第三話:ツンデレお嬢様と、青い炎
「ぐあぁぁぁ……筋肉痛で体が爆発しそうだ……」
「もうっ! 朝から情けない声を出さないでよ! 日頃の鍛錬が足りないからそんな無様なことになるのよ!」
剣の実技試験があった翌日の登校。俺は昨晩、クレアに強制された悪夢のような筋トレメニューのせいで、全身を襲う激痛に悶絶していた。
「なあクレア……今日は学校休んじゃダメかな? このペースじゃ遅刻確定だぞ……」
「あんたバカなの!? 『筋肉痛なので休みます』なんて言い訳が通用するわけないでしょ! 今日は大事な魔法の実技試験なのよ。遅刻なんて絶対許されないわ。……それに昨日は上半身を中心に鍛えさせたんだから、脚は動くはずでしょ?」
「チッ……バレたか……」
「はぁ? 今なんか言った?」
「いえっ! 何も言ってございません!」
「よろしい。じゃあ急ぐわよ!」
「へ……? あ、ちょっと待っ——」
直後、クレアは金色のポニーテールを躍らせて風のような勢いで走り去った。残された俺は泣きそうになりながら、激痛に悲鳴を上げる体を引きずって追いかけるハメになった。
……うちのお嬢様は今日も絶好調すぎるだろ。
なんとか死ぬ思いで食らいついた結果、遅刻どころか始業十五分前に教室に到着した。
「はぁ、はぁ、はぁ……死ぬ……本気で死ぬ……!」
「この程度のダッシュで何をハァハァ言ってるのよ」
「いやいや! いきなりあの速度で走る奴があるか!」
「『急ぐわよ』って言ったじゃない」
「言ったけど! 足が速すぎるんだよ!」
「あんたが遅いのよ、このノロマ」
くそっ……俺の脚力は絶対に一般的な男の平均以上だぞ!?
クレアの身体能力が異次元すぎるのだ。華奢でスラリとした体のどこに、男を一撃で吹き飛ばし、馬並みの速度で疾走する筋力とスタミナが秘められているというのか。
フォントネルの血統、恐るべし。噂によればクレアの親父さんは、過去にドラゴンをソロで討伐したとか、隣国との戦争で千人の大軍を相手に無双したとかいう正真正銘の化物らしい。血は争えないということか。
「やあ、おはようレイン、クレアさん」
教室に入ると、昨日すっかり意気投合したトールが笑顔で手を振ってくれた。
「おはようトール……命からがら辿り着いたよ……」
「ごきげんよう、トールさん。今朝も素晴らしい天気ですわね」
優雅に微笑み、しとやかに挨拶を返すクレア。
……おいクレア、今さらお淑やかな令嬢を気取っても無駄だぞ。過去二日間の暴力で、クラス全員に本性はバレきってるんだからな。
ちなみにトールは昨日の実技試験で惜しくも敗れてしまった。序盤は華麗な剣技で相手を圧倒していたのだが、踏み込んだ瞬間に相手の飛び散った汗で足を滑らせて転び、そのまま一撃を喰らうという不運に見舞われたのだ。ツキがなかったとしか言いようがない。
トールの席の前で雑談を交わしていると、ガラリと扉が開いてリタ先生が入ってきた。
「やば、先生が来た。また後でな」
「うん、今日の魔法試験も頑張ろうね!」
急いで自分の席に戻り、椅子を引いて腰を下ろそうとした瞬間——ずきんと激痛が走った。
「あいたたたたっ……!」
一人で顔を歪めて悶絶していると、すぐ後ろの席からドスの効いた声がかけられた。
「なんでお前が痛がってんだよ。昨日、一発も喰らってねえだろ。痛いのは俺の方だよ。何発もボコボコ叩き込みやがって……」
振り返ると、そこにいたのは全身に痛々しく包帯を巻きつけたグラッドだった。
あちゃー……ちょっとやりすぎちゃったかな……
だが、あの時は必死だったのだ。なにせ負けたら稽古量が二倍になると脅されていたのだから。
「あー……なんていうか、グラッド。昨日はごめんな」
素直に頭を下げると、グラッドは拍子抜けしたように目を丸くし、豪快に頭を叩いた。
「ハッ、いいんだよ。正面からやり合って負けたんだ、文句はねえ。それに……謝るのは俺の方だ。昨日は召使いだのなんだのバカにして悪かったな。すまん! 改めて自己紹介させてくれ。俺はグラッド=ラーナーだ。これからよろしくな、レイン!」
差し出された分厚い手を握り返す。見た目は厳ついが、案外さっぱりとした気持ちの良い男だった。
「ああ、よろしくグラッド!」
「はいはい~、そこ。いつまで仲良くお喋りしてるのかな~?」
教壇からリタ先生の冷ややかな視線が飛んできた。
