第四話:アイスライト杯と、お嬢様の照れ隠し
放課後。夕闇に染まり始めた石畳の道を、俺とクレアは並んで歩いていた。
「……なんであんたにあんなことができるのよ」
「なんでって言われても……俺が一番驚いてるんだってば」
魔法の実技試験を終えた帰り道、クレアはあからさまに不機嫌な横顔を見せていた。 まあ、無理もない。完璧主義のクレアが俺に魔法で後れを取ったのだ。……というか、クレアは本日最低記録の1点だったのでクラス全員に負けているのだが。 ただ、自分でも魔法が壊滅的に苦手なことは自覚していたらしく、悔しがりつつもどこか納得はしているようだった。
「まあ、よかったじゃない。昨日の実技試験の立ち回りも悪くなかったし、明日からも油断しなければ、これでアイスライト杯の代表選手に選ばれるのは確実ね」
「あ、そうだ。昨日からよく耳にするんだけど……そもそもアイスライト杯ってなんなんだ?」
俺が尋ねると、クレアは「はぁ……?」と呆れ果てたように溜息をついた。
「あんた、そんな基本中の基本すら知らずに入学したの……?」
クレアは肩にかけた革のバッグをゴソゴソと漁ると、中から一束の書類を取り出し、俺の胸元に押し付けてきた。
「これ、読みなさい」
「えー、めんどくさいなぁ……口で教えてくれよ」
「嫌よ。口で説明する方が何倍も面倒だわ」
「へいへい……」
しぶしぶ一枚目の用紙を広げる。タイトルには『アイスライト杯・概要および選抜基準について』と書かれていた。ぎっしりと細かい文字が並んでいる。
歩きながら書類に目を通していると——
「レイン? ぶつかるわよ」
「えっ——ぶふっ!?」
直後、俺の顔面は街路樹の太い幹に勢いよく激突した。
「痛ってぇぇぇっ! クレア、もっと早く教えてくれよ! ぶつかる直前じゃ間に合わないだろ!」
鼻を押さえて涙目になる俺を見て、クレアはクスッと小さく吹き出した。
「ふふっ、ちゃんと前を見て歩かないあんたがバカなのよ。それに、直前で教えた方がリアクションが面白いでしょ?」
そう言うクレアの顔から、先ほどまでの不機嫌な影は綺麗に消え去り、年相応の可憐な笑顔が咲いていた。 ……まあ、クレアがこうして笑ってくれるなら、鼻を打った激痛くらい安いものか。
「……で、要するにコレって学年最強決定戦みたいなもんだろ?」
書類をめくりながら要約する。各学年から選りすぐりの十六名を選抜してトーナメント戦を行う。昨日と今日の試験は、その十六名の枠を決めるための選考試験の一つだったというわけだ。
「正確に言えば、アイスライト杯の校内予選ね」
クレアは指を一本立てて補足した。
「校内トーナメントを勝ち抜いた各学年の上位2名が学院代表として、他学校の代表と戦うの。国で一番の学校を決める、一大国家行事よ」
「へえー……想像以上にデカい大会なんだな。ちなみに、うちの学院は強いのか?」
「うーん……去年は三位だったかしらね。お父様は『名門のくせに情けない』ってカンカンに怒っていたわ。……でも、今年からはこの私がいるんだから、そんな不甲斐ない結果にはさせないわ。目指すはもちろん、優勝よ!」
夕日を浴びながら、クレアは目を爛々と光らせ、小さな拳を俺の目の前で握りしめた。
「そっか。応援してるぞ、クレアならきっと優勝できるさ!」
「……あんた、バカなの? 何他人事みたいに言ってんのよ」
「え?」
「あんたも出るに決まってるでしょ! 今年の一年生代表枠は、私とレインで決まりよ!」
「はぁぁぁぁぁっ!? 俺がぁっ!?」
思わず素で大声を上げてしまった。
「無理無理無理! 絶対無理だって! だってあのエーベルとか、他にも凄い貴族がいっぱいいるんだぞ!? 俺なんかが代表なんて絶対無理だ!」
本気で拒絶しようと手を振った瞬間——クレアの表情がみるみるうちに不機嫌になっていく。
そして、俺の目の前にあったはずの彼女の拳が——ドスッ!! と閃光のような速度で俺のみぞおちに突き刺さった。
「ぐはぁっ……!?」
無防備なお腹に直撃した衝撃で、俺はその場に膝をついてうずくまった。
「……イラッとしたわ。でも確かに、そんな軟弱な腹筋じゃ大会で勝てるわけないわね。今日の腹筋、追加で五百回決定よ」
な……理不尽すぎる……っ!
