第八話:斬る葛藤と、斬る覚悟
闘技場の中心。
石畳の上で、俺とトールは模造刀を構えて対峙していた。
「——始める前に、一つ言っておくよ、レイン」
いつも周囲を和ませる朗らかな笑顔は消え去り、トールの表情は真剣そのものだった。あんなにも険しく凛々しい顔のトールを、俺は今まで見たことがなかった。
「僕は、君が強いことを知っている。だから……手加減なんてしたら許さないからね」
観客席を見上げると、予選に出られなかった生徒や上級生はもちろん、街の市民までがびっしりと埋め尽くしていた。
注目の高さに息が詰まりそうになる。
いつもの実戦演習と同様、お互いに威力を抑える訓練用の模造刀を握り、魔力を抑える腕輪を装着している。ルールも単純だ。審判を務める教官が「勝負あり」と判断するか、相手が戦闘不能になるか、あるいはどちらかが降参するか。
ただ、一つだけ恐ろしいのは……この学校の実戦において「戦闘不能」の中には「死亡」も含まれ得るということだ。
もちろん、そうならないために模造刀を使い、腕輪を嵌め、超一流の教官たちが監視しているのだが、それでも背筋に冷や汗が伝うのを抑えきれない。
「——両者、構え! ……はじめっ!」
教官の鋭い一声が響き渡った。
俺の「クレアの幼馴染という立場を守るため」の戦いが、幕を開ける。
開始の合図と同時に、トールは激しく石畳を蹴り、俺の懐へと飛び込んできた。
トールもバカではない。俺の放つ魔法のデタラメな威力を知っているからこそ、距離をとって魔法を唱える隙を与えない気だ。近接戦に持ち込めば、いくら俺でも巻き添えを恐れて魔法は使えまいという正しい判断だ。
「はああぁっ!」
鋭い気合いと共に、トールが風を切って剣を振り下ろしてくる。
……だが、いつもクレアの頭のおかしい速さに付き合わされている俺から見れば、その軌道ははっきりと見えていた。以前に戦ったグラッドよりは速いが、これなら剣で受けられる!
鈍い音が鼓膜を震わせる。
トールは止まらない。一発防がれた直後、間髪容れずに左右からの連撃、突き、払いを連続で叩き込んでくる。
しかし、俺は一歩も退くことなく、その全てを剣の腹で完璧にいなし、受け切った。
「くっ……!?」
幾重もの打ち合いの末、さすがに体力を削られたトールの剣筋が一瞬だけ乱れた。隙が生じた胸元へ、俺は模造刀の腹を力強く叩き込む!
「がはっ……!?」
だが、所詮は威力を抑えられた模造刀。元々の筋力が低い俺の一撃では、トールを倒しきるほどのダメージにはならない。
一瞬だけ動きを止めたトールは、歯を喰いしばって再び剣を構え直した。
……やっぱり、魔法を使うしかないのか。
しかし、俺の魔法は威力が常識外れだ。いくら腕輪で抑えられているとはいえ、もし直撃して何かあったら……?
真剣勝負の場とはいえ、友達を自分の手で傷つけ、最悪の事態にしてしまうのは絶対に嫌だ。
迷いが生じたその時、直前のトールの言葉が脳裏をよぎった。
『手加減なんてしたら許さないからね』
——そうだ。
このまま相手の攻撃をのらりくらりといなして、地味な打撃で削り勝ったところで、トールは納得しない。全力でぶつかり合ってこそ、彼への本当の誠意なんだ。
「……すまん、トール。覚悟してくれ!」
腹をくくった俺は、トールの打ち下ろしを最小限の動作で回避すると、大きくバックステップを踏んで一気に距離をとった。トールは先ほどのダメージがあるのかついてこれない。
「【ウィンド】!」
俺が風の初級魔法を解き放った瞬間——
「なっ……うわあぁぁぁっ!?」
突風が闘技場に吹き荒れ、トールの身体を容赦なく巻き上げた。彼はそのまま数十メートル吹き飛ばされ、闘技場の外壁に凄まじい音を立てて打ち付けられた。
「いくぞ、トール! 頼むから……死ぬなよ!?」
「【ファイアボール】!!」
直後、俺の掌から生み出されたのは、火球というよりは巨岩のような爆炎の塊だった。高速の火の玉が、壁に激突して動けないトールの元へと一直線に突進していく。
激突の直前。
炎に包まれるトールの表情が、どこかすがすがしい、いつもの笑顔に戻った気がした。
闘技場全体を揺るがす爆発音と、激しい熱風。
煙が晴れると、崩れた壁の根元で倒れるトールと、青ざめた顔でトールの元へ跳んでいく救護班の姿があった。
「そこまで! 勝者——レイン!!」
一瞬の静寂の後、観客席から割れんばかりの歓声とどよめきが湧き起こった。
幸いにも、トールは全身に打撲と火傷を負ったものの、命に別条はなかった。
すぐに担架で救護室へ運ばれて行ったが、後から様子を見に行った俺に対して、痛む身体を押して満足そうに笑ってくれた。
「僕の全力を受け止めて、全力で戦ってくれてありがとう、レイン君。……最高の試合だったよ」
そう言って握手を求めてくれたトールの手は、温かかった。
……これで、良かったんだよな。
「やったわね、レイン! あと二勝で決勝よ!」
控え室に戻ると、笑顔のクレアが出迎えてくれた。
「……勝てたのは嬉しいけど、やっぱりちょっと後味が悪いよ」
椅子に腰掛け、溜息をつく。自分の魔法で友達を吹き飛ばす感触は、正直言って慣れそうにない。
「なに甘いこと言ってるのよ」