「「すみませんでしたっ!」」
息ぴったりに謝罪する俺とグラッド。
横から「……ほんとバカね」というクレアの呆れ含みの呟きが聞こえてきた。
「さあ、昨日予告した通り、今日は魔法の実技試験を行います」
リタ先生はパンッと手を叩いた。
「とはいえ、皆さんは法律上、今日まで魔法の訓練を受けていないはずです。ですからまずは基本的な理論を学んでもらい、その上で皆さんの魔力量と資質を測定します」
この国アイスライトでは、なぜか法律により学校に入るまで魔法の行使や学習が厳しく制限されている。そのため、こうして学院に入学してから正しく教育を受ける仕組みになっている。
「というわけで、まずは魔法の危険性と理論から学んでもらいます。……よしっ」
リタ先生は教室の隅に置かれていた、衣装ケースほどもある巨大な木箱をひょいと両手で持ち上げ、教壇の上にドォンッ!! と凄まじい重低音を響かせて置いた。
中には、辞書並みに分厚いテキストがギッシリと詰まっていた。
な、なんだあの腕力……さすが元王国騎士団……。あんな巨大な箱を軽々と持ち上げるなんて……クレアも将来あんな風になるんだろうか……
やがて、一人一人の机の上に分厚いテキストが配られた。目測で測っても厚さ10センチはある。
うわぁ……何ページあるんだこれ……読むだけで何日かかるんだよ……
だが、俺の考えは甘かった。甘すぎた。
「さあ、時間もないからサクサク行くわよ! 今日中にこのテキストを全ページ解説して、午後には実技試験までやるんだからね! 必死で付いてきなさい!」
『『『ええええええっ!?』』』
クラス中に絶望の悲鳴が吹き荒れる。
こんな辞書みたいなテキストを、半日で全ページ叩き込むなんて正気の沙汰じゃない。
「大丈夫大丈夫! 私の滑舌を舐めないでちょうだい! それじゃ、一ページ目から行くわよっ!」
リタ先生はそう言うと、まるで超絶怒涛のスピードでテキストを読み上げ始めた。
えっ!? あッ、ちょっと待って!? 今どこ!? 何ページ目!? 何行目ぇぇぇ!?
教室中の生徒が目を白黒させながら必死にページをめくる。
怒涛の三時間ぶっ通し講義。生きた心地がしなかったが、奇跡的に内容は頭に入ってきた。テキストに図解やイラストが多く、要点がわかりやすくまとめられていたおかげだ。
要約すると——
魔法とはイメージの力である。
自分がどのような現象を引き起こしたいかを脳内で鮮明に描出し、最後に呪文を唱えることで発動する。持っている魔力が大きければ大きいほど、そのイメージはより強固に、より巨大な現象として現実化する。
例えば、初級魔法【ファイア】
脳内で山を焼き尽くす巨大な火球をイメージしたとしても、持ち主の魔力が低ければ、枯れ葉や小枝を燃やす程度で終わってしまう。
さらに魔法には属性が存在する。
基本となるのは火・水・風・地の四属性。世に存在するほぼ全ての魔法はこの四属性のいずれか、あるいはそれらの組み合わせによって構成されているという。
「さあ、これで座学は終わり! 午後は昨日と同じ闘技場に移動して、初級魔法『ファイア』を実際に使ってもらいます! 今のうちにしっかりイメージを練っておくのよ!」
あぁ、めちゃくちゃ不安だ……
俺に魔法なんて使えるのだろうか。
最悪の場合、指先から煙すら出ずに失笑を買う可能性だってある。この世界には、ごく稀に魔力を一切持たない人間も存在するらしい。
「レイン、お昼に行きましょう。お腹が空いたわ」
「あ、ああ……そうだな」
うじうじ悩んでいても始まらない。俺はクレアと共に学食へと向かった。
「うわ、すごい人だな……」
お昼時の学食は、腹を空かせた生徒たちで長蛇の列ができていた。
「並んでいるわね……」
「どうする、クレア?」
「並ぶしかないじゃない。私、ハンバーグ定食ね」
「……え? 俺が一人で並ぶの?」
「二人で並ぶ意味なんてないでしょ? 私は席を確保しておくわ。よろしくね」
そう言うと、クレアは優雅に去っていった。
「はいはい、わかりましたよ……」
結局、買うまでに三十分も並ぶハメになった。
クレアの待つテーブルへ向かい、熱々のハンバーグ定食を目の前に置いてやる。
「待たせたな、クレア」
「ありがと、レイン」
ふっと、クレアがほころぶような笑みを浮かべた。
……っ!?
