第五十四話:規格外と、二人の……
マッドベアもこちらの存在に気づいたのか、猛烈な魔力気配がまっすぐに近づいてくる。
森の中で逃げ回られると追跡に時間を取られるため、向こうから突進してきてくれるのはむしろ願ったり叶ったりだった。
「見えたわ! 本当に体毛が鮮やかな紫色ね!」
魔物の姿をいち早く捉えたのは、驚異的な視力を持つクレアだった。
俺の目にはまだ鬱蒼とした木々の影しか映らないが、彼女の瞳には獲物の姿がくっきりと見えているらしい。俺たちは足を止め、魔物を迎え撃つ陣形を整えた。
「……じゃあ、お願い」
「あぁ、分かってる。……後で後悔するなよ?」
「……後悔?」
シズが無表情のまま首を傾げる。
その直後——前方から「バキバキバキッ!」と大木をへし折る凄まじい破壊音が響き、大地が振動を始めた。
「マッドベアが姿を見せた瞬間に撃ち込む! 濡れるのが嫌なら、今のうちに後ろへ退避しておけよ!」
俺は二人に念を押し、右手を豪快に前進へ突き出して魔力を練り上げる。
……と、背後から二人の低音の会話が聞こえてきた。
「……クレア。なんでそんな大きな木の陰に隠れるの?」
クレアは大木の太い幹の背後に身を潜め、さらに生い茂る葉を傘代わりに被るようにしていた。
「いいからあんたも来なさいって!」
「……大丈夫。近くで観察したいから」
クレアのレイン魔法対策は完璧だった。
一方のシズは……まぁ、仕方ない。本人が「見せて」と言ったのだ。万が一、水に濡れて服が透けるような事態になっても、俺のせいではないはずだ——。
そんな邪念を打ち消す間もなく、視界の開けた場所から体長三メートルを超える巨熊が乱入してきた!
紫色の毛並みを逆立て、太い腕と鋭い鉤爪を振りかざして咆哮をあげる!
「——いくぞっ!【ウォーターボール】っ!!」
ゴブリン戦の時と全く同じ——いや、それ以上の膨大な水量を誇る超巨大水球が瞬時に出現し、飛び出した!
周囲の大木をまるごと押し流しながら、突進してきたマッドベアを容赦なく呑み込み爆散する!
直撃した瞬間、森全体を揺るがす大轟音が轟き、滝のような大量の水滴が豪雨となって周囲一帯に降り注いだ。
……あぁ、全く同じ展開だ。
豪雨の後には、すっかり擦り潰されたマッドベアが姿を消し、地面には輝く大きな紫色の魔石だけがぽつんと転がっていた。
…………びしょびしょだ。
いや、俺自身が濡れるのはどうでもいい。これほどの水量なのだ。直近にいたシズも全身ずぶ濡れになって惨劇に見舞われているはず——。
「シズっ、大丈夫かっ!?」
心配になって、わざとらしく大慌てで振り返った俺の視界に跳び込んできたのは——
自分の周囲を完璧な球状の水の膜で覆い、一滴の水滴すら通さずに涼しい顔で立っているシズの姿だった。
くっ……魔力防壁だと……!? っていうか魔力切れじゃなかったのかよ! やっぱり嘘だったんじゃないか!!
防壁を解除したシズは、ジト目になって俺を冷たく睨みつけてきた。
「……後悔の意味が分かった。……わざとやったの?」
「いやいやいや! シズが水魔法を打てって言ったんだろうが!」
俺が必死に反論すると、彼女のジト目が若干丸くなり、珍しく驚いたような表情を見せた。
「あなた……今のウォーターボールしか打てないの……?」
「そうだよ! 俺が知ってるウォーターボールはあれ一つだけだ!」
俺の言葉を聞いたシズは、深々と溜息をつき、おでこに手を当てた。
「……【ウォーターボール】」
彼女がボソッと呟くと、目の前に直径一メートルほどの均整の取れた水球が現れ、スッと飛んで破裂した。
「……これが、私の全力全開の最大サイズ。……じゃあ、次。【ウォーターボール】」
続いて、彼女の周囲に直径十センチの小弾、三十センチの中弾、五十センチの大弾など、様々なサイズの水球が数個同時に出現し、滑らかに森の奥へ飛んでいく。
シズは手を下ろし、呆れたように俺を見上げた。
「……あなたは、魔法というものを知らなさすぎる」
雷に打たれたような衝撃だった。
同じ名を持つ魔法でありながら、出力を自在にコントロールし、用途に応じて大きさを変化させる——。
俺も……シズのように魔法を扱いたい! ただデカいだけのバカ力の魔法じゃなく、もっと自由自在に、美しく魔法を使ってみたい……!
だが、俺一人ではその制御の方法が分からない。
ならば——答えは一つだった。
「師匠っっっ!!」
「……えっ?」
俺はシズに向かって、地面に頭がつきそうな勢いで深々と頭を下げた!
「俺の魔法の師匠になってください! 俺に……真の魔法の扱い方を教えてくださいっ!」
「……いいけど。師匠は嫌。老けて聞こえる」
「じゃ、じゃあ先生は!?」
「それも嫌。普通にシズでいい。……それなら、教えてあげる」
「ありがとう、シズ……っ!」
俺が感激に震えながら顔を上げると——いつの間にかシズの背後に、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべたクレアが忍び寄っていた。
「……ふふん、魔法で自分だけガードするなんてズルいわよ、シズ。これでも食らいなさいっ!」
「……え?」
クレアは両手を伸ばすと、シズのスカートの裾を掴み、勢いよくガバッと捲り上げた!
不意を突かれたシズは、A級ハンターの反応すら間に合わず、完全に無防備な姿を晒してしまう。
一瞬だけ視界に焼きついた可憐な色。
シズは悲鳴こそあげなかったものの、顔を耳まで真っ赤に染め上げ、全身をプルプルと震わせて絶句していた。
「あーっ! すっきりしたわ! さ、クエストも終わったし早く帰りましょう!」
満足気なクレアが鼻歌交じりで歩き出した、その瞬間——。
シズが静かに、そして殺気を込めて手をかざした。
「——【ウインド】」
「へ?……きゃぁぁぁ!?」
クレアの足元から巻き上がった猛烈な上昇気流が、彼女のスカートを真上へと激しく捲り上げた!
慌てて両手で押さえ込もうとするクレアだったが、風圧に押されてその場にへたり込んでしまう。
「……お返し。……ふふっ」
悪戯が成功したシズは、口元に手を当てて「ふふっ」と小さく可憐に笑った。
いつも無表情な彼女が魅せた、年相応で少し意地悪な笑顔。俺は鼻の下を伸ばしながら、やっぱりシズの笑顔は反則的に可愛いなと、心の中でしみじみ思うのだった。
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