クレアは呆れたように肩をすくめると、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「あれでいいのよ。相手に手加減されるなんて、剣士として最大の屈辱だわ。だから私はどんな時でも、どんな相手でも全力を尽くす。それが戦う者同士の最低限のマナーよ」
剣士としての志は本当に立派なんだよな、このお嬢様。
……ならどうして普段の貴族としての振る舞い、主に俺への暴力や暴言はあんなに横暴なんだろうか。
だが、クレアが訓練や試合で対戦相手を常に全力の一撃で沈めてきた理由は、よく分かった。彼女なりの誠意であり、リスペクトなのだ。
「……でもさ。全力でやって、もし相手が死んじゃったら……とか考えないのか?」
俺がずっと胸の奥に抱えていた恐怖を、ストレートにぶつけてみた。クレアはどう思っているのだろう。
クレアは一瞬だけ瞳を伏せ、それから珍しく、ひどく大人びた真剣な表情で語り始めた。
「残念だけどレイン……私たちが生きているのは、争いの世界よ。いつ戦争が起きて、いつ誰が死ぬか分からない。他国は知らないけれど、少なくともこの国の貴族は強くなくてはならないの。弱ければ大切なものすら守れず、国の役に立たず死ぬだけよ」
凛とした声が、静かな控え室に響く。
「私たちはまだ学生だけれど、武器を取って戦うということは、常に死と隣り合わせだということ。死にたくないなら戦うな——私は幼い頃からそう叩き込まれてきたわ。だから私は、挑んできた相手には全力で立ち向かう。たとえ……その結果、相手を殺してしまうことになったとしても」
クレアはそこで言葉を区切り、俺を真っ直ぐに見つめた。
「相手もその覚悟で立っているの。……だから、私も自分の命を賭ける覚悟をしているわ。……まあっ! 私はまだまだ死ぬつもりなんてサラサラないけれどね!」
最後はいつもの勝ち気な笑みを浮かべて見せたクレア。だが、その言葉の裏にある重みに、俺は息を呑んだ。
……貴族って、華やかなだけじゃないんだな
国から莫大な金をもらって、苦労もせずに贅沢な暮らしをしているだけだと思っていた自分が恥ずかしくなった。彼女たちは幼い頃から、死と隣り合わせの覚悟を背負って生きているのだ。
でも——と俺は心の中で強く強く思った。俺は、クレアを絶対に死なせたりしない。
もしクレアが危険な戦場に行くというなら、俺もついていく。
クレアを守るためなら、俺はどんな敵にも全力で魔法を放ち、この手をどれだけでも汚してみせる。
クレアの笑顔を守るためなら、世界を敵に回したって構わない。
俺の人生のすべては、この金髪の少女のためにあるのだから。
「あっ、そろそろ私の番ね。いってくるわ!」
控室のドアが開かれ、クレアが軽快に立ち上がった。
「おう、頑張れよ!」
「当然よ!」
クレアの一回戦の相手は、クラスメイトのグラッドだ。
……せめてグラッドが死なないように、心の中で祈ろう。
俺もクレアの試合を見届けるため、観客席へと移動した。
腰を下ろすと、闘技場の中央でクレアとグラッドが剣を構えて睨み合っていた。
「——両者構え! はじめっ!」
教官の開始の合図が闘技場に鋭く響き渡る。
あ、羽虫が飛んでるな……
一瞬、視界の端をかすめた小さな虫に気を取られ、瞬きをした。
「——そこまで! 勝者、クレア・フォントネル!!」
「……え?」
教官の終了の合図が響いた。
ほんの一瞬、目を離した、その刹那のことだった。
「ぐはっ……がはっ……!?」
闘技場の中央で、グラッドが腹を押さえて悶絶し、白目を剥いて地面に転がっていた。
……よかった、死んではいないようだ。
何が起きたのかさっぱり分からず呆然としていると、ワンテンポ遅れて観客席から爆発的な歓声が巻き起こった。
「すげぇぇぇ! さすがフォントネル家のお嬢様だ!」
「おい見たか今の!? 腹パン一発だぞ、腹パン!!」
「剣も魔法も一切使わずに叩きのめしたぞ……!」
「うおぉぉ! ほ、惚れたぁぁぁ!!」
観客たちの熱狂的な叫び声を聞いて、俺は戦慄した。
まさか……剣も抜かずに素手の腹パン一発で沈めたというのか。
ダメージ十分の一の補正は、素手による打撃は補正を受けない。
そこにクレアの怪物めいた身体能力で本気の拳を打ち込まれたら……そりゃあグラッドも一撃で悶絶するはずだ。
「ふふんっ♪」
観客からの鳴り止まない大歓声が誇らしいのだろう。クレアは勝ち誇った笑みを浮かべ、観客席のあちらこちらへと可愛らしく手を振っている。
やがて、観客席の俺の姿を見つけると——クレアは満面の笑みを浮かべ、両手で思いっきりピースサインを作ってみせた。
俺も思わず苦笑しながら、同じくピースサインを返した。
周囲の男子生徒たちから「あいつ何でフォントネル様にピースされてんだ……!?」という殺気立った視線が刺さったが、ほんの少しだけ優越感に浸ることができた。
「さっ……それじゃあ、可愛くて恐ろしいお姫様のお出迎えにでも行くか」
俺は席を立ち、誇らしげな気持ちで控え室へと向かうのだった。
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