが正しいかな。悩まずに渡しておけば良かったのにね」
一馬さんは木原君の肩を叩く。
「由佳ちゃんを送って帰れよ。ごはんは食べてきてもいいから」
彼は私と木原君に別れを告げると、軽い足取りで帰っていく。
「まさかと思うけど、別れるっていたのって」
「ごめんなさい。木原君の大学のこととか、そのこととかいろんなことが積み重なって。今度から木原君に聞くようにするから」
彼は短く息をつくと、肩をすくめていた。
「そっか。迷わずに、渡してしまえば良かったね」
「でも、どうして渡してくれなかったの? すごく嬉しかったのに」
「君の誕生日を野村さんから聞いたけど、知っているって言い出せなかった。でも、また聞くのはわざとらしいし。そんなことを考えているうちに誕生日を過ぎてしまって、過ぎたら過ぎたで後付みたいになってしまった」
どこかで聞いた理由に思わず噴き出す。
私と木原君はつくづく同じことをしていたんだなと実感する。
「私も同じ。木原君の誕生日を知っていたのに、言い出せなかったんだ。一応、誕生日兼クリスマスでプレゼントも買っていたの」
彼は驚いたように私を見ていた。
「セーターだけど、いるなら」
「ほしい」
「取りに来る?」
彼は笑顔でうなずく。
私は木原君と一緒に家に帰ることにした。だが、半分ほどの道のりを歩いたとき、私の携帯が鳴る。木原君の携帯も同時に鳴った。一馬さんからのメールだった。
添付された写真を見て、顔が赤くなるのが分かった。それは私と木原君が電車の中で肩を寄せ合い、寝ている写真だった。木原君の携帯にも同じメールが届いていたようで、彼も困ったような笑みを浮かべていた。
玄関を開けると、玄関から光が漏れていた。私達は挨拶だけして、私の部屋に行こうと決める。
リビングの扉を開け帰ってきたと告げると、両親と姉の動きが止まっていた。
「お久しぶりです」
「木原君を私の部屋にあげるね。ごはんはその後に食べるよ」
時の止まったリビングからはそれ以上の言葉が聞こえてこなかったため、私達は扉を閉め私の部屋に行くことにした。
部屋の電気をつけ、木原君を招き入れる。セーターを出すために引き出しをあけた瞬間、私は固まっていた。
「どうかした?」
私はセーターの上に置きっぱなしになっていたチョコレートを手に取り振り返る。
「今年のバレンタインに木原君にあげようとしたチョコを発見した」
「バレンタイン?」
彼は驚いたように私を見る。
「食べるよ」
とんでもないことを言い出そうとした彼の言葉を否定する。生チョコなので賞味期限はとっくに過ぎているし、お腹でも壊したら大変だ。
「ダメ。来年あげるから、来年もらって」
「分かった」
木原君は名残惜しそうな顔をする。
私はそれを机の上におくと、その下のセーターの中身を確認する。それは無事だったようだ。
私が差し出したセーターを木原君が受け取ってくれた。
「もう遅いし、今日は帰るよ」
私は頷く。
私は玄関まで彼を送ることにした。部屋を出たとき、姉とばったりと顔を合わせる。
彼女は私達を交互に見ると、笑顔になる。
「結局、よりが戻ったんだ」
「よりって、というか何で知っているの?」
「見ていたらばればれじゃない。お母さん達も薄々気付いていたと思うよ」
私と木原君は目を見合わせていた。一応、つきあっていた事自体を隠していたつもりだったのに。
姉はそれを言いに来たのか、階段を降りていく。
私達も階段を下り、リビングの扉を開ける。私はそのまま帰っても良いといったが、木原君は両親に挨拶をしておきたいと言ったのだ。
だが、扉を開けてすぐに姉と目が合い、彼女は私を見てにっこりと笑う。
何か企んでいる。そう思っても、姉の言葉を制する時間的な余裕はなかった。
「でも、よかったね。恋人になれて」
ニヤニヤしている姉と、目を見張っている両親。
私と木原君が何も言えないでいると、父親が木原君のところまで行くと、肩をたたく。
「ちょっといいかな」」
木原君に何を言う気なんだろう。
「受験生なんだから、あまり引止めたらダメだよ」
「十分くらいで終わるから」
父親はそういうと木原君を客間に連れて行く。二人が出てきたのは二十分ほど後だ。
どういう話をしたのかは分からないけど、最後は笑顔で出てきていたので、そんなに深刻な話ではなかったんだろう。
二人を待つ間、お姉ちゃんに文句を言ったら「雅哉君のため」とか意味が分からないことを言っていた。
両親は木原君が来てくれたのが嬉しかったのか、しきりに泊まっていけばよいと言っていた。だが、木原君はその両親の誘いを断り、一緒に家の外に出る。風は一層冷たくなっている。
「何かごめんね。家にいるときもすごく両親に絡まれていたよね」
「そんなことないよ。それに、ここで暮らしてよかったと思っているよ」
「私も一緒に暮らせて良かった」
私は木原君と学校に行く約束をすると別れた。
私はその日の夜、夢を見た。私と彼が出会った夕焼けの日の夢だ。
「由佳ね、おばあちゃんにひどいことを言っちゃった。おばあちゃんは遠いところで泣いているかもしれないのにごめんなさいできないの」
「きっとおばあちゃんは泣いても怒ってもいないと思うよ」
泣きじゃくる私をなだめるために彼はそう言ったんだろう。
私は彼の言葉を素直に受け止められずに首を横に振る。
「僕がおばあちゃんに聞いてきてあげる」
「でも、すごく遠いところなんだって」
「僕が大人になったらどんなに遠くでもすぐにいける乗り物を作るから。だから大丈夫だよ」
彼の目がきらきら輝いていて、彼の言葉がすごく嬉しかった。
「私も一緒に連れて行って」
彼が指を差し出した。
「じゃあ、約束。大人になって迎えに行くから一緒に行こう」
彼の小さな小指に私の小指を絡める。
「楽しみに待っているね」
私達は目を合わせると、笑っていた。
私はそこで目を覚ました。
そのとき分かった。私が彼に与えた夢の始まりだったのだ、と。
私も彼から与えられたものを、信じてみたかった。彼が与えてくれたこの気持ちを。そして、これから二人に訪れる未来を。彼を本当に好きなら我慢できないこともない。そう自分に言い聞かせて。