さすがの俺も頭に血がのぼった。激痛に耐えながら、うずくまった姿勢のままクレアのお腹に向かって拳を突き出す。
「この……暴力女……っ!」
とはいえ、相手は大好きな女の子だ。本気で殴れるはずもなく、俺の拳は手加減された「ぽこん」という優しいタッチでクレアのお腹に命中した。
「ふん」
クレアは俺の弱々しいパンチを正面から受け止めたが、当然ながら痛がる様子すらなく、涼しい顔で立っていた。
それにしても、すごい腹筋だな……
手応えで分かった。決して固いだけのバキバキに割れた筋肉ではない。女の子らしい柔らかで適度な脂肪のベールに包まれつつも、その内側には極限まで鍛え上げられた筋肉がぎっしりと詰まっている。
……素晴らしいな、おい。
あまりの感触の素晴らしさに感動した俺は、吸い寄せられるように、そのままの手でクレアの柔らかく引き締まったお腹をすりすりと撫でまわしてしまった。
すりすり。なでなで。
「……っ」
ふと見上げると、クレアの体がプルプルと小刻みに震えていた。 顔は熟したトマトのように真っ赤に染まり、目には涙すら浮かんでいる。
……あ、これ、本気でヤバい奴だ。
「何……してんのよ……この……っ」
「このハレンチ変態ガッパぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
手加減という概念を空の彼方へ放り投げた、平手打ちが俺の頬に炸裂した。 俺の視界は真っ白に染まり、意識は深い闇へと落ちていった。
「……う、ん…………」
重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは豪華な天井の装飾だった。 背中からは、信じられないほど柔らかくふかふかな感触が伝わってくる。
あれ……? ここ、どこだ……? たしか俺、クレアの腹筋の素晴らしさに感銘を受けて触っていたら、顔面に小惑星が激突したような衝撃が……
「……ようやく目を覚ましたわね、この変態」
ベッドの脇から、クレアがジト目で俺を覗き込んでいた。
「クレア……。あだだだっ……」
顔を動かそうとした瞬間、頬と首に激痛が走る。 不意打ちとはいえ、女の子のビンタ一発で気絶させられるとは……俺もまだまだだな。
「ここは……クレアの家か?」
「そうよ。……言っとくけど、私の部屋じゃないからね!? ただの客間だから! 変な勘違いしないでよね!」
バッと顔を背けてまくし立てるクレア。 そういえば、フォントネルの屋敷に来るのは久しぶりだ。相変わらず一室が無駄に広い。この客間だけでも俺の家の敷地全体と同じくらいの広さがあるんじゃないだろうか。 幼い頃は毎日のように遊びに来ていたのだが、十二歳を過ぎたあたりから、なぜかクレアが俺を屋敷の中に通してくれなくなったのだ。
「……ごめんなさい」
「……え?」
聞き間違いかと思った。 蚊の泣くような、消え入りそうな声でクレアが呟いたのだ。
「だから……ごめんなさいって言ったのよ! あそこまで強く殴るつもりはなかったの……! まさか気絶しちゃうなんて思わないじゃない……っ。……でも! レインだって悪いのよ! 女の子のお腹をあんな風に……っ」
真っ赤な顔で涙目になりながら早口になるクレア。 そんな風に素直に謝られると、こちらとしても申し訳なさで胸が痛む。
「いや、俺の方こそ本当に悪かったよ。女の子にあんな触り方したら嫌がられて当然だ。ごめんな、クレア」
「べ、別に……嫌だったわけじゃ……っ! ……もーっ! とにかくお互い謝ったんだから、この話はおしまい!」
クレアはぷいっと向こうを向くと、照れ隠しするようにパンパンと手を叩いた。
「あ、そうそう。お父様が『レイン君が来ているなら、久しぶりに夕食を食べていきなさい』って。レインのお父さんにも、もう連絡して許可を取ってあるから」
「えっ!? 本当か!?」
思わず跳ね起きた。 フォントネル家のディナー! 絢爛豪華な大貴族のフルコースだ! 日頃の質素な食生活では絶対にお目にかかれない高級食材の数々が食べられるのだから、テンションが上がらないわけがない。
二人で広い廊下を歩き、食事が準備されている部屋に入る。長テーブルの奥には、すでにクレアの父親が腰掛けてワイングラスを傾けていた。
「やあレイン君、よく来たね。……いや、運ばれてきたと言うべきかな? いやあ、クレアが君を背中に背負って帰ってきた時は、てっきり魔物にでも襲われたのかと焦ったよ。まさか娘に殴られて気絶していたとはね。……ハハハ、乱暴な娘で本当にすまん」
そう言って豪快に笑うのは、フォントネル家当主——ザワード=フォントネル。王国最強の一角と恐れられる伝説の騎士なのだが、俺の前ではいつだって気さくで温かい、親バカなおじさんである。
「いえ、俺が変なことをして怒らせたのが悪いんですから。……それとザワード様、学院への推薦、本当にありがとうございました。おかげで毎日すごく充実しています」
「ふふ、そう言ってもらえると推薦した甲斐があったというものだよ。……それにしてもレイン君、凄いじゃないか! 今日の魔法の試験、学年で一番だったそうじゃないか!」
「いやいや、まぐれですよ。……でも、おじさん耳が早いですね。今日の午後にやったばかりなのに」
「いやあ何、娘が帰ってくるなり真っ先に『お父様聞いて! レインがね——』って、嬉しそうに」
——カァァァァァァンッッ!!!!
突如、食堂に金属製の高音が響き渡った。
話の途中で、ザワードさんの顔面のわずか数ミリ横を、一本のフォークが光速で駆け抜け、背後の壁に深々と突き刺さっていた。 ザワードさんの豪快な笑顔が、そのまま凍りつく。
「あら……手元が狂ってしまいましたわ、お父様。ごめんなさい」
優雅に微笑むクレア。しかし、その瞳には光が一切宿っておらず、まるで熟練の暗殺者のような底知れぬ殺気を放っていた。
余計なことを口滑らせたら、次は眉間に刺すぞ、という無言の脅し……!
伝説の騎士にプレッシャーをかけられるのは、世界広しといえどクレアくらいなものだろう。冷や汗を流すザワードさんが少し哀れだった。
しかし——俺の胸の奥は、温かい灯火のようにポカポカとしていた。
そっか……クレア。俺が魔法で一番になれたことを、そんなに喜んでくれてたんだな……
ザワードさんが言いかけた言葉の続きを、俺はしっかりと読み取っていた。
自分のことのように自慢げに父親へ報告するクレアの姿を想像すると、頬の痛みなんて完全に吹き飛んでしまうくらい、愛おしさがこみ上げてくるのだった。
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80話くらいまでは、一気に投稿しますので、しばしお待ちください。




