ずっと知らなかったこと
「分かった。約束」
彼は私から手を離し、小指に指を絡めてくれた。
「昔、こうやって『約束』したの覚えている?」
「うん。私が帰るといったときだよね。また会うためにした約束だよね」
「今まで言わなかったけどさ、もしかしたら気持ち悪いと思うかもしれないけれど」
彼はそこで言葉をきる。
私が彼を見ると、咳払いして続きを言ってくれた。
「夢を見る切欠を与えてくれたのは君なんだよ」
「私、覚えていないよ」
彼の夢はエンジンの設計とか、動力とかそんなところだった。私達が再会したときには既に彼はその夢を持っていた。だからきっかけがあるとしたら昔の話ことのはず。だけど、あのときの私にそんな知識があるわけもなかった。
「知っている。だから言わなかった」
何の話か分からない。でも、彼も私と同じかもしれないと思ったのだ。
だから私も今まで隠していたことを彼に伝えようと思った。
「私が星を好きになったのも木原君にここで出会ったからなんだよ」
「俺、何か言った?」
「お互い様だね」
私達は顔を見合わせて笑う。
そして、彼は私の手をつないでくれた。
「一馬さんも待っていると思うから。お礼言わなきゃね」
私はネックレスの宝石を指でつまむ。それを彼に見せた。木原君はそれを見て目を細める。
太陽の光がその石に当たり、光を放っていた。
「勝手にしてごめんね」
「君のために買ったんだからいいよ」
「一生大事にするね」
彼にひかれるようにして歩き出す。時折、風が駆け抜け、冷たさが襲う。でも、指先から伝わってくる気温がその寒さから守ってくれた。マフラーやコートを着るよりも何倍も暖かい。
「今日こっちに来ていたのは何か用事があったの?」
「今日は実の母親の誕生日なんだ。だからどうせならってことで今日墓参りをしてきたんだ」
「そっか。お母さんの」
このままではあのときの彼女と交わした約束も果たせないところだった。一度逃げ出そうとしたけど、今はもう迷わない。彼とつないでいる手に力を込め、彼を見る。
でも、あと一つだけ確証がほしくて彼に問いかけた。
「木原君は私のどこを好きになってくれたの?」
彼は指を顎にあて、眉をひそめる。
「全部?」
「まじめに聞いているんだけど」
「俺もまじめだよ」
木原君の顔がいつの間にか赤く染まっていた。そんな顔をされただけで、十分なような気がし、それ以上追求はしなかった。
「大学、離れて寂しい?」
「寂しいよ。すごく」
今まで心の中で出していた結論を、これからは勇気を出して彼に聞いていこうと決める。彼にその勇気をもらったから。
家に戻った私を迎えてくれたのは一馬さんだけではなく、木原君のお母さんもいた。お父さんは買い物に出かけたらしい。どう状況を説明していいかわからない私に代わって木原君が簡単にまたつきあうようになったとだけ言ってくれた。
奈々さんはただ笑顔で私たちの話を聞いていた。
「ケーキでも買ってきてくれない? 今、お菓子を切らしていて」
奈々さんは木原君にそう告げる。
「父さんに頼めば?」
「あの人はあまり食べ物に興味がないから、頼りにならないわ」
その言葉に思い当たることがあるのか、木原君は笑っていた。
そのとき一馬さんが奈々さんを見る。彼の視線を受けたからか、奈々さんはうなずいていた。
「歩いて二十分くらいかな」
「車で送ってやるよ。車を借りるから」
彼はいつの間にか手にしていた鍵を奈々さんに見せる。木原君は「すぐに戻ってくる」と言い残すと出て行ってしまった。
玄関で物音がして、車のエンジン音が響く。歩いて二十分くらいなら車で五分ほどで着くのだろうか。そう思ったとき、私の目の前にコーヒーが差し出される。
「ごめんなさいね。本当は由佳さんと一緒に行きたかったのだろうけど、由佳さんと話がしたかったの」
彼女の口調は穏やかだったが、私は彼を傷つけたことを責められるのではないかと思っていた。私はそれだけのことをしてしまったのだ。だが、彼女の第一声は違っていた。
「ごめんなさい」
私はその言葉に驚いて、木原君のお母さんを見ていた。
彼女はコーヒーを手に私の向かいの席に腰を下ろすと、寂しそうな笑みを浮べていた。
「あの子はきっとあなたの気持ちを傷つけてしまったのでしょうね」
私は首を横に振る。
「傷つけるなんてそんなことありません。不安だったんです。彼が私を好きでいてくれるなんて考えもしなかったから」
「そう思っているのは多分、あなただけだと思うわ。あなたに会って、正しくは再会して、あの子は変わったと思う。あなたのことが本当に大切なのだと分かったの」
彼女は言葉を切ると、自分のコーヒーを口に運ぶ。そして、目を細めた。
「あの子には秘密にしておいてね。あの子は別に転校したってかまわないと言っていたのよ」
「そうだったんですか?」
彼女は頷く。
「大学はあの大学に拘る必要もないから、って。あの子は様々な事情を分かったうえで、引っ越して構わないと言っていたの」
木原君であればそう言うだろう。だが、彼女の告げた真実は一つだけ私の記憶と違っていた。彼は地元の大学に行きたいから残りたいと言っていたのだ。
「でも、私には大学に行きたいから残りたいって言っていましたよ」
彼女は優しく微笑んでいた。
「だから、そうなったのはあなたの家に行く日にあなたに会ったから、よ」
私はその言葉を聞いて、顔が熱くなるのが分かった。
「あなたの家に初めてあの子がお邪魔した日、あの子からメールが届いたの。さすがにあなたの家に住むのは気が引けるから、一人暮らしでいいからどうしてもここに残りたいって。そのときは私一人では決められなかったから、はっきりといいとは言えなかったけど、あの子が言った初めてのわがままだから嬉しかった」
私はすぐには言葉を返せずに奈々さんをじっと見る。
「あの子は分かりやすいから、あなたの家に行って、雅哉を見ていたら、あなたと一緒にいたいんだなって分かった。あなたのお父さんに感謝をしないとね。そうでなかったらあなたと雅哉は再会することもなく、引越ししていたと思うもの」
私は彼女の言葉に頷いた。
「雅哉は鈍感だから、無意識にあなたを傷つけてしまうかもしれないと思うの。何かひどいこととかされたら、私に言ってね。あの子にきちんと言ってあげるから」
「大丈夫ですよ。木原君はそういう人じゃないし、本人にきちんと言えるようにならないといけないと思います。でも、何かあったらお願いしますね」
これが今の私なりの答えだった。奈々さんは私の返事に嫌な顔をするわけでもなく、笑顔で応えてくれた。
私達がコーヒーを飲み終えたとき、玄関の開く音が聞こえる。
「このことは二人だけの秘密、ね」
私は彼女の言葉に頷いた。
木原君と一馬さんがリビングに入ってきた。木原君の手にはケーキ屋の箱が握られている。
私と木原君が隣に座ることになり、少しくすぐったかった。
少し遅れて木原君のお父さんが帰宅した。彼は突然にぎやかになった家に驚きを隠せないようだった。
木原君のお母さんは泊まっていけばといっていたが、さすがにそれはいけない気がして、夕食前に帰ることになった。
木原君は今日まで泊まる予定だったが、予定を切り上げ私と一緒に帰ることになった。