心臓が大きくドキンと跳ね上がる。
普段の凶悪な態度からは想像もつかない、素直で可憐な笑顔。……くそっ、この笑顔を一瞬見せられるだけで、「三十分並んでよかったな」と思えてしまう自分が心底チョロくて悔しい。
俺は自分の注文した焼き魚定食を向かいの席で食べ始めた。
箸で焼き魚の身をほぐし、口へ運んでいると……ふと、クレアの熱い視線を感じた。ハンバーグを食べかけのまま、俺の焼き魚をじーっと穴が開くほど見つめている。
「どうしたんだ、クレア?」
「……な、なんでもないわよ! ただ……あんたのそれも、なんだか美味しそうに見えただけよ」
「なんだ、食いたいのか? ほら」
俺は箸で柔らかい魚の身を丁寧にほぐし、クレアの口元へと差し出した。
いわゆる「あーん」の体勢である。
「ばっ……バカじゃないの!? なっ、なんであんたの箸で食べさせてもらわなきゃいけないのよ! 自分で取るわよッ!」
顔を真っ赤に染めたクレアは、手に持っていたフォークをガバッと突き出し、俺の焼き魚の一番おいしい腹身のゾーンをガッツリと根こそぎ刺して、自分の口の中へ放り込んだ。
「んむっ……! ふん、まあまあの味ね」
あ……俺の一番楽しみにしてた脂の乗った身が……
俺の昼飯の幸福度が三分の一ほど削られたが、真っ赤な顔でモグモグと魚を味わっているクレアが可愛かったので、黙って許すことにした。
昼休みが終わり、全員が闘技場へ集合した。
「時間が惜しいから、さっそく始めるわよ!」
リタ先生は手に持っていた、厚さ三センチほどの木箱の蓋のような木の板を高く掲げた。
「この試験のルールは簡単。この木を【ファイア】で燃やしなさい! この木は特殊な耐火木でできているから、並の炎じゃすす一つ付かないわ。けれど、強大な魔力と鮮明なイメージがあれば燃やすことができる。燃えた割合に応じて点数を与えます。当然、この結果もアイスライト杯の選抜に直結するからね!」
また出た、アイスライト杯
そのワードが出た瞬間、クラスメイトたちの目が野獣のようにギラリと光った。後でトールかクレアに詳細を聞こう。
「さあ、誰から行く? 自信のある人は名乗り出なさい!」
「俺がいきましょう!」
威勢よく手を挙げたのはグラッドだった。
「昨日は剣で泥を塗られましたからね! 魔法でバシッと挽回してみせますよ!」
「いい意気込みね! それじゃあ、いつでもどうぞ」
リタ先生が闘技場の中央に耐火木をセットした。
グラッド耐火木の前に立ち、カッと目を見開いて手をかざす。
「燃え上がれ……【ファイア】ッ!!」
グラッドの手のひらから放たれた炎が耐火木の板を激しく包み込む。
「よっしゃあ! 手応えアリだ!」
ガッツポーズを決めるグラッド。しかし——
「ふふ、どうかしらね?」
リタ先生が呟いた直後、炎はスッと消え去った。
先生が耐火木を拾い上げると、端っこがほんの数センチほど黒く焦げているだけだった。
「焦げた面積は全体の十%ね。グラッド君は十点!」
「なっ……バカな!? あんなに直撃したのに!?」
衝撃のあまり崩れ落ちるグラッド。リタ先生はフッと微笑み、フォローを入れた。
「落ち込むことはないわよグラッド君。この木は本当に頑丈なの。今日、恐らく大半の生徒は五%も燃やせずに終わるんだから」
実際、リタ先生の言葉は本当だった。
その後、二十人近くの生徒が順番に挑んだが、木の板を五%以上焦がせたのはわずか五人。最高記録でも十三%という惨状だった。
「ふふふ、すごいでしょこの耐火木。魔力を測定するには最高の素材なのよ。学院を卒業するまでに三十%燃やせるようになれば超優秀と言われているわ。……さあ、お次はクレアさん!」
ついにクレアの順番がやってきた。
あの完璧主義で圧倒的な身体能力を持つクレアだ。もしかしたら初日で三十%くらい燃やしてしまうのではないだろうか。周囲の生徒たちも息を呑んで注目している。
クレアは耐火木の前に立ち、すっと目を閉じて精神を統一させている。
そして、カッと目を開き、朗々と呪文を唱える。
「——【ファイア】!」
ボッ! と小さな炎が立ち上り、木の板を包んだ。
しかし、炎は一瞬で儚く鎮火してしまう。
……ん? いま何が起きた?
