第七十二話 : 長槍の咆哮と意地
闘技場のすぐ間近、俺の視線の先で、副将戦の緊張感が一気に跳ね上がった。
アイスライト学院副将のルシアン=エデルガルドは、身の丈を超える青銀の長槍を右肩に担ぎ、目の前に立つ少女へ向けて不敵な笑みを投げかけた。
「おい、女。痛い目に遭いたくなければ今ならまだ間に合うぞ。降参したらどうだ?」
だが、対戦相手のクリムゾン・クロイツ副将——ロザリア=フリートは、ルシアンの挑発など一切耳に入っていない様子だった。
深々と被ったフードの隙間から、退屈そうにキョロキョロと周囲の観客席を見渡している。
と、その視線が俺と急に真っ正面からぶつかった。
一瞬の静寂。
するとロザリアはパッと表情を華やがせると、驚いたことに俺に向けてひらひらと笑顔で軽く手を振ってきたのだ。
えっ……俺??
予期せぬ反応に毒気を抜かれ、俺も思わず小さく手を振り返してしまう。
フードの隙間から覗く彼女の顔打ちは、短く切り揃えられた艶やかな髪も相まって、同性である女性すら一瞬で虜にしてしまいそうなほどの儚く美しい「美少年」とも思えるお顔立ちだった。
目の前で完全に無視され、あろうことか他の男と親しげに手を振り返し合っている様子を目撃したルシアンは、プライドを酷く傷つけられたのか顔を凶悪に引きつらせた。
「俺がデートする相手だというのに、無視して他の男に浮気か?」
怒りのままに突き出された長槍の鋭利な刃先が、ロザリアの鼻先数ミリのところでピタリと制止する。
しかし、ロザリアは一切動じることなく、くすっと挑発的に微笑んだ。
「ふふ、冗談でしょう? 私には虫とデートするような物好きな趣味なんてないわ」
「この、くそアマがァッ……!!」
青筋を立てて今にもブチギレて斬りかかりそうなルシアンを、冷や汗を流した審判が必死の様相で間に割り込んで宥める。
『第二試合・副将戦——始め!!』
合図が鳴り響くと同時に、激昂したルシアンの身体がしなる。
繰り出されたのは、圧巻の速度を誇る連続の突き。
青く眩い光を帯びた槍先の残像が、直線状に幾つも交錯し、ロザリアの全身を穿とうと襲いかかる。
だが、ロザリアは蝶のように身軽なステップでその音速の突きをひらりと回避していく。
とはいえ、先ほど無傷で先鋒戦を制したシャロットとは違い、彼女の着ている黒いローブにはいくつもの切れ目が刻まれていった。
やがてロザリアは軽く後ろへバックステップを踏み、十分な距離を取る。
「ふぅ……なかなかやるじゃない。さっき虫って言ったことは撤回してあげるわ。……まるで、元気な駄犬と戯れている気分だったもの」
「犬、だと……? ならば、これはどうかなッ!!」
ルシアンは低い体勢から長槍を大きく後ろへと引き絞った。
全身から溢れ出る濃密な魔力が、槍先の一点へと凄まじい密度で圧縮されていく。
「散れぇっ! ——【ドラゴニック・ライトニング】!!」
直後、極限まで収束された一突きから放たれたのは、眩い電撃の咆哮だった。
青白く爆ぜる雷光の龍が闘技場の石畳を豪快に抉り取り、猛烈な衝撃波とともにロザリアを呑み込まんと襲いかかる。
だが、ロザリアは避ける素振りすら見せず、ただ静かに両腕を胸の前で交差させて防御姿勢を取った。
電撃の咆哮が直撃し、激しい爆風と砂埃が闘技場全体を覆い尽くす。
「ハハハッ! 終わりだッ!」
ルシアンは確固たる勝利を確信し、荒い息を吐きながら長槍を地面へと突き立てた。
……しかし、その直後だった。
煙の中から——ひとつの影が揺らめいた。
一瞬。本当に一歩目の踏み込みすら認識できない速度で、その影はルシアンの目の前へと出現した。
「……なっ!????」
煙を割って現れたロザリアのローブはボロボロに引き裂かれていたが、その下に覗く白い肉体には、驚くべきことに擦り傷ひとつついていなかった。
呆然と目を見開くルシアンの胸元へ、ロザリアはそっと華奢な手を触れさせると、可愛らしくクスリと笑った。
「——【フレイムバースト】」
一回戦で猛威を振るった悪夢の爆炎が、至近距離から爆ぜた。
ルシアンの全身を凄まじい火柱が焼き尽くし、彼の悲痛な絶叫が闘技場内に虚しくこだまする。
やがて激しい炎が収まり、黒くくすぶる石畳の上に、全身を焦がされたルシアンが立っていた。
普通なら即座に気を失って倒れているほどの深刻すぎるダメージ。
だが——ルシアンは膝を激しくガクガクと震わせながらも、驚異的な執念で再び長槍を構え直したのだ。
「ま……まだだ……っ! 俺は……負けて、ない……っ!」
これには、仕留めたと思っていたロザリアも目を丸くして感心したように呟いた。
「へぇ……これを受けてまだ意識があるなんてね。さすが頑丈さだけが取り柄のアイスライト人ってところかしら?」
ルシアンが死力の一突きの腕を振り上げる。
しかし、もはやそこに牙はなかった。スピードも威力も失われた、あまりにも弱々しいただの突進。
ロザリアは冷ややかな瞳のまま腰の鞘から一振りの短剣を引き抜くと、ルシアンの槍を軽く弾き飛ばした。
カァンッと虚しい音を立てて長槍が手から滑り落ちる。
無防備に晒されたルシアンの胸元へ、ロザリアが容赦なく短剣を突き刺そうと振り下ろした——その瞬間!
重厚で鈍い金属音が、闘技場全体に激しく響き渡った。
「……なっ!?」
ロザリアの鋭い眼光が止まる。
ルシアンの前に突如として割り込み、その短剣の一撃を防ぎ切ったのは——アイスライト学院代表の未だ出場していない女性だった。
背丈ほどの巨大な大盾を軽々と構え、鋭い眼光でロザリアを睨み据えている。
それに押される形で、限界を迎えたルシアンは後ろへと倒れ込み、今度こそ完全に意識を手放して白目を剥いた。
「——もう、決着はつきました」
大盾の女性が静かな声で告げる。
ロザリアは不満そうにチッと小さく舌打ちをすると、短剣を鞘へと納めた。
「ちぇー、物足りないの。……で、あんた名前は?」
「……リリス。リリス=ミルフィールド」
「リリスね。そう、覚えておくわ」
ひらりと身を翻したロザリアは、一度も振り返ることなく自陣の待機場所へと戻っていった。
『し、勝者——クリムゾン・クロイツ、ロザリア=フリート!! 2連勝により、クリムゾン・クロイツの【決勝進出】が決定いたしましたーーーっ!!』
静まり返っていた会場に、引きつったアナウンスが響き渡る。
去年の優勝校に続き、優勝候補であった名門校アイスライト学院すらも、大将のジュリアスが出る前に「2対0」で呆気なく叩き潰されたのだ。
場内の観客対はしんと静まり返り、そのまま席を立ち帰りだす者もいた。
俺は立ち尽くしながら、戻っていくロザリアの背中をただじっと見つめ続けていた。
「俺は勝てるのか?……」