リタ先生が木の板を持ち上げると……そこには、目を凝らしてようやく分かるレベルの、ミリ単位の小さな焦げ跡が一つ付いているだけだった。
「うーん……一点、ね」
本日最低記録の更新であった。
「ク、クレア……? どうしたんだ……?」
思わず声をかけると、クレアは顔を真っ赤にしてフイッと背を向けた。
「な、なに憐れむような目で見てるのよ! しょうがないじゃない! フォントネルの血筋は代々、魔力が壊滅的に低い傾向があるんだから! だから何よ! あんな木、魔法なんか使わなくたって私の剣で一瞬で木端みじんにしてやるわよ! もう放っておいて!」
プンプンと激怒しながら自席へ戻っていくクレア。
……なるほどな。クレアにも苦手なものがあったのか
なんだか少しだけ親近感が湧いた。完璧超人に見えるお嬢様の、意外な弱点だ。
「では最後! レイン君、やってごらんなさい」
「はいっ!」
よし、俺の番だ。
戦いにおいて、勝てる見込みなんて万に一つもないと思っていたが……一つくらい、クレアに勝ちたい。今まで何をやっても叩きのめされてきたんだ。一つくらい、クレアを超えられる分野があったって罰は当たらないはずだ。
俺は耐火木の前に立ち、静かに目を閉じた。
イメージだ……テキストに書いてあった通り、鮮明なイメージを……
脳裏に描くのは、ただの炎ではない。
あの頑丈な木切れを、灰までで焼き尽くす炎。いや灰すら残さず、一瞬で溶かすほどの、超高熱の炎——!
体の奥底、胸のあたりから、ドクンッ……と巨大な何かが脈打つ感覚がした。
全身の血が激しく巡り、熱量が解き放たれる。
俺は目を見開き、目の前のターゲットに向かって叫んだ。
「——【ファイアーーーーーーーーーッ】!!!」
……。
…………。
……あれ?
静寂が支配していた。
手からは火の欠片すら飛び出さない。木も燃えていない。
……失敗か? 俺、もしかして魔力無しだったのか……!?
ガックリと肩を落とし、様子を確認しようと耐火木に触れようとした——その時。
「——レイン君! 離れて! 近づいてはダメッ!!!」
リタ先生の、聞いたこともないような悲痛な叫び声が響いた。
え……?
思わず、距離を取った瞬間——世界が変貌した。
木の板が設置されていた足元の石畳が、突如として赤く溶けだし、マグマのようにドロドロに融解した。
耳をつく爆音と共に、赤と青が混じる炎の柱が闘技場の天井に向かって爆発的に噴き上がった。
火柱は闘技場の結界に激しく激突し、魔法の結界が悲鳴を上げて歪むほどの威力を生み出している。
「な……なんだこれは……ッ!?」
グラッドが腰を抜かして叫ぶ。
クレアが信じられないものを見る目で目を見開き、金髪を煽られながら俺を注視している。
数秒後、青い火柱は静かに収束し、消失した。
跡に残っていたのは——
耐火木など影も形もなく、地面の石畳が直径数メートルにわたって綺麗に蒸発し、深く丸く抉れた大穴だけだった。
静まり返る闘技場の中で、リタ先生が震える声で告げた。
「レ……レイン君…………測定不能……文句なしの、百点よ……」
その光景を見つめながら、俺は呆然と自分の手を見つめた。
……嘘だろ? 俺……もしかして魔法の才能があるのか……!?
この物語の主人公としての本当の覚醒が、いま静かに産声を上げたのだった。